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新しいレポートの「指定の表紙」ニューバージョン

新しいレポートの「指定の表紙」で作ってみた表紙(できぐあい表/ルーブリックもどき)ですが、実際につかってみると使いにくいところがあったので期末用に新しいバージョンを作ってみました。

PDFはこちら。

https://www.dropbox.com/s/06asvsyiovx6l49/%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E8%A1%A8%E7%B4%992017.pages.pdf?dl=0


新しいレポートの「指定の表紙」

 

昔「レポート提出の工夫: 「指定の表紙」」ってのを書いたんですが、これ前にも書いたように、学生様は適当にチェック入れてくるんでなかなかうまくいかない。世の中の教育熱心な先生たちは、「ルーブリック」っていうのを作ってるらしく、参考にして新しい「指定の表紙」をつくってみました。

日本高等教育開発協会のルーブリックバンクにあった、大阪府立大の深野先生のものを下敷きにさせていただきました。ありがとうございます。

「ルーブリック」ってなんなのか、いまだによく理解してないので、これがそれなのかなのかどうかは知らん。でも「ルーブリック」っていう名前は本当に私はこういう用語を使う人々をあんまり信用してないっていうか。評価表とかチェック表とか、某先生が言ってたように、「できぐあい表」とかそういう名前でいいじゃんとおもうんだけどどうだろう。

 

 


レポート提出の工夫: 「指定の表紙」

レポート提出してもらうときは「指定の表紙つけて」とかってのにしてます。このまえ使ったのはこんなの。スクリーンショット 2016-09-04 22.21.29

レポート表紙

しかしこれあんまり機能してなくて、学生様は適当にチェックしてくる。ウソツキ!とか叫びたくなりますね。

次つくるときは「レポートの本読んだか?」のところは「読んだレポートの書き方本のタイトル書け」にしようと思ってる。出典の書き方とかおかしいときに、「君の読んだその本にほんとにそんなこと書いてたかね」みたいなこと書きやすいし。

 


レポート提出の工夫: 提出レポートはPDFで全員に公開する

そういや、この「教員生活」シリーズあったの忘れてましたわ。

レポートのコピペとかっていうのはいまだにSNSでは話題ですが、まあそれは出題が悪いですわね。やはりコピペできないような出題したいとかってのは思ってます。

コピペについてはいろいろ言いたいことはあるんだけど、今年試してみてよかったのは、レポートは紙とPDFの両方で提出してもらって、PDFの方はGoogle Driveにセーブして、受講者全員が全員の分読めるようにする、っていうやつ。高得点つけた奴は別に数本選び出しておいて「こういうの高得点つけましたよ、全部じゃないです」ぐらいにしておく。Google Driveはフォルダごと公開できるので、URLはメールで一斉送信するなり、パスワードつきのwebページにおいとくなり。

「匿名にしたい人はPDFでは名前等いりません、紙で提出する際に表紙に書き込んでください」とかってことにしました 1)ファイル名はperlのスクリプトで番号( 123.pdfとか)にしたけど、ふつうはここまでやる必要はないだろう。

学生様がレポート嫌ったりコピペしてしまうのはそもそも書き方がわからないからなので、書き方がわかっている学生様、よく書けている学生のを他の学生様に見てもらうのは価値がある。自分の点数にもまあ納得いくだろうし。それに、「あなたのレポートの読者は私ではなく、他の学生、特に1、2年下の下級生、あるいはこの分野についてぜんぜん知らない人です、だからわかりにくい言葉や考え方もぜんぶ説明するのですよ、課題問題も、文献もちゃんと誰でもわかるように書くのですよ」とかっていうのも教育効果がある。

これの副作用の利点がもうひとつあって、成績表転記する際に「この学生様レポート出してないよな、落としていいんだよな、でも私紛失してるんじゃないかしら」とか不安になることが実はあるわけですが、メール検索してみればいいから楽。まあ学生様としては紙とPDFの両方出すのは面倒でしょうが。採点をディスプレイだけでできるって教員の人はPDFで提出だけでもいいかもしれませんね。でもこれはこれでメール届いた届かないで問題になるから、二重にして冗長化するのは教員にとってはそれなりに価値がある。

 

 


References   [ + ]

1. ファイル名はperlのスクリプトで番号( 123.pdfとか)にしたけど、ふつうはここまでやる必要はないだろう。

剽窃を避ける

剽窃とは

剽窃・盗用 (plagiarism プレイジャリズム)はアカデミックな世界では非常に重大な犯罪です。大学生はすでにアカデミックな世界の一員であって剽窃は絶対に行なってはなりません。「なぜ剽窃をしてはいけないのか」については「なんで丸写しじゃだめですか?」ってページを書いてみました。

このページの冒頭にあげているインディアナ大学の Plagiarism: What It Is and How to Rocognize and Avoid It というすばらしいガイドでは「剽窃」を「情報源を明示することなく、他人のアイディアや言葉を利用すること」として、剽窃を避けるため次のことに注意しなければならないと言っています。

次のものを利用するときはいつでもクレジットをつけ
なければなりません。

  • 他人のアイディア、意見、理論
  • 他人が発言したことや他人が書いた文章のパラフレーズ
  • 多くの人が共通に知っていること(common knowlege)でないような事実、統計、グラフ、図など

この「多くの人が共通に知っていること」はなかなか微妙です。なにが「みんなが知っていること」でなにが「オリジナルな主張・発見」かは、その分野をよく知らないとわからないですからね。別の大学のサイトで、「5冊以上の本などで出典なしに挙げられている」ということを目安として提案されているのを見たことがあります。

パラフレーズ

なかでも「パラフレーズ」はなかなか難しい問題です。パラフレーズとは、ある表現を他の表現で置きかえることなのですが、どの程度違う文章にしなければならないのかをはっきりと示している文章を、国内ではほとんど見かけたことがありません。私は、それが大学におけるレポートの剽窃の横行につながっているのではないかと思います。

つい最近、この件をよく考えてみなければならない出来事がありました。それを利用して、上のインディアナ大学ガイドのような形で問題を指摘してみたいと思います。

次の文章はソースティン・ヴェブレンの『有閑階級の理論』(高哲男訳、ちくま学芸文庫、1998、p. 129-130)の一部です。

人目につく消費を支持するこのような差別化の結果生じてきたこと、それは、衆目の前で送られる生活の公開部分がもつ輝かしさに比べて、ほとんどの階級の家庭生活が相対的にみすぼらしい、ということである。同じ差別の派生的な結果として、人びとは自らの個人的な生活を監視の目から守るという習慣を身につける。何の批判も受けず秘密理に遂行しうる消費部分に関して、彼らは隣人との接触を完全に断ち切ってしまう。こうして、産業的に発展した大部分の共同社会では、個人の家庭生活は、一般的に排他的なものになる。したがってまた、かなり間接的な派生物ではあるが、プライバシーと遠慮という習慣──あらゆる社会の上流階級がもつ礼儀作法の規範体系のなかでも、きわめて重要な特徴──が生じることになった。なんとしても面目を保てるような支出を実行しなければならない羽目に陥っている出生率の低さは、同様に、顕示的消費にもとづいた生活水準をみたす、という必要性に起因している。子どもの標準的な養育に要する顕示的消費や結果的な支出はきわめて大きく、強力な抑止力として作用する。おそらくこれが、マルサスが言う思慮深い抑制のうちで、最も効果的なものであろう。

非常に示唆的な洞察ですが、こういう硬い文章に慣れない人にはちょっと歯応えがあるかもしれませんね。翻訳調だし。何を言っているかわからない、と思うひともいるかもしれません。

これをある学生さんがレポートで次のように書いていました。

人目につく消費を支持するこのような差別化の結果、他者から見られる生活の公開部分に比べて、ほとんどの階級の家庭生活が相対的にみすぼらしい、ということが言える。また、派生的な結果として、人々は自らの個人的な生活を他人の目に晒されることから守る、と言う習慣を身につける。こうして、産業的に発展した大部分の共同社会では、個人の家庭生活は、一般的に排他的なものになるのである。そして、間接的な派生物ではあるが、プライバシーと遠慮という習慣も生じることになった。顕示的消費に基づいた生活水準を満たすことを考えた際に、子どもの養育に要する支出の増加は極めて大きく、面目を保つための支出に追われているような階級での出生率の低下も考えられる。現代日本の出生率の低下に関しても、原因の一つとして当てはまるのではないだろうか。

この文章を書いた学生さんは、たしかに、レポートの冒頭で一応、

本稿はヴェブレンの『有閑階級の理論』(1998年、ちくま書房、ソースティン.ヴェヴレン1:著、高哲男:訳)をもとに、この顕示的消費と、顕示的消費における(略)

と書いているのですが、それでもこれは剽窃になります。

一つには、 ヴェブレンの『有閑階級の理論』のどのページにあるのか明記していない からですが、もっと重要な問題もあります。ヴェブレンの文章とレポートの文章を比べてみましょう。

人目につく消費を支持するこのような差別化の結果生じてきたこと、それは、衆目の前で送られる他者から見られる生活の公開部分がもつ輝かしさに比べて、ほとんどの階級の家庭生活が相対的にみすぼらしい、ということであるということが言える同じ差別のまた、派生的な結果として、人びとは自らの個人的な生活を監視の目他者の目に晒されることから守るという習慣を身につける。何の批判も受けず秘密理に遂行しうる消費部分に関して、彼らは隣人との接触を完全に断ち切ってしまう。こうして、産業的に発展した大部分の共同社会では、個人の家庭生活は、一般的に排他的なものになるのであるしたがってまた、かなり間接的な派生物ではあるが、プライバシーと遠慮という習慣──あらゆる社会の上流階級がもつ礼儀作法の規範体系のなかでも、きわめて重要な特徴──がも生じることになった。なんとしても面目を保てるような支出を実行しなければならない羽目に陥っている出生率の低さは、同様に、顕示的消費にもとづいた生活水準をみたすことを考えた場合、という必要性に起因している。子どもの標準的な養育に要する顕示的消費や結果的な支出はきわめて大きく、強力な抑止力として作用する。おそらくこれが、マルサスが言う思慮深い抑制のうちで、最も効果的なものであろう。面目を保つための支出に追われているような階級での出生率の低下も考えられる。現代日本の出生率の低下に関しても、原因の一つとして当てはまるのではないだろうか。

ほとんどヴェブレンの記述の順番そのまま、細かいところを自分で入れかえただけです。語順さえも直っていません。このように、このレポートを書いた人は、ヴェブレンの文章の重要な語句のまわりにある細かい語句を変えているだけなのです。 これも剽窃とみなされます。

インディアナ大学のガイドは次のようなパラフレーズは剽窃であるとしています。

  • オリジナルの文章の一部の語句を変更しただけか、あるいは語順を変更しただけである
  • アイディアや事実の出典を示していない

ふつうの大学生なら、「出典を示せ」は耳にタコができるくらい聞かされていると思いますが、パラフレーズの件についてはあんまり指導されていないんではないでしょうか。しかし私も上のヴェブレンの件は剽窃だと考えます。

それではどう書けばいいのか

んじゃどう書けばいいのか、ってのはなかなか難しい問題です。インディアナ大学のガイドでは次に注意したパラフレーズは正当だと述べています。

  • オリジナルの情報に正確に依拠する
  • 自分自身の言葉を使う
  • 読者が情報源を理解できるようにする
  • オリジナルの文章を正確に記録する
  • 文章におけるアイディアにクレジットをつける
  • 引用記号をつけることで、どの部分がオリジナルのテキストからとられたもので、どの部分が自分で書いたものか判別できるようにする

インディアナ大のガイドは、剽窃を避けるためもっと具体的に次のような方な方策を次のように述べています。

  • テキストから直接に書き写したものには常に引用記号(「」)を付ける。
  • パラフレーズする。しかし、いくつかの単語を書きかえただけではだめ。次のようにします。
  1. まずパラフレーズしたい文章をよく読む。
  2. 手でその部分を隠したり、本を閉じたりしてテキストが見えないようにする(テキストをガイドにしちゃだめ)。
  3. 覗き見せずに自分の言葉でそのアイディアを書いてみる。
  • 最後に、オリジナルの文章と自分の文章をつきあわせてみて、まちがった情報を書いてしまってないか、同じ言葉を使ってしまってないかの二点をチェックする。
  • (インディアナ大のには書いてないけど)忘れないうちに出典をつける。

さっきのヴェブレンの文章の前半を、実際に上の方法1と2にしたがってやってみました。

ヴェブレンの『有閑階級の理論』によれば、プライバシーという規範は顕示的消費と関係がある。ひとびとが他の人々に見せつけるために消費するのであれば、他人に見えない部分ではそれほど消費する必要がない。むしろ、顕示的消費を行なうため、見えない部分に費す費用はより少なくなる。そのため、生活の他人に見えない部分は相対的に貧弱でみすぼらしいものになる。そういう貧弱な部分を他人に見せないために、プライバシーを守るという習慣が発生するのである。(ヴェブレン『有閑階級の理論』高哲男訳、ちくま学芸文庫、p. 129)

あんまりうまくないですね。あはは。まあ平凡な大学教員の読解力、記憶力、文章力なんてこんなもんです(私ヴェブレンほとんど勉強したことないしとか言い訳したくなる)。でもここまで来れば、まあ「自分の文章だ」ってな感じでもあります。

さらに教員の側から

まあ私自身が拙いパラフレーズの腕を見せたのは、それが ほんとうに難しい ということを示すためでもあります。私の考えでは、学者の腕のよしあしの大きな部分はパラフレーズの巧拙によって決まります。まあそればっかりやっている業界もあるわけで。

ちゃんと内容を理解しないと適切にパラフレーズすることはできません。逆に言えば、パラフレーズを見ればその人がどの程度内容を正しく理解しているのかがわかる。学生にレポートを書いてもらうのは、授業内容を理解してもらうためなわけで、つまり「適切にパラフレーズ」させることによって内容を把握させたいと思っているわけです。だからそれは一所懸命やってほしいのね。

パラフレーズだけでなく、剽窃一般についてもちょっと書いておきます。レポートを書かせようとするときに一番頭が痛いのが剽窃です。正直、採点するのがいやでいやでしかたがないくらい教員にとって頭痛のタネなのね。

教員の側からすれば、どの大学の何回生がどの程度の文章を書くことができるのかははっきりわかっています。文章がうまい、難しい言葉を平気で使う、斬新な発想がある、なんてのはたいてい剽窃なのね。そんなのに点数出したくない。さっきのレポートでは、一目見たときはどっかのwebからのコピペに違いないと思いこんでしまいました。その発想の豊かさと、奇妙な翻訳調が、勉強不足の大学院生あるいはかなりあやしい大学教員の文章に見えたのです。

べつにうまい文章、きれいな文章、すごい発想なんていらないから、とにかく自分で書いてみてください。

もっとプラクティカル

日本の大学生レベルでは、インディアナ大のような注意をする前の段階の学生が多いと思います。私はもっとプラクティカルなノウハウが必要ではないかと思います。やってみましょう。

さっきのヴェブレンです。

人目につく消費を支持するこのような差別化の結果生じてきたこと、それは、衆目の前で送られる生活の公開部分がもつ輝かしさに比べて、ほとんどの階級の家庭生活が相対的にみすぼらしい、ということである。同じ差別の派生的な結果として、人びとは自らの個人的な生活を監視の目から守るという習慣を身につける。何の批判も受けず秘密理に遂行しうる消費部分に関して、彼らは隣人との接触を完全に断ち切ってしまう。こうして、産業的に発展した大部分の共同社会では、個人の家庭生活は、一般的に排他的なものになる。

たいていの学生はこれだけの文章もけっこう歯応えがあると思います。どうすりゃいいんだろう?そこでまず、次のように書きはじめてみます。

市民社会でのプライバシーの問題について、ヴェブレンはどう考えているのだろうか。

まず自分で疑問文を書く。次に、ヴェブレン本人の文章を引用する。さらに疑問文をつける。

彼は「産業的に発展した大部分の共同社会では、個人の家庭生活は、一般的に排他的なものになる」(p. 119)と述べる。しかしなぜ産業的に発達することと、家庭生活が排他的なものになることが関係しているのだろうか。

ここまで来ると、ずいぶん書きやすくなってくる。これなら答えられるかもしれないと思ったら次のようにすればよい。

ここで重要なのがヴェブレンが注目した「顕示的消費」である。顕示的消費とは〜

「顕示的消費」とかってのを一応説明するわけね。

ヴェブレンの指摘によれば、近代的な共同社会では、顕示的消費のために他人に見えないところに費す費用を抑えるという動機がはたらく。したがって、家庭の内部での生活はみすぼらしい。

さらに、自分の体験から例を加えられればよりベター。読者は、「この人実感でわかってるな」と思います。

たとえば、驚くほど華美な服を着ている女子大生が、アパートに帰るとケバだったジャージ姿でカップラーメンをすすっている、などという光景はいまでも見られるだろう。しかしそういう格好は他人には見られたくない。だからプライバシーが重視されるようになるのである。

もちろんこうして自分の頭で書いていくと、結果的にできるのはヴェブレンの高尚な文章から遠く離れたしょぼいものになる。しかしそれでいいんです。それが文章を書くということなのです。それがなにかを学び理解するってことなのだと思います。


なんでも広辞苑を引用してすませるのはやめろ

なんかレポートを書こうとするととりあえず「広辞苑によれば〜とは〜である」とやる人がいます。

これはいろいろ有害。

  1. 広辞苑は国語辞書。言葉の意味を説明しているだけ。
  2. 学問用語にはめっぽう弱い。なんかわかりにくいし。実際読んでもわからんしょ?
  3. 広辞苑だけが国語辞書じゃないぞ。私は大辞泉が好き。

朝日新聞の「天声人語」とかがよく「広辞苑によれば〜」ってやってて、中高の先生がそれをまねたり、まねろと指導しているからそういうことしちゃうんですよね。高校生までなら許せますが、大学生はそれじゃだめなの。

どっから手をつけてよいかわからないなら

  • もちろん、最初は広辞苑なり大辞泉なりをひいてよい。辞書をひく態度は立派。偉い!
  • でもそれだけじゃたいてい理解できない。
  • とにかく、まずは教科書があるなら、教科書における定義と説明を見る。(そういうのがはっきりしていない教科書はよい教科書ではない)
  • だから定番の教科書を知っておくことが必要。教科書がない場合、どっから手をつけてよいかまったくわからない場合は、次に百科事典(平凡社の『世界大百科事典』とか)をひく。
  • これでかなり明確な知識が手に入る。
  • もちろん Wikipedia日本語版 も使ってもよい。でも百科事典に比べて質が落ちるし、分野によってはまったく使いものにならない。だからまず百科事典。
  • さらに、その概念なり事象なりがどの学問分野で扱われているかわかれば、その学問分野の専門事典をひく。『社会学事典』とか『フェミニズム事典』とか。
  • すると、専門の事典では、必ず重要な参考文献が挙げられているので、次はそれを読んだりするわけです。

詳しくは戸田山先生の名著『論文の教室』を読んでください。


Wikipedia

Wikipedia (ja)は非常に便利なものですが、レポートや卒論に利用する際には注意が必要です。

Wikipediaには非常に優秀な記事が少なくありませんが、それを学術的な資料として用いるのは勧められません。

第一に、情報の信頼性が低いからです。Wikipediaの執筆者は基本的に匿名・ペンネームであり、誰が書いているかは基本的にわかりません。誰が書いているのかわらかないものは信頼しないのが学術研究の基本の態度です。

第二に、Wikipediaは 三次資料 です。Wikipediaの編集方針の一つに「独自研究は掲載しない」というものがあります。ある事象があったときの記録や証拠が一次資料、それについて誰か学者が調べてまとめたり考察したものが二次資料、そしてWikipediaやその他の百科事典は学者たちの文献を参照した三次資料です。学生はもちろんWikipediaを参照してもよいのですが、大事なところは 必ずそのWikipediaの記事が参照している一次資料・二次資料まで遡らなければなりません 。もしその記事に参照がないのであれば、その記事には まったく価値がありません

しかしもちろん、Wikipedia程度しか調べる時間がなかったり、それほど重要でない事項についてはWikipediaを参照・引用してもかまいません。その場合は、wikipediaの推奨する参照・引用方法に従ってください。

Web上では
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%92%E5%BC%95%E7%94%A8%E3%81%99%E3%82%8Bのような参照でも役に立つのですが、これを紙媒体に使ってはいけません。

「Wikipdia:ウィキペディアを引用する」、『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/ )。2007年11月10日16時(日本時間)現在での最新版を取得。

でしょうか。でもこんなに書かなきゃならないのはばからしい気がしますね。
記事が参照してくれている元の資料を参照しましょう。


引用・参照の方法

本文

文献リストにあげたから勝手に情報や文章そのものを使ってよいわけではない。とりあえず初心者のうちはいちいち参照せよ

初心者のうちはもう面倒だからなんでも参照つけちゃえ。

  • 「伊勢田哲治によれば、〜である(伊勢田 2005, p.10)。」

長い理屈とかを書くときはこれでは難しいので、次のように

  • 「伊勢田哲治は次のように主張する。〜である。〜である。したがって〜なのだから、〜である(伊勢田2005, pp. 13-15))。」

「〜によれば」が多すぎるとかっこ悪いときは、文献参照だけで済ませることもできる。

  • 「〜である(伊勢田 2005, p. 10)。」複数ページになる場合は、「伊勢田によれば〜〜である(伊勢田 2005, pp.10-13)。

いかにもかっこわるいけどね。でも誰の調査結果か、誰の主張かを明確にするのはレポートの基本。慣れてくると省いてよいところがわかってきます。

ページ数まで必要かどうかは文脈による。迷ったらつけておけ。

文章(あるいは文章の一部)をそのまま使用する場合は「」でくくれ

  • 「伊勢田によれば、「〜〜〜(そのまんまの文章)〜〜〜」である(伊勢田 2005, p.10)」

でも基本的には情報源をパラフレーズ(自分の言葉で書き直す)する。そのまま引用するのは特に重要な箇所にしぼる。どこが「特に重要」でどこが重要でないかを見分けるのが勉強。

例外:多くの人に広く認めていることは参照する必要がない。

上で書いた「省いてよい」のは、(1) 自分のオリジナルなアイディア(当然)、(2)誰でも知ってること、一般的なこと、当然なこと。

  • ×「太陽は東から昇る(バカボンのパパ、1973)」

難しいんだけど、3、4冊の本/論文で特に誰それのアイディアだと明記されずにのってるやつはそのまま書いてもよい。

勉強が進んでくると、どれがふつうのアイディアでどれが著者のオリジナルなアイディアかわかってくる。それが勉強。だから初心者のうちはいちいち出典つける。

文献リスト

文献リストの書き方は大きく分けて2種類。

 
伊勢田哲治、『哲学思考トレーニング』、ちくま新書、2005。

という順番。伝統的。人文系の研究者に多い。筆者、『タイトル』、出版社、年。もう一つは、

 
伊勢田哲治 (2005)、『哲学思考トレーニング』、ちくま新書。

という順番。筆者 (発行年)、『タイトル』、出版社。年を筆者の次に置くのね。Author-Yearスタイルと呼ばれます。文章中で参照しやすいのでこっちが理系・社会科学系で優勢。上のように「〜である(伊勢田、2005)。」のように書くときはこっちを使用する。

あとほんとは「ちくま新書」じゃなくて「ちくま書房」だけど、まあこの方がわかりやすいかと私はこういうスタイルにしてます。

論文の場合は

 
江口聡 (2007)「国内の生命倫理学における「パーソン論」の受容」、『現代社会研究』、第10号、京都女子大学。

のようになります。著者、「タイトル」、『雑誌名』、巻号、年、その他の情報。雑誌なんかがマイナーな場合は上のようにさらに詳細な情報をつけるのもいいですね。

複数の人が書いている図書のなかの一章を指す場合は、

 
江口聡 (2010)「ポルノグラフィと憎悪表現」、北田暁大編、『自由への問い(4):コミュニケーション」、岩波書店。

のように。その章を書いた筆者とタイトルを先に出して、それが収録されている本を次に。

Webの情報は難しいんだけど、とりあえず次のように

 
スタイルAに準ずる 江口聡、「引用・参照の方法」、http://yonosuke.net/eguchi/memo/citation.html 、2011年2月2日閲覧。

著者、「タイトル」、URL、閲覧日ぐらいは最低の情報。Wikipediaの場合はWikipedia推奨の方法があります。


レポートの書き方

「剽窃を避ける」も参照してください。

まずとにかく

ここらへん1冊でよいから読んでおく。これまで「レポートの書き方」についての本を読んだことのないままにレポート書いたことのある人はかなり反省する必要がある。泳ぎ方を知らないのに海で一人で泳いだりするのに近い。なにごともノウハウ本というのがあります。哲学関係の人には戸田山先生のがおすすめ。

レポートでないもの

  1. 剽窃。パクリ。コピペ。他人の文章をそのまま写したもの。 → 「剽窃を避ける」 を書きました。
  2. 参照した文献のリストがないもの。
  3. 単なる感想。たいして調査もしていない「あなたの意見」は必要ありません。もちろん自分の解釈や見解や意見を述べるのはよいことですが、その場合は、 十分な論拠 を提示すること。
  4. レポートでWebにある文章を丸ごとコピペしてくる不届きな人々がいる。それが発覚した場合は当然単位は出さない。

たいしたアイディアはいらない

  1. 一般の大学のレポートでは、斬新なアイディアなどは必要ない。
  2. ちゃんと調べるべきものを調べてまとめれば十分。教員は学生が授業内容をちゃんと理解したか確認することを目的にしている。
  3. むしろ、ちゃんと型にはまったものが書けるようになるのが学生時代の修行。あなた自身のアイディアは卒論ででも表現すること。
  4. 課題をきちんと把握すること。

様式

  1. とりあえず大学なんてのは結局のところ型にはまった書類を作る練習をする場所だと思うこと。
  2. レポートの様式は非常に重要。
  3. しかし、教員から指定されていないことをいちいち質問する必要はない。指示されていないことは勝手に判断してよい。
  4. ただし常識としておさえておくポイントはある。
    1. 手書きの場合は原稿用紙に書くのが常識。指示がなくとも気をつけること。
    2. レポート用紙は不可。ただし英文の場合はレポート用紙でもよいが、1行空ける。
    3. レポートが複数枚になったら、必ずステープラー(商品名ホッチキス)で留めること。
    4. クリップはバラバラになることがあるし、かさばって邪魔。
    5. 表紙をつける場合はステープラー(ホチキス)の位置に注意すること。長方形の紙を縦長に使って横書きにする場合は左上、紙を横長に使って縦書きする場合は右上。
    6. 必ず各ページに番号を打つこと。趣味があるが、A4横書きの場合はページ下中央、縦書きの場合は左上あたりか。
    7. 科目名、大学、学部学科、学籍番号、名前を明記すること。学籍番号だけで学科などを書いていないと採点を記入するときに難儀する。
    8. 大学まで書く必要はなさそうに見えるが、特に非常勤の教員には必要な場合がある。
    9. 「~文字以内」ような指定があり、かつワープロで作成する場合、最後に(1980文字) のように文字数をつけておくとよい。
  5. 2000字以内ぐらいのごく短いレポートでは章立て不要の場合も多い。長くなると必要。

文章について

  1. 文章についてはとりあえず、戸田山和久先生の『論文の教室』と木下是雄先生の本をよく読むこと。正直なところ、文章のうまい下手はどうでもよい。一般の大学のレポートや卒論でうまい文章を書く必要ない。どうしてもうまい文章を書きたい人は本田勝一先生の『日本語の作文技術』(朝日文庫, 1982)を見るべし。
  2. レポート、論文では「だ/である」体で書くこと。
  3. 簡潔で明快な文章を心がけること。とにかく文を短くする。「〜が、〜」と続けず、「〜である。しかし〜」。「〜であり、〜であり、〜であり〜」→ 「〜である。また〜である。さらに〜である。」
  4. 体言止めは避けること。
  5. 「~のではないだろうか。」でレポートを終わらないこと。
  6. 必ず読み直して誤字脱字がないか確認すること。音読してみるのがよい。

引用の仕方

  1. 他人の文章は必ず(1)括弧(「」)に入れるか、(2)段を落して(この場合カッコはいらない)、それを明示する。どこのその文章があるか注をつける。「戸田山和久は、「剽窃は自分を高めるチャンスを自ら放棄する愚かな行為だ」と言っている 1)戸田山和久、『論文の教室』、NHK出版、2002、p.35。 」のようにする。
  2. 引用文は勝手に省略したり要約してはいけない。一字一句正確に。表記も原則的に勝手に変更してはいけない。変更した場合はその旨を明記する。
  3. いずれにしてもレポート・論文には文献リストをつける。文献リストでは、著者、『タイトル』、出版社、出版年、翻訳ならば訳者を明記。
  4. 複数の著者の論文を集めた本のなかにある論文を参照した場合は、その論文の著者を先に出すこと
    例:江口聡、「ポルノグラフィと憎悪表現」、北田暁大編、『自由への問い(4) コミュニケーション:自由な情報空間とは何か』、岩波書店、2010、pp. 23-46。
  5. 「著者:江口聡、出版社:岩波書店」などという新聞の書評欄みたいな書き方は×。ちゃんと論文の書き方本を見よ。
  6. 完全な引用でなくとも、オリジナリティが認められる主張やアイディアには典拠をつける。
  7. 基本的に文献リストに載せるものは本文中で1回以上言及すること。「戸田山によれば〜」のような形で。

パクらないために

  1. 文章をそのまま使わない。自分で一回咀嚼して自分の表現に書きあらためる。
  2. 自分でよくわからっていないことは書かない。

その他細かいこと

  1. 主語を省略しない。
  2. 「である」体の文章にいきなり「〜です」を入れたりしない。恥ずかしいことです。この文書も実はそういうのを含んでいるが、これは意図的なので真似しないようにしてください。
  3. 「〜のである」はおおげさであるので多用しないことが肝要なのである。「〜である」と書くのがフラットでよいのである。
  4. 日本語には斜字体(イタリック)は使わない。強調したい場合は傍点を打つ、下線を引く、フォントをゴシック体にするなど。
  5. 特別な事情がないかぎり、日本語の文章で〈 〉(山括弧)や“ ”(引用符)は使わない。どうしても引用符を使う場合は向きを揃えること「”ほげほげ”」はだめ。「“ほげほげ”」。
  6. 「1つ」「2つ」は私の好みではない「ひとつ」「二つ」。「ひと、ふた、み」と数えるときは漢数字。
  7. 接続詞と副詞はひらがなに開いた方がよい。特に「全て」「従って」は「すべて」「したがって」。
  8. 各段落は必ず字下げすること。(★できない子が多い)
  9. 基本的に人名は初出時フルネーム。「戸田山は」ではなく「戸田山和久は」と書く。二回目からは「戸田山は」でOK。カントのようにその分野で有名な人は最初から「カントは」でOK。
  10. 「氏」とか基本的に不要。「戸田山氏」「戸田山教授」ではなく「戸田山和久」と呼びすてにする。二回目からは「戸田山」だけでよい。
  11. レポートは完全に自分一人で書かねばならないものではない。校正、読み合わせ、構成の相談など自由にしてよい。原稿ができたら、一回誰かに向かって声に出して読んでみるのは非常に効果的。
  12. この前、どういうつもりか緑色のインクでプリントアウトして提出いる人がいた。良識をつかえ。それは誰にでも平等に与えられているはず4
  13. ちゃんとした論文の場合は、執筆にあたって協力してもらった人に謝辞つける。「本稿の執筆にあたっては〜氏、〜氏らに草稿段階から有益な助言をいただいた。ここに記して感謝する。」とか。ただし、卒論の場合、指導教員の名前はいらない(指導するのが指導教員の業務で感謝される筋合いはないから)。
  14. 役職には注意。「〜教授」とか「〜准教授」とか「〜講師」とかまちがうとあれなので避けた方がよいでしょう。こだわる人もいます。「〜先生担当分」ぐらいにしとくのが無難。教授なのが確実ならOK。
  15. 本文をゴチックにされると読みにくい。原則として明朝体にする。見出し等はゴチックでOK。
  16. 書名は必ず『』で囲う。二重括弧『』は書名以外に使わない。論文名は「」で囲う。
  17. 「ミルの『自由論』には〜と 書いてある 」「〜とある」ではなく、「ミルは『自由論』で〜と述べている」のように書く。
  18. 「ミルはその著書『自由論』で」→ 「ミルは『自由論』で」でOK。
  19. 日本文では空白を切れ目に使わない。参考文献など、「J. S. ミル(空白)『自由論』(空白)早坂忠訳(空白)中央公論社(空白)1976」ではなく、「J. S. ミル、『自由論』、早坂忠訳、中央公論社、1976。」
  20. ページ表記は、「173頁」とか「p. 173」とか。 「p.」のうしろの点を忘れずに。複数ページになる場合は 「pp. 123-124」のように、pp. をつかう。
  21. アラビア数字、欧文文字はいわゆる半角文字 1234 abcdで。1234 abcdは避ける。
  22. カッコに気をつける。>と<はかっこではなく、数学記号(「大なり」「小なり」)。日本語山括弧は〈〉。ぜんぜん違う。
  23. フォントの大きさ、行間に気をつけろ。通常11ポイント以上。
  24. 大学生なんだから言葉の定義については国語辞書なんかにたよらず、百科事典や入門書・専門書等を使う。
  25. 接続詞としての「なので」からはじまる文章は避ける。口語と文語は違う。「したがって」「それゆえ」。
  26. webページ等を参照する場合は、最低(1) 著者 (2) タイトル、(3)URL の三つを明記すること。必要であれば「最終閲覧日」もつける。Wikipediaなどのように意図的に匿名で集合的に編集しているものを除いて、 誰が書いているかはっきりしないものは参照できない
  27. 図書ならなんでも信頼できるわけではない。著者、出版社の信用に注意。サンマーク出版とかは危険。
  28. 「授業レジュメから引用」など不要。授業レジュメは資料価値がない。自分の言葉で書き直す。

References   [ + ]

1. 戸田山和久、『論文の教室』、NHK出版、2002、p.35。

勉強ではなんでも許される

 

英語には “All is fair in love and war.” って諺があるようです。「恋と戦争ではなにやってもフェアだ」。まあこれはどうも危ない主張です。恋愛だろうが戦争だろうが、やっぱりやっちゃいけないことがあると思います。しかし、大学で勉強するときには、禁止されていないことはなにやってもかまいません。

もちろん、レポートを代筆してもらったり、webにある文章をコピペしたりしてはいけません。こういうのは禁止されています。

しかし、たとえばゼミで発表しなければならないときに、内容について、友達に相談するもよし、彼氏に相談するもよし、教員に相談するもよし、他の教員に相談するもよし、親に相談するもよし、他のテキスト読んでみるもよし、webで検索してみるもよし、つまり、大学では 禁止されてないことはなんでも許されているのです。発表も予行演習してみるものです。他人の前で一回しゃべって、質問してもらっておくと安心。むしろそうして十分な準備をするべきなのです。レポート出すときも誰かに目を通して表現を添削してもらったりしてもまったくOKなのです。大学での勉強では、むしろ、そういう自分のもっている資源や資産をフルに使う力が求められるのです。大学教員に指示されたことだけをやっていればよいというものではありません。
これは、大学では結果だけが求められるからではありません。むしろ、大学では結果なんかどうでもよいからです。私自身は、最終的にあなたがどんなものを提出するかより、あなたがどのようにして自分の力を伸ばしていくか、あなたが自分の力を伸ばす方法を探すことができるかという方に興味があります。

たとえば、企業があなたを雇うかどうかを考えているとしましょう。たしかに企業は、私のような大学教員とはちがい、結果しか求めないかもしれません。でも企業は、「どんなことをしてでもなんとかよい結果を出す」ひとと、「自分だけの力でできるかぎりのことをすればそれでよしとする」ひとのどちらが欲しいでしょうか。もちろん前者です。

一方、大学教員としての私は、そういう要求に答えられる人を作りたいと思っています。大学での勉強の一番の目標は、勉強の内容そのものではなく、自分で勉強し自分の力を伸ばすことができるようになることです。私にとってはあなたの力がつけばよいのです。そのときにどんな手段を使おうとかまいません。自分に協力してくれる人を見つけましょう。あなたもまわりの人に協力しましょう。

こう考えてくると、なぜレポートのコピペがだめなのか、代筆してもらうのが意味がないのかもわかってくると思います。

Stevie Wonder先生のAll in Love is Fair.