サルトル先生はしばらく名前あんまり聞かなくなって、ちょっと前に復活の兆しがあり、でもやっぱりポシャっちゃった感じがあってなんか微妙なんですが、SMセックス哲学や「自己欺瞞」の議論はとてもおもしろいので、研究者の先生たちにはがんばってほしいところです。応援してます。がんばれー。
んで前のエントリーのオフコースの「Yes-No」の「好きな人はいるの?答えたくないなら聞こえないふりをすればいい」なんですが、これおそらく元ネタはサルトル先生なんですわ。『存在と無』から引用。ページとかはあとでつけますね。
たとえば、ここにはじめてのデートにやってきた女がいるとしよう。彼女は、自分に話しかけているこの男が自分に関してどんな意図をいだいているかを十分に知っている。彼女はまた、早晩、決断しなければならないときが来ることも知っている。けれども彼女は、それをさし迫ったことだとは感じたくない。彼女はただ相手の態度が示す丁寧で慎しみぶかい点だけに執着する。
デートするときってのは、女子は男子の下心っていうか性欲、セックスしたい欲はもちろんわかってるし、そのうち迫られちゃうのもわかってるけど、もう少し先延ばしして色目つかったり口説かれたりイチャイチャしたりそういうのを楽しみたい、というわけです。そこで「まあこのひとはジェントルマンだから、っていうかこのひとこそオネットム」ってやるわけね。
……彼女は、彼が話しかけることばのなかに、その表面的な意味以上のものを読みとろうとしない。「僕はあなたをこんなにも賛美しています」と言われた場合、彼女はこのことばからその性的な下心を取り去る。。・・・彼女は自分が相手に催させる欲情に対してきわめて敏感である。しかし露骨で赤裸々な欲情は、彼女を辱め、彼女に嫌悪をいだかせるであろう。
たとえばカズマサ・オダ(仮名)っていう日系フランス人が、「おう、あなたはすてきでーす、でもオカのコトカンガエえてましたー、シルブプレ?」とかやっても、「このカズマサオダは私の話を聞かずにおっぱいのことを考えてたのだな」とは思わないわけです。そういうこと考えると折角のキブンがわるくなるから。
……いまここで、相手の男が彼女の手を握ったとしよう。相手のこの行為は、即座の決断をうながすことによって、状況を一変させるかもしれない。この手を握られたままにしておくと、自分から浮気に同意することになるし、抜きさしならぬはめになる。さりとて、手を引っこめることは、このひとときの魅惑をなしているこのおぼろげで不安定な調和を破ることである。娘は手をそのままにしておく。けれども、彼女は自分が手をそのままにしていることには気づかない。
カズマサオダから、手を握られて「おう、マドモアゼール、あたなカレシいるのですかーシルブプレ」って聞かれても、答えるとどっちにしても面倒なので、気づかないふりをするわけです。肩をだかれても気づかないし、なんかとにかくなにされても気づかないわけですね。「キミをダいていいですかシルブプレ」とか言われてもなにも聞かないしなにも見ないし、面倒だから心がどこにあるのかも考えないようにする。「ココロドコニアリマスカー」これがサルトルの自己欺瞞すわ。
オフコースの先生たちが大学生活を送っていた70年から数年ってのはサルトル流行ってたので、まあ誰でもこういう議論はしっていたわけです。それがあれに反映されてたんちゃうかと思います。
サルトルの議論がミソジニーっぽいとかってのはそうだろうし、そもそもそれってどうなのってのはあると思いますね。でもまあ今回はその議論はパス。
Views: 163
コメント