『猿の惑星』についての私の感想もやっぱり最高じゃないだろう (9)

あ、もと記事に沿って書いてたら書くの忘れてましたが英語がこの映画の核心の謎だって話なんですが、これについてはアンコレ先生という人が記事を書いてます。

「映画「猿の惑星」で、猿が英語を話していた理由」 https://www.anlyznews.com/2024/09/blog-post_12.html

「伏線」という表現が適切かどうかわかりませんが、まあエイプが英語を話しているのには必然性があり、また話を進める上で必要だと私も思います。

あたりまえのことですが、テイラーさんたちが英語で話をしているのはアメリカの宇宙船なので当然というか、あんまり問題がない。アメリカの国威発揚のための探検だとすると全部英語話すアメリカ人になっても問題はない。(アメリカ国旗を使ったお墓作っていて、アメリカは探検隊にとってたいへん重要な国です)

問題はエイプです。最初にエイプが話す言葉が「スマイル!」で衝撃だという話はすでに書きましたが、そのあともテイラー船長とエイプたちは英語で意思疎通をする。最初はテイラーは首をやられて声が出せなかったが、英語はわかるので地面に文字書いたり、ジーラさんのメモ帳を奪おうとしたりして努力する。話をするだけでなく文字も共通なわけです。そりゃもうほぼ確実に地球よね。 馬もいる し(なぜか犬はいないっぽい、犬猿の仲だから?馬と猿は仲がよいのよね。)。

そうでなければ、テイラーさんたちより後に出発したもっとずっと高速な宇宙船が数百年前にこの星に到着していて、人間やエイプや馬たちを植民してなんらかの事情で人間は言葉自体が話せなくなり、エイプたちは英語を修得した、ということになる。

まあ当然テイラーはなんでエイプが英語話して人間が言葉話せないという惑星があるのだ、という謎に直面することになる。これは、仮に宇宙船がまだ使えて、惑星の位置を確認することができて、ここが地球だと確認できても残る謎であることに注意してください。どうも「衝撃のラスト!」とかって広告があったのかどうか、最後に地球だと判明することが重大なことだという理解があるみたいですが、そんなのは実はどうでもよいと私は思いました。ミステリじゃないのです。

「スマイル」や、テイラーがエイプたちと文字でも発語でもコミュニケーションできることに驚かなかった人々だけが、最後に自由の女神を見て「地球だったのか!」と驚く、伏線としてはそういうことですが、まあ 伏線というか作品の前提、基本設定 ですわよね。作品の内部の世界としては、英語使っているのはまったくおかしいことじゃない。

言語が重要だというのはもちろんのことで、 撮影時のスクリプトらしきものを見るとこういう部分があるのです1

ZAIUS: You lied. Where is your tribe? (うそつきめ、いったいどこの部族から来たんだ?)

TAYLOR: My tribe, as yo call it, lives on another planet in a distant solar system. (ずいぶん離れた太陽系の惑星だよ)

ZAIUS: Then how is it we speak the same language? (そんじゃ、 なんでワシらは同じ言葉(英語)喋ってるんじゃ! 、ごら、ウソつくな、ごら殺すぞ、早く部族の居場所を吐け、全滅させてやる)(うそ)

ただしこの一言「なんで同じ言語?」はどうもいまアマゾンプライムにある日本語字幕版ではカットされてるようで、オリジナルがどうだったかはわかりません。でも、言語の問題が非常に重要なことであることは、脚本の段階では十分に意識されている。むしろ、言語が同じだから長老はテイラーが他の星から来たということを信じなかった。テイラーは理由がわからない。(あるいは、長老はテイラーが、自分たちエイプの文明・文化の起源になっている古代のヒューマンの生き残りであることを意識している。テイラーの他にも、異常個体として言葉を話す人間/ヒューマンは時々いたんですね。)

もちろん最初の最初からテイラーはなぜ英語なのだ、って考えてるはずで、エイプが英語しゃべっってることになんの疑問ももってない、なんてありえないです。テイラーは最初の方で地面に文字書いたりしているし、長老がそれを消したりしている。 なんで登場人物たちは英語に疑問をもってないなんて鑑賞ができるんですか、ってほどありえない 2

あと、洞窟探検のシーンで人形を拾うわけですが、最初は「俺たちの世界の少女が猿の人形で遊ぶことはあったが……」みたいなセリフがあり、その人形が古代のエイプが作ったものである可能性を考えながら、「しかしヒューマンの人骨といっしょに出てるので」とかって話になり、さらにはそのヒューマンの人形がなにかの拍子に「ママ、ママ」って喋るっていう設定だったみたいですね。映画でどうなってたのかはよくわからない。「キュー」とかそんな音しか出してなかったような。まあいろんな事情で台本にあったものをカットしたんでしょうね。そういうのは映画というあれこれ時間その他の事情で妥協しなければならない芸術様式ではしょうがないのかもしれない。私は映画に関してはそういう妥協や折衷みたいなのはぜんぜん受けいれちゃう派です。

まあ上の「なぜ我々は同じ言葉をしゃべっておるのじゃ!」の1行のセリフがカットされていてわかりにくくなっているとして、簡単に英語中心主義で平気でいる、って評価しちゃうのはよくないと思いますね。すでに原作と映画の関係に触れましたが、この映画は 原作を大幅に変更 しちゃってるらしく3、一番大きいのは、人間とエイプの言語を共通にしたところ、惑星を他の惑星ではなくまぎれもない地球にもどってきたことにしているところ、そして現場を(昔の)北米、ニューヨークのあたりにしていることらしくて、それはご都合主義だけど映画を楽しいものにするにはやむをえないご都合主義であり、むしろ プロットの穴をなくす ためにいろいろ工夫しているわけですよ。SFに限らず映画その他の大衆向け作品にそういうタイプのケチつけようってんならいくらでもケチはつけられるわけだけど、そんなことしていておもしろいですか? 3000年後の言語を想像してわけわからん言葉でしゃべってるに字幕つける?

さすがに、どんなものをつくってもいろいろ酷評されることがあらかじめわかってるハリウッドの製作者が、この程度の仕掛けも考えてないなんてことは考えられないっしょ。 昔の人でも、制作者を簡単に馬鹿にしたらだめだ と思います。

続き(いちおう最後) → https://yonosuke.net/eguchi/archives/17414

脚注:

1

ツイッタで教えてもらいました https://x.com/ruhiginoue/status/1837732883123130655

2

私の勝手な想像では、「衝撃のラスト!」とかっていう感想やアオリ文句を真にうけて、「そこは地球だったのだ!」ということが映画のテーマ・衝撃の オチだと思いこんだ上で この映画を見ないとそういう鑑賞にはらならないと思うのです。この映画は、最後に一挙にすべての謎がすっきり解けるミステリー映画ではないのです。ラストは解決ではなく、暗示にすぎない。まだ鑑賞の能力が発達してなかった子供時代にこの映画を見た人々は、そういう「衝撃」の記憶を残しているかもしれませんし、そういう感想を聞いた人はそういうものだと信じこむかもしれませんが、それは大人の鑑賞態度じゃない。

3

Wikipedia参照

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