んで長くなりましたがやっと私自身の感想なんですが、この映画はいくつかのパートにはっきり分かれてますね。
- 遭難まで
- 惑星探索、乗組員どうしのやりとり、サバイバル
- ヒューマン発見、ヒューマン狩り、捕縛
- 虐待
- 脱走
- 裁判、対決
- 洞窟調査
- エンディング
ぐらいですか。てんこもりのネタが15〜20分ぐらいできりかわっててたいへんシステマチックでハリウッドらしいですね。観客の注意力の限界をよく理解している。私はハリウッド映画のそういうところが好きです。
最初はタルいけどつかみとしてまあOK、搭乗員どうしの会話でテイラーは性格が悪いことがわかる。ヒューマン狩りと虐待(と博士による発見)のところはショッキングでありとてもおもしろい。脱走から再捕縛までのところのアクションシーンはとてもたるくてB級。目が覚めるおもしろさなのは裁判シーンで、ここで エイプ女性博士の高潔さには感動 しますね。裁判映画だとは思ってませんでした。人間だろうがエイプだろうが、黒人だろうが白人だろうが、男だろうが女だろうが、結局は 個人の誠実さと共感 が大事なんですよ! それに対抗する長老たち宗教的指導者たちの邪悪さもよい。残りはまあそれなりだけど、エイプの人たちとテイラーが「証拠」を探しにいく、っていうところが「科学的」でいいじゃないですか。このちゃんと 「証拠」と論理で勝負する っていうのが エイプの人たちと人間たちの間で成立している 。すばらしい。エイプの人たちとテイラーが、会話を交して少し理解しあうのがよい。「大人って勝手だよな」とか「三十代以上のやつは信じるな」とか。長老がテイラーに真相というか自分が本当に信じているところを告白するのもよい。最後の長老の「宿命に出会うのじゃ」とかもオランウータンらしい哲学的な感じがいい。全体としてはまずまず、ぐらいかなあ。
たしかにテイラーは自己中心的・自国中心的・人間中心的ないやな白人男性なわけですが、それがジーラ博士たちに擁護してもらったりしてだんだん自分の偏見みたいなのに気づいていく過程が見所ですよね。ナイスバディ白痴美のジェーン、じゃなくてノヴァさんは魅力的ですが、次第にジーラ博士の方が美しく見えてくるところもいい。
エイプの人たちが、人間がよくやる表情をわかりやすくやってくれてるのもいいですよね。あれ人間でやるとおかしな絵になっちゃうと思うけど、あえてエイプにしているからわかりやすく、そして人間もエイプもさして変わらないと思わされる。そこがこの映画の一番の魅力なんじゃないですかね。メイクとかっていうのでは現在の技術からほど遠い稚拙なものだけど、だからこその魅力がある。
エイプの人たちの動きは、人間の基準からするとそれほど美しくない、わざとそういう演技をさせている、でも一部のエイプたちの知性や信頼を目にすると、そうしたぎこちない動きも愛らしく見えてくる、そういうのもいいじゃないですか。
数少ない女性登場人物、ノヴァかジーラ博士か、っていう選択はおもしろいですね。パートナーにするならどっち選びますか?テイラーさんにはノヴァしか残らなかったけど、選べたらどうしたろう?あなたならどうしますか?女性の場合はジーラ博士とノヴァのどっちかになることを選べるならどうします?
エイプの人たちの間にも種族があって(オランウータン、ゴリラ、チンパンジー)、それぞれちょっと対立さりそうだし気質も違うみたいなのがよかった。あとどの種族も人間っぽい だめなやつや邪悪な奴が含まれいて これもよい。エイプというものはそういうものです。認めましょう。そして我々はまぎれもなくエイプの一員であり、ここはエイプの惑星です。なんとか事実と理性、あるいは論理をよく見て、協力的に、信頼しあうしか道はない。すべての偏見を捨てよ!事実を見よ、論理に従え!っていう強いメッセージには、私は感動しましたよ。ハリウッド製作者に対する偏見も捨ててください。
ラストシーンは、 そこが地球だとわかったから 「衝撃」なわけではない 。地球と強い関係があるのはわかっているし、おそらく地球そのものだろうってのはすでにテイラーも観客も理解している。むしろ、自由の女神像がああいう形になるような仕方で、この地域だけでなく、 おそらく地球全体で人類とその文明がほぼ滅んでいる ことがはっきりししたってのが衝撃なんでしょ。地球の他の地域で人類が繁栄しているならあんなことにはならないだろうし。そして、おそらく確実に、人類自身の手によって(核兵器によって)文明と地球を破壊したのだ、と。そして人類はああいう原始的というより単なる動物、エイプ以下の動物同様の存在に落ちぶれている、おそらく 地球のすべての場所で 。 “We did it!” 、俺たちはやっちまったんだ! They did it! じゃないところに注意ね。おそらく地球をぜんぶ探索しても、アメリカ文化はもちろん、まともな文明は残ってない。俺たちは徹底的に破壊してしまったのだ。
テイラーはなんらかの事情(女性事情?)によって絶望して世捨人になり、義務感から、そしてヒーローになるために宇宙船に乗った。でも人類にはなんらかの期待があり、自分はヒーローになりたいと思っていたのかもしれない。でも最後の最後に、人類はもう滅亡している、それも自分たちの手で滅亡したのだとはっきりした。テイラーの冒険にはなにも意味がなかったのです。それまでエイプたちに対して感じていた優越感は消えうせ、絶望とノヴァだけが残る(ノヴァはパンドラなのかもしれない)。でもまあノヴァを新しいイブにして、他のヒューマンも仲間や奴隷にしたりして、人類を再構築するんでしょうね。イブに苦労させられるのもアダムとしてはしょうがないです。
でも実は人類と文明再生が本当によいことなのか悪いことなのかわからない、なぜなら人類はエイプのなかでも特に凶悪な驕り高ぶったエイプであり、それは他のエイプたちにはない悪徳であり、地球全体を破壊する力をもってるから、とかそういう感じっすか。おまえたちはその傲慢と増長ゆえに、禁断の核兵器に手を出し、20〜21世紀の繁栄の楽園アメリカから追われることになったのだ、お前たちは塵から生まれたから塵に帰るのだ。お前たちは今後も額に汗してその日の食い物を探すだろう。イブはいずれお前を愛し、そしていずれ憎むようになるであろうが、お前はそれに耐え、イブを治めねばならないだろう。お前たちの知恵と知識はお前たちをふたたび豊かにするかもしれないが、お前たちの傲慢はそれを凌駕するものであり、いずれはまたお前たちを破壊するだろう。 それがお前たちのデスティニー だ。いいじゃないっすか。
『猿の惑星』は、 まさにいまこの時点で 、 私たち観客が暮らしているこの地球という惑星 は、 私たち傲慢で凶暴なエイプが支配している惑星だ 、っていう強烈なメッセージを含んでいるわけですね。単に反進化論唱えてる宗教的に頑迷な人々を風刺非難しているだけじゃない。我々の問題なのです。名作です。みんな見ときましょう。
1950〜60年代は霊長類学も急速に発展した時期で、それまで動物園の檻のなかでしか観察できなかったチンパンジーやゴリラを本来の生態系のなかで直接観察するようになり、ヒューマンとの類似性(と相違)がどんどん見つかった時代です。女性科学者のジェーン・グドール博士とか有名ですよね(非常に素敵な科学者でジーラ博士のモデルになってる?)。そして、エイプの人たち(猿じゃないよ!)もわれわれと同じ、人(パーソン)なのだ!っていう発想にまで発展する時期です。(カヴァリエリ他の『大型類人猿の権利宣言』など読んでみてください)冷戦の他に、そういうの科学的知見・道徳的な発見も背景にしている。
(追記)前の『ダーティハリー』についての記事でも書きましたが、北村先生のあの連載の趣旨は、みんなが映画見て好き勝手な感想を言えるようになろう!っていうことだと思うので、そういうのはとてもよい企画だと思いますのでがんばってほしいです。その趣旨に乗っかって、私も映画の感想と「感想の感想」を書いてみました。ただしこういうのが「批評」になるまでは感想から進んで「精読」したりいろいろ考えたりしなければならないことがあるわけで、連載では初見の「感想」から立派な批評へと進化させるところも見せてもらえるんじゃないかと期待しています。
それにまあネットのみんなも、ああいう感想あるいは批評を見て、自分も適当に感想書いたりして映画を見方を自由に交換したいですね。異論や反論があるときもあるだろうけど、喧嘩せずに「へーそういう見方もあるのかー」とかやっていきましょう。そういう感想のやりとりが作品鑑賞でもおもしろい部分でしょ。
とりあえずおしまい。それにしても、映画ってほんとうにいいものですね、それでは、さよなら、さよなら、さよなら。
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