『猿の惑星』についての私の感想もやっぱり最高じゃないだろう (6)

インタビューの人がこういうことを先生に言ってる。

『猿の惑星』は、猿のほうが女性差別を感じない気がしました。テイラーを保護するジーラ博士は、猿たちに認められていましたよね

ここはこの映画の核心部分に近い問題を含んでいると思うのですが、先生の答が私には理解できないのです。

  1. 『未来惑星ザルドス』ではエリートが人間らしくない描かれかたをしている、
  2. 『すばらしい新世界』では一般人と下級な「野人」が分けられている

そして『ザルドス』では性差別しない人が人間らしくないように描かれている、『新世界』では女性が出産の苦しみを味わうことがない。そこから「男女の差がなくなることが人間らしくないとされる傾向がマッチョなSFにはある」。

これが『猿の惑星』とどう関係しているのか先生の思考が読めない。

この映画は、私には、 テイラーの物語というよりはジーラ博士の物語 のように見えました。すばらしい観察力、共感、勇気、偏見のなさ、正義感、信頼……エイプより人間らしく、人間よりエイプらしいすばらしい人物じゃないですか。観客がジーラさんの言葉と覚悟にどれだけ救われる思いがするのか。テイラーなんか乱暴で自己中心的なアメリカ白人男性にすぎません。この映画を見た観客は、それぞれの自分なりのジーラになりたい、ジーラの一部ぐらいは自分のものにしたいって思うはずです。ジーラの方がテイラーより人間性もエイプ性も上です。そして、 下等動物ヒューマンに、エイプ性を発見しそれを保護し応援しようとするジーラの物語が、保護される方のテイラーの視点から語られている 、ここがこの映画のポイントだと思うのです。

インタビュワーに対する先生の理解しにくい反応についての私の一つの解釈はこうです(あくまで想像です)。「いい組」の代表として女性エイプ科学者のジーラさんが登場するけど、だからといってこの映画が男性中心的・反女性差別的であると判断する材料とはならないよ、みたいな感じですか。先生が言いたいのは、「優秀な女性科学者ジーラ以外の女性エイプが出てこないから、この世界で女性エイプがどう扱われているかわからない。したがって、この映画は女性差別を意識しそれに反対しているという 証拠が十分でない 」なのかもしれません。でもわからない。「能力主義」だとか「貴族的」だとかっていう言葉が出てくるのもよくわからない。(それに、映画のなかのエイプの社会で女性エイプがどう扱われているかという話(エイプ社会の男女平等問題)と、映画制作者がどういう視点で女性ヒューマンや女性エイプを描いているかという話は別だと思う。)

映画を見たあとで考えると、ジーラ博士の彼氏の男性エイプ科学者が、途中で「〜だとは思うけど仮説だし、 証拠が足りない 」とかって言って、(我々からすれば)明白な目の前にある 事実 を否定しようとしているのと似てるな、みたいに思いました。

まあこれはただの印象なので、先生がそういうことを考えているにちがいない、とは言いません。単にこの映画が女性の真理に対する情熱や、正義感、そして共感とケアの能力を高く描きだしていると評価するには、証拠が足りない、描写が足りないという指摘なんでしょう。でも私はあれで十分だと思う。十分感動的じゃないですか。私も博士のようになりたいです。これほど物語の上で大きな存在を、特段に能力が高い特別な女性エイプ、あるいは育ちのいい特別な貴族的女性エイプであって、女性エイプ一般の代表じゃない、と考えてしまうのは、理解はできるにせよせっかくの登場人物を例外的な存在者だ、周辺的な存在だと解釈してしまってもったいないと思います。

続き → https://yonosuke.net/eguchi/archives/17382

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