「ヘイトスピーチや悪口を分類しよう」のおまけ:定義は選言の形でもかまわんよ

前のエントリ「ヘイトスピーチや悪口を分類しよう」の補足ですが、「ヘイトスピーチを分類しよう」ってんですが、んじゃそもそも「ヘイトスピーチ」の定義はどうなってるのか、と気になる人がいるかもしれません。それはとてもよいことです。Yong先生がそこらへんをどう扱っているかはとても参考になります。

このブログでは、前からいくつかのエントリで定義定義定義が大事です、みたいなことを主張しているわけですが、「ヘイトスピーチ」の定義自体がむずかしそうです。どうしたらいいのか。

Yong先生はまずこんなこと言います。

「ヘイトスピーチ」は、広い名称として、他人たちを、人種、国籍、宗教、ジェンダー、性的指向、その他なんらかのグループのメンバーであるという理由から他人を攻撃するスピーチだ。そしてそのグループに所属しているこことは道徳的には恣意的に区別する特徴である」

これは、だいたい辞書的な定義といってよいと思います。つまりふつうはこういうふうに使われてますよ、という指摘ですね。先生のこの定義はごく普通なものです。まあよく日本でも「属性によって差別するのがヘイトスピーチ」とかそういうタイプのやつですね。ただし、「差別」じゃなくて「攻撃」になってる。グループの例として人種・国籍・宗教・ジェンダー・性的指向 など が列挙されていてだいたいわかる。でもこの列挙は完全ではないのは誰でもわかる。完全にするのは難しいから例示で示しているわけですね。

「道徳的には恣意的に区別する特徴」っていうのは、人々を区別するときには、状況や文脈によって道徳的に重要であるような違いがある。たとえば病院で治療するときは病人と健康な人や、病人本人と付き添いの人に区別しますが、それは病院だから当然。大学で教員と職員と学生を区別するのも当然。でも人種とかが道徳的に重要である場面というのは少ない。ヘイトスピーチというのは、その文脈で大事じゃないような特徴にもとづいて他人を攻撃するようなスピーチだ、というわけです。

ただし先生によればこの定義では、いろんなタイプの言語行為をいっしょにしているのであんまり有効な定義ではない。言語行為っていうのは、私たちは言葉をつかっていろんなことをするわけで、たとえば侮辱とか罵倒とか非難したり約束したり宣伝したり抗議したり知識を伝えたりするということです。先生はヘイトスピーチを規制できるかとか言論の自由によって保護すべきかとかは、そのスピーチによってなにをしているかをよく見て考えた方がいい、って主張したいわけですね。

そこで先生は、上の辞書的な定義に替えて、自分で「ヘイトスピーチ」を約定的に定義するわけです。上の定義の問題を軽く述べたあとでこう言います。

そこで私は、カテゴリーによる分析を提案したい。そしてヘイトスピーチの選言的定義を採用したい。— つまり、私は「ヘイトスピーチ」を、私が以下で同定するカテゴリー群のどれか一つにあてはまるような、差別的なスピーチを意味するととらえることにする。

まあみんなが「ヘイトスピーチ」として気にしているやつを、自分が考えたカテゴリーに分けます、そしてそのどれかひとつにはまってたらヘイトスピーチとします、ってなわけです。

注目すべきなのは「選言的定義」ですね。選言というのは論理学で「AあるいはB」にあたるやつで、つまり先生は「AかBかCかDにあてはまる差別的スピーチがヘイトスピーチだ」って定義しようってわけです。定義はこんなふうに別々のものを組み合わせてよい。

こうした選言的定義にはよいところがあって、「ヘイトスピーチとは何か」とか哲学的に考えはじめると、すべてのヘイトスピーチに共通の「本質」が存在するとか思ってしまう。その本質とはなにか、うーむ、難しい、哲学は深い……真剣な哲学的洞察なしにはヘイトスピーチの本質を解明することはっできない、まずはスピーチの本質、そして差別の本質、いやまてよ、言葉とはなんだ、概念とはなんだ、本質とはなんだ、本質の本質とはなにか「本質の本質」の本質とは……深すぎる。

でも「ヘイトスピーチ」なんてのはわれわれ人間がごく最近つくった言葉でみんな適当に使ってるから、そんな「本質」みたいなもんは存在しないかもしれないわけですよね1。だからいくつか問題になるようなスピーチ、それも「ヘイトスピーチ」として特に気になるスピーチがあったら、それの特徴をつかまえで、「選言」(あれかこれかそれか)のかたちでつないでしまう。議論のためにはそれでも十分な場合がほとんどです。無駄に「本質」とか考えるのはやめましょ。

まあこのYong先生の論文は、「言論の自由の原則」が「保護 protectする」とか「カバーする」とかの意味とかも(先生なりに)明示してくれるし、言論の自由原則にはだいたいどんなタイプのものがあるかも列挙してくれて、それに照らしてカテゴリーに分けたヘイトスピーチの規制の可能性とかを考えてくれてたりして、(私はぜんぶ同意するわけじゃないけど)読みやすくて優秀な論文です。みんなもそういう優秀な論文読んで、明快な議論の仕方を学んでほしいですね。まず私が学ばないとならんけど(この齢で!)。

脚注:

1

「ヘイトスピーチの本質は存在しない」というより、さまざまなヘイトスピーチっていうのには、 我々が ヘイトスピーチと呼ぶことがあるとか、 我々が 気にしている差別的表現という共通点しかないかもしれない。対象の方には共通点はないかもしれないのです。

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コメント

  1. 匿名 より:

    「ネトウヨ」なる語はヘイトスピーチではないのですかね?
    主に左派が使い出した語ですが、保守的である事、憲法改正や軍事力増強に前向き、中韓に対して否定的な見解を持つ事、主にネット界隈を活動の場にしている事が定義としてあります。
    中高年から若年の、実生活に不満を持った男性がはけ口としてそうした層になり易いと。
    しかしその後の学者の研究で、必ずしも当てはまらないとの調査結果が幾つも出ています。
    結局左派によるレッテル張りなのではないかと。
    記事に沿って言うなら何を言っても良いと思うのです。
    酷過ぎれば、裁判沙汰になるだけで、極端な主張は社会的通念や常識から逸脱してもそれが不変化する事はない。
    ヘイトするなと言いつつ相手をヘイトする、なんてのは逆にそれを言う人たちに良く見られる事例で
    事の本質と乖離した、有効性のある議論ではないと思います。

  2. 江口 より:

    それぞれの人が使っている「ヘイトスピーチ」と「ネトウヨ」の定義をたしかめたらどうでしょうか。へんなレッテル貼りや人身攻撃に使われていることが多いのはその通りだと思います。

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