話題の「オープンレター」について

最近、SNSで話題になっている「女性差別的な文化を脱するために」というオープンレターなんですが、これ、発表時のときからなかなか読みにくいところがあると思っていた文章で、今回も何十回も読んでしまいました。どこがわかりにくかったのかメモしておきます。


ツイッターでの日本語圏での(悪しき)「コミュニケーション様式」についての指摘については興味深い論点だと思いますが、それとは別に、いくつか気になる文言がある。

「距離を取る」ということで実際に何ができるかは、人によって異なってよいと考えます。中傷や差別的言動を「遊び」としておこなうことに参加しない、というのはそのミニマムです。そうした発言を見かけたら「傍観者にならない」というのは少し積極的な選択になるでしょう。中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない、というさらに積極的な選択もありうるかもしれません。

この「同じ場では仕事をしない」というのは最初に読んだときはそれほど気にならなかった、というよりよくわからなかったのですが、けっこう積極的というかキビしい対応ですよね。「同じ では仕事をしない」という表現になってますが、もちろん同じ場所、たとえば同じ部屋では仕事をしない、とかっていう意味じゃないわけですよね。「同じ 職場 では仕事しない」だろうと思います。しかしこれはふつうの人にとれる対応ではないですよね。仮に、会社に差別的な発言をする人がいるとして、そのために会社をやめるとかっていうのはものすごく積極的な行動だと思うわけです。ところが、逆にその人を会社から追い出す、という選択も可能だったわけですね。これは思い浮かびませんでした。大事っぽくなってから、仕事を頼まない、フリーランスとかの人を使わない、学者だったら研究機関に採用しないだけでなく、学会や研究会に呼ばない、ご遠慮いただく、むしろ追い出す、みたいなことを指してるとやっと理解してけっこうつらかったです。

「何らかの形で「距離を取る」ことを多くの人が表明し実践することで、公的空間において個人を中傷したり差別的言動をおこなったりすれば強い非難の対象となり社会的責任を問われるという、当たり前のことを思い出さなければなりません。」

この文章も読みにくくて、よく見ると 「思い出さなければなりません」の主語がありません ね。多くの人が「絶交するぞ、仲間はずれにするぞ」と宣言したり、実践(!)したりすることで、差別的なことを発言したら社会的責任を問われるということを、 そうした発言をしようとする人々は 思い出さなければならない。これさらに、実際にすでにそうした非難や「距離」をとられちゃった人はすでに非難の対象となり社会的責任を問われちゃってて思い出すもなにないわけですから、本当の主語は「 これから 発言しようとする人々」ですわ。あるいは「思い出す」じゃなくて「思い知らさねばならない」だろうか。いやな読み方をすれば、悪しき発言をする者を見つけたら非難し制裁を加えることによって、これからの同様の発言者たちを威嚇しなければならない1

このような呼びかけに対しては、発言の萎縮を招き言論の自由を脅かすものである〔と〕いう懸念を持つ方もいるかもしれません。近年では、そうした懸念は「キャンセル・カルチャー」なるものへの警鐘という形で表明されることがあります。

さて、多くの人が問題を指摘している個所です。

しかしながら、こうした懸念が表明される際にしばしば忘れられているのは、「問題ある発言」が生じてくる背景に差別的な社会の現実があるということです。差別を受ける側のマイノリティにとっては、多くの言論空間はそもそも自分にとって敵対的な、安心して発言できない場所であり、いわば最初から「キャンセル」されているような不均衡な状況があります。

私はこの「不均衡な状況がある」のうしろにもう一声ほしいと思うんですよね。「だから?」

たとえば「 だから 、そうした不均衡な状況を是正するためには一部の人間を非難して距離をとり黙らせることが必要だ」とはっきり書いてもらったほうがよかった。それなら同意するかどうかはさておき、何を主張しているのかはわかりやすい。

私たちは、政治的対立のある事柄について人びとが発言することを抑制したいのではありません。そうではなく、被差別カテゴリーに属する人びとを貶め気軽に個人を中傷することを可能にしている文化こそ、むしろ言論の自由を脅かし、ひいてはマイノリティの生を脅かしているということに注意を促したいのです。

「政治的な対立のある事柄」2についての発言を抑制 したい のではない。たしかにそれはわかります。でもマイノリティを中傷したりすことを許する文化は言論の自由を脅かしているから、おそらく一部の中傷や差別発言は抑制 しなければならない 、せざるをえないわけですよね。これはあるていど理解できる。まさに中傷(根拠のない悪口と理解しています 3)や差別発言、それに侮蔑的発言や、暴力や不当な経済的制裁、その他の実害を扇動するような発言は野放しではいかんと思います。同意する。

また私たちは、中傷や差別的発言とそうでない発言との境界が時に明瞭ではないことも理解しています。しかし、事実として両者のあいだに明確な線が引けない場合があることは、その概念的区別を求めることが無意味であることを意味しません。 むしろ 明確な線が引けない場合があるから こそ 、言動に注意を払うことが重要な意味を持つのだと考えます。(強調江口)

ここの「むしろ」のつながりがわからないという意見をSNSで見ました。私もこれ読みにくいと思ったのです。ふつうは、差別・中傷とそうでないものの境界は明確でない、と来たら、つぎは「だから非難や制裁は注意深くやらなければならない」とか「非難や制裁は謙抑的でなければならない」とかが来ると思うんですよね。でもそういう譲歩はこの文章にはない。

実は文章が微妙にねじれていて、「明確な線が引けない場合があるからこそ、言動に注意を払う」のところで、さきと同じように 「言動に注意を払う」の主語がはっきりしてないんですね 。主語は誰だろう?私の一つの解釈では、それはさっきと同じ「これから発言をおこなおうとする人」なんですよね。つまり、この解釈では、「境界ははっきりしてないから、オーバーキルしてしまう可能性がある。 だからこそむしろ これから発言する奴はよくよく注意して発言しろよ!」ということを言っているわけです。これはすごい。「(差別や中傷だと思われてもしょうがないからな)」ということまでを含意しているかどうかはわからないけど、自由な言論をかなり抑制する方向の示唆だと思いますね。これは盲点に入っていたというか、ちょっとそういう発想がなかったので読みにくかったののです。この解釈があってるのかどうかはわからない。ここがこの文書を読んで一番もやもやしたところですね。しかし他にどう読むんだろう?

中傷や差別的言動を生み出す文化を拒絶し批判することで、誰もが参加できる自由な言論空間を作っていきましょう。

最後のキメのセリフですが、けっきょく、さっきの「キャンセルカルチャーには警戒しないとならない」という反対意見に対しては、まさに差別的文化を打倒するには批判と 拒絶 (距離をとる、縁切り、解雇、仕事を干す、仲間はずれなど)が必要だ、と言ってるように見えます。かなり強硬なキャンセル推奨ですよね。

私がこの文書を非常に読みにくいと思ったのは、この文書がこれほど強硬な立場だとは思ってなかったからだと思います。さすがにこれほど強硬な主張がおこなわれているとは予想してなかった。偏見、先入見がありました。もうすこし自己抑制的だと思ってたんですが、そうじゃなかった。

あと余計ですが、

私たちは、呉座氏のおこなってきた数々の中傷と差別的発言について当然ながら大変悪質なものであると考えます

これはおそらくそうなのだろうと私も思っているのですが、実際に私が目にしたものは、誹謗的・中傷的・侮辱的であるものの、「差別的発言」であり「大変悪質なもの」とまで言えるものなのかどうかよくわからないです。以前に流れてきたものを見るかぎり、問題とされている先生は、女性差別といよりは、もっと無差別に気にくわないいろんな人々を誹謗あるいは直接に罵倒するようなタイプの人だったんじゃないかという気がしています(見てないからわからない)4。もっとも、鍵アカとはいえ3000人もフォロワーいるところで他人の悪口を言って遊ぶというようなふるまいが低俗で下品なものであることは認めます。私はそれに参加しないとかツイッタも見ないとかミュートしておくというミニマムな形で距離をとりたい。まあそれは置いといて、あのレターに署名した人々はどれくらい実物を見て確認したのだろうか、ということが気になります5

この文書は、(1) ある人物が 中傷的 であるだけでなく、 差別的 な発言をおこない、それは 大変悪質 なものだった、(2) それは個人の問題であるとともに文化の問題であるので、その文化から(いろんな仕方で)離れなければならない、(3) キャンセルカルチャーという非難はあたらない、の三つの部分からなっていると思うんですが、多くの人は(2)に同意して署名したんじゃないかと思います。(1)について確信をもって同意できた人はどれくらいいるんだろう、みたいな。(3)もどうかなあ。

さらに余計だけど書いとくと、問題の先生の発言というか書き込みは、私が目にした数件に限れば、一般的に女性全体を差別したものというよりは、「性差別に反対する女性を戯画化し揶揄」にあたるものかと思ってみました。こうした戯画化や揶揄には非難されるべきところがあるかもしれない。ただし、この手の話題はまさに 人々のあいだで意見が分かれるところ なので、揶揄や嫌味、戯画化6などを含んでいるからという理由で、一方的に口を封じるのはあんまりよくないと思うんです。ここは難しいですね。まあそうした話はまた別にあらためて。

まだ余計ですが、ちなみに、ある種の不正な文化を根絶するために、人々が結託して絶交その他の厳しい措置が必要なときはあると思うんです。たとえば現在だったら奴隷制を許容していたり、民族浄化みたいなことをしている国があったら、そうした国まるごと我々は距離をとり、拒絶し、村八分というか世界八分とかにしなければならないかもしれない。もっと身近なところでもあるかもしれない。それに個人は嫌いな人々とつきあいつづけなければならないわけではない。そういうのはわかる。でも、「仲間はずれにしたやつとまだつきあってるやつも仲間はずれにする」のような形になりやすいので7、人々が結託してああいう意味で「距離をとろう」とするときはかなり慎重な検討が必要だとは思います。

脚注:

1

ちなみに、害のある行為を一般的に予防するために、つまり 見せしめ にするために、悪事を犯した一部の人に、犯した悪事に対応すると思われるよりさらに強めに制裁を与える、というのはよくないといいうのが近代社会のルールの一般的な理解だと思います。

2

「政治的な対立のある事柄」はなんか微妙にぎこちない表現だとは思いますが、推敲前は「フェミニズム」とかそういう文言だったのかなあ。

3

ちなみに、中傷は根拠のない悪口で、誹謗は単に「悪口」を堂々と言うことのようですね。

4

ただし、これは現在のSNSや掲示板文化が侮辱的な表現にあふれている、ということを反映しているにすぎないかもしれない。SNSでもそうしたものに対する抑制が必要だ、という意見があってしかるべきだと思います。

5

しかしたしかに人格攻撃的な書き込みが多かったようです。これ書いたあとに教えてもらいました。 https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/137817/8c1b9642f73e022e8cab9084b3d75e42?frame_id=478704 これ3000人相手に鍵アカでやってたら(言及されてる方は知りようがない)やはりかなり厳しく非難されざるをえないですね。

6

私のこの文章自体が、レターに対して極端な読みをすることでレター制作者たちの立場を戯画化している、という非難がありえることは理解しています。しかし本当にこれ戯画化なのだろうか?

7

人はその人自身がなした行為にのみ責任があるのであって、関係者とはいえ他の人がやったことには関係がない。連帯責任のような発想は非常に危険なものだ、というのもこれまた近代社会の大原則です。

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