『猿の惑星』についての私の感想もやっぱり最高じゃないだろう (1)

前回、北村紗衣先生の連載をきっかけに『ダーティハリー』を見ておもしろかったので、『猿の惑星』も見てみました。

ええっと、まず最初に断わっておきたいのですが、私は猿はあんまり好きじゃなくて、というのも数年前に自宅の近辺で猿に襲われそうになったことがあるからです。住んでる借家が大きなお寺の広いほぼ敷地内にあって、そこは京都の東山連峰と林でつながってるんですね。それでそのころ猿が降りてきてたんです(最近はイノシシも来てるらしい)。んで、通勤路で一匹の猿と目があってしまって、やばいとは思ったけど目が離せなくなってしまったら、「ガーっ!」って脅かされたんですわ。とても怖かった。そういや嵐山のサル山でもサルに襲われそうになったことがあるし。猿怖いですね。とにかく猿には悪い印象があります。そういうわけで、『猿の惑星』のすてきな人たちについては、猿じゃなくてエイプと呼ぶことにします1

さて、『猿の惑星』という映画は名前は聞いたことがあるんですが、そんなに名作だとは知りませんでした。「猿の軍団」と混同してたかもしれません。とにかくどういう映画か知らない、先生の連載についてのSNSでの書き込みで興味をもっただけ。

とりあえず、連載の記述にしたがって私の(あんまり最高でない)感想も書いてみたいと思います。最後に自分の感想を書きます。

「プロットホールに要注意!」

まず、先生はそもそも主人公たちは「猿の惑星」に何をしに行ったのかがわからないとのことでした。

テイラー一行は何のミッションで宇宙に行ったんですか?

これはたしかにわかりにくいですね。しかし私のような老人はすこし推察できるところがあって、この映画が作られた1960年代というのはアメリカとソ連が「冷戦」状態にあってかなり緊張していて、いつ戦争、それも核戦争になるかわからない、ぐらいの時代でした。1970年代になってもあちこちで核実験とかして、「放射能の雨が降るから外に出ちゃだめだよ」なんて言われてたもんです。

核兵器軍拡の他にも、宇宙開発とか盛んで、アポロ11号が月に到達したのは1969年、『猿の惑星』公開(1968年)の1年 です。宇宙に出るのはみんなの夢であり、国家の威信の高揚の手段だったわけですよね。アポロ号どころか人工衛星のソユーズ号とかだって非常に危険だし、生きて帰れる保証なんかなかった(実際死んでる宇宙飛行士はたくさんいる)。そのミッションを達成した人々はもちろん、チャレンジした人々は時代のヒーローです。名前が永遠に残る。そして、いずれは、人類として、誰かに火星や木星や、あるいは太陽系外の惑星や小惑星を探索してもらいたい、って人類や国家や個人が考えてた時代なのです。それがその人々の命と引き換えになるとしてもね。今じゃちょっとわかりにくいけどねえ。でも、各種の「冒険」って今でもそんなもんしょ。

それに地球が環境的にやばいと言われた時期でもある。核戦争で地球が住めなくなるんじゃないかとか、公害や人口増加でどうしようもなくなるんじゃないかって言われてた時代でもあるわけですわ。

だから、まあとにかく人類の到達地点を遠くまで伸ばしたい、みたいな動機っていうのはわからんでもないのです。乗組員は科学者だって言ってた気がするし、つまり、基本は科学調査ですよね。昔は科学調査に命をかける価値があると考えられていたのです。いまじゃ科学のためとはいえ無謀なことをするのは不正だ、研究倫理に反している、って考えられているから、そこらへんわかりにくいけど。

むしろ、当時の観客にはいずれ人類が太陽系外まで出ようとするのは当然である、ぐらいの感じもあったんじゃないですかね。 古い作品を見るときは、作品だけではわからないかもしれないけど、そういう社会的な文脈みたいなのも考えてみないとならない のだと思います。でも初見でそれは無理っすかね。

しかもこの映画は最後に、テイラーたちが不時着した惑星は実は地球だったということに気が付くんですけど、気づきませんか!? 「この惑星は地球なんじゃないか」くらい考えません?

これもよくわからない。少なくともテイラーさんは途中で薄々気づいてると思う。テイラーがいつ確信したか、というのは判断がむずかしいですが、しかし最初そこが地球だと気づかなかったのはなにも不思議はない。300光年先まで旅したつもりになってたわけだし、時間の経過みたいなのもいちおう予想通りだってんだし。宇宙船が沈没せずにすんで、いろいろ簡単な調査をして、そこが地球だとわかったとしても、全体の話の筋はほとんど変える必要がないですよね。

そこが地球であろうがなかろうが、テイラーさんがまず考えこと、やるべきことは、彼のもともとのミッションがなんであろうとも、まずはエイプさんたちから逃げだして自由になって安全を確保することであり、次は自分の状況を確認して自分の生存と安全のために最善の対策を練ることである。そして可能ならば、なぜ自分がこういう状態におかれているのかの理解もほしい2。さらに可能ならば、優先順位はすごく下がるけど地球と連絡をとったり(これはもう無理そう)、あるいはこの惑星にいるはずの他の話の通じる人間を探し、そのコミュニティに参加したい。

だから「最初から地球だと気づいていたらお話が進まないのでしょうがない」ということもないと思う。プロットとしては宇宙船すぐに沈没させて、主人公たちがなにもわからない状態にしている。テイラー自身も「なんでここは(エイプとヒューマンの地位が)逆転してんだ?って質問していて、少なくとも地球との関係は理解している。実際、テイラーが「ここは地球のはずがない」のような発言をする機会もない。自分がいるところがずばり地球であるとの確信はないかもしれないけど、地球と密接な関係があることはわかっている。そこが地球であるかどうか、というのはとりあえずはしばらくはそれほど大きい問題じゃない。それより大きな問題がある。

だからそんなに「プロットホール」と呼ばれるところはないように見えるんですわ。どこに穴があるんだろう? むしろ、自分たちにプロットの穴があるように見えたら、 一応は 穴を埋めるなんらかの前提があるかもしれないって考えてもいいんじゃないですかね。プロットの穴には注意するべきだけど、なんでも穴だと思ってはいかん、と思うのです。

→ 続き https://yonosuke.net/eguchi/archives/17343

脚注:

1

チンパンジー、ゴリラ、オランウータンなどのエイプ=(大型)類人猿は、私の嫌いな猿=モンキーとは一応違います。

2

あれ、こういう世界の理解の優先順位はもっと低いかな?(1)当座の安全の確保(脱出)、中期的な安全の確保(避難場所や食糧その他の入手)、長期的な安全の確保(コミュニティの確保)、その次に地球との連絡や世界の理解ですか。

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