『ダーティハリー』の感想についての私の感想は最高ではないだろう (1)

8月下旬に、北村紗衣先生の『ダーティハリー』(ダーティーハリーではない)のweb批評あるいは「感想」が話題になって、局所的に私にはおもしろい議論になっていました。私の最初の印象は「なんかたしかにポイントはずしてる感じの映画批評だなあ」だったみたいです(ツイッタに書いてた)。

でも私は映画は人生でほとんど見てこなかったし、「批評」っていうものがどうあるべきかもわからないし、そもそも『ダーティハリー』も見てないのでなにも言うべきことはなかったのですが、その後『ダーティハリー』を1回だけ見たので1その「ポイントはずしている感じ」がどこに由来していたのか考えてみたいです。

北村先生のこの連載は、「映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために」、なにか言えるようになれるような見本を示す、ってものだと理解しています。なにか「よかった」「つまらない」以上のことが言えるようになりたい人のため、あるいは、私のような大学教員が、なんらかの作品について学生様「よかった」「つまらない」以上のことを語ってもらえるようになるための手引きみたいなものですね。これは理解できる。私も学生様にはそういうスキルを身につけてほしいので、参考にしたいです。でも違和感があったのよね。

最初、「すんごく面白くなかったです!」のはこれはこれでよいと思います。学生様にもおもしろくないものはおもしろくないとはっきり言えるようになってほしい。そういう意味でつまらなく感じたものをつまらないと断言するのはとてもよい。ぜひ学生様にもそうしてほしい。

でも先生は音楽はよかった、って評価する。これもいいですね。私もこの作品を見て一番に気づいたのは音楽を担当したシフリン先生の音楽のよさでした。でも違和感があったのは、いきなり、同じシフリン先生が担当した『スパイ大作戦』(≒『ミッションインポッシブル』)の音楽が5拍子で珍しい、みたいな話になるところ。強い違和感がある。なぜか。

一つには、『ダーティハリー』の音楽がよいと言ってるのに、そのよさがどこにあるのかまったく触れないままに、音楽担当者が他にどんな作品を担当しているかとか、スパイ大作戦のテーマ音楽が5拍子だとか横にそれちゃってるからですね。そりゃそういうマメ知識もおもしろんですが、まずは「音楽がよい!」って主張したら、映画のどの部分の音楽がよいか、その音楽のどこがよいか一言は言ってほしい。

冒頭のドラムかっこいいっすね。しびれました。サウンドトラックはこんなの。オリジナルサウンドトラックだと、PrologueやScorpio’sのドラムがよい。これはすばらしい。ファンク/16フィールでいかにも1971年!同時期のマイルスデイビスのバンドのドラムなんかを連想しますね。たいしたメロディーはなくて、ドラムの疾走感だけで音楽ができてます。ドラマーはJohn Guerin先生。名前は聞いたことある気がするけどよく知らない先生でしたがいろんなロック有名作品に参加してますね。かっこいいです。ドラムがチキチキ演奏したり止まったりするのも緊張感があって「サスペンス」(宙吊り)な感じ。事態の進行と停止・停滞、これが映画だ!ってなもんですね。ドラム以外のピアノの内部奏法(鍵盤弾かないで中の弦をざーってはじいたり)、その他「現代音楽」っぽいかっこいい音楽というか音響は使われてますが、これはこの時代の映画音楽の特徴っていうかそれほど新奇なものではなかったなじゃいですかね。(他、それぞれの曲について簡単なコメントをあとで書くかもしれません。)

スパイ大作戦のテーマが5拍子である、というのはこれはもうどうでもいい話で、5拍子の曲なんか死ぬほどあって別に珍しくない。クラシックだったらチャイコフスキーの交響曲第6番の第2楽章が5拍子だし(私の好きなメロディー)、ジャズだと1950年代のデイブブルーベックの「テイクファイブ」が5拍子で、それ以降ジャズは1960年代とか5拍子とか7拍子とか11拍子とかはたくさんあって、それの影響受けてる映画音楽はそういうの使いまくっていて、むしろ主流っていう感じなのでねえ。20世紀なかばは、もっと奇妙な拍子のいわゆる「現代音楽」とか映画音楽に使われまくってたし。なんかそういうのがピントはずれてると思う。「何拍子であるか」のようなことは映画音楽としてはまったく本質じゃなくて、そういうのをわざわざ言及しているのが奇妙だったのです。

もとの記事はさらにエンリコモリコーネ先生の話になって、まあモリコーネ先生の名前と業績知ってる人はクリントイーストウッド〜『荒野の用心棒』〜「マカロニウェスタン」〜エンリコモリコーネっていう連想やつながりはぼんやりわかるけど、読んでる人の何割がわかるか……奇妙な感じがしました。まあここらへんは出だしだからどうでもよい。先生がとりあえず、対象になってる映画にうっすら関係している自分が知ってることについての知識を披露している、ってことなんだと思う。

ダーティハリーの銃声のサウンドが頻繁に再利用されている話はどうも有名みたいですが(あとで出典つけます)、これは聞き手の人がが話をふってるんですね。まあ効果音の使い回しはよくあるんだろうけど、この銃声については、前々から録りためているというより、このダーティハリーの銃声の録音がものすごく秀逸だったから使いまわされたんじゃないのかなあ。小さな鉄砲だとパンパン!、もうちょっと大きくなるとガンガン!な感じですが、大砲みたいな44マグナムともなると「ドッキューン!」そっちの話になるならわかるんだけど。まあよく知りませんが違和感。言及するんならちょっとつっこんでほしかったけど尻つぼみ。

こういうの、私はけっこう違和感があるんですよね。「ダーティハリーよかったです」「ほう、どこがよかったの?」「音楽がよかった」「(ほう、いいじゃないか)どこらへん?」「作曲してるシフリン先生はスパイ大作戦のテーマも担当していて、珍しい5拍子です!」「(うーん)」「アカデミー賞もらっててもふしぎないです。それにエンリコモリコーネ先生も苦労して〜」とかになると、「いや、ダーティハリーの音楽のどこがよかったのよ」とか会話がギクシャクしちゃう。それでいいのかどうか。

記事の構成方法の問題かもしれませんが、たとえば「音楽担当しているシフリンさんが好きで、彼は私が大好きな『スパイ大作戦/ミッションインポッシブル』のテーマも作ってて、あれは5拍子でおもしろいんですよよね!」とかならこれはこれでシフリン愛をもっと語ってもらうきっかけになるので悪くないんですが、そういうふうにも話が発展しないんですよね。愛がある対象についてはぜひたくさん語ってほしい。

「44マグナムの銃声とかよかったねえ、あれは他の映画でも使われてるらしいねえ」「それ映画会社が蓄積してるのかもしれませんね」の方は大丈夫だけど、できたらそれをきっかけに音楽以外の音響について語りあいたい……でもまあ何も感想言えないよりはずっといいですね。

さて、次はやっと「つまらなかったところ」です。

脚注:

1

これはアニメの『PSYCHO-PASS』を見た直後で、関連する作品をいくつか見てみるつもりだったのでタイミングがよかった。

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