というわけで、バウマイスター&ヴォース(フォースかも)先生たちのセックス経済理論は、女はセックスという資源を売り男がそれを買う、ていうだけのごく単純な理論なんですが、こういう「理論」っていうののおもしろさっていうのは、(少なくとも素人には)その理論が「ほう、そうですかー!」とかってもんじゃないんですよね。むしろ、どういう統計や実験的事実や観察を自分たちの理論を裏づける証拠としてもちだしているかとか、どういうふうにして他の理論をやっつけに行ってるかとか、そういうのがおもしろい。あと、理論に一見合致してないように見える事実をどう説明するかとか、その理論から予測を立てて、どういう実験や調査をやればいいだろう、みたいなのも興味深い。
私は心理学、特に進化心理学の一般向けの読み物とかが好きなんですが、まあ進化心理学なんかほとんど一本道みたいなところがあって、誰が書いても同じ、みたいなところがある。でも、その説明や立証や他の理論の反証にあたって、けっこう意外な事実の指摘とか、言われてみれば知ってはいるけどあんまり意識してなかった事実とか、その著者自身の生活のなかでの経験や観察とか、そういうのの記述の方が興味深いわけです。正直いってこの点で、フェミニズムまわりはいつも同じような話でつまらない。この記事読んでる人だって、「日本はジェンダー格差指数が〜」とかもう何百回読んだかわからんでしょ。
そういうんでまずBaumeister & Vohs (2004)ってのから、興味深い指摘をメモしたい。この論文では後半が「経験的証拠のレビュー」Review of Empirical Evidenceになっていて、領域別に大量の証拠(他の人たちの論文から)が列挙されててます。見出しはこんな感じ。みんなセックスについて研究してますねー。2004年以前の論文からだから今となっては古いのですが、アップデートされた情報はまたあとで確認します。
- 売買春
- 売買春以外のセックスとお金
- 浮気と離婚
- 求愛活動
- レイプと強制
- 男性不足
- セックスに対する態度
- 恩恵としてのセックス
- 名誉・不名誉としてのセックス経験
- 女性間の攻撃
- 不均衡な社会的地位
- 女性セクシュアリティの文化的抑圧
- セックス革命
- セックスと暴力
売買春
売買春はまあたいていの場合(どの国でもどの時代でも)、圧倒的に男が金払って女が売る、っていう形になってるのはほぼ自明なので、セックス経済論の一番強い証拠ってな感じでしょうな。フェミニスト的思考では、男性による(経済力による)女性の支配の最たるものでもあります。
学生様とかがときどき「女性向けの風俗がないのはなんでだろう」とかっていう疑問を提示してくれることがあるんですが、まあ男のセックスにはほとんど価値がないからですよね。若い女性ならその気になればほとんどいつでも手に入るし、若くなくたって相手を選べばいいし、そもそもそんなに知らない人といきなりそんなことしたいとは思わないっぽい。ただ、日本にあるホストクラブみたいなのについてはバウ先生たちはなにも言ってません。あれは性的サービスを売ってるわけじゃないけど少なくとも性的魅力は売ってるような気がしますよね。
ホストクラブに近い話として、女性が海外の島(バハマとかタヒチとかああいうところ、日本だとタイとかバリとか?)に行ってそこの「ビーチボーイ」と遊ぶ話は検討されてるんですが、それもセックスにお金を払う形にはなってませんよ、とか説明してます。そういう関係っていうのはとにかく旅先で「(男がその女性に)恋に落ちる」っていう形になっていて、女性は飯代ぐらいは払うことがあるけど、女性がボーイにお金を直接払うことにはなってない。でも、しばらくつきあってるうちに、突然そのボーイの家族や親戚とかが病気になったり借金取り立てられたりして経済的にピンチになってしまって、それを裕福な女性が愛情に対する感謝の印として経済的に助ける、っていう筋書になってるらしいです。へえ。ホストとかもそうかもしれないですね。だいたいそこそこ高齢の女性と異人種の若い男とかだと、セックスには至らないことも多いです、みたいな話もあります。うーん。
もうひとつ興味深いのが、性的に非常に禁欲的だったヴィクトリア朝時代のたとえばロンドンあたりの世界というのは、中上流階級の女性が集団的にものすごくセックスの値段をつりあげていた時代なわけです。結婚しないとセックスしないし、結婚しててもセックスなんていやらしいことは子孫を作る義務としてでなければしません、ぐらいの世界。ほんとかなあ。でもバートランドラッセル先生がなんか言ってましたね1。んじゃそのころの男性の性欲はどこへ向かったのかというとやっぱり経済的に困っていた売春婦の人々で、ブロー&ブロー先生の『売春の社会史』だとロンドンの女性の5〜15%ぐらいが人生の一時期に売春を経験していたみたいだ、って話になっています。これはけっこうな数字なわけです。バウ先生たちは「現代の道徳観からすればショッキングなほど高い」って言ってますが、まあたしかに大きな数字だと思います。反買春フェミニストの先生たちだったら「なんと不正な時代だ!」ってなことになりそう。実際、不正な時代であったのだろうとも思いますし、一部の売買春に、反買春フェミニストの先生たちが指摘するような貧困による強制という面があるのは否定できないと思う。
バウ先生たちははっきり書けてないと思うのですが、この件がセックス経済論にとって特に理論的に問題なのは、この理論によれば「女性はセックスをできるかぎり高く売ろうとする」はずなのに、結婚その他に比べると比較的チープ(だと思われる)売春をしなければならないが、一方ではそれしか収入の手段がないなら、売春から最大限の利益を得るためにやっぱり高く売りたいはずだ、ということになるからちょっと理論的に微妙なところが出てくるわけですね。説明省いてますが、というか2004年の論文の時点ではバウ先生たちは十分に強調してないのですが、女性が売っているのはセックスそのものというより性的魅力を含めたセックスと、長期的な関係においては 貞操 (排他的性的アクセス)と 生殖 (子供)なわけで、売春みたいなのはもし他人に知られると貞操に疑問抱かれる可能性が高いので、その経験は女性にとっては非常に不利になるし、みんなが売春みたいなことをすると値崩れが起こってしまう。実際に起こってたかもしれません。その時代の奇書『我が秘密の生涯』とか見ると、ほんとうに安かったみたいですからね。
でもそうすると、上の大きな数字は、女性は一般にセックスの売り手で、比較的優位な立場にあるということを含意するセックス経済論にとっては若干不利な事実なわけです。そもそも危険だし(ロンドンだったら切り裂きジャックに殺される可能性もある)。なぜそんな大量に安く売春する女子がいたのだろうか?バウ先生たちの苦しいところで切り出す札は、「でもどうもブロー先生たちによると、そうした大量の売春婦たちは、実際には他の仕事もってたみたいよ」ってなことですね。これは以前ハブロック・エリス先生に関するエントリーでも書いた話ですね。大きな数字は、フルタイムのプロスティチュートではなく、そこそこいけてる女中(メイド)さんとかがそういうこともして副収入を得ていたのだろう(だから安くても我慢する)、とかそういう感じでしょう。あと、理論からすれば、実際の値段とか、ロンドンの当時の男女人口比とかも興味深いところだろうと思います。(売買春についてはあとの「社会的態度」のところでも議論される)
脚注:
「私が若いころ、ちゃんとした女性が一般にいだいていた考えは、性交は大多数の女性にとっていやなものであり、結婚生活では義務感から耐えているにすぎない、というものであった。」(岩波『結婚論』p.85) 「われわれの祖父の時代には、夫は妻の裸が見られるとは夢にも思わなかったし、妻は妻で、そういうことを言われただけでぞっとしたことだろう。」(p.126)
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