まあ実は経済力のある「いい人」nice guy は結婚相手としては求められてるかもしれないですよね。そりゃ長期的な関係をもつとなればやっぱり性格のいい、自分のことを大事にしてくれる「いい人」に限る、っていう女性は多いように見える。
でも性革命を経た現在の恋愛市場では、女性は必ずしも一対一の長期的な関係ばかりを求めているわけではない。アラサー以上の「婚活」とか話題になる昨今ですが、それでも十代後半から二十代前半は女性はその性的な魅力をフルに使って長期的な関係をもてるような男性を(おそらく数人は)探したいだろうし、さらには人生を楽しむため、経験をつむため、あるいは、自分の(性的な)価値を知るため、あるいはその他の理由で短期的におつきあいをする男性を求める女性も少なくないように見える。
なんでいい人はそういう女性たちにモテないのか。ハミルトン先生は、いい人っていうのは特に特徴のない人のことでもある、って分析します。飛び抜けた力をもっている人は「いい人」なんかじゃない。ウィトゲンシュタイン先生やラッセル先生やハイデガ先生が「いい人」だなんて考えられないだろう、と。まあこの3人は「すごい哲学者」であって、どうしたって「いい人」と呼ばれることはありせんね(むしろ人間的には問題ある人びとな気もするけど)。つまり「いいひと」ってのは他にとりえのない人である。
さらにいいひとがいい人なのは、実は人工的で表面的なもので、欲しいものを直接欲しいと要求するガッツや男らしさが足りないように見える、と。「お前が欲しい」って言えないもんだから女性にやさしくしてなびいてくるのを待っている。女性の気持ちやニーズを研究して女性に好かれるようになろう、っていうのはけっきょく女性を性的な対象と見てるだけじゃなく、操作可能な対象と見てるわけですよね。さらには、いろいろ努力していい人になってもモテない男性の多くはルサンチマンみたいなものを抱えて女性を憎むことがある。はてな増田とか見てても、「俺はこんなにいい人なのに誰も気づいてくれない」みたいに考えてる人は多そう。
さらにはいつも女性のご機嫌をとりつづけている男性がDV加害者になる、みたいなことも十分にありえる。女性にプレゼントするんだってプレゼントしたくてするとうよりは、女性が欲しがっているからプレゼントする、そしてプレゼントすれば自分を好きになってくれるだろう、みたいなのから来る。ストーカーみたいなのの一部は「あいつのためにこんなに尽したのにあいつは!」みたいな心理があるんじゃないかと思いますが、それってけっきょく「やさしくすれば女性は自分を愛してくれるはずだ」という思いこみや、そういう操作可能な対象と相手を見ることから来てるわけですよね。
つまり、ひょっとすると人工的な「いいひと」の裏側には、女性に対する蔑視みたいなのがあるかもしれない。みかえりを期待して女性にやさしい男性というのは、けっきょく自分の幸福のための手段として相手を見ているわけですわ。アリストテレス先生だったら、そういうのは有用性、あるいは快楽にもとづく友愛関係でしかないって言いそうだ。カント先生だったらそういう動機からプレゼントしたりやさしくしたりするのに道徳的な価値はない、むしろ道徳的には非難されるって言いそう。
自分勝手、自己中心的な「ジャーク」は「いい人」とは対照的で、ジャークはまず常になにかしている。バンドでベース弾いてたり、バイク載ってたり、サーフィンしたり、ホストで祇園ナンバーワンになることを目指していたり。とにかく、まわりの「いいひと」たちとは違う。「いいひと」は女性が望む平凡なことしか提供しないけど、ジャークはライブで愛を叫んだあとに楽屋でへんなことしたり、バイクの後ろに乗せてぶっとばしたり、サーフィンに連れていったり、シャンパンタワー立てたり刺激を与えてくれる。彼らはなにかすることがある。そういうことするのは、相手の女性のためというよりは、単に自分がそうしたいからしているだけなんだろうけど、それは少なくとも常に女性になにかを求めてその言いなりになる「いい人」たちとは違う。たしかに彼らも女性を自分の快楽のための道具にしているんだろうけど、少なくとも彼らは自分に満足しているし欲しいものは欲しいと言うことができる。自発的だし、自己充足してるんですね。女性がいればいいけど、いなかったらいなかったでしょうがないし、すぐに次を探す。ご機嫌とりに汲々としない。
「いい人」は他人の評価を気にしておどおどし、誰かから厳しいことを言われると「すみませんすみません」とかすぐにあやまって反省して自分の悪いところを直そうとするけど、ジャークは他人がどう評価しようがかまわない。他人にどう評価されるかなんてことより自分の基準を優先する。そしてそういう人だけが成功することができる。もちろん失敗する奴も多いだろうけど、でもその自信と挑戦や活動はやっぱり魅力的だろう。女性からすれば、少なくとも短期的におつきあいするぐらいの価値はあるかもしれない。すくなくともその場では刺激的だろうし、なんらかの経験にもなるかもしれないし。そのあとで長期的につきあうかどうか決めたらいいわけだしね。この前「バンドマンは性格悪いからつきあうな」みたいなネット記事を見ましたが、でもとりあえず1回ぐらいつきあってみたい、と思う人も少なくないはず。いいひとなんかとつまらないデートしているよりずっといいだろう。バンドマン、美容師、バーテンダーとはつきあってはいけない、と言いつつ、そりゃみんな1回はつきあってみたいから「つきあってはいけない」になるわけですよね。「〜したい」っていう欲求がないなら「〜してはいけない」っていう禁止は必要ない。
(c)地獄のミサワ先生 使ってこめんなさい |
「まえー、バンドマンとつきあってたんだけどー、そいつほんとにクズでー」とかって不幸話か自慢話かわからないこともできる。「いいひとだったんだけどつまんなくて」「どうつまんなかったの?」「特にめだった特徴のない人で、何も思い出せない」とかぜんぜん話が続かないっすよね。
でもやっぱりジャークにはなれない男性というのはいるわけです。やっぱり無根拠な自信みたいなのはふつうの人はもつことができないっすからね。ジャークであるにも才能が必要だ。ジャークに特有の各種の活動の才能も必要だし、それは選ばれた人びとのものだ。ベース練習すんのもたいへんですよ、ほんと。指痛いし。ハミルトン先生によれば、んじゃどうするか、というところで発見されたのが、各種のナンパテクニックだ、っていうわけです。
→いい人、ナンパ師、アリストテレス (3) ナンパ師の世界というのがあるらしい
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