書き殴りINDEX / 読書・映画・音楽

書き殴り


1997/01/01

ワレワレワァ、ココニィ、ニッティノゥ、サクボウニヨルゥ、シンネンノゥ、シンリャクヲゥ、ダンコー、キョヒスル。

シュプレルヒコール。シンネン、ハンタイ。(シンネン、ハンタイ)シンネン、ハンタイ(シンネン、ハンタイ)。

シンネーン、ハンターイ。(シンネーン、ハンターイ)
シンネン、カエレ(シンネン、カエレ)
シンネン、カエレ(シンネン、カエレ)
シンネン、カエレ(シンネン、カエレ)
シンネン、カエレ(シンネン、カエレ)

「押せー、押せー、押し返せー」
「うぉー」
「はんたーい」「帰れー」
「痛いー」
「きゅう」

ウィントン・マルサリスと小沢征爾の音楽教室を見る。むかし、バーンスタインが同じような感じでジャズの紹介をしていたフィルムを見たような気がするが、そんときから40年もたって、すでにエリントンなんかは古典芸能だわな。チャイコフスキーとエリントンを比較するのはちょっとオケの方に気の毒。エリントンの方がずっとカラフル。ドビュッシーやラベルやストラビンスキーと並べた方がいいのに。いや、やるのかな? 明日もあるようだ。

夜中、NHKで『映像の世紀』を再放送していることに気づく。しまった、また録画しそこねた。しかし、テレビというとNHK(それも教育)を見てしまうってのはちとなんだな。ちゃんとしたライブの番組とかあればいいのに。

研究室から外付けのハードディスクを借りだして、内蔵ディスクのバックアップを取り、フォーマットしてもとに戻す。面倒だが、Speed Diskとかのディスクのフラグメンテーションを修正するソフトをもっていないからしかたがない。最近、起動などが遲くていらいらしていたのだが、だいぶましになった。ま、気分の問題なんだけどね。

WWWによる「お年玉つき年賀はがき」とかいうのがあってうちにも送られているようなのだが、なんと、lynxでは読めない。うーむ。


1997/01/02

あいかわらず部屋掃除。いつになったら終るのやら。

両親、妹、弟とご家族全員が上洛し、観光などしている。夕食をいっしょしただけ。


1997/01/03

[あらすじ]

昨日、ある事情からシルクのパンツを手に入れた男は... k

31年生きていて、初めてシルクの肌着というものを着用してみたわけだが、これは気持ちよい。女性がシルク製品を欲しがる理由がかいまみえた。(実際には、私は女性用のシルクの下着というものも手にしたことはなかったけど :-)こんなによいものを女性に独占されていたとは。(そんなことないか)

あ、もちろん男性用のシルクのトランクスで、妹が香港に遊びにいってきたときに私におみやげというわけだ。ほかにパジャマとかもくれた。もつべきものはカタギの妹である。

しかしこれって、洗濯はどうんだろ?手洗いしろとか表示してあるような気がするが、そんな面倒なことができるはずはなく、数日のうちにだめになってしまうのであろうな。

唐突だが、"~"という文字(0176)は「tilde」で、スペイン語などに用いるものではないかと思う。もっとも「〜」もJISでは「否定」だけどね。

「映像の世紀」を見ていると暗い気分になってしまうのはだれでも同じなのね。私もヴィデオで発売してほしいぞ。少くとも、教育機関には入れてほしいな。

あれを見ていると、どうも古くさい「文明批評」のようなものを思いだしてしまってなんだかなんだ。マックス・ピカートなんていうものを学生のころに読まされたこともあったな、なんてことを思いだした。最近あの手の人の名前を聞かんな。


1997/01/04

深夜、研究室のMacのシステムを7.5.5にアップデート。こんな面倒なこと始めるべきではなかった。いったんハードディスクを全部バックアップとったりして時間かかりすぎ。後悔。しかし、Power Macではかなり高速になった。これほど体感がちがうとちょっと感動。

楽しみにしていたウィントン・マーサリスの番組が録画されていない。電源をちゃんと「切」にしていないと録画されないなんていう仕様に激怒。どういうつもりだ。電源を切り忘れることはよくあることだが、番組を見ているときに録画がはじまってもたいした障害でもあるまいに。サンヨーのエンジニアはなにを考えているのか。これまで何度たのしみを失なったか。しくしく。


1997/01/05

某教授宅でごちそうになる。いろいろうまいものがあった。

つねづね感じているのだが、どうも日本酒は私の体に合わないようだ。というより、いつもビールとウィスキーあるいはスピリッツ系統を飲んでいるので、酒の適量が分らないのだな。特に冷酒がよくない。必ずといっていいほど悪酔いしてしまう。澗したお酒だとそういうことは少ないので、お酒を澗するってのは庶民の知恵だったのかも。


1997/01/06

なにごともなし。研究室のみなさんは卒論・修論書けたであろうか。

なんだか、養老院でひとり「安楽死」させられたようだな。うーむ。本人が「人工栄養を希望する」とアンケートに答えているのに殺すとは。

しばらく節酒すべし。


1997/01/09

歳の瀬となりましたので、「書き殴り」は夜逃げします。追わないでください:-) (まだ準備中だけど)どうしても続きが見たいかたはメールください。

もちろん、栄転なんかじゃありません(しくしく)。いつまでも社会学のサーバーに負荷をかけるのをやめようというわけです。

これまでsocio上でHTMLを公開させてもらっていましたが、実は私は京大とはもうなんにも関係がないわけです。ODってだけで。

実際、HTMLテキストに限るとこのサーバーへのアクセスの45%ほどが私のページに対するもので、「書き殴り」にかぎっても20%を越します。SUN Sparc Station 2という今となっては非力なマシンにかかる負担もけっこうなものとなっているとおもわれます。というわけで、とある商用サーバに移動します。でも、せっかく移動するのだから研究室のひととかに読まれないようにしたいので秘密なわけです :-)基本的に私と面識がない方にはURLを教えます :-)

いずれホームページ全体も夜逃げすることになるかもしれません。


1997/01/11

夜逃げ失敗宣言

おさわがせしましたが、どうも夜逃げは失敗したようです。もうしわけない。いったん帰ってきてしまいました :-)

失敗の主な原因は、

  1. asahi-netはFTPが面倒
  2. ある程度の読者は確保したいが、他の方からのリンクは避けられない
  3. 「オフライン」の状態で書き殴ることが心理的にできない
の3点でした。

asahi-netはダイアルアップ回線からでないとFTPを受けつけない。よって、わざわざ電話をかけてつないで、FTPしなきゃなんない。だいたい120秒ぐらいで済むのだが、これが心理的に負担になる。(電話料金やasahi-netの使用料はたいしたことがないはず)。

夜逃げの理由のひとつは、面識のある人間の目に触れないようにして好き勝手なことを書き殴りたいというのがあったのだが、誰も読む人がいなければつまんないので、ある程度宣伝しなきゃなんない。そのためにはある程度の宣伝や、他からのリンクも必要なわけで、いずれは正体がばれてしまうことになる。そもそもasahi-netでは匿名でホームページを持つことができないし。

そもそも、匿名で好きなことを書こうというのも間違っているのではないかということにも思いあたった。やっぱり書くことには責任もたなきゃね :-)

さらに、実際夜逃げしてみてわかったのだが、私はなにか文章を書きためてそれをどっかに移動するということができないのである。この「書き殴り」は基本的にsocio1という社会学のサーバーマシン上でmuleというエディターを使って直接ファイルに書きこんでいる。これはなかなかで快適。まさに書き殴りの醍醐味を味わうことができる。ときどき書き殴っている途中の文章を読んでいるひともけっこういるはずだ。

家でもMacの上でnemacs + SKK + html-helper-modeというこことほとんど同じような環境を作ってあり、「書き殴り」のファイルもいつも開いてあるのだが、何度もFTPするのは面倒なのでちょっと書いてほうっておく。そのうち、おもいついたことも「あとで書けばいいや」と書かないでそのまま忘れてしまうのである。「あとで」は永遠に実現しないのである。「書き殴り」というスタイルは、このsocio1をはなれてはなりたたないのである。(その方がいいっていう意見もあるかもしれんが)

むかし「パソコン通信」をやっていたころにも同じことを感じた。多くのひとは、電話料金やネットワークの課金を節約するために、「自動運転」なることをしていたようだ。つまり、自動で記事を取りよせ、それに「オフライン」でコメントを書き、それを自動的に送る。「ハイパーノーツ」という優れたシステムのpcs (ASCII-NET)やmmmという草の根BBSソフトで育った:-)私はこれができなかったのだ。

というわけで、とりあえずもっとFTPの簡単なプロバイダーを見つけるまで夜逃げはやめます。今年度中(3月)までは、ここで続けます。ごめんなさい。この社会学のマシンが使えなくなったら、また別の方法を考えます。おそらくこのマシンから離れて作るファイルは、「書き殴り」ではないものになるでしょう。

そういや、シルクのパンツだが、わざわざ「洗濯機で洗って大丈夫だ」というメールをいただきました。はい。すでに洗いました。実は書いた次の日にはすでに洗っていたのです。本当です。うそじゃありません。私は洗濯物を1週間もためたりしません。いや、パンツやシャツやクツシタはたくさん持っているのです。これもほんとうです。うそじゃないです。

31歳からはじめるエレキピアノの現状

「ジャズピが弾けるようになるためには、基本的和音の展開形をすべてのキーでパッと弾けるようにならねばならん」ということらしいので、えんえん。片手ならわりと楽だが、両手で弾くのは難しい。スケールもかなり覚えたが、左手では弾けない。ハノンの15番以上は弾けない。スケールも指使いが覚えられない。どうしてもあれじゃないとダメなのかなあ。

ちょっと前にもらってきたスポーツクラブの案内書をながめる。入会金3万円、月1万円。高い。エアロビやジャズダンスはやってみたいんだけどね :-)貧困なる者が健康になるのはラクダが針の穴を通るより難しい。

前にもスイミングスクールの案内をもらってきたことを書いたが、やはりちょっと気になっているのである。あと半年以内に体を動かさないと、(業界標準とまで呼ばれる)腰に来るのではないかという脅迫観念にかられておるのだ。


1997/01/12

いろいろ仕事はあるがゆっくり起きて風呂なんかはいったりしていると、某大教授から本を返せと言われ、あわてて大学へ。すみませんすみません。

こうやって、端末があるところからならどこでも書き殴れるってのも、引越せない理由。

明日は卒論、修論の提出日だが、だれも部屋に来ていない。みんな余裕なのね。

と、いろいろやっていると元socioの管理者某君が研究室を訪問。卒論を出しに来ているらしい。ノートパソコンにFree BSDをのせたものを見せてもらう。うーむ。486SX(88MHz)、メモリ16Mでも十分という話。欲しいぞ。だれか余ってませんか?

"Marvin Gay Live!"入手。この人って、なんというか、SMAPのようなもんだったのね。女の子がギャーギャー言ってるし、"Jan"とかでは騒いでいた女の子たちが(嫉妬して?)黙っちゃってるよ。いやはや。化石メドレー最高。

う、なんだかいろいろ忙しい。レポートの採点って面倒だなあ。


1997/01/14

どうでもよいことだが、私は外国語(ふつー英語)で誰かと意思を疎通するのがけっこう好きである。ま、今回はどういうわけかマルチン・ルーサー・キングだの、マルコムXだの、KKKだのという話に行ってしまったので、けっこう暗くなってしまったが。(15日はアメリカとかいう国では成人の日ではなく、キングさんの誕生日だそうだ。みなさん、思いをはせましょう)

外国語でコミュニケーションするたのしみは、おそらく、母国語ほど柔軟に利用することができないために、直接的な表現を使用することになるという点にある。「私はあなたが好きです」に類する言葉はこれから先いっさい発話することはないと断言できるが、I love youは言えそうだし、"I'm lonely"も日本語で発話することは絶対にないであろう。


1997/01/15

二日酔いで起きれば2時。こうして人生のほとんどを無為にすごしていいもんじゃろか?

で、ボンゴレなんか作って食ったあと、ふたたび昏睡してしまい、起きれば夜の9時。うひゃー。

ビール3本にワイン1本飲むとこうなるということだ。反省。


1997/01/16

恐れていたものがついに。朝ちと屈みこむと、背中から首にかけて痛みが...うう。首が回らん。しくしく。しゃれにならんな。だからスポーツでもしろ、コタツで寝るな、と口をすっぱくして言っているのに。こういう状態でストレッチとかすると症状を悪化させるという話だから、とりあえずがまん。

塾で仕事をしている時も痛くてテキストをとりあげては「うう」、ホワイトボードに書こうとして「ああ」、生徒の質問に答えようと屈みこんでは「ぬが」と悶える男であった。

やはり、これで人生の折りかえし地点を曲ったということではないじゃろか。意外に早いおりかえしだったなあ。こういうのってのは、頭の重さを首や背中の筋肉がささえきれなくなっているから起るわけだ。原因は

  1. 筋肉が弱くなっている
  2. 勉強のしすぎで頭が重くなった
  3. 気づかないうちに頭が大きなケム星人になっていた (ちがったかな)

対策はそれぞれ、

  1. 体を鍛える
  2. 首をちょんぎる
  3. ウルトラセブンにたのむ
ぐらいか。

下宿はお寺のなかにあるので(うちは昔門番や下男が住んでいたようなところ)、最近2、3日に1回はお葬式。マイクまでつかってやるので、部屋のなかにいても読経や弔辞なんかが聞こえてきて、葬儀に出席している気分。いろんな人生があるよなあ。

いつも関心しているのが、業者の手際のよさで、あっというまに会場を作り、感傷にひたるスキさえ与えず流れるように司会し、すっと撤収していく。すばらしい。パイプライン工場のようだ。

James Blood UlmerのBlack Rock入手。なつかしのサウンド。


1997/01/17

大学図書目録のメタ検索WEBがないかと思っていたが、すでにあることを教えてもらった。 Cross Domain Search ってやつ。どこかのメタなサーバの得意なひとは対抗馬を作らないのだろうか?

1日、あおむけに寝ていたらすこし首がまわるようになったようだ。いやはや。とりあえずストレッチの本をひっぱりだしてきて読んだ。

唐突だが、kyoto-uからもほとんどの商用ネットはめちゃくちゃ遅い。さいきんは、日記すらほとんど読んでないし、その他はいわずもがな。もがな。

このうえ、「海外電話」とかもやるってんだからバカげているなあ。「インターネット」とかを快適に利用できるようにするには、とりあえず、エッチな画像をCD-ROMでどんどん安く配布してしまうしかないんじゃなかろうか :-) (しかしほんとにエッチな画像はそんなにトラフィック多いかな。)


1997/01/18

センター試験当日。英語の問題は形式がかわっていてビビったやつがいたかもしれないが、内容はふつうか。たしかに偏差値上位の子はほぼ満点とっちゃうだろうな。

塾のアルバイト先に来年度はやらないと伝える。やっと解放されるな。うれしい。なついている今の2年生はちと心配だが、ま、そこまで面倒みてられないし。悪いがわたしゃ逃げるよ。

ベース弾きにフォームを匡正してもらう(右、左ともに)。うーん、ひきにくいっすよ。でもたしかにベーシストの写真なんかでは左手はこうなってるな。(左手の指が指板に対して捻れていたし、右手はなんと小指が立っていた!) 我流おそるべし。なにごとも先達はあらまほしきことなり。


1997/01/19

近所でPHSを拾う。わざわざ交番まで持っていくのは面倒なので部屋に持ちかえり電話をまつ。何人か持ち主の友人らしき人物から連絡があり、さっきやっと本人が連絡してきた。目立たないところに隠しておくことにした。もっといじわるするべきだったか。

はい。白状します。
「PHSを拾ったことからおつきあいがはじまり...」とか、
「地下買春組織の抗争に巻き込まれ、うだつのあがらぬ哲学非常勤講師がスリルとサスペンスの冒険に...」とか、
「自殺を前にした若者からのダイイングメッセージが...」とか、
「ゲゲゲの鬼太郎が...」とか、
一瞬まあいろいろ想像しました。(ばか)残念ながら、持ち主は若い男のようであった。

首はどうやら回るようになったのでストレッチ励行。何日つづくか。ほんとは走りたいんだけど(走るのは好き)、ウェアがない。

正月に会った親が私の衣類の惨状に感銘したらしく、衣服を送ってくる。ううむ。ついでに入っていたリンゴを噛る。

書類を書くのはいつも遲くなってしまう。人間失格。


1997/01/20

ふう、某教育大の授業もこれでだいたい終了か。

ヤカンを空焚きしてしまう。つぎめがおかしくなったようで、水がもれてしまう。♪バケツに穴があいたよ〜、じゃなくて、なんかそんな歌があったな。(しかしまだ使っている)


1997/01/21

しばらく見ないうちに、京大社会学のホームページには大学院入試情報とかもあった。倫理学でも負けずに作るべし。>担当者勉強しながら作ってしまえ。(って、誰に言ってるんだか)

どっかの研究室:-)にもう1台コンピューターを入れることができるそうだ。WINDOWS95の線で話が進んでいるけど、どう思います?

すでに研究室にはPowerMacとPC(牛)が1台ずつある。一方、現在研究室関係者の個人所有はMac7、8人、WINDOWS 95が2、3人、WINDOWS 3.1 (!)が2、3人といったところらしい。

使用目的は、まあ普通の研究室でやるようなことだな。どちらにしても、主にMicrosoft WORD (OFFICE)を使うことになる。他には、OCRを使う頻度が高いかもしれない。

なんのかんのいっても、私はいまだに、やっぱりMacの方がいまだにいろいろと使いやすいと思うんだけどね。私はWINDOWS95の操作感覚にいつまでたっても慣れることができない。マウスの動きの悪さや、ファインダー(じゃなくて、なんだっけ)のや各種ダイアログボックスの操作性の悪さには触るたびに泣けてしまう。実際、研究室のPCのハードディスクはぐしゃぐしゃになっているんだけど、これは使用者の問題ってよりは、ディレクトリ構造や操作性の問題だと私はおもっている。(「スタート」メニューもぐしゃぐしゃで、めちゃくちゃ使いにくい。これは各インストールソフトのせい) WINDOWS 97とかでは改善されているんだろうか?

しかし複数の人間で使うってことを考えれば、WINDOWS NTを入れることにするのがベストかな。Macがちゃんとマルチユーザー対応になるとは思えないし。もしかしたら、今時WINDOWSやMacを使っている研究室なんて時代おくれか?(ありそう)

もちろん、UNIXでX WINDOWがふつーなんてのは却下。

研究室なら当然NT
もはやWINDOWS 95
いまだにふつーMac

塾。英語の平均点は非常に高い。去年よりさらに10点ぐらい上か? 教えた生徒もまずまずの成績だと思う。(リサーチの結果がでないとわかんないけど)これでほぼ責任を果したって感じか。

どうでもいいが、Donna Leeという曲はめちゃくちゃ難しいなあ。ピアノでさえ弾けないよ。コードは単純だけどテーマが。


1997/01/22

非常勤。大雪のなかだが、雪降ったので行きません、じゃなんだかアレなのでとにかく行くかととにかく京阪で山科まで。

しかしJR上りは電車がほとんど走っていない。これは今日は休講にするか、と思ったが、携帯電話を家に忘れていることに気づく。ぐおー。出るまぎわまで、電車が遅れたりすることももあるかと思って、
「携帯電話は忘れないように。机のところにもってきておこう」
「携帯電話わすれないように、コートに入れておこう」
「携帯電話をかばんにいれておこう」
とやっていたのに。さらに、「危険だから、学校の電話もメモ帳に写しておいて...」
なんてことまで考えていたのに、書いてない。(携帯に覚えさせていた)

公衆電話はいっぱい。電話番号がわからない(!)ので104にかけるがつながらない。結局1時間近くホームで待たされ、ぎゅうぎゅうづめの列車に乗せられた。

さらに、琵琶湖線の人々はラッシュ慣れしていないらしく、まんなかは空間があるのに入口はオバアサン、オバサン、オネエサン、コギャルなどがつぶれているという最低の状態。阿鼻叫喚。はじける肉体、飛びちる血潮(うそ)出入り口では押しあって転ぶひと続出(ほんとう)。うーむ。みにくい。

結局、1コマ目にはまにあわず、2コマ目も早々に切りあげる。さらに、帰りの電車も待たされ、さらには、ねぼけて大津で降りてしまい再び待たされる。きぃー。

なんども言うが、私は雪を憎んでいる。もはや殺意に近い。

教訓。電話番号はメモ帳にちゃんと書こう。


1997/01/24

雨はよい。お寺では本日もお葬式。知恩院なのでもちろん浄土宗。なむあみだである。うちのお尚さんはなかなかよい声をしている。パーカッションののりもなかなかのものである。モードからフリーへのジャズを聞いているようなものだ。


1997/01/25

塾。あと1週間もすれば、仕事がほとんどなくなる。冬眠状態にはいることができるわけだ。もちろん、それは3月の収入がほとんどなくなるということを意味する。今年も春を迎えることができるだろうか?熊はいいなあ。とりあえず私も皮下脂肪をつけておくか。

よろずやさんの電熱便座の話はおもしろいし、もっとも。ま、エコな話はわきによせても、あれってほとんど御利益がないと思うんだけど、どうかな。とくに不特定多数が利用するような場所では、「雑菌がうようよ繁殖しているにちがいない」などと想像しちゃって気持ちわるいけどなあ。(ま、そんなこと考えるのもなんだかアレだけど)あれをよいと思うひとってのはどんな人なんだろうか?

すこしmailing listを整理する。あんまり読まないのを脱退して、いま、

ってな感じ。(全部あわせると1日100通以上メールが届いている!) もちろん、そんなのをふつうのメールといっしょにはあつかえないので、procmailというソフトでフォルダにふりわけて、Gnusで読んでいるのでnews groupと同じ感覚だけど、ほうっておくと大量にたまってディスクを圧迫しちゃうのが困りもの。ただし、Gnusは読んだやつは日がたてば消してくれるという賢いやつで気にいっている。しかしもっと減らさねばなるまい。ほんとうに必要な情報ってのはなんだ? 音楽とKierkegaardのやつだけにするかな。


1997/01/26

最近、Me'Shell Ndégeocelloのpeace beyond passionっていうCDが気にいって毎日聴いている。コンテンポラリーなブラコン。あ、ブラコンってブラック・コンテンポラリーか。

久保田利伸やマドンナのCDでベース弾いたりしてたひとらしいから、次の世代のマーカス・ミラーってかんじのひとなのかな。とにかくカッコいいベースを弾くひとだなあ。

このCDでは、ワー・ワー・ワトソンとか、昔、Princeのバンドにいたウェンディとかがキター弾いていたりする。まだお元気でしたか。

業務連絡。アクサンやウムラウトのつけかたはRFC 1866を見るべし。Netscapeではいまだにちゃんと表示できないのかな。


1997/01/27

ネコうるさし。なんか変な表現だなあ。「うるさし」なのか?

某教育大終了。例のアンケートをとる。こっちの後期は某短大に比べても内容がもうひとつだったと思う。反省。来年こそは。

  1. 題材(4.4)
  2. 声の大きさ(4.6)
  3. 話のスピード(4.0)
  4. プリント配布物の見やすさ、わかりやすさ(4.1)
  5. 板書(2.4)
  6. 説明のわかりやすさ(4.0)
  7. 内容のふかさ(4.2)
  8. 全体としての満足度は(4.0)

しくしく。

ところで、寒中見舞いっていつだすもんでしょうか?

唐突だが、私もApple II GS 用キーボード欲しい。今つかっているのはSE/30についてきた古いApple Keyboard(キートップにはカナはついてない)。いくらなんでも現行のやつは使えないよなあ。

キーバードに関してはfj.sys.macで周期的に話題になるけど、私もキータッチがよくて、コントロールキーがAの横にあるやつがほしいぞ。できればテンキーもないほうがよい。ファンクションキーとかキートップに無駄なカナとかついているやつは使いたくない。アップライトでいいから生ピアノもほしい:-)今なら部屋で鳴らせるなあ。田舎からボロを送ってもらうといくらかかるだろうか?


1997/01/28

塾。3年生のクラスなので最後の授業。いつもどおり淡白に終る。私はなにごとも尻切れトンボというかアンチクライマクスというかいつも通りというか。におわるのが好きである。

ジェームズ・ジェマーソン先生の本を買ってしまう。CD2枚が付録について5000円と、ちと高い! ふむ、彼は最初からモータウンのベーシストだったのね。67-68年ぐらいにスタイルが完成したってことなんだな。納得。

マーヴィン・ゲイの74年のライブのベースはやはり彼らしい。

その本では押えた書きかたをしていたが、70年代の彼はなかなかひどい人格であったようだな。(60年代も?)ま、チャーリー・パーカーやスコット・ラファロみたいなもんだと思えば別にどうってことはない。


1997/01/29

英語の非常勤。ここはあと2回もある。


1997/01/30☆☆☆

これを書いているときのアルコール摂取量を記録してみようと思う。

  1. 無印:完全にシラフ
  2. ☆:唇を濡らした程度(缶ビール1-2本)
  3. ☆☆:ほどほど(ビール+ウィスキー)
  4. ☆☆☆:かなり(ワイン1本程度)
  5. ☆☆☆☆:死にそう
  6. ☆☆☆☆☆:死んでる

塾。もうひとつの高3生のクラスも淡白に終了。ま、がんばってほしいものだ。どちらのクラスもあんまり心配していない。ま、みんな適当なところに入ることができるだろうし。浪人すると思われるやつは納得ずみ。

これで、当分、週1回の塾とあと2回ちょっとの非常勤だけ。冬眠の熊状態に入る。無事春を迎えたいものだ。さー、勉強しよう。

前にも書いたかもしれないが、私は「ネチケット」という言葉が嫌いである。「ネットワーク上のエチケット」で十分だと思う。へんな省略をするべきではない。(省略じゃなくて造語だという指摘をうけた。その通り。)実はネットワーク上の省略語の話題を先に書いて書きなおしたのでこうなちゃった。

しかし、もともとのnetiquette(つづりまちがってた)という言葉自体は嫌いではない。私が知っているnetiquetteというのは、主にnewsに関して、「他の人の記事に反感を感じたらそれを直接的に表現しましょう」「記事の署名はできるかぎり長いものにしましょう」「他人の文章の引用はできる限り多くしましょう」「どんどん記事をマルチポストしましょう」云々という、「エチケット」に反する行為のことを指していて、(もとネタは「暮らしの手帖」なんかにも連載されていた「ミス・エチケットが答えます」だかなんだかそういうタイトルの読みものだと思う)これはヒネリが利いていて(蛇足だと思うが、networkのNと否定のnをかけていたのだと思う)、ある時代のある文化(ハッカー文化?)を具現していてインパクトがあった。GNU Emacsの"anti news"とかね。

同じようにそのころのnewsを読んであるインパクトを感じたのがalt.personal.adsとalt.sexあたりだが、これは今の話題とは関係がない。

これがいつの間にか単なる「ネットワークのエチケット」に堕落しまったのではないだろうか。私にとって"netiquette"という言葉は、あの文書の作者が作りあげたあの文書を指すのであって、一般的なネットワークのエチケットを指すのではない。

もちろん、こんな表現は一部の人間にしか通用しないだろう。だからネチケットなんていう言葉は廃絶されるべきなのだ。上の「ミズ・ネチケットが答えます」はRFCになっているのだろうか?

「ネチケット廃絶宣言」とか、「ネチケットはネットワークのエチケットではないメーリングリスト」でも立ち上げようか :-)

ま、もっとも、今ではRFCでもnetiquetteという言葉をつかっていたような気がするけど。いやはや。


1997/02/01

歳の瀬。吉田では新年を迎える準備が進んでいる...

前にも書いたような気がするが、この業界(どの?)の人々は税金はどうしているのだろうか。ほぼすべての源泉徴収票が集まったが(年収があまりに少ないのにいまさらながらおどろいた)、単にこれを税務署に持っていくだけなのだろうか? もっと節税(!)する手段がありそうなものだ。本でも買って自分で勉強しなきゃだめなのか。「非常勤講師のための税金講座」なんてページないっすか? いや、対策するほどのお金をもらっているのではなく、ほんのちょっとでも返ってくるならそれが大きいのじゃ。

冬眠状態のはずだが、なぜか塾。

(☆☆☆)夜、お医者と金がないどうしで将棋など指す。連敗してしまったので、ビールを飲ませて2連勝。将棋は彼の方がちょっと強いが、酒は私の方がちょっと強い。

時間があるのだから禁煙なんぞをものしようと考えている。実は今日も昼間は1本も吸わなかったのだが、将棋を指しはじめたら吸ってしまったのである。

研究室においてあった宝島の薬物の本を読んだ。私は基本的に煙草とアルコールとカフェイン以外薬物はやらない(あたりまえだが)。これだけでこんなに苦労しているのに、他の中毒性のものに手を出したらどうしようもない。京都でもずいぶん出回っている感じだが、みんな健康に生きてほしいものだ。


1997/02/02

なぜかRAGでFusion系のバンド「野獣王国」のライブを見る。Fusionなんて聴くのはどこかでデビット・サンボーンとか見て以来。観客の若い男女の服装は地味で、化粧っ気もない。というか、普段着で来ている。Fusionってのは、今やワカモノの音楽ではないと感じいった次第。(いや、ちゃんと盛りあがっていて、それなりによいものであった)ライブハウスのよいところは、お酒を飲みながら音楽を聴けることだ(あたりまえだが)。立見でビールを飲みつつゆらゆら体を揺らすと気持がよい。ああいうタイプの音楽を座って聴く必要はない。

税金については、「ミニ講座」を送ってくださった方がいた。非常に勉強になった。この(どの?)業界でも、大人なひとはちゃんと対策しているらしい。

源泉徴収票が出ている所得には必要経費が認められることは少ないらしい。無念。ほぼ捕捉されている。しかし非常勤の謝金なんてのはほとんどその授業に必要な本に化けちゃうんだから悲しいよなあ。

もちろん、私のは税金対策なんてものじゃなく、天引きされた雀の涙ほどのなかからさらに1滴でも返してほしいという悲しい願いにすぎない。


1997/02/03

[あらすじ]冬眠に入った熊は....

本をパラパラめくる

コーヒーを沸かす

タバコなんかすったり

「どれ♭みふぁそら♭しどー」
「ど♭れ♭みふぁ♭そ♭ら♭しどー」
「ふぁらどみそしれふぁみそしれー」
「わらどみし♭れ♭みふぁみそしれー」

「なんでこんなこと一所懸命やってんだ?」我にかえる。

部屋を掃除しようと試みる

はじめにもどる(repet. ad infinitum)

夕方鴨川べりを散歩。だれもいない。サギが縄張りを争い、橋の下のホームレスの住居は見捨てられ、コンクリートの壁には、自称芸術家らしき人物のスプレーによる作品が残されている。


1997/02/04

天井裏のネコさま(たち?)との戦いは続く。ドタン、バタン。カリカリ。ゴロゴロ。フー。オワー。とうるさいうるさい。

そのたびにギターなどで天井を突ついて追いだすのだが、今日穴をあけちゃったよ。あー、どうしよ。

散歩がてら、(川端丸太町の)スポーツクラブというものを見学させてもらう。学生ふうの若い男女がけっこう多かったのが意外であった。オジサン、オバサン、サラリーマン、OLなどの巣窟かと思ったんだけどね。こんなとこで高い金払ってなにしてんだ?


1997/02/05

英語の非常勤。あと1回+テスト。おそらく高校のような追試をしなければならないことになるだろうと思う。しくしく。


小人閑居して不善をなす。


ひさしぶりにfj.news.usageを読んだ。いま「ネチケット」で盛りあがっていたのね。(いつもだけど)

アナログ学者の文章がねっとわーく上で公開されていないのは残念。

ふつうの会話をしているんだったら、横から「まあ、それはそれで」とか茶化したり なだめたりしてくれるひとがいるからヘンなことにならないってだけじゃないのかな。

ふと、実家でたんなる物置になっているぼろぼろのアップライトピアノをここまで運送してもらったらどうかと思いつき、赤帽のホームページなどを見ると80Kmで4万円とか書いてある。こりゃ買った方が安くなるな。というわけで挫折。あたりまえ。


1997/02/06

そういや、ちょっと前に出た岩波の『図書』で「私の3冊」という企画をやっていたのだが(某大教授も書いてる)、この『死に至る病』が268人中5人もいたのはおどろきだったね。これ以上の票(6票以上)を集めたのは、『仰臥漫録』『いきの構造』『カラマーゾフ』『銀の匙』『風姿花伝』『福翁自伝』『文明論之概略』『忘れられた日本人』『我輩は猫』しかない。(これは索引のページづけだから数は正確でないかも)

今日気にいったフレーズ「使わなければ衰えます」(アラン・ブルーム『アメリカンマインドの終焉』から)


1997/02/07

つれづれなるままに日ぐらし、芭蕉翁の俳文などHTMLにものす。いずくかにて部分的なHTMLも見はべれど、いまだ岡島氏の目録に記載なきをもって、てすさびとてつくりはべる。いまだ添付文書は書かず。これをばあじょん零点一となす。おいおい体裁をととのえ、目次、りんくなどもつくらむとす。

たかだか40KBに凝縮されているものをみるにつけ、くだらないことを書いているのがはずかしくなる。

零点二をものす。索引、添付文書をひとつのふあいるとす。まさに無用の長物なれど、御意見御要望御叱責御罵倒などおまちもうしあげはべり。GNU準拠なれば、おのおの自由に利用すべし。おくの細道は新資料発見されると聞けども、拙いまだ見ず。

かような文書を書きつれば、ものぐるおしく、脳味噌くさりはべり。もとより古典の教養なきをはなはな恥ずものなり。総所用時間4時間ほど。この時間を勉強に用いるべきなり。

(以下☆☆☆☆)映画「衝突」を見ゆ。感興なし。いや、時間は十分すごせたけど、なんにものこらなかった。

そういや、私は3年(4年?)ほど前にクラッシュしたことがある。(まだ書いてなかったかな?) 京都から北陸ぞいに山形に帰る途中で居眠り運転の19歳女性に追突されたのである。私が乗っていた車は全損。彼女は顔に軽い傷を入れていた。

それ以来、私はハンドルを一度も握っていない。ううむ。べつに不感性がなおったりはしなかったが、いまだに車はこわいかもしれない。ひさしぶりにその感覚を思い出したっていうのが収穫か。

結論。つまらなかった。そのお金で食品でも買えばよかった。(現在私は冬眠中なので、極端に切りつめた生活をしている。)


1997/02/09

なにごともなし。すてきな天気だったのでやはり散歩。ついでに床屋に行く。1年ちょっと前に引越してから、床屋には苦労していたのだが、やっとまずまずのところを見つけた。単に、

というだけだが。意外に近所にはなかったのである。特に鬚剃りは重要。(私の体調によるのかもしれないが)

とらぬ狸の皮算用。

停電の影響かネットワークの調子が悪い。(あたりまえか) news serverもとまってるし。


1997/02/10

貧乏極まってきたので、内田百間『大貧帳』で貧乏と借金の本質とその実践について学ぶ。

部屋中捜索し、十字屋のCDを買うとくれる会員カードをかきあつめ(まとめると3000円分あった) CDを買う。だれか余っている人がいたらもらいます :-)

買ったのはMat DennisのPlays and Sings Mat Dennis。ずっと好きなレコードなんだけど、やっと買えた。"Angel Eyes"や"Violet for your fur"の作曲者さまが自ら歌うってやつで、歌はシナトラやメル・トーメのようにうまいわけではないが味があるってやつか。こんなふうに弾き語りできたらいいな、という目標である。(50歳までにはなんとか...無理か)

これを初めて聴かせてくれた友人のことを思い出した。連絡をとってみるか。

31歳からはじめるジャズピの現状(2)

ダイアトニックなスケールはだいぶまし。alteredなんかもやっとすぐに思いうかぶようになった模様。テンションの入ったdiminishコードとパターンがすぐには移調できない。4way closeのリクツはだいたいわかったような気がする。Drop 2ndでII-Vがすぐにはひけない。指でおぼえるっていてもなあ。spreadはまだまし。

田中寅彦九段とは、公文式のCMに出ていたひとである。最近、WEBといえば日記に類するものしか読んでない。やはり基本は毎日更新だよな。いくら「あ、このひと面白い」と思っても、しばらく見ないといたということさえ忘れちゃうんだよね。 この方とかにもぜひ書いていただきたいのだが。


(昨日酔っぱらって書きなぐって秘密の場所:-)に隠しておいたもの)

(☆☆☆)上田さんの日記を読んでいると、当人の特定が簡単にできちゃわないかな、と時々不安になるんだけど大丈夫なのだろうか? (警察や新聞社が簡単に個人情報を漏らすってのも不安)

内容についてもちょっと不安。なにが不安か分析してみる。

「ある女性が悪い男につかまった」と解釈すると、まあ、普通のことである。殴る男は多いし、そういう男はたいてい避妊しないものらしい。危い商売についている男も、まあ、かなりいるのだろう。たしかにそういう男は殴ったあとは非常に優しいらしい。そういうコミュニケーションをする人間がいるのだな。そうしかできないっていうか。

殴ったり避妊しなかったりするのはひどいことだが、この場合全盲は関係がないだろう。そういう男からは逃げるしかないと思う。(それがたいへんなんだろうけど)

ふむ。とすると、「全盲」がちょっとひっかかってるんだな。全盲のひとが身なりにかまわないということはないはずだし。ううむ。

つまり、私が感じる不安は、その女性にハンデがあるってことと、その女性がひどい目にあうのは不当であるってことがリンクされているような感じがするってことなんだな。

私たちの幸福や不幸の大きな部分は、自分でライフプランを定めてよい経験をしたり悪い経験をしたりすることに依存している。ある異性とつきあいはじめたりするときの「賭」は、(結果がひどいものになるとしても)私たちにとって重要なのだ。よい結果が出ることが保証されているような選択に私たちは選択としての意義を見いだすことはできないだろう。

何を言っているのかわからなくなってきた。つまり私は、「それは人それぞれだし、そんな男につかまった女がわるい」と言いたいのだろうか?ううむ。もっと弱めて、「殴ったりするのは非常に悪いことだが、その女性との関係においてはその程度しか悪いことはしていないはずで、知り合ってすぐに同棲したり、前科があったり、今詐欺したりしてるのは関係ないような気がする」ってことなんだろうか?ううむ。そのようだ。

もちろん、殴ったり、避妊しなかったり、詐欺したりすることに怒りをおぼえるのはまともなことなのだ。私はやっぱり感覚がおかしいかもしれないなあ。視点をどこに置くか、ってことだな。

多くのひとが指摘しているように、私は道徳的にcorruptしてる自覚はある。それが私が勉強してきたことと無縁であるとは言えないということも自覚している。(もちろん、それは私にとってはカッコに入った「道徳」だけどね。)

実は、「書き殴り」にも時々登場するお医者といろいろ議論していると、しばしば怒られちゃう。他にも何人か。

倫理学上の立場に「情動主義」とかっていう立場があって、この立場では、(ひじょうにおおざっぱであやうい表現をつかうと)「道徳判断は主観の表出である」「道徳的感情は教育の結果にすぎず、なんの権威ももたない」ってなことになる。これを勉強した学生は道徳的に堕落するんじゃないかって議論があった。

学生たちが、「情動主義を勉強したら、正邪や善悪にたいする確信が消えうせてしまった」と文句を言うことがあった
W. D. Hudson, Modern Moral Philosophy, 2nd ed., Macmillan, 1983.

もちろん、それは理論が論理的にそういう結果を導くってんではなく、事実的にそうなっちゃうタイプの人がいるってことなんだけどね。

そういや、強姦の記事とかも非常に不安だったなあ。


1997/02/11

外出し帰宅すると、洗濯物その他をつるしている「つっぱり棒?」が落下している。なにもかにもいやになる。まだかたづけていない。

なにもかにもいやになったので、1週間ほど禁じていたコタツを出す。いや、もちろん、電気が止められたとか、コタツも出せないほど金銭的に行きづまっているのではない(はず)。コタツで寝てしまう習慣を匡正しようとしたのである。結果は、ストーブをつけたまま毛布にくるまって寝てしまう、というものだった。まあ、カタツムリ生活よりはましだったが。

服はまだかたづけていない。一人暮らしってやだなあ。部屋をかたづける誘因がほとんどないもんな。


1997/02/12

卒業予定者に単位を出さないのはけっこう恐い。ま、出席もせずレポートも出さねば単位の与えようもないが。何度も出席簿を確認して、レポートがないことを確認してしまう。

英語の非常勤。あとはテストだけだが。

村上春樹『レキシントンの幽霊』、柳美里の『自殺』、いのうえせつこの『買春する男たち』。

村上春樹の短篇集は最初のヤツが面白くなかったので失敗したかとおもったが、最初と最後以外はけっこうよかった。彼の最高傑作の『回転木馬のデッドヒート』のころの作品なのかな? このひとはもう「巨匠」(ってなんだかわからんが)なのだということに気づく。デビュー作から読んでいる作家が巨匠になっちゃってるってのはヘンな感覚。ま、「巨匠」ってのは、評価されていて、安定していて、テーマも一定していて、技術的に完成していて、etc.っていうことなんだけどね。

柳のやつは、まあこんなもんか。商売がらいずれネタにつかうことを考えて。芥川賞のヤツも読んでみよう。

いのうえせつこのは金を損した。

そういや、ちょっと前にNHKのニュースかなんかでペドフィリアの問題を特集していたときに、アナウンサーが「『買春』は『売春』と区別して『カイシュン』と読みます」とか言ってて、驚いた。新しい用語として定着させたいのかもしれんが、これは「カイシュン」とは読めまい。


1997/02/13

昼起きると電話が止まっていた.....

今、socioにmeshsv300.tk.mesh.ad.jpからNEC-MeshExplorerというロボットが襲来しているのだが、同じファイルを何度ももっていって馬鹿みたい。迎撃したろか。ん?ロボットじゃないのかな?人間が乗ってるのを迎撃するのは心が痛む :-)

↑を書いてから6時間以上たつが、まだいるよ。同じファイルを取っていってる。無限ループにおちいってるんじゃないだろうか?しっかりせーよ。日本電気さん。(ちょっと怒りつつある)


1997/02/14

昨日のMeshExplorerの挙動を調べると、それほどひどいものではなかった。HEADしてからGETしている。かなり何度もアクセスしているように見えたが、bookmark/nikki.htmlをHEAD4回、GET2回というのが最大だった。ま、これでも多すぎるかもしれんが。

実はここ1年ほど新聞をとっていない。(それ以前は2紙とって部屋中新聞紙だらけになってたが)ほぼ毎日電車で通勤という日々が続いていたので、駅で買って通勤時間に読むという生活がつづいていた。(おやじだ...) 冬眠にはいってからは、寝るまえにコンビニで朝刊を買ってくるという生活なわけだ。今日、ふと新聞社のWEBの方を読みくらべてみた(王将戦の結果を知るため)。ううむ、大手3紙はどれも見にくいなあ。とくに毎日新聞がひどい。なんでframeなんか使うんだ。やっぱり新聞は新聞で読むのがただしい。(あたりまえ)

そういや、私は何を読んでいるのだろうか?必ず(金を出して)読むものと言えば

月刊だと

ヤング・ユーはコンビニで立ち読みしてるな。クレアは本屋で立ち読みか。コンピューター関係は最近ほとんど読まなくなったな。

なんか恥ずかしいな。

このmail addressもどっかのリストにのっているらしく、(ま、WEBやってし、newsに投稿することもあるからしかたない)海外からの商売メール(これを「だいれくとめーる」ってよぶのは好きじゃない)がけっこう届くのだが、今日のは「秘密の催眠術を無料で」ってやつで興味ひかれちゃった :-)他人をおもうままに動かしたりできるようになるそうだ。


1997/02/15

ひさしぶりに塾。関大、関学あたりに合格した生徒が大喜びで挨拶に来ている。さすがに1年前に偏差値40台(それも下の方)でどうにもならないと思っていたやつが合格しているのには驚いたね。今年も入りやすかったのかな? 全部の結果を知ったわけではないが、まずまずであろう。やはり努力は大事と生徒から教えられた次第である。

(☆☆☆☆)

Frygt og Beaven

深夜中華料理屋で新聞片手にビールを飲みながら食事していると、オウム裁判の岡崎と早川の供述に関する記事が目に入り、猛烈にイヤな気分におそわれ、にもかかわらず、何度も読みかえしてしまう。食事中ずっとその紙面を眺めていた。

リアル。自分が1匹の動物としてじたばた動く坂本弁護士の首を締め、泣きわめく女性の口を封じ、ぐったりとした子供に布団をかぶせた感覚。記事を読む自分の体内でアドレナリンが出るのを感じた。口がかわき(ビールを飲んだけど)、体温が上り、汗ばんでしまった。交感神経おそるべしふたたび。

これは、バクシーシ山下(だっけ?)という人の強姦もののAVを見てしまった後と同じ感覚なんだな。

私はとりたててオウムの事件を詳しく調べようという気にはならないのだが、もしああいう人間関係にまきこまれてしまったら、ああいうふうに行動しなかっただろう、とはとても言えない。恐怖と(それに刺激された)アドレナリンがあれば人間はなんだってするもんだと思っている。あまりに恐しくて、記事を集めようという気にはなれないのだ。(それにあれは「宗教」とはあんまり関係がないだろうという印象があって。むかしの左翼のゲバなんかの方がずっと近いよな。)

従軍慰安施設だとか、戦場での強姦だとか、バクシーシ山下のAV撮影現場だとか、オウム首脳会議だとか、そういう場で私はそれを止めることができだろうか? すくなくとも私は手を汚さずにいられるだろうか? すぐにその場を離れることができるだろうか?

(いちばんありそうなのが、その場を離れてあとで「もったいないことをしたかな」と意味不明な後悔をし、「皆は私のことをどう考えているだろうか」とおびえるってやつだな)

あんなふうな恐怖によって支配された狭く緊張した人間関係のなかにおかれてしまえば、(他との確執とか、ミエとか、そういうものから)「やるしかないと思う」と最初に発言するのは自分であるような気がするのだな。(あるいは逆に、最初からハスに構えてしまって、それによって誰かがそういう極端に走るのを誘発してしまうか)

私って本当に暴力が恐いのね。暴力を想像しただけで思考力がしびれる。(いや、アルコールのせいか?)

(なに書いてんだ。やー、こりゃ本気で人格疑われてるな。しかしみなさん、あれ読んで恐くなかった?)

同じ感覚をいだいた
おまえの感覚は変だ

1997/02/16

銭湯で初めて西洋系のひとにあった。

暇なのでちょっとHTML原理主義活動。

残念ながら、HTMLのコメントのつけかたが正しくない人がいて、全然本文が読めないという場合もある。

ただしいコメントは<!-- と -->でかこむ。うしろの-->をちゃんと書いていないひとが多い。<!と--の間に空白を入れるのはだめ。(うしろは-- >と空白をあけても大丈夫だけど)

lynx 2.4というバージョンは正しくコメントを制御できないので、システム管理者に最新バージョンに入れかえるようおねがいするべきだと思う。

そういや、HTML 3.2がW3Cの推奨になったようだが、詳しい規格を読んでなかったな。HTMLの国際化に関するRFC2070も今読んでるところ。

<META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html; charset=ISO-2022-JP">
という宣言をヘッダに入れると、Internet Explorerで文字化けするので避けていたが、RFCでちゃんと書かれてるんだから復活させるかな。DOCTYPE宣言も、今つかってる
<!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//IETF//DTD HTML//EN">
ってやつではちとまずいか。
<!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//IETF//DTD HTML i18n//EN">
ってやつにするかねえ。

1997/02/17

lynxの(最終バージョンとも噂される)新バージョンが出たのでmake中。97/02/18 01:24けっこうかかるな、これ。

おわった。97/02/18 01:56

ほぼデフォルトの設定のlynx.cfgを一般ゆーざー用に用意して、自分用には.tcshrcでsetenv LYNX_CFG=~/.lynx.cfgとして環境をととのえる。(これはちょっとヘンだと思うが)


1997/02/18

研究室でひさしぶりに将棋。結果は書くまい。

最近、前にも書いたミシェル・ンデゲオチェロのCD Plantation Lullabies& Peace beyond Passionばっかり聴いている。1996年度1番の収穫だったな。

負けずにGNU RCSをコンパイルしてしまう。~/.emacsとか壊すことがよくあるから、これで安心。HTMLにRCSかけるようなことはしない。

そういや、梅はまだ見てない。もう盛りをすぎちゃってるかな。


前に書いたつもりだったのだが、見つからないので書きなおし。

たとえば、漢字やひらがなをイタリックにするという感覚が私には理解できない。「横倍角」なんてものも同様。

HTMLで地の文をセンタリングする人も多いが、これも理解できない。いったい、地の文をフリーハンドで書くときに日本語を斜体にしたり、センタリングしたいなどと思うひとがいるだろうか?

ワープロ文書でよく見かける○に数字のはいったものも同様。私は非常にかっこわるいものだと思うのだが、好きな人も多いようだ。JISには入っていないので、機種依存してしまうがネットワークで使うひとはあとを断たない。

こういうのってのは、「わーぷろ」とかいうものが普及してから一般的になったように思う。機械につかわれてるってやつだな。ちょっとなあ。

レポートを提出させると、わざわざ原稿用紙にワープロで打ちだしてくるヤツもいる。

(シラフなのでやめた。つづきはまた。)


1997/02/19

英語の非常勤(テスト)。

梅を見る予定であったが....

(☆☆☆)なぜか大西 "鬼指" 順子のライブを聴く。けっこう偏見があった(カワイコチャンピアニストだとか、ヤンキーなんちゃうかとか、スイングしないでゴリゴリピアノを鳴らすだけの女だとか、テクニックだけとか、 etc.) のだが、実物を聴いてぶっとんだ。ステージには茶髪にヒョウ柄のシャツにジーパンといういでたちだったので、ヤンママではないのかと思ったのだが、MCを聞くとかなり知的な人間であるのがわかる。

音楽はとにかく猛烈によい。強烈なスイング感。ベースとドラムもすばらしいし(全然知らない人たちだったのだが)、トリオの呼吸はばっちりだし、オリジナリティもあるし、さらには、観客もよかった(ラグは客層がよいと思う)。言うことなし。おそらく、これまで私が聴いた生演奏のなかでは3本の指にはいるような名演。

前に、最近出たCDを聴いたことを書いた記憶があるが、そのときは1曲しか印象に残らなかったのだが、ううむ。

あと2日トリオでやっているらしいので、京都近辺のジャズファンは必聴、ってここで書いても無駄か。

ま、偏見を脱出する瞬間というのはよいものであるし、よいものをよいと判断できるというのもよいことである。私はまだ若い(あたりまえ)

教訓。一般に、帽子をかぶっているベーシストにはマラカイ・フェイバースが入っている(意味不明)

なにかを学ぶためには、まず間違わなければならない(Bernard Williams)


1997/02/20

ちと無念なことがあったが、今日は飲まない予定。

LYNX 2-7が複数のbookmarkファイルを持てるようになったのでためす。うむ。なかなかよいではないか。これで、ぐしゃぐしゃのbookmarkから解放されるか?(無理だろな)。


1997/02/21

lynxのmulti bookmarkをどうやって使えるようにするのかという質問がきた。

まずlynx.cfgで

DEFAULT_BOOKMARK_FILE:./wwwdocs/bookmark/bookmark.html最初の./に注意。MULTI_BOOKMARK_SUPPORT:STANDARD BLOCK_MULTI_BOOKMARKS:FALSE
~/.lynx.rcでは
sub_bookmarks=standard multi_bookmarkB= multi_bookmarkC=./wwwdocs/bookmark/comp.html,Computer Related multi_bookmarkD=./wwwdocs/bookmark/nikki.html,Diary Related multi_bookmarkE=

のようにする。(~/.lynxrcはlynxのオプションメニューから変更した)

bookmarkをおくディレクトリはあらかじめ掘っておかねばなりません。

./~lynxrcだけでは十分に好きな設定にできないため、ほぼデフォルトの設定のlynx.cfgを一般ユーザー用に用意しておいて、自分用には~/.lynx.cfgというファイルをつくり、.tcshrcでsetenv LYNX_CFG=~/.lynx.cfgとしている。lynx -cfg=~/.lynx.cfgとしてもいいんだろうけど。

現在の実際につかっているlynxの設定。(シンボリックリンクを張っている) lynx.cfg~/.lynxrc


1997/02/22

前日は予餞会で鍋を食い、1次会で抜けて上洛している友人と飲む。賄賂について考える。

飲みすぎで瀕死。二日酔いで塾。


1997/02/23

本読んで一日が過ぎる。ひもじい。

クラリスワークスの アップデータがあったので、4.0v2というバージョンになった。「ハングアップしなくなりました」という記述はなかったが、どうなんだろう?安定性が一番重要だと思う私は4.0v1は全然使っていなかったが、なおっていたら使ってやろう。まあ、まだネットワークでバグフィクスを配布するぶん好感がもてる。とりあえず家計簿を復活させてみるか。

この春から夏にかけての目標は、「ゴキブリさんと会わない生活」である。夜中になってから水場まわりをいろいろやって、ホウサンダンゴをしかけておいた。

ついでに押入を覗くと、数少ない服が痛んでいる。ううむ。どうも私には人間生活の適性が足りないようだ。まあ一般に、来年度は人間らしく生きることを目標にしよう。


HTML原理主義と『奥のほそ道』の関係について悩む。(こんなことに悩むのは世界広しといえども私ぐらいしかいないだろうと思うとけっこうおかしい)表記その他についてご指導いただいたのだが、一番の問題はインデントななわけだ。


     終宵嵐に波をはこばせて
       月をたれたる汐越の松 西行

といきたいわけだな。おとなしく<pre>使えばいいわけだけど。ううむ。2byteの空白も使いたくないし。むう。

HTML 3.2の規格を読むと、詩なんかは<pre>を使って表記することを考えているような節があるようだ。発句や歌はすべて<pre>で囲んでしまえば整合的か。

関係ないが、HTML 3.0で使えそうになった<fn>(だっけ?footnoteとかnote)とかが結局採用されなかったのは非常に残念なことだと思う。(実はlynxでは実装されているような気がするが)

(☆☆)一般に、人間という動物が巣のなかで一匹だけで睡眠をとる期間は、この動物の生存期間の何割に及ぶのであろうか?

現代の日本の一人暮らしの独身男性がコタツで寝る日数は、平均して1年の何%に当るだろうか?独身女性と比較した場合どうだろうか?

コタツやストーブ、電気毛布といった暖房器具の普及は現代人の性生活に影響を与えているだろうか?


1997/02/24

小人閑居再為不善。


1997/02/25

喫煙の習慣をするどく(谷岡やすじ風)非難される。バーなどで話す声が大きすぎるところもまたきびしく非難される。むう。私ってそんな声でかいか?(って、これ読んでるひとは知らんわな)


1997/02/26

しまった。今月はあと2日しかない。

昨日その筋の人にお話をうかがったところ、「買春」をカイシュンと読むのは(その筋では)かなり一般化しているらしい。センス悪いなあ。どうせ新しい問題意識(?)とかそういうので行くのなら、「春」なんて風雅(?)な表現ははずして、「買性」とか新語を作った方がよいのではなんてことを思った。(うーん、いい言葉が思い浮ばないなあ)とりあえず売るだの買うだのをはずして性売買とかじゃダメか?だめか。

pedophiliaは「ペド」で大丈夫なようだが、これは一般的な省略なのかどうか聞きそびれた。

さて、そろそろ運転免許証をなんとかしなければならない。去年の10月に有効期限が切れてしまい、そのまま放っているのである。(もちろん運転はしてない) 6ヶ月までは「うっかり失効」というやつで、試験を免除されるという特典があるので、これは逃すことはできない。

これは「失効」なので、新しく免許を取りなおすことになる。実は前の書きかえのときも失効してしまって、4月26日に駆け込んでなんとか発行してもらったのだ。いやはや。

どうも知りあいが自動車をほぼタダでくれるという。5年落ちのトヨタターセルっていってたかな。大昔カローラIIなんて車に乗っていたこともあって、あそこらへんは、手軽で悪い車じゃないと思う。31歳男性には似合わないかな?

ううむ。しかし駐車場代が出ないよ:-)維持費もけっこうかかるし。でもせっかくだしなあ。

[某所に隠されていた書き殴り]

ひさしぶりに「アダルト」関係のWebめぐりをしてみる。いや、しかし多いなあ。

そのなかで(lynxなので:-)文章だけで面白いところを探すわけだが、まあそれほどあるわけではないな。想像力の貧困。まあ、セックスという対象が陳腐なものだから表現や省察も陳腐になるわけだな。

陳腐なネタを面白く読ませるには訓練が必要だし、普通のひとはそういう訓練を受けてないからしょうがない。もっとも、その訓練は、べつに美文を書くんじゃなくて、定形を避けて「単に正直に書く」ってだけなんだろうけど。いや、私も訓練してないからわからんが。

しかし、相対的な数は少ないけど、「書ける」ひとはいることはいる。そいうのはたしかに表現へのやむにやまれぬ「パトス」ってのを感じるよな。

まあ、個人的なネタについてはいろいろ書き殴ってみたいという欲求があるが、ダメじゃね。いくらなんでも「実名」じゃ書けない。

かといって、匿名なら面白いものが書けるかというと、つらつら考えるに、そういうわけでもなさそうだ。"yonosuke"というハンドル(昔BBS時代につかってたネコの名)で、どっかのサーバーに間借りして書くということを考えてことがあるんだけど、そんな仮想人格を使って書くようなものになんらかの意義を感じることができるだろうか?

ん?ちとおかしいか。

ペルソナを使うことにすればほぼなんでも書けてしまうのかもしれないが、なんでも書けるということは何にも書けないのといっしょなのだな。(ううむ、言葉遊びに近いか?)

この文脈では、ふつうは主に「発言の責任」とかそういう対人・社会的なことが問題になるんだろうけど、もっと基本的な書くことへの欲求そのものに密接に結びついているんだと思う。

私自身がWeb日記の類を読んでいて一番気になるのが「リアルさ」で、なんでも書けてしまう場合はそういうリアルさが薄れてしまうような気がする。ある程度のワクが必要なわけだ。そのワクのなかでジタバタしているのが読んでいる方としては興味をひかれるところなんだから。

ううむ、私はそんな反省的に書き殴っているのか? :-)ちがうよなあ。

まあ、世の中には表現されずに墓場まで持っていかなけばならないこともあるっちゅうことなのじゃろう。あたりまえ。

今日もまとまらなかった。頭悪いな。わし。

そろそろ「遊び」の時期はおしまい。堪能しました。さて勉強勉強。

余談だが、上のアダルトWEBまわりで興味ぶかかったのが、http://home.highway.or.jp/yes96/で、まあ内容はアレ(ってなんだ?テレクラとかそういう系統ですな)でかなりdisgustingかもしれないので、そういうのがお好きでない方は見ないことをおすすめするが、「小説」を読んでおかしかった。私と同じ大学同じ学部(?)ほぼ同じ学年(1こ下かな?) らしく、出てくる場所なりイベントなり時代背景なりがよくわかる。へたすると共通の知人もいるかもしれん。こんなことをやっている人と同じ時空間を共有していたであろうと思うとなんだかおかしい。人生いろいろ。


1997/02/27

勉強、勉強。しばらく禁酒。


1997/02/28

児玉君といっしょに研究室のコンピューターいじり。

現在97/03/01 03:45。むきー。ぜんぜん終らん。

なにをしようとしているのかというと、ハードディスクがぐしゃぐしゃで、容量が足りないので、パーテーションを切りなおそうというわけだったのだが、CD-ROMやらなんやらがうまくつながらず、まだMS-DOSを入れ、WINDOWS3.1を入れている途中。その途中でもマイクロソフトのさまざまなトラップにかかり、死にそう。

ぐえー、adaptecのASPI4DOS.SYSがない。最悪。

現在97/03/01 05:26。どういうわけか、adaptecのSCSIボード用AHA15442CF(だと思う)のドライバが入ったフロッピーが見つからず、事態は最悪の状態を迎えた。CD-ROMが読めないのでWINDOWS95も入れられない。きゅう。児玉君と二人で研究室をひっくりかえし、しょうがないのでヤケ酒を飲む。あー、予想はしていたのだが。

なにやらもはや殺意に近いものが自分の内部にわきあがるのを感じずにはいられないが、対象がわからない。それはマイクロソフトかもしれず、研究室にこのマシンを入れた業者かもしれず、こんなものを購入した人々かもしれず(私は購入にはたちあってない)、あるいはコンピューター業者すべてかもすれず、あるいは機械製品すべてかもしれない。(ま、自分のバカさかげんなのだろうが)

しかし私の生霊まで私と同じくらい分別があるかどうかはわからない。3日以内にビル・ゲイツ氏が原因不明の病に倒れたり、国内外のコンピューター関連企業が一斉に紅蓮の炎につつまれたり、これを読んでいる人のディスプレイが火を吐いたり、お気にいりの日記が読めなくなったりした場合、それは私ではなく私の生霊のせいである。庭先で弓音を鳴らしたりするとある程度の効果があるそうなので、心あたりのある方面はご用心されたい。

児玉君から、書き殴りにアダルトヴィデオだのアダルトWEBだのを見たということを書くのはよくないというありがたい忠告をいただく。むう。


1997/03/03

PCが動かなくなってしまったのは、SCSIドライバのソフトがないからなのだったが、調査によると、もとからフロッピーはなかったことが発覚! つまり、業者が納入したときにボードだけ入れて、ソフトは不正なものをコピーしていたわけだ。 だからマニュアルもない。ぐがー。信じられん。激怒。

とりあえず、この業者は私は前から個人的に出入り禁止宣言をしていたのだが、もう絶対敷居をまたげないようにする予定。もはや大学正門から入れないようにしたいものだ。

そういうもんだ
君は悪くない

1997/03/04

ま、そういうことがわかったのは、マニュアルさえないことに気がついた私が、「電脳工房」というその業者に電話してのことである。

今日大教授に報告すると、「あ、そういや、最初のときに、『SCSIが動かない』とかいってこまってたよ」ということであった。推察するに、見積りをたてて商品を納入してから、SCSIソフトが必要なことに気がついて、あわてて適当にコピーしたのであろう。許せん。(Adaptecのものだったと記憶している)

とにかくその電話では、私は業者のふゆきとどきを責め、すぐになんとかしろと要求したのだが、業者は「それじゃ、アルバイトにもっていかせます」ということであった。(「どんなドライバでもいいですね?」と訪ねていたので、フリーのやつでももってくるつもりだったのだろう)

しかし、「非常に急いでいる」と念を押しているにもかかわらず、今日になっても届かない。

結局どうしたかというと、本日SCSIソフトのEZ-SCSI 4.0JとWINDOWS NT 4.0を校費で購入してなんとかなりそう。ううむ。

くりかえすが、その業者は奈良と京都に拠点をもつ「電脳工房」である。無知蒙昧も悪徳の一種でかもしれないと思うが、それを騙すのはさらなる悪徳であると思う。

しかしまだ(97/03/04 23:50)移行は完成していない。いったんNTのインストールには成功したが、ネットワーク関係の設定がうまくいかない。いまだにマイクロソフトの意外なトラップにはまりまくっているのである。しくしく。

児玉君が友人からもらってきたフリーのASPIドライバが結局役にたった。DOS → WINDOWS 95 → NT という順番で入れなおしている。現在(97/03/05 00:25)95が終ったところ。97/03/05 00:49現在、MS Officeのインストール終了。NTはどうするかなあ。

ふう、とりあえずNTもインストールに成功したが、やはりネットワークにつながらない。なぜ? どうもSound Blasterのカードと、ネットワークアダプタがぶつかっているような気がする。ぬぐ。SOund Blasterなんていらないんだって。ぐおー。ま、今日はここまで。

貧乏と疲労困憊ををみかねた債権者さまに夕食をおごっていただく。


1997/03/05

なんとかNTがネットワークにつながった模様。やれやれ。ネッワークアダプタのIRQとRAMのアドレスを変更したらどうにか動くようになった。

アーカイバ関係もインストール。FTPも例のやつ。

mailもal-mailと、al-userというソフトでかなり楽になったし、telnetもtera termでかなりまともにできるようになった。(このソフトはかなり使いやすいと思う)

む、めでたし。これでほぼ任務終了じゃな。問題は、「ログオン」するというNTの考えかたにみんながなじんでくれるか。

ま、これで苦しみの日々もほぼ終りじゃな。ほんとうはWINDOWS 95は消して、ファイルシステムをNTのものにしたいのだが、あまり先走りするのは好ましくないじゃろう。(だいたい消しかたがわからない。マイクロソフトのことだから何するかわかったものじゃない)

ところで、ちょっとだけTIPSだが、ソフトウェアのインストール等がうまくいかない場合は、人事をつくし覚悟をきめた上で、コンピューターに向って、

「これでうまくいかなかったら、どっちかがこの窓(3階)から落ちなきゃなんないな」
とつぶやくとよい。これでうまくいかなかったことはまだ一度もない。

1997/03/06

あいかわらずWINDOWS NTをさわっているのだが、今度はCD-Rを読めないということを発見。うが。もう勘弁してくれえ。

これは研究室のPC利用の中心になるものなので、ほうっておくわけにはいかない。対策として、WINDOWS95上でCD-RからMOにコピーしてしまおうとしたのだが、どうもプロテクトがかかっている(?)のか、コピーに失敗してしまう。てめー。

しょうがないので、販売元にメールを出す。英語でメール書くのはいやだなあ。ま、気合いが伝わればなんとかなるじゃろ。

むう、早い。3時間ちょっとで返事をくれた。プロテクトしているわけではないらしい。特定のファイルは読めないかもしれないが気にする必要はないと言われた。なんとかインストールに成功。

1997/03/07

大学行ったり、マイクロソフトのトラップにかかったり、お好み焼きを食べたり、借金のおねがいをしたり。

大学の研究室などでソフトウェアのライセンスを正しく扱っているところはどれくらいあるだろうかなんてことを考える。倫理学研究室では正規利用原理主義者がいるのでいまのところまずまずまともになっていると思うが、来週新しいPCとMacが入るときは大丈夫だろうか?

むう、あんまり書くとまずいのかな。

うちの会社/研究室は正しい
不正なものもある

(機密は厳守します:-)

「ザベ」のアナログ学者の文章を読む。オンライン版もほしいぞ。来月は「日記者」の生態について書くらしい。面白い文章を期待している。


1997/03/08

お勉強お勉強。

昨日ひっかかったトラップは、Access95で宛先シールが打ち出せないというものだったのだが、これはMicrosoftのページで修正版を配布していた。ううむ。

ついでにPCのディスクをNTFSにしてしまう。「いらんことしい」な感じもする。

(☆☆)ところで、クローン羊に関してメールが舞い込んだ。(私にこういうお勉強ネタをふってもあんまり役にたたないと思うんだけど)

はじめまして。

最近、クローンが話題になっているのでWWWで検索を繰り返していたところ、このHPにたどりつきました。クローン人間の製造が倫理的に問題があるといわれていますが、何が問題になっているのかよくわかりません。「人は人格の主体であって尊厳である。」という命題から、「ゆえにクローンをつくってはならない」という結論がどのようにして導かれているのでしょうか。おそらく、クローン人間の扱いに関する問題(胎児の段階で殺してよいか、人権の享有主体か等)とは区別されて議論されていると思うのですが、製造自体の問題点というのがよくわかりません。簡単に教えていただけませんでしょうか。「この本に書いてあるから読め」というような図書の推薦でも結構です。

今後、生態系にどのような影響があるか十分に研究されていない段階、あるいはクローン人間が実際にできてしまった場合の扱いが検討されていない段階であるから、研究を少し待て、というのでしたら分かるような気がします。それとも、人口が増えて食糧が不足するとか、既存の人間よりも優秀なクローン人間が既存の人間を駆逐するというような(アニメでありそうな)何かの危険性故にクローン製造がいけないといわれているのでしょうか。

あっちこっちの新聞とかに論評が載っているだろうし、加藤大教授もどっかの新聞(読売だそうです)に論評するみたいなので、興味のあるひとは見てほしい。

クローン人間の倫理的問題点については、とりあえずジョナサン・グラバー『未来世界の倫理:遺伝子工学とブレイン・コントロール』(産業図書)がおもしろいと思う。(うちの研究室で翻訳したやつだ)39ページからクローンについて議論されている。

まあしかしそれだけではちとナニなので。(実際、専門に関係していることは書きにくいんすよ)

グラバーが一人のクローン人間を作りだすことに対して直接挙げている反対理由は、

の一点のみ。この問題がたいしたことがなければ、クローンに反対する理由はないかもしれない。

もっと大量のクローンを作りだすことに対しては、

という理由を挙げている。

(☆☆☆☆) こっから私のコメント(シラフで書くのは難しいので)。

実際、クローン人間を作るということそれ自体に対する有効な反対理由を考えることはそれほど簡単ではない。

今週号の『ニューズウィーク日本版』はクローン人間の特集だが、これではかなり正しく事態を把握していると思われる。遺伝子がまったく同じでも、まったく同じ人間(人格)ができるわけではない。環境の影響が大きいのである。レイちゃんを水槽にたくさん飼っておきたい人もいるかもしれないが、同じ正確のひとびとを作りだのは至難の技だろう。(それは一卵性の双子が同じ性格にならないことでもわかる。)

んじゃ、なんで私たちはクローン人間に嫌悪を感じるのか。

上のメールで、「人間は人格で尊厳をもってるんだから、クローン人間をつくっちゃだめだよ」という意見について触れられているけど、もうちょっとわかりやすくすると、人格とみとめられるような存在には独特の尊厳があって、そのひとのことを配慮する(「目的としてとりあつかう」)べきであって、単なる手段として 扱ってはいけないんだ」という考えかたがあるわけだ。(全然わかりやすくなってないか)

これはカント大先生というエラい人が言ったことをもとにしているとされる。

カント先生の論証はむずかしいし、問題も多いから、まあちょっとワキに置くことにして、「他人を単に道具としてあつかう」ということに対して私たちが感じる道徳的な反感はけっこう大きいものがあると思う。

たとえば買春でもいいや。他人を電動フグ(ってなんだ?)同然にあつかっちゃってるから、「相手のことを考えて」するセックスとはちと違うわけだな。

「あなたは私の体だけが目的だったのね」「君はオレのことを道具にしてたんだな」と怒ったことがあるひとも多いにちがいない。

ということをおさえて、人間を作りだす手段はさまざまあるのに、わざわざクローン技術を使う理由を考えてみよう。

クローン羊はどういう目的で作られたのかというと、新生児に与えるよいミルクを作りだすためだったらしい。つまり人間の新生児が必要なアミノ酸を十分含んだ羊の乳を作りだすことができれば、まあいろいろ役にたつじゃろ。

で、遺伝子操作でそういう乳を出す羊を作りだして、それをクローンで数を殖やせば非常に便利なわけだ。

実際植物なんかでは、そういう作業をしているわけだよね。

で、それじゃわざわざクローン人間を作る理由を考えてみる。わざわざやるんだから、それなりに有効な利用法があるのだろう。よく指摘されのが、臓器移植なんかに利用するってやつだな。同じ遺伝子をもっているなら基本的に拒絶反応とかが起らないので、完璧なドナーになりうるわけだ。

これに近い話はけっこうあって、先天的な障害を負っている子供を救うために、もうひとり子供を作るというカケを行なった親もいると聞く。(これは骨髄だったと思う) この場合、「完璧なドナー」を得ることができるかどうかはある程度偶然なのだが、もしクローンできれば申しぶんないわけだ。

さて、こういう別の目的のために人間を作りだすということがワシらの道徳感に触れるんじゃな。「それじゃ、あんたはその目的のために子供を作るんだな」ってわけだ。

しかし、これもちょっと反省してみるとそれほど簡単じゃない。だいたい子供なんてものは、なんらかの目的のために作られていることが少なくない。「老後の保証のため」とか「彼をつなぎとめるため」とか「ひとりでさびしいから」「彼の面影を」「親が望んでいるから」「家系の存続」「彼がコンドームつけないけど、断わると殴られるから」etc.

はたして、こういう目的のために子供をつくることは道徳的に許されないことだろうか? 「許されん」と言うひとも結構いるような気もするが、私自身は「そういうもんなんだ」という印象がある。少なくとも、その「意図」をめぐって法的に禁止したりするべきではない事柄だろう。

では、クローンをわざわざ作る意図にはどんなものが考えられるか。骨髄移植のためにふつうの仕方で子供をつくるのと、なんらかの技術をつかって作るということとの間にあるのは、「意図」の違いではなく、技術の違いだ。

まあ、それでは、「意図」はともかくとして、「技術」をつかって人間をつくりだすのは許せん、という考えかたもあるじゃろ。このタイプの反感を感じるひとは、体外受精なんかに対しても反感を感じるはずだ。

むう。

では、体外受精なんかは大丈夫だけど、クローンだけは許せん、という理由を何か考えてみよう。

  1. まったく新しい技術である
  2. 同じ遺伝子をもった人間は、(天然の)双子だけであるべきだ

まったく新しい技術だから、それを使ってはいけないなんてことはありえない。 もちろん、上のメールの方が指摘しているように「まだよくわからんから」やめようという意見は強力なものだと思うが、その程度のものである。

やっと核心。じゃ、「同じ遺伝子」をもった人間をつくりだすのがいけないとすれば、それはなぜだろうか。

実は、これについては、私にはよい理由が思いつかないんである。わざわざそういうことをしようとする意図が往々にして邪悪なものである、という主張はなんだか説得力があるようでないようでよくわからない。ヒトラーと同じ遺伝子の人間を30人つくって、なにか意味があるかというとありそうにない。彼はひとりで十分だろうし、30人いたって別にたいしたことはできないだろう。ファシストを作りだすのなら、わざわざそんなことをしなくてもふつうのひとに対して「教育」した方がよさそうだ。元プリンスやアインシュタインと同じ遺伝子の人間を30人作れば? (「あなたの家庭にも一人元プリを!」)これは私自身ちょっと魅力を感じるが、やはり、実際にはとてもよい結果がでるとは思えない。これもむしろ「英才教育」した方がよさそうだ。そしてなにより、クローンで作られた人間であるからといって、その人が他のひととなにか道徳的権利において違う点は考えられないのだから。(だから家に元プリを一人飼って、奴隷として私のためだけに音楽をつくらせるなんてことは考えられないし、私の臓器が痛んだときにクローンから臓器をとったりることは許されないじゃろ。)

頑強な兵隊を1万人作ることについても同様。

それじゃ、「自分の後継者に、自分と同じ遺伝子のやつを」と考える独裁者や金持ちはどうか。うーん。同じ遺伝子が同じ人格をもつなんてことはまずありそうにないのだな。そのひとは私とは(同じような顔つきかもしれないが)全然別の人間になっちゃいそうだし、私の意志とかを尊重してくれそうにない。

んじゃ、他になにがあるだろう?

私自身が感じる嫌悪感を分析すると、それは、「自分自身と同じ遺伝子の人間をつくりたい」という人がいたとした場合に、その人に対する嫌悪感なのだな。「えー、なんでそんなことしたいの?ナルシストちゃう?ふつうに子供つくったらいいんじゃない?なんか人間関係うまくやれない人なんちゃうか?」ってやつだ。そもそもその意図が理解できないかもしれないな。むしろ、ここらへんが本音に近いかも。

やはりグラバーが言うように、わざわざ作りだした「特別」な子供は、それなりの「特別」な心理状態におかれるだろうし、それはあまり「よい」影響を与えるものではないかもしれないというつきるかもしれない。

「やーい、クローンだ」といじめられるのはやっぱり耐えられないじゃろ。元祖「試験管ベイビー」であるルイーズちゃんはそろそろ17、8になっているはずだが、彼女はどう暮しているのだろうか。

あんまりおもしろくなかった。すまんす。また次。

なんてことを研究室で書いてたら、大御所がいらっしゃったので逃げ帰る。 ま、暫定的な結論としては、そんなに悪いことはないけど、わざわざ作る理由はないじゃろ、ということになる。もちろん、クローンで作られたからといって、我々の自由に扱っていいものではないというのは重要。

たとえば、クローンで子供をつくってわざわざ人工妊娠中絶してそれを移植などにつかうという可能性もあることに気づいた。ま、これから寝てから書きます。97/03/09 08:18

ちなみに、HPという表記はやめましょう。


1997/03/10


1997/03/11

読書会のあと、某助教授にたかる。


1997/03/12

WINDOWS NTのアクセス権の設定はよくわからん。マニュアル本を見てもよくわからん。なんだかバグがありそうな気もする。

だいたい、

su foo
chown foo bar.txt
のようなことをどうすればいいのかわからん。私の頭がわるいんじゃろか? (なんかそんな気がする)

しかしお金にこまった。なんか売るものはないかな。テレビ、ヴィデオ。うーん。テレビやビデオはめったに見ないけど、ないと困ることがありそうだな。ラジカセも売れないし。MacもFAX電話も必要だしなあ。CDや本はあとで絶対後悔するしなあ。CDは一度だけ売りはらったことがあるんだけど、今だに後悔してる。ベース、ギター、フルート、エレピ。

とりあえず研究室付近の方、ギター買わない? Fender Japanのストラト(楽器屋で3〜4万円で買えるやつ)。サンバースト。1万円。ソフトケース付き。江口愛用のピックをサービス:-)

今月は一瞬も電話がとまらずにすんだ模様。実に1年ぶり?

少し前に、あるところへFAXが送れないので問いあわせると、
「えーと、そちらさんはいんすで接続してますか?」
「む?・・・(はっ!)・・・や、INSではないです。ふつうの回線でありんす」
という会話があった。

昨日は某偉いひとが「ぐいってのは」
「は?「ぐい」ってグラフィカルユーザーインターフェースってやつですか? GUIってそう読むの?」

それにしても、INSを「いんす」と読むってのはなかなか意味不明でかっこいい。「あいえぬえす」と読んでも、たった3音節、「インス」と読んでも(そう読むひとは)3音節。もっとも「いんす」と読むひとはINSを6音節に発音してしまうのだろう。

どうも、こういうタイプの読みってのは、マニアの仲間うちの感覚があっていやなものだ。

ホームページをHPと略すに反対していることについてちと問合せがあったが、これもそういう文脈のなかでのことで、HPと書いてあってもふつうは頭のなかで「えーと、ヒューレット・パッカードでもなくホームパーティーでもなく、Houses of Parliamentでもhorsepowerでもなく、high pressureでもhalf payでもなく、ホームページのつもりだな」と考えなきゃなんないので、ふつう使うべきではない。ふつうに「ホームページ」と書けばよいと思う。(もっとも、「ホームページ」って何?という問題はのこるが)

ま、とりあえずそんな読みかたをする人とはおつきあいしない。(某偉い人にはタカるためにおつきあいしないわけにはいかず、「グラフィカルユーザーインターフェースは」と念を押す習慣がつきはじめている。)

おまえのほうがへんだ
おまえの言っていることはわからんでもない

バンドやりたいぞ。

メンバー募集。当方B。コンテンポラリーな感覚の黒人音楽やりたし。アマチュア志向。京都市内で練習。初心者。

なんちゃって。そんな時間はない。


1997/03/13

(☆☆)

研究室にこんぴゅーたーとかいうものが2台とどいたが、(「あぷてぃば」なんとかってのと「ぱわーまっく」なんとかってやつ)孤立したこんぴゅーたーとかいうものにはほとんど意味を見いだせないので今日は触らない。こんぴゅーたーってのは、実は計算機ではなく通信機器なのだな。電卓と電話のどっちに近いかと言われれば、電話の方に近い。ファミコンとポケベルでもポケベルに近い。(この比較は、これを読んでいるひとは当然だと感じると思うけど、けっこう意外なかんじもする。)

どうにかしてイーサーケーブルをひっぱりたいのだが。むう。

読書会を2本。今週は毎日読書会であった。4月からお金持ちになる予定の某氏にタカる。

児玉三等兵は私にメールを1通残して、広島・呉に去った。目的は知らない。巨大戦艦に乗りこんで沖縄にでも行くのではないだろうか。帰りの燃料じゃなくて旅費はあるのだろうか。また会えるのはいつの日か。さらば。

数日前、今年はじめてウグイスの声を聴いたのだが、昨日今日と聴いていない。まだちょっと早かったのだろうか?

ウグイスってのは春先から初夏にかけて、ちゃんと練習して歌えるようになっていく過程を楽しめるのがよい。才能に悩むやつとかもいるんだろうな。

岩倉(京都市の山のなか)に住んでいたときは、裏山(アパートの裏がほんとに山だった)で鳴く鶯を毎年品評して楽しんでいたものだが、さすがにここは一応街中なので、個体を識別することはできない。いや、岩倉だって個体を識別はできなかったけど、とりあえず「今年鳴いてるヤツ」ってのはわかった。「今年のやつはずいぶん上達したなあ」「今年のはダメだ」ってかんじ。

そうか、ここは巣をつくる場所からちょっと遠いから、トリル(じゃなくて、「鶯の谷渡り」か。エッチな意味はない) を聞く機会がないんだな。

私のなかではgood old 岩倉 daysってやつなのだ。あのころは猫もいたし。いや、擬人法(擬猫法?)ではなく、ほんもののネコ。


1997/03/14

春。いろんな香りが空気中をただよっているのを感じる。

昼大学に顔を出す。どういうわけか外付けのSCSIハードディスクが飛ぶ。OmniPageが動かない。WinReader Proは動くのだが。おそらくソフト的な原因。たしかにMicroSoftの製品は品質が低い。前にも書いたが、ワシら文系の人間は「枯れた」技術をつかうのが一番なんだとコンピュータをはじめて買ったときから思っていて、個人的には枯れきったものだけをつかっているつもり。MacだのSUNだのってのはほんとうに枯れきっているので気にいっている。

しかしPCの世界ではそうはいかない。いろいろバグや不満な点があるからバージョンアップせざるをえず、その結果あらたな問題が起る。いやはや。ワザとやってんのか?

とりあえず、全国のWINDOWS NT 1台につき最低10時間/人ぐらいの経費はかかっていると見た。時給1000円で計算しても気がとおくなる。「こんぴゅーた」一般にして考えてみると...

そういうや、Netscapeもそういう会社だな。(バグや不安定を解決せずに新しいメジャーバージョンを出す)

夜債権者さまが雨よけに拙宅にお寄りになり、部屋の掃除状況についてスルドク批判される。将棋。

どういうわけか、血中のモータウン濃度が非常に上昇している。


1997/03/16

土曜、日曜はネットワークが落ちているので更新できないのであった。(でも読みにきている人もいるなあ)

某研究会に出席。奄美大島でアマミノクロウサギを原告に裁判をおこしている弁護士の方々が発表。途中で抜ける。(クロウサギのカブリモノをしてきてくれたらよかったなどという不真面目なことを言うやつがいるが、私ではない。)


1997/03/17

読書会。


1997/03/18

唐突だが、大学生協の会員証は、去年か一昨年のこの時期お金にこまって換金してしまった。たしかにこの時期になると「会員証を見せて」って言われてこまっちゃう。しかし、たしか生協は法律で他の営利企業よりも有利なあつかいを受けているはずで、ま、会員じゃないひとにたいして冷たくあたるのはしょうがないんじゃと思う。

科学哲学の話を聞いて、将棋して某氏にたかる。たかってばっかりだ。将棋を指しながら飲んでいると、あっという間に2時を過ぎている。そのお店にはバックギャモン(兼行法師が好んだ双六だ)もおいてあって、客が楽しんでいる。某氏のリクエストもあり、来年度はバックギャモンを研究室の導入予定。ついに賭博まで研究室にもちこまれることになるか。(将棋とちがって、バックギャモンは賭けないと醍醐味を味わえないよね。)


1997/03/19

銀行のキャッシュカードが1枚行方不明。そうじしても出てこない。これには最後の生活費がはいっているのだが。

というわけで、銀行に行って、最後のおかねをおろし(あんまり少額なので書けない)、「身分証明がないと再発行できません」というお姉さんを口説いてむりやり再発行してもらう。ありがとう、おねえさん。

本日も読書会。なんだか毎日児玉君に勉強を教えてもらっているような気がするぞ。

研究室におかれた2台のマシンを非合法にネットワークにつなぐ計画進行中。つなぎかたが非合法なのではなく、研究室をゲリラ的に器物損壊してイーサケーブルをひっぱるという計画。毎日ちょっとずつフォークで穴を掘るってかんじ。実行犯は某を予定。私も共犯になるかなあ。

SCSIケーブルに悩む。なんだってこんなに色んなコネクタがあるんだ。それに高い。


1997/03/20

今日は休日だったのか。

昨日、各所で話題の村上春樹の『アンダーグランド』を入手。午前中読む。ちょっと分量が多すぎ、「傷」とかそういう村上タームが多過ぎてちと鼻につく。おりしも事件は2年前の今日だったのね。夜読みおわる。

『アンダーグランド』だけど、私にはあんまりリアルじゃなかった。井戸のように人の話を聞き、共感するってのは、村上春樹の初期からの主要モチーフのひとつだったと思う。今回はそれをまっこうからノンフィクションでやったわけなんだろうけど、うーん、うまくいってない感じがするなあ。きっとそれはプライバシーを冒さないようにしたり、話を整合的にしたりするために村上さんが手を加えたせいなんだけどね。もちろん、2、3のうまくいったケースもある。リハビリ中の女性と最後の旦那を失しなった女性のやつ。この二つはもともと村上ワールドの登場人物の資格があるようなひとびとだったからなあ。書きやすかったのだろうか。逆に言うと、この二人がもっとも実在感がない。

もっとも、被害者の視点ってのは私なんかはなかなか気がまわらないところではある。こういう犯罪だったら、ふつうは加害者の方がいろいろ「実存」していて興味深くて、被害者は凡庸な集団っていうとらえかたをしてしまいそうだ。そういうのが彼のエライところだな。(もっとも、やはり私にはたいがいの登場人物が凡庸にしか見えちゃうんだけど。ここらへん、私の感覚が悪いのは前々から気づいている。)

オウムの事件が「理解できないもの」っていう言われかたはよくされるし、村上も(留保つきで)そういうふうに見ているようだ。私にとってはそんなに「理解できない」もんじゃないんだな。(もっとも私はアレを宗教現象ではなく、閉鎖的集団での緊張した人間関係の結果として見てるんだけど)

個人用(?)メモ


1997/03/21

『アンダーグランド』の件は赤尾さんが的確に批評してた。

アンケートにはだいたい30人くらいの人にお答えいただいた。サンクス。まだ答えてない人はよろしく。

マンガは 「岡崎京子のPINK」「快傑蒸気探偵団」 「ビッグコミック オリジナル」「花のO−ENステップ」 「ぼのぼの」「槙村さとるのダンシングゼネレーション(超古い少女漫画です)」「坂田靖子の漫画はどれも人に安心して勧められる。最近文庫になってるし。」「Z(青池保子)、動物のお医者さん(名前忘れた)」 「中崎タツヤのものなら何でも」「Office North Star」「(ミステリー小説)島田荘司『火刑都市』(講談社文庫)一昨日帰省から帰る途中の列車内で 8 年ほどぶりに再読。傑作とまではいかないかもしれないが、力作。」「ヨコハマ買い出し紀行」「寄生獣・愛しのバットマン」「浮浪雲」「天才バカボン」「風の大地」「吉村明美」「吉野朔実」「逢坂みえこ」「榛野なな恵」 「なかはら桃太」「川原泉」「西炯子」「山田南平 「ぼくんち」「バスタード」

音楽は 「矢野顕子のひとつだけ」「キースジャレットいろいろ」 「 声優もの」 「フォーレ レクイエム」「村田和人」「スターダスト★レビュー」「UA」「Baby Face, Johnny Gill, チャカカーンなどのブラコンもの」「今なら、エアロスミスの新譜か、今度出るウルフルズの新譜」「初期の松山千春、ドリカム」「Supertramp」「Brahms: 間奏曲 Op. 117 他」「ヘンデルのメサイア」「keith jarrett」「Screaming headless torsos」「井上陽水奥田民夫」「Judy and Mary」「君が代」「ウェーベルンのパッサカリア「Inti-illimani」


あー、犯罪連絡。犯罪連絡。あとで考えたんだけど、やっぱり、あそこに穴あけるのはうまくいかないんじゃないかな。強度が落ちそうだし、いろいろやってるうちにガラス割りそうだ。むしろワクの角の部分をヤスリで削るか、ノコで切るかした方がいいんじゃないかしら?

あー、業務連絡。業務連絡。

本日の購入品。

  1. SCSIケーブル(pin type - セントロ) 3800円
  2. クラリスワークス(ハイブリッド) * 1 24000円
  3. マイクロソフト ワード for Mac *1 6000円

クラリスワークスは1個しか在庫がなかった。各々インストール終了。スキャナも研究室のPCに接続してOmniPagesも使えるようになりました。VJE-Deltaは在庫なし。

というわけで、現状では研究室のPC上ではマイクロソフトワークスとクラリスワークス、Mac上ではクラリスワークスとワードが使用可能です。

プリンタは設置場所が確保できしだい移動予定。

ついに犯罪計画が実行されつつあるが、なかなかたいへん。無理かな?

メモ(ケーブル類在庫)

  1. SCSI 50pin - 25pin *1
  2. SCSI セントロ - セントロ *1
  3. SCSI セントロ - 25pin * 1
  4. Mac プリンタ (DIN - 25pin) * 1

ふと気づくと、この書き殴りも1周年を越えていた。むう。書き殴りだけでほぼ500KBぐらい書いているようだ。無駄。

というわけで、現在誰が読んでいるかの調査を行ないます。これまでお読みの方も、アンケートにお答えください。


1997/03/22

というわけで、塾は今日が最後であった。10年近い受験産業との関わりも、これで最後かな? そうもいかないかもしれない。

深夜大学。帰ろうとすると、文学部の出口付近で若者が5、6人でシンナーを吸って奇声をあげている。はじめは気づかずに(劇団の練習かと思った)、至近距離に寄ってしまい、ただならぬ雰囲気に若者の右手を見るとビニール袋。

「ぐへへ」
「うぉー」
「らりりるれ」
「るる」
「るれよ」

ううむ。そうか、シンナーってのはこうなるんですかなどとゆっくり観察したり、「シンナーは体に悪いですよ」なんて余計なことを言う危険を冒すつもりもないので、速攻で逃げる。

今文学部付近は工事中で隠れやすい環境なんだよな。婦女子や軟弱な男子(私だ)は深夜大学構内に入らぬがよい。

どうにかならんかな、あれ。京大エンジェルスとかいう自警団ができちゃったりしたらそれはそれでうっとうしいだろうなとも思うが。


1997/03/23

しくしく。ベースのストラップピンが外れちゃった。ネジ穴がバカになった模様。木ネジが飛んでどこいったかわかない。対処方法は?(はずれたのは左がわ。ツノの方。)

(う、しまった。書き方まちがえたのでもう一度よろしく。)

もっと太いネジでしめる
別の穴をあけてそこにとめる

Parliamentの"Flash Light"のベースラインをコピーしようとするが、シンセベースなのでE以下の音も使ってる。くやしい。5弦ベースが流行る理由がわかるというものだ。

以前、某師匠が日記に「江口さんとつるんででかける」という文章を書いたことがある。
「ううむ。ツルむってのは、エッチな意味なんじゃないのか?」
「えー、んじゃ辞書ひきますよ」(彼は辞書愛好家のようである)
「1. 交尾する。 2.つれだつ」
「むう。やはり。君と交尾したおぼえはないよ」

ストラップの件の犯人は私か?ごめんごめん。記憶にはないが、触っていいかげんにかたづけたおぼえはある。おわびの印はいずれ。

夜、上の某師匠とオフラインミーティング(とは言わないか)。


1997/03/24

(空白の1日)

97年度書き殴りシラバス

主題

江口(1965- )の個人的生活と思想的発展を概観する。

書き殴りの概要

さすらいの非常勤講師、江口は20世紀後半から現在までなんとか生きのびているろくでなしの一種である。「書き殴り」とは、「江口とはなにか」「江口はどう生きるべきか」「どのような江口がよい江口か」「我々にとって江口とはなにか」といった江口がつねに直面している問題に関する非体系的・日常的反省である。本書き殴りは、江口の日常生活を題材にとりあえながら、上の問いに対するさまざまな答を吟味していく。

書き殴りの方法

気分にまかせて書き殴る。

書き殴りの順序とポイント

基本的に江口の現実の日常生活に従うが、追憶や読書感想文などが含まれることがある。ウソをついたり、表現をぼかしたりする場合があるので注意が必要である。

テキスト

なし。参考文献は書き殴りの進行にあわせそのつど紹介する。

評価方法

ときおり行なうCGIによるアンケート調査による。

読者への希望

あらかじめ書き殴り宣言と過去の書き殴りを読んでおけば理解が深まる。また自分でホームページを書いているひとは、HTML原理主義宣言も読んでおいてほしい。

既に読んでいることが望ましい日記群

特にないが、参考として日常的に読んでいる日記を「読んでいる日記」に挙げる。


1997/03/25

寝不足。自由意志読書会。ひきつづき、第一回哲学授業法大研究会。

(☆)某氏と二人で、来年度のシラバスだの去年のレジュメだのを見せあって、あーだこーだと授業方法について意見交換。

こういうのは意味がないという向きもあるかもしれないが、切実な情報交換でもある。

哲学の授業ってのも、古典落語みたいに、マクラもクスグリもサゲも一言一句フォームがきまっているのがあってもいいような気がするな。Mのころから前座として「頭山」「たらちね」みたいなんからおぼえはじめて、「子別れ」や「芝浜」あたりが十分に語れるようになれば真打ちとか。

む、落語界とこの業界はいろいろ近いものがあるぞ。私はバレ話専門の才能ない前座か二ツ目?

そういや、『落語としての哲学』って本があったな。未読。

月例のもよおしとして、携帯電話がとまっている。


1997/03/26

読書会。

プリンタ切替器を買ってきて、研究室と加藤研の接続。でも、こんなもの使わなきゃなんないのはちょっと古いよな。ほんとはネットワークで共有ってのが正しいんじゃろけど。非合法計画は頓挫している。鍵がなければはじまらん。鍵まで壊したらほんとに犯罪じゃからのう。ここらへんは某助教授の政治手腕に期待があつまるところである。


1997/03/28

(☆☆)

WORD97とかいうものが研究室に導入された。まだ使用していない。どうせバクバグにちがいないという予断があるが、はたしてどうか。最近湯水のように研究室の予算がコンピューターに投下されているのだが、コストに見合うものがあるかってのは疑問。しかし、投下しないとバクバクでそれまでの投資が無駄になるしねえ。最悪。「世界からコンピューターをなくす会」ができれば参加するが。

「バージョンアップするがよい。そうすれば君は後悔するだろう。バージョンアップしないがよい。そうすれば君は後悔するだろう。バージョンアップしても、バージョンアップしなくても君は後悔するだろう」(出典はあれ)ってわけで、世界は『あれか/これか』でどっちみちダメなのである。

就職した某友人に飯をおごってもらう。元気そうであった。

彼は関西生れの関西育ちだが、「東北はよい!」らしい。ふーん。あんな寒いところは私はヤだけどね。

彼と私は同じ31歳なので、どうしても話は「結婚とは」ってのになる。そんなにいいモノかなあ。よくみんなしてるなあ。えらいなあ。(いや、束縛とかそういう次元の話ではなく、もっと基本的な自分に対する信頼とかの問題。これじゃよくわからんな)

哲学授業法大研究会のために、8ミリヴィデオとか欲しいなあ。研究室の予算でテレビとカメラ買ってくれないかなあ。あ、出先で借りればいいのか。大学なら1台ぐらいはもってるよな。ふつう。

前にも書いたことがあるかもしれないが、以前に行ってた塾では、ヴィデオで自分の授業を撮影することができて、これはけっこうよかっったのである。口調や体の動かし方とか、自分の色んなクセを見ることができる。(もちろん愉快なものでないけど)おかげでセルフイメージがずいぶん変った。

できれば自分の部屋にも1台ほしいくらいだ。(ろくなモノは写らないだろうけど)

去年は授業内容のメモを残そうとして、結局とちゅうでポシャってしまった。今年はなんとか記録を残したいが、どうかなあ。けっこう勇気がいるよな。こういうのって。

どうも、私はなにか書いたあとに限定をつけるという順番で書くことが多いようだ。A, though B、という順番だな。これは書き殴っている以上避けられないかもしれん。

春のせいか、あちこちの桜の木や人間の頭がピンク色になったり、その他いろんなことが起きている模様。春恐るべし。春退散。春禁止。


1997/03/29

読書会。これでお勉強月間はおしまい。

結局、WINDOWS NT 4.0は使いものにならないという判断。WINDOWS 95に戻す。いやはや。もう触らんぞ。2万5千円返せ。私の金ではないが、あんなものを売っている会社は許しがたい。「バグだらけです」という読者さまの御意見は承知していたのだが。判断が甘いことを反省。

このまえの木曜の夜、NHKでFUNKな人々のビデオを流していて、ひさしぶりにテレビを見た。ブーチーが動いているのは初めてみたっす。(JBはいろいろ見たことがある)けっこうなP-FUNKファンを自認しているのだ(CDは20枚以上もってるだろう)が、ライブのビデオを一度も見たことがないことを思いだした。十字屋やTowerやVirginとかではみかけないので、別のCDとかを買ってしまっていたのである。

昨日ひさしぶりに大学の近くの中古レコード店に行くと、あるじゃないですか。3000円ぐらいから。買えない :-)しかしせめてEarth Tourぐらいは見てから死にたい。


1997/03/31

陽気に誘われ散歩。ふと気がつくと寺町の電気屋街にいる。
「明日から消費税アップです。みなさま、お買いもらしのないよう!」
「売りつくしセールス中です」

「そろそろMO買わなきゃな。230Mのが4万円ぐらいか...しかし研究室のは640Mまで読めるからどうせだったらそっちに...7万円。しかし、今のハードディスク(340M)より大きなリムーバブルってのも... 電子辞書とかもっと便利につかうためにはデカいハードディスクを1台...2GBで4万円... ...(脂汗)....どうせカードなんだから......はっ。いやいや、いかんいかん」

「それにしても、今年も電車通勤が多いから、ウォークマンぐらい欲しいよなあ。これくらいだったら、債権者さまも許してくださるのではないだろうか....ほう、今の売れ線はもうMDなんだな。再生専用3万円か... もうみんなMDデッキはもってるのかなあ... しかしMDだと録音に困るよなあ。今もってるCDラジカセは出力端子がないし、12年つかっているCDプレイヤーは調子悪くて読めないCDとかもあるからなあ。...CDプレーヤーも安いのがあるんだ...MD用の出力があって2万円か.. さっきの録音もできるやつといっしょにすると6,7万でいけるか...MOを買ったと思えば.. MOよりずっと役にたつよなあ.............. (冷汗)....はっ。いやいや、いかんいかん。」

もちろん、「はっ」の部分では債権者の方々のお顔や市役所の方々のご様子が思いうかんでいるのは言うまでもない。いや、いい汗かきました。

八坂神社でオミクジをひくと、「清めの桜」なるものがおまけについてくる。桜の花の塩づけ。お湯をかけて飲む。もちろんおいしいのものでないが、春。桜餅食べたい。

リンクと引用再び

おおむかしに「勝手にリンクを張ってはいけないのか?」っていう文章を書いた。ずっと放っておいたのだが、あれから1年すぎたこともあるし、書きなおすかねえ。(あれが書き殴りスタイルのはじまりだったことを今思いだした。)

もちろん、もとネタはThomas上田さんの「著作権について」

私の基本的なスタンスとしては、「リンクフリー、引用フリー」。(「フリー」の意味も面倒だけど、「私に断りなく、無料でやってよい」ってことにしようか)

「著作権」っていうものは法的にはめちゃくちゃ面倒なものであるからして、その議論は(今だに)やるつもりがない。「倫理学屋」の私としては、なにがよい法律であるか、っていうことについては法律以外のものから正当化する必要があると考えている。著作権をどう解釈しどう運用するかっていうことには、また別の議論が必要だってわけだ。

その際に考えるべきなのは実際におこる(あるい起りそうな)結果の善し悪しの他はない、っていう立場に立ちたいとも思っている。

つまり、たとえば上田さんのような著作権の解釈や主張を行なった場合、どういう結果が見こまれるか、ってことだわな。

私の日常的な言語感覚では、「引用」ってのは
「どこそこの太郎さんは、ほげほげで

あれこれ。これこれ。それそれ
と言いました。」
ってのを指す。もちろん、その後ろに「太郎さんの言うことはもっともだ」「ぼくは太郎さんはよくないとおもいまーす」ってな文章がつづくかもしれない。

太郎さんの書いたりしたものをすべて写してしまうのは引用ではなく「複製」とかいうやつだと思う。だから、ふつうは「無断複製禁止」はよく見かけるけど、「無断引用禁止」ってのはなかなか難しい。

さて、もし「無断引用禁止」ってのが認められちゃうと、どういうことが起るかを考えてみよう。

一般に、私たちの意見というものは他の人の意見の模倣であったり、それをひねったものであったり、そういうことによってできあがっている。極端な話、私の意見の出所がすべて私の内部にあるなんてことは考えにくい。

そして私が意見の多くを他の誰かに負っていると考えるときに、私はその意見の出所を明かしにするために引用する。それは私の意見がどのていど他のひとに影響を受けたものであるかを示すためであり、興味関心のある人のための手引でもあり、また逆にわたしのオリジナリティを表現するためでもある。権威づけにつかうときもある。その意見をめぐんでくれたことにたいする感謝を表現するためにも使う。

また、私が誤っていると思うような意見を見聞きしてそれに批判を加えようとするときも引用は役にたつ。私の読みがまちがっている場合もあるだろうし、あやふやさや曖昧さを防ぐ意味もある。もし引用が禁じられた場合には、「ほげほげというタイプの考えかたがあるんだけど」という表現になっちゃってキレが鈍るし、正確さにも欠けるものになる。

結局、引用を禁じることは、わしらの個性とか意見とかの発展のために必要な自由な討論とかを阻害することになっちゃうし、それは結局個性とか意見とかの発展を阻害することになっちゃうんだよな。それはよくないことだろう。

これと同じ論法が、「無断複製/再利用を禁じる」にも使える。一般にワシらがなにかを作りだすときの誘因になっているのは金銭欲だったり自己顕示欲だったりする。もしそういう欲求がなければワシらはなにもしない(かもしれない。これは難しい)。

もし私の作りだしたものが勝手に他人の名義になってたり、それによって当然見込むことのできる収入がなくなったりするということになれば、私はそれを作りださなくなっちゃうかもしれず、それはやっぱり自由な意見交換の意味をなくしちゃって、結局は社会の発展を阻害することになるじゃろう。

よって、とりあえず無断引用禁止反対。(上田氏の文章の「引用」は誤りで、「転載」が正しいらしい。すでに修正されている) (☆)さて、しかしHTMLのファイルそのまんまの再配布なんかはもうちょっと難しい。

以前fjで、(NNTPでの)newsの再配布について議論があったと記憶している。「別のメディアで再配布するのは許せん」という意見があったと思うのだが、私はそれはあまり整合的ではないと感じた。newsはマシンからマシンへコピーされることによって配布されるわけで、そのメディアがTCP/IPだろうがUUCPだろうがCD-ROMだろうがnewsはnewsなわけだ。

んじゃ、HTTPは? 私の名義や、オリジナルのURLがはいったままで再配布するってのはマズいことだろうか? HTTPってのは基本的にはTCP/IPでつながっているマシンで読むことを想定してるわけなんだろうけど、ネットワークニ接続されていないようなマシンでもCD-ROMなんかで読めるようになってたらいいんじゃないのかなと思ったりもする。ある時点でのWEBの世界を記録に残しておくってのも悪くないんじゃないだろうか? 以前、日記猿人でそういう試みをやったときには「転載不可」にしたけどね。

WWWもNEWSと同じく、技術的にはコンピューター間のファイルのコピーを前提としているわけで、一概にすべての「複製」を禁じることが意味のないことなのはよく指摘される。

むう。

実際に複製したり(別メディアなどで)再配布したりした場合、どんなデメリットがあるだろうか?

むう。Webの中身は(たいていの場合)完結しない、ってのが関係しそうだな。

WWWにはリンクという強力な武器があるから、一般には複製を再配布するよりは、URLを知らせるだけで十分なのだな。

WWWの内容ってのはほとんどで成長中なんだから、複製の再配布によって情報を固定しちゃうよりは、URL表記だけですませるほうが、全体としてはよりよい情報へのアクセス手段になりそうだな。

よって、別のメディアによる複製の再配布は悪くはなさそうだが、URLだけの方が便利なかんじ。

(☆☆)ちょっとスタイルを変えよう。

「ではリンクはどうですか?」

リンクは自由に行なうべきであるというのが、1年前からの 見解です。今もかわっていません。

「たとえば上田さんは、「悪意ある」リンクについて気にしてます。 今月号の「The BASIC」でも、水谷氏がリンクの問題について触れていますが。」

昔も書きましたが、たしかにヘンなところから「悪意」をもって リンクをはられるのは楽しいことではないかもしれません。ま、しかし、それはこんなくだらないことをしているのだから仕方ないのではないでしょうか。

「そりゃ、あなたはそう感じるかもしれないですが」

いや、わざわざ人目にふれることをしている以上、なにかを言われるのはしょうがないってことです。もちろんそれが称賛であればだいたい気持ちのよいことなのでしょうが、称賛のリンクは許すけど批判や揶揄や侮蔑のリンクは許さん、なんてのは筋が通らないでしょう。特に、リンクの場合は引用とちがって直接本人のものを読んでもらえるわけだから、どんなに揶揄されたって大丈夫なんじゃない?

「でも、たとえば恣意的に誤解を招くようなリンクを張ることも可能じゃろ?そういうのも許すってわけ?」

いや、むしろ、どんなリンクの張られかたをしようと、誤解されないようなものを書いておくべきなのよ。二つの対立する意見があったときに、そのどちらが真理に近いかってことは読者が決めることだし、ちゃんと書いてあれば理解できるはずでしょ? 誤解を招くような表現をしているのであれば、それを正せばいいのよ。それを「あー、てめーオレんとこにリンク張るんじゃねー。」とか言ったら、部分的で不正確な「引用」とか、「だいたいどこそこのどこそこらへんでページ開いている某ってやつはへんな奴なんだぜー。みんな読まない方がいいよ」なんて表現になるでしょ? これの方が誤解を広めちゃうことになるんじゃない? むしろURL一発でビシッと決めてもらった方がいいじゃん。

「「ビシッ」ってなんですか?」

さあ。

「・・・んじゃ聞くけど、あんた秘密のページ作ってるでしょ。」

・・・

「それを知ってる人がそれを公開しちゃっても文句言わないわけ?」

・・・

「やーい、こんなところでこんなやつがこんなこと書いてますよ〜。はずかしいですね〜。邪悪ですね〜」ってやられても大丈夫?いろいろ損失あるんじゃない?

んー。まあ、だからそれは「内緒です。お願いねっ。」しているわけよ。その上で、たとえば私が秘密のページで世にも邪悪な思念を表明していて、(まあ「世界をサタンのものとするため今日は3人の処女をバラバラにしてみた」とか「今日はヒトラーに反魂の術をかけたがうまくいかず、毛沢東が蘇えってしまった」とか)それを批判・糾弾しようとする人がURLを公開したら、それはそれでいいんじゃない? そのくらいは覚悟しているぞ。これを法的な問題にしようとするのは間違っているし、私は反対するぞ。

(もちろん、その場合、そのひとが呪術的に危険になることはあるかもしれんがのう。がはは。)

「・・・んじゃーさ、どんな批判もしょうがないけど、陰でやられるのはかなわんから連絡して、ってのは?」

うーん。気持ちはわからんでもなかりけり。たしかに連絡なしで批判されちゃってたりするのは気持ちわるいなあ。知らなかったら反論のしようもないしね。うーん。ふつうのhttpサーバーではどこから参照されているかを記録する機能があるけど?

「それ使えないサイトもあるでしょ?あんたはわざわざスクリプト書いて毎日チェックしてるじゃん」

や、それは。

「それって、やっぱり気になるってことでしょ?エチケットとして連絡するってのはよいことなんじゃない?」

うーん。そうなんだけど、そりゃほんとにエチケットの問題だわなあ。私は個人的にはいちいち問い合わせされんのはヤだし、連絡すんのもヤだ。

「そういう次元の問題になっちゃう?」

いや、そんなことはないはずだけど、ちょっとまって。

「んじゃ、次は営利の話をしよう。非営利のリンクは許すが、営利は許さんってのは?」

んー。これって昔、フリーのソフトウェアを営利目的の雑誌の付録にするのはやだとかっていう似たような話があったよねえ。なんで営利はだめなんだろう?

「自分が無料で提供しているもので金をかせがれちゃたまんない、ってのがあるんじゃない?」

うーん。どうかなあ。具体的なマイナスはあるわけ?私にとって。

「質問と答が逆転してますが」

あまり気にせず。

「特にないけど。気分悪いじゃん。ワシにも金くれ。」

こんなもの書いて金をもらうつもりか?

「いや、困ってるし。MD欲しい。」

MD欲しいねえ。

「欲しい欲しい」

まあMDはほっといて、営利のひとたちがリンクするのに反対する本当の問題はなんなのかな。そんなものあるかな。どうせタダなんだし。営利目的でリンク集をつくったりすることがなにか問題あるとは思えないし。有名な「窓の社」なんかは営利だと思うけど、あれくらい有用だと営利だろうがなんだろうがかまわんと思うな。

ソフトウェアの話の時に思ったのだが、むしろ、「営利BBSでの配布おことわり」なんて方に反感感じちゃったことがある。どうせ再配布自由にしてくれてるんだから、どこでも配布すりゃいいじゃん、なんて思った。

「んー」

営利のところからリンクされたって、いずれは誰かのブックマークに登録されたりして、結局はどんどん流通するんだからそれでいいんじゃない? 基本的に、営利リンクを禁止しても誰も利益を得ないでしょ? とにかく他のヤツに得させたくない、っていう私のネガティブな願望が満足されるだけで。むしろ損失の方が大きそうだ。

「んじゃ、あんたの秘密ページの『黒魔術:その理論と実践』や『やさしい反魂術』にリンクを張ってお金をもうける人がいても平気?」

いや、そんなページはないって。あったとしても、それは黒魔術でアレだから。

「MD欲しいねぇ」

うん。欲しい。仕事仕事。


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1997/04/01

(☆☆☆☆)

非合法インターネット接続計画はほぼ合法的に解決。工事中のひとをつかまえて、「ここに穴あけてあけて〜」といったらあけてくれた。めでたし。

購入品

今日も今日とてたかる。飲みすぎで気分悪し。また明日。


1997/04/02

ちょっとうまく表現できないが、「パソコン」という言葉がもう古くさく、実状にあわない言葉になっていることに気づく。(「マイコン」という言葉はとっくの昔に死んだな)

パーソナルコンピューターってのはパーソナルでないようなコンピューターに対して言われるのだろうが、スーパーコンピューター(「スパコン」が定着しなかったのはめでたい) --メインフレーム--ミニコン--ワークステーション--(色々あるなあ)と対比されるようなものだとはもはや思えない。研究室のマシンなんかぜんぜんパーソナルじゃないしね。 とりあえずこれを読んでいるひとの大半は、自分の目の前にあるものはWINDOWSマシン(あ、PCか)、Macであって、さらにそれをなんらかの「端末」と意識しているのではないかと思う。ちがうか。

家で使っているキーボードの「A」のキーが沈んだままになってしまいアセる。(なんとか回復)

このキーボードは大昔にSE/30といっしょに買ったAPPLE Keyboardでけっこう気にいっていて、SE/30を売りとばすときもこれだけは手元にのこしたのである。壊れると非常に困る。いまのAplle Keyborad IIなんて最低だし。

二つの研究室のMacのファイルをApple Talkで共有できるようにする。やっとネットワークらしくなってきたなあ。WINDOWS95とMacの間ではファイル(ディスク)共有はどうすればできるようになるんだろうか?

WINDOWS NTだったら簡単にファイル共有できるという情報あり。それは知ってるんだけど(っていうか、むしろそれするためにNTを入れてみたんだけど)....しくしく。マイクロソフトぉ〜。

メモ


1997/04/03

うちの前には小さな川(白川)が流れていて、鴨のヒナがかえっている。どうやら親鴨をおどろかせてしまったらしく、威嚇されたようだ。すまん、鴨。

各大学の授業開始の日付を確認(いまごろ!)。地獄の日々の始まりは近い。

(☆☆☆☆)命名はたのしい。現在研究室のPCは、hegelとkant。Macはbenthamとmillになっている(月並?)

社会学はmax, georg,emille,walter,theodor,karl,michelと名づけているようだ。発想は同じだが、どっちが正しい命名法か。

哲学にはsophieというがあるようだ。

ちなみに私の下宿にあるMacは(ネットワークしてないから意味ないけど) kahuでその前のSE/30はougaiであった。

(☆☆)

「えと」

ありゃ、また来たね。

「たしかにWWWの世界ではキャッシュとかがあって、一時的にファイルをコピーしているわけなんですが」

うん。そもそもどんなブラウザだって一時的にはファイルをコピーしているわけだわな

「それと、CD-ROMとか雑誌とかへの転載ってのは違うんじゃないかな?」

どうちがうわけ?

「キャッシュなんかのときは変更はなにもないし「転載」じゃないけど、CD-ROMや紙メディアで再配布するときは明かに「転載」でしょ?」

うーん、それは認めてもいい。ただし、いったい「転載」ってなんや?とか聞きたくなるけど、ちょっと理屈っぽすぎるから聞かない :-)

「とりあえずCD-ROMで再配布するのを「転載」であるのを認めるんじゃね?」

うーん、とりあえず認めておこうかな。あとで撤回するかもしれん。

「HTMLファイルなんかをCD-ROMで再配布するときは変更をしなければならないってのは認めますね?」

うむ。そうじゃな。リンクを有効にするするには変更しなければならんじゃろうな。

「ってことは、CD-ROMに「転載」するときは変更さざるを得ないってことですよね。」

いや、ちょっとまって。相対リンクだけなら何も変更せずに収録できるぞ

「そこまで細かいこと言う?」

いえ、結構です。

「で、変更されるんだったら、その変更がもっともなものかを確認する権利は作者にあるはずですよね?」

そこはちょっとつまづくところだな。もちろん、そういう権利はあると言ってもいいような気がする。しかしそれが当然かどうかはちょっとわからん。「当然」はみとめん。

「なぜですか?」

いや、そういう性分だから。この議論で我々(って誰じゃ?)がやってるのは、実定法や慣習法の根拠になると推察されるところの非法的根源的倫理性、あるいは技術的功利的有用性にもとづく社会的人倫創造的思考であるからして、「当然」などということは許されんのじゃ。哲学とはつねに自分の「当然」を問いなおすことであり、それは常に自身の認識を批判吟味することに存するのじゃ。問い自身を問いなおすことがまさに哲学であり、それを抜きにしては哲学たりえることはできんのじゃ。きー。

「・・・」

・・・

「・・・もういいですか?」

・・・いや、その。いやいや。わすれてくれたまえ。

「はあ。」

ま、それが当然かどうかってのがおそらく議論している内容だと思うんだよな。逆に聞くけど、なぜたかだかリンクの修正ぐらい大目に見ることができない?

「いや、大目とか少な目とかの問題じゃなく、修正するんなら作者に断りを入れるのはふつうのことでしょ?」

なんだかそんな気がしてきた。

「作者の意図を他のひとが十分につかんでいるかどうかってのは難しい問題でしょ?修正者が小さな修正だと思っていても、作者にとっては重大かもしれない。ちょっと面倒でも作者自身に検分してもらうほうが、まわりまわってよい結果がでそうだよね。あんたのよく使う理屈なら」

そんな気がしてきた。

「んじゃ「当然」でいいでしょ?」

ん。いい。んじゃ、さっき保留しておいたけど、ぜんぜん修正を加えなかったらどうなのさ。メディアの違いってのは許さんよ。

「んー。よくわからん。」

よくわからんな....

「わからん」

頭悪いな、ワシラ。

「1人だもんね」

うん。

「まだ続きやるの?」

できれば。

「こんな頭の悪いやつが考えても無駄」

むだじゃな。

「明日営利の話する?」

さあ。


1997/04/04

どういうわけか体調悪く、終日家で寝ていた。


1997/04/05

げ、これは本気で発熱するようだ。まいった。どうもまた耳が痛いので、生れてはじめてバファリンなる藥を飲む。ううむ、効く。藥おそるべし。

だいたい藥はこわいので飲まない性分なのだが、これくらい効くとたよりたくなるよなあ。


1997/04/06

「もてる秘訣」ってので印象に残っているヤツが3つある。一つは中学生のころのもので(クラブの合宿?)、

「先輩けっこうもでっちゃ。なしてや?おれどがぜんぜんもでねげっとなあ」
先輩「おめどがきどってがらだべや。もっどきらぐ(気楽)にしたらいいなんねがや」

[日本語訳]
省略。

一つは5年ぐらい前の飲み屋。
「いや、僕とか全然もてないですし。」
40前後の遊び人「そんなこと考える必要ないやろ? 相手を好きになることや。とにかく。」

最後のはどこかの日記作者のもので(誰だか失念)、女性とおつきあいするためには

  1. 清潔にして、それなりの服を着る
  2. マスターベーションをひかえる
  3. 女性が多く出入りする場所に積極的に顔を出す
特に2番目が重要、というものだった。ある種の真理は感じるが、なんだかなあ。

ところで、私はときどきしゃれで「電脳」とか使ってしまうんだけど、私のネットワークに対するイメージってのはほんとうに「生身の脳味噌が直接ケーブルで繋がっている世界」なんだよね。「電脳」は計算機を指すのではなく、電線で繋がった脳を指す。そいつらが発火してパルスを送ったり、それを転送しあったり、ビールや睡眠薬でラリったり、借金で冷汗かいたり、別の方向に新しいニューロン延ばしたり(ニューロンってなんだ?) いろいろやってる、という本気でヴィジュアルな像。

まあ実際には、脳とネットワークの間には他の身体とかキーボードとかいろいろあるんだけどさ。通俗なイメージだとは思うんだけど。巨大な知恵袋というか。

だいたい同じイメージ
「電脳」はコンピュータを指す
へんな言葉だ
なんのことだかわからん

1997/04/07

レシピ通りにつくる。ピリっとした味もほしかったので七味もふってたべる。いける。酒のつまみにもよい。しかし、食卓に並べてから気づいたのだが、私の食卓にはたいてい豆腐か油揚があり、さらに納豆(私は納豆文化圏の出身)もほぼ毎日食べるので、材料がバッティングしてしまうのである。

「マンガに出てくる『哲学者/学生』列伝」ってのを企画するがどうか。一般人(?)の目には「大学で哲学とかやってる」ってのはどう映ってるか。あるいはそもそも哲学ってのはどんなものだとおもわれているか。

[例1]「哲っちゃん」(入江紀子『ノラ』(スピリッツ21)第4話)

哲学科卒だから「哲っちゃん」と呼ばれるホームレス。某有名大学の哲学を出て、一度はちゃんと就職したのちにホームレスになった。「俺には、哲学やお勉強はなんお役にもたたなかった」が、主人公ノラに「サバイバルを教わった」らしい。

他にも「あれで見かけた」っていう情報求む。


1997/04/08

月例のNTT電話回線切断。髪を切る。床屋の鏡で見ると、アゴが二重になりかかっている。それだけは避けたい。(頭はまだ大丈夫...のはず)

う、プリンタのインクが切れた。明日から新学期なので、レジュメをしこしこ手直ししたりプリントアウトしたりしていたのである。 あんまりプリンタは使わないので、いざ必要なときにはこんなことになる。いつも「予備を買っておかなくちゃ」と気にしているのだが、最終的にはいつも同じ。レーザープリンタ欲しいなあ。(同じか)

(ちょっと前に書いて秘密にしていたもの)

やっぱり十代〜二十代前半の妊娠中絶はかなり普通のことになっていて、「ヤバいことではあるが、ふつうのこと」として受けとめられているらしい。ほとんど避妊に気をつかっていないようなのもショック。だれかちゃんと教育してやるべきだと思うんだけど。ちなみにその「友人」(?)は14万円必要なそうだ。そんなに高い? 「ヤミ」?というか、保険使わないんだな。きっと。

そういや以前に短大で「健康な男女が性交渉をもつと、妊娠する確率はどれくらいでしょう?」と尋ねると、「10%以下」が一番多かった。(実感にもとづいているのか?) 私は「正常」な男女がひとつきの間数回定期的に交渉をもった場合、20〜30%で受精卵が着床する、と理解している(もとネタは...えーと)。仮に20%とすると、1年間で着床しない確率は(1-1/5)^12か。よくわかんないけど10%切ってるね。(計算できない:-)あってる?ちょっと確率が低すぎるかな?ま、「着床」の確率だからこんなものかな? 定期的に性交渉をもちながら、1年半〜2年たっても妊娠しない場合に問題ありと見なす、っていう話も聞いたことがあるからこんなものか? ううむ。ちゃんと調べねば。

ここらへんの確率とかがちゃんとしてないのも問題だよな。どきどき若者向けの雑誌が「セックス特集」とかすると、避妊のねたがとりあげられるが、そこでよくある各避妊法ごとの「失敗率(安全率?)」のグラフってのがよく理解できない。コンドームは80%以上安全です、ピルならほぼ100%、膣外射精は20%なんていう20%の意味が定義されてないから意味不明だよな。

ここらへんの統計的確率をはっきり示すだけで、人々の性行為の傾向が変るかもしれないなんてことを妄想した。

だいたいそれくらいの確率だとおもってた
もっと高いと思ってた
もっと低いと思ってた
考えたことがなかった
なんのことだかわからん
正確な数値は%である。

1997/04/09

ついに恐れていたことが起ってしまった。天井裏で猫に子供を産まれてしまったのである。天井裏からミーミー鳴き声が聞こえてくる。うう。悲惨。以前この部屋に住んでいた先輩に警告されていたので、ネコが入りこんでくるたびに天井をどついて脅かしていたのだが。猫の放埒な性の亨受がこのような結果をまねくのである。このような惨劇を二度と引きおこさないために、すべての猫にたいする性教育の徹底と避妊具の配布を提案したい。

ついに授業開始。まずは英語と哲学。イントロダクションだけ。


1997/04/10

前日徹夜した反動で1日寝てしまう。どうももう徹夜はできない体になってしまったようだ。

児玉学士の日記が更新を停止した模様。性格悲劇っていうかなんていうか。ま、復活を待つ。

天井裏の子ネコはまだ泣いている。数が減ったような気がする。うーむ。やはり淘汰圧がかかっているのか。しかし天井裏に死体があると想像するのはちとあれだ。

本屋で三修社の『基礎ドイツ語』1号が出ていたので買う。2枚の付録CDの1枚がWINDOWSでしか使えないのが悲しい。ハイブリッドなやつにしてくれー。

それにしても、いまどきドイツ語を勉強しようというひとはどれくらいいるのだろうかと他人事ながら心配。インセンティブないよな。ゲーテやらヘッセやらトマス・マンやらといった人々の作品は、日本語ですら読まれなくなっているのではないだろうか。ドイツ語を必要としているのは、哲学関係のひとと環境関係の人ぐらいか? あ、法律な人か。テクノな人も必要か? 世界情勢に疎いから、認識がおかしいか。

本屋に行ったって、売場は英語、中国語、スペイン語の順番だしね。

ReadMe!ってところに登録していたのだが、カウンタ用の画像を貼りつけておくのがいやになったのでやめることにした。自分でも全然見てないし、そっから飛んでくる人もめったにいないようだし。


1997/04/11

以前、ネチケットという言葉について書いたが、どうやら私の勘違いだったようである。その時に言及した「エチケットに反するような行為」についてのユーモラスな文書のオリジナルは、 http://www.clari.net/brad/emily.htmlにある。(日本でもanonymous FTPで提供されている。たとえばftp://ftp.eos.hokudai.ac.jp/pub/network/news.answers/usenet/emily-postnews/以下)この作者に問いあわせたところ、この言葉はやはりもともと「ネットワークのエチケット」であり、すでに"the early 80's"には使いはじめられたらしい。ひとつかしこくなった。Thanks, Brad. (なれなれしい :-)

1年4ヶ月ほど懸案であった住民票を東山区に移すため、岩倉再訪。ところが、市内で移動するぶんには転出先を訪ずれる必要はなかった。無駄足。しくしく。

しょうがないので、せっかく午前中に活動しているのだから、左京区保健所で年度始め恒例となりつつあるHIV検査を受けようとおもったが、時間を過ぎてしまっていた(金曜日9時〜10時半。30分遲かった)。「うぉー、検査してくれー。今すぐ検査してくれぇ。たのむぅ。恐いよぅ」と暴れたらウケるんではないかと思ったが、思いとどまる。

しょうがないのでその足で東山区役所へ。役所では、なにやらうれしそうな顔をした女の子が数人、同じように書類を書いているのが目につく。そう、君たちはこれからこの場所で、いろんなことを体験していくのだよ、と気分はオヤジ。いやはや。


1997/04/12

ついに授業が始まりつつあり、日記とか書いている余裕をなくしつつある。というか、家でビールを飲んでいる暇がなくなりつつあって、その影響。箇条書にするかななどとおもいつつ。

画像からモザイクを消すソフトウェアの作者が逮捕されたということを知り驚く。 窓の杜にも情報があった。(いや、私はお世話になったことはない(ほんと))。それにしてもちょっと無理だよな〜。

中島義道の『ウィーン愛憎』をいまごろ読む。おもしろいが、あまりにも暗い情念。こういうのが「哲学者気質」なのかしら?

天井裏のネコの鳴き声が消えた。それはそれでおそろしい。引越ししてくれたことを祈る。

どういうわけか Tim Robbins(じゃなくて、Burtonだな)の『マーズアタック』を見る。もちろん、なにか「意味がある」というタイプの映画ではないが、けっこう楽しめた。やはりあの監督はかなり壊れている。場内で何度も爆笑するが、誰も笑わない。なんで?

本屋で立ち読み。つらつら思えば、2、3年前と比べて本屋やレコード店で過す時間がかなり少なくなった。以前は体力にまかせて延々立ち読みして1日が過ぎたりしていたものだが、近ごろは目標の本を入手したらすぐに出てしまう傾向がある。なんだか時間に追われているかんじがするのだな。ま、そりゃこの年代なら当たり前なんだけど。

上田浩二『ドイツ語はじめの一歩』(ちくま新書)がドイツ語を学ぶ動機について触れているが、もうひとつ説得力がないなあ。多言語は大事だけど、それがドイツ語である必然性がない(あたりまえだけど)やはり苦しいところだ。

ところで、「コミュニティ・ヴィレッジ」って怪しい団体ではないのだろうか?

しかし、モザイクソフトの問題はけっこう興味ぶかいものなのだな。そもそも、モザイクをかけたりするのは、それなりの必要があってすることなわけだ。しかし、簡単にはずすことができるようなものならば、そもそもモザイクかける必要もないわけだ。すぐにそれとわかるようなぼやかした表現がほとんど意味ないのと同様。

ではなんのために必要か? 単に(たとえば法的な)規制をのがれるため。「この画像はすぐに見えるようにしておくとヤバいけど、手間がかかるようにしておけば大丈夫」ってわけか。

結局そのモザイクソフトの作者を儲けさせるという結果になっただけなんだなあ。(なにやら3000万以上稼いでいたという話だが。そんなもんに払う方もばからしいけど)


1997/04/13

(☆☆)キルケゴールの研究会。キルケゴールから離れていろいろ話をして楽しく過す。やっぱり倫理学好きなんだよな。河道屋の鍋はあっさりしすぎていて食った気がしない。研究室によって、WINDOWS95の「ワークグループ」なるものを試し、休筆中の某氏とお好み焼きを食べ帰る。

明日から地獄の日々。更新のペースは極端に落ちるであろう。さらばじゃ。これからは土日をのぞいて毎日午前中から活動する予定。大学・短大・専門学校で13コマ。この予定が守れない場合はたいへんなことになるので予定は必然。


1997/04/14

朝6時半起床。某大学まで1時間30分。明日もしんどい。


1997/04/15

(☆☆)

ふたたび6時半起床。もはや私のことは江口"early bird"聡と呼んでくれたまえ。明日も6時半。あさっては7時。その次は10時の予定。ぐう。これが1年続くのか?こんな生活は高校を出て以来1度もしたことないぞ。

こういうカタギな生活がいやでこの商売を志したってのもあるのに、人生とは皮肉なものである:-)。(前に書いたと思うが、私はM2の時に一応就職活動して内定ももらってたんだよね... 後悔) ま、そういう動機がばかなんだけど。私の判断は常にまちがっていることを今回も例証しているわけだ。

某大学の授業で受講者が多すぎて混乱。

某大学においても「WINDOWS95でプリンタがちゃんと動かないんだけど...」と言われ、1時間ほどいろいろ試行錯誤。どうもリコーのプリンタドライバが怪しい。とりあえずプリントはできるようになったが動作が変。


1997/04/16

6時半起床。午前中、滋賀の某短大から京都の某大学に移動する途中で寝すごして長岡京まで行ってしまう。やばいやばい。今月は交通費だけでかなりの出費になる。きびしい。


1997/04/17

亀岡の某大学。田舎でゆったりしたよい大学である。1日倫理学3コマってのも、これはこれでちとつらい。なにを思ってか、3コマ全部につきあっている学生もいる。そんなに倫理学が好きか? (だいたい、そんなことされたら同じネタを使えないじゃないか:-)

ここは1日中いることになり、けっこう時間もある。自由に使える端末はたくさんあるのだが、telnetでファイアウォールの中から外に出ることができない。むう。

「んじゃ、ファイアウォールの外に出られるマシンのアカウントはもらえますか?」
「うーん、そこらへんの件は今委員会で検討中なんですよ」

むう。やはりそこらへんは、どの大学でもこまわりがきかないな。


1997/04/18

大阪の看護学校。ふう、これでやっと一巡か。やっぱり非常勤で食うというのは労力にpayしないなあ。しかし、調子は上りつつある。

毎日早起きして、日付が変らないうちに寝て、土、日は(一応)休み。これじゃほんとにカタギだ。夏休みが待ち遠しいぜ。

早めに帰ってきて惰眠をむさぼる。ああ、睡眠は楽しいなあ。

某教育大、某薬科大、某学園大とどこに行っても、塾や家庭教師で教えた生徒がいる。なんだか奇妙な感じ。(向うも奇妙に思っているだろうが)

深夜、木屋町で哲学授業方法情報交換会。早い話が酒飲み。数えてみると、私は今年1000人(!!)ほどの学生に授業をすることになっているようだ。恐るべし。(無理だよなあ)

メモ


1997/04/19

素敵な天気なのですこし散歩する。ジョギングしたいなあ。

ベースの弦を買うが、間違ってショートスケールのものを買ってしまった。しくしく。頭の中で「まちがわないように」と何遍も繰り返していたのに、間違ってしまう。いったいどういうわけか。

あとはしこしこ授業のためのレジュメ書き。


1997/04/20

ひさしぶりにゆっくり起床。それでも午前中に目がさめるようになっているのだからたいしたものだ。しこしこレジュメ書き。

この前、飲んでいるときに気づいたこと。今年私は1000人を越える学生に教えるらしい。


某教育大 250某薬科大 50+50+50+50+150某短大(哲学) 40某短大(英語) 50+50某大学(倫理学) 100+100+100某看護学校 50

もっと増えるのは確実。ひー。

これに対して収入はならすと税こみで1月40万には届かないだろう。ちと計算してみる。おおざっぱに月収40万で1000人を教えると仮定すると、1人あたり400円。授業1回100-200円ぐらいか。(常勤だとノルマは週5〜10ぐらいか?)

これに対して、たとえば某大学の授業料を90万と仮定すると、15コマ出席することにして1コマあたり年間60000円。30回授業があると想定すると授業1コマ1回2000円。むう。私は1割ももらえていないのだな。

やっぱり非常勤ってはワリにあわないんだなということを実感してしまった。やっぱり職をさがさねば。(いままで実感がなかったし、自分の身分についてまじめに考えたことなかったんだよね)

以上の事実からの暫定的洞察


1997/04/21

2まわりめ。起床はぎりぎり。やはり、ぎりぎり何時ならば間に合うのかということを知ってしまうと、それまで寝てしまう。深層心理おそるべし。安い交通手段と速い交通手段のどちらをとるか。

ドイツ語を教えるのは初めてなので、いろいろ試行錯誤している。1コマ目と2コマ目では、同じテキストをつかっているのに教え方や流暢さが全然ちがう。(今日は冠詞と形容詞の格変化をどう理解さるかがテーマ)実験台となっている1コマ目の学生さんは気の毒。いたしかたなし。

某薬科大の授業のひとつは学生はやはり200人を越えて、教室に入りきれない。ううむ、のちのち欠席が多くなったときに、でかい部屋でちまちまやるのは寂しいからやだなあ。

とにかくこの時期は、どの大学でも私語とのはてしなき戦いになっている。私は私語が気になるたちなので(「きっと私の悪口を言っていのだ...とか(うそ)」)こちらは私語を許さんということを身にしみて理解してくれるまでしつこく注意する。ま、そんなたいした授業をしているわけではないのはわかってはいるのだが、ひどい授業がよりひどくなるのを防ぐためにご協力をもとめているわけだ。

(☆☆)一番いらいらするのが、こちらがなにかを発問したときに隣りのひとに話しかける(おそらく確認をとっている)ひとがよくいることで、「いったい、なんで君らそんなに自信ないの?隣に知り合いがいなかったらどうするの?一人で生きろよ。ひとりで。きー。」という感じになる。(目がつりあがっているかもしれない)

もっとも、私語が出るのは授業方法にも問題があるのは自覚している。板書の字が汚なかったり、早口になったりすると増える。これは私の責任なのだ。

(☆☆)

授業中、どういうわけか(男子)学生がふらりと立ちあがって、出口の方に向かい、ドアの前でバタリと倒れる。授業中そういうことになったのは初体験。このような時に教師はどう行動すべきであろうか、と一瞬考えたのち、彼をかかえて外に出し、近くにいた学生に保健室に人を呼びに行ってもらう。そうしている間にも彼はフラりと倒れそうになり、あわててささえる。座らせても倒れる。横にすると、縦になろうとする。むう。人間の体って重いなあ。殺人や強姦はできそうにないよ。(いや、もちろん殺人や強姦の予定はないが、京都でラブホテル殺人がたてつづけに起っているので気になる。)

また、このような場合どう行動すべきか(男子学生のときは今回あるていど経験をつんだので、特に女子学生の場合)ということもあらかじめ考えておかねばならないことに気づいた。危機管理の技術ってやつだな(ちがうか)。

パニックになりそうなときに、権威(特にマイク。マイクは権威じゃないか:-))をもっている人間はどう行動するべきなんだろうか? 火事や地震のときはどうするんだろ?散弾銃乱射魔がおそってきたときには? 連続強姦殺人魔は?核戦争がおこったら?隕石がおちてきたら?

運転免許の期限が切れて、はや5ヶ月と3週間。これ以上ほうっておくと、後でふたたび教習所に通わねばならないことになるので、印鑑と住民票、写真をもって警察署に自首しにいく。交通安全協会だかなんだかそういう団体に1000円払えと言われるが、「それを払うと明日の仕事場への交通費がなくなるかもしれないのです(本当)」と許してもらう。まあ親切な窓口のひとでいろいろたすかった。

(☆☆☆)

某児玉文学士が毎日新聞の「余録」に喧嘩をうっている。実際、私も(以下某児玉文学士の御言葉を引用)

某氏が指摘したように、たしかにあの余録を「宮崎なにがしに限らず、今の若者はヒト以上人間以下のものばっかりじゃ」という若者批判と取ることも可能である。

が、それにしても、この筆者の「おれは関係ないもんね」「おれは人間だもんね」「若者がそうなったのについて、おれは責任ないもんね」式の、ちっとも内省的ではない言い方に、ぼくなんかは何か違和感を感じるのである。いや、やはりはっきり言ってけしからんと思う。許せん。

(引用おわり)という感覚がある。これまで児玉某氏が書いた文章で最も共感するものであったので、あえて引用しておく。ただし「内省的」ではなく「反省的」という言葉をつかうと思うが。同じか。このような態度を私は秘かに「AERA型思考」と名づけ、できうるかぎり攻撃を加えているのである。(意味不明か?)。

まだ気分だけはこっち側にいるってことかな?(こっちってどっちかわからんが)

むう、直前の文章を書いてからわかったのだが、AERA型思考について私がイラつく原因は、「こっち」と「あっち」の分け方なのだな。「ちかごろの若者は」型の思考は世代によってなにかを分類しているんだろうが、それが理解できないのである。「自分のまわり」と「それ以外」だったらまだマシ。

たとえば、その毎日新聞の「余録」では、あるひとびとを「ペット化人間」と名づけている(それも誰かからの借り物なんだけど)。そのひとびとは、「持続力がなく、自分の快楽を追求することに熱心でetc.」といったネガティブな人格らしいのだが、そういう「カプセル化」だか「ペット化」だかが「若者」の問題ではなく、「我々の」問題だと気づいていないところがイラつくのだな。

(いや、こういう無理解は私もよくやるんだけどね、っていうexcuseつけなきゃなんないのもつらいな。自己言及になっちゃう文章はむずかしい。しかしそれくらいの意識は(少くとも新聞に文章を書くような人間様ならばもってほしい)

それにしても、大手新聞のWebページはわけわからんな。lynxだとほとんど使えない。ぐー。この件についてはちょうど 永江さんが書いていて、ほとんど付け加えるべきものがない。


1997/04/22

某大学の某研究室のPS/Vでネットワークを使えるようにしてくれと頼まれ、ふたたびマイクロソフトのトラップにはまる。きー。だからこんな古いマシン捨てろってば、と怒る。486マシン(16MBメモリ)じゃ遅すぎるって。

もう1台あるAptivaにもイーサカードをつっこみ、接続。こちらの方はなにも問題なく終了。めでたし。あの研究室からはこのページは読めないようにするべきか。

どういうわけかもう一つの研究室のMacの接続についても相談を受けてしまう。うーむ。業者が入ったのだが、うまく接続されていないらしい。先生本人が不在だったので詳しいことはわからないのだが、うまくいっていない模様。見てみると、たしかにケーブルはMacにつながれているが、ちゃんと動作していない。MacTCPその他の設定もすんでいない。調べてみると、異様に長いケーブルをつかっていて、Macまで信号が届いていないではないか。おそらく業者はうまくいかないので途中で放りだして帰ったのに違いない。試しに別のケーブルでためしてみるとなんの問題もなく繋がる。Macは設定も楽勝だし。

それにしても、大学を食いものにしている悪徳業者の多いことよ。留守番の学生君に、「先生にその業者は出入り禁止にするように伝えておくように」と言いのこして帰る。


1997/04/23

某短大に遅刻しそうになる。いつもより後の電車にのったら遅刻すると思いこんでいたのだが、大丈夫だった。きっとこれからはあの電車に乗ることになるに違いない。ふたたび深層心理おそるべし。

なんだか疲れた。やはり体力的に無理だな。


1997/04/24

これもどうでもいいことなのだが、ツウ(通)とイキ(粋)の関係について以前議論したことがある。私の言語感覚では、ツウはイキであるというのはほとんど自明(というか、分析的メイダイ)だと思うのだが。ツウでないイキはありあるが、イキでなければツウでない。知識をたくさんもってるひとがイキでない場合は「半可通」と呼ばれるという関係。これはあなたの言語感覚では正しい?

通は粋を含む(粋でなければ通でない)(江口の主張)
粋が通を含む(通でなければ粋でない)
通と粋は無関係独立の概念(通で粋な人もいれば、通でなくても粋なひともいるし、粋でなくても通な人はいる)
よくわからん

また、「通」は強い肯定的評価語なので、「通だけど(その件について)ダメだ」という文章は自己矛盾。(これは通は粋を含むという命題の別の表現である。そもそも、(ceteris paribus)「イキだけどよくない」というのは自己矛盾なので)

どうでもいいことなのだが、「英会話」や「外国語」というフレーズを聞くといつもおもいだすのが、丸善の洋書売場でみかけた1シーンである。

「Where do you come from?」
「....from Canada」
「How do you feel about Japan?」
「...........People are kind, etc.」
「Why are you in Japan?」
「................」

悲惨。片方の女の子は英語をつかってみる機会をいかしたかったのだろうし、もう一方の白人男性はうんざりしているという図式。そりゃ、本屋であったなんの興味もない女の子と話す内容なんてないよな。相手は人の話すことをなんにも聞いてないし。

べつに教訓はないのだが、外国語を修得するときのカナメはなにかというと、相手とコミュニケーションしたいことがあるかどうかなんだよな。道端であった日本語を話す人間とはコミュニケーションする欲求を抱くことは(ふつう)ないのと同様、外国語を話す人ともコミュニケーションしようという欲求をいだくことは(ふつう)ない。なんでみんな外国語なんかしなくちゃなんないと思うのだろうか?

逆に言うと、話すべき内容がある場合はブロークンだろうがなんだろうが気合いで通じるし、いずれもっとうまく話せるようになる。気合いで通じないのならば本当に通じさせるべき内容がないのである。

もちろん、ぜんぜん知らない言葉は無理だろうけど、日本の学校の英語教育はそれほど悪いものではないと私は思っている。

この前、「『非常勤日記』という名前にしろ」と言われるほど授業関係のことばかり書いている。しくしく。他の人生がないんです。

某大学は倫理学関係だけで3コマ。登録者の概数が180+320+310にふくれあがっていることが判明。レポートが恐い。

板書の誤字についていろいろ悩む。(私は漢字が書けない。)

そもそも、板書というものについて悩む。どの大学でも「せんせー、ノートとらなくていいんですか?」という質問が多いのである。

昔はコピーとかが普及していなかったし、高価なものだったので、先生が板書したり喋ったりしたことをノートに写すことはたいへん意味があったのだろう。そもそも本も手に入らなかったのかもしらない。しかし、この時代にどんな意味があるのだろうか?レジュメは輪転機(じゃなくてリソグラフやプリポート(って商品名か))で刷って出しちゃうから、ちゃんとしたノートなんてとる必要はないと思うんだが。きっと中学・高校でノートをとるようにすりこまれちゃってるんだな。そのわりには板書したことしかノートを取ろうとしないのも理解できない。つまり、黒板を、ノートに再現すべきなにものかと思っているのだな。ノートのイデアが黒板なのか。

私は字が非常にヘタだし、恥ずかしいことに漢字をまったく知らないので、板書は非常に苦手である。よって、「字が読みにくい」と言われるのを予想して、「大事なことはテキストやレジュメに書いてあるから、それを見てください。板書は私が説明するためのメモでしかありません。そもそも、ノートは板書を写すためにあるのでありません。もしノートをとるのであれば、黒板を写すのではなく、自分があとで利用できるようなことを書くべきです。たとえば、私が喋ったことで気になったこと、わかりにくかったこと、(もしあれば)気にいったことなどをメモるのです」と言っている。

いや、やはり漢字書取と板書の練習をするべきだな。よいテキストはありますか? (「哲学教師のための板書ガイドと漢字書取練習帳」が出版されたら買うぞ)

唐突だが、「タモリの新哲学大王」という番組は気になったので私も昨日見た。むう。アフォリズムやマキシムと哲学はかなり違うものだと思うが、「哲学」に対する需要はまだまだあるよなあ。あの番組もやりようによってはおもしろいのだろうが。現実にはそれほどおもしろくない。

ちなみに、ここ数日よく聴いているのは、ウルフルズとオザケンとコーネリアスである。次は電気グルーブとボアダムズを聴くらしい。大丈夫か? ま、スタイルカウンシルとか好きだった世代には懐しい感じの曲が多いよな。


1997/04/25

看護学校。

「通」についてはいろいろご意見たまわって参考になる。九鬼先生の本は山の中にうずもれて出てこないんだよね。ちなみに、私は職業がら「野暮」である。これはもうどうしようもないのである。(ただし、「野暮」は否定的評価語かというとそういうわけではなく、野暮な商売の人(番頭さんとか)は野暮であるべきなのである。杉浦日向子の文章にここらへんの解説があったのもおぼえているが、これまた山の中。


1997/04/26

エヴァンゲリオンとかいうアニメの劇場版を見たらしい。不愉快な気分になるが、まあそれは予測した上でわざわざ見にいったのだから文句は言うまい。しかし、そのエヴァンゲリオンなるものの前にどういうわけかもう1本ドラゴンだか魔法使いだかなんだかが登場するアニメを見せられたのには我慢ならん。なんだってあんな陳腐なものを作ることができるんじゃろか?「ドラゴンクエスト」や「ドラゴンボール」以降(?) 「魔法」や衝撃波だかなんだかってのが物語の共通の語法になっちゃってんだろうけど、乗れないなあ。

「友情・努力・団結・勝利」ってのは、かつて少年ジャンプの標語であったし、ま、それは悪くないと思うんじゃが、いつのまにか、その語法のなかの「努力」や「勝利」の形がかわってしまったような気がする。やみくもになにかを繰り返し、あるいは主人公が理解できないようななにものかによって、たんに強くなって相手をたおすってのではなんにも物語としてのおもしろみがない。(というか、わたしが理解できない面白味が発見されたんじゃろ)。有限の能力のなかで(工夫や発見や偶然の力なども借りて)相手を倒すってのが醍醐味じゃと思うんじゃが。なんにもせんと、いきなりドラゴンが出てきて解決してくれましたってんじゃ意味がない。

「ドラクエ」なんかではいくらかの「発見」もあって、それなりにたのしいのだが、ああいうアニメではそういう部分がすっぽり抜けおちていて、あれを楽しめる人々にはそういうものさえ必要なくなっているのだろう。むう。

「罪万死に値する」という言葉があるらしい。しばらく前になんかの事件のときに(ミドリ十字か?)国会でそういう言葉を発しているひとがいて、非常に気にかかっていたのだが、この前のペルーの件についても夕刊フジでそういう表現を見て、同じようにイヤな気分になる。意味がわかって言ってるんだろうか?

ひさしぶりに深夜から明け方まで起きてごちゃごちゃやってた。本棚の整理をしないと、必要な本が出てこなくてこまっちゃう。しかし、物理的にも無理があるなあ。私も本とCDは捨てられない。

「通」については「関係なし」が11、「通ならば粋」が4、「粋ならば通」が1、「わからん」が4。どうも独立の概念かもしれん。九鬼周造の『「いき」の構造』は、すぐ手元で発見されたのでちょっと読みなおしたが、「通」については触れられていなかった。意気-野暮、渋味-甘味、上品-下品、派手-地味の対や、それらの特徴によって分類される「さび」「雅」「味」「乙」「きざ」「いろっぽさ」「chic」「raffin'e」については語られているんじゃが。それにしても、この本はなかなかおもしろい。


1997/04/27

(☆☆)

素敵な天気なのでやはり一人で散歩。今日は蹴上から北上コース。他によく使うコースは、鴨川・河原町コース、中京区コース、岡崎公園1周コース、円山公園1周コース、建仁寺コースなど。よいところに住んでいると実感する。

これから初夏にかけての季節はほんとうに好きで、ひとりでぽちぽち歩いているとなかなか充実感がある。まあ、1年中人生や生活苦について考えているわけにもいかない。

授業の関係で、ちと疫病などの歴史について調べる必要があったのだが、NHKブックスの立川昭二『病気の社会史』が非常におもしろかった。ちょっと古いのだが(1971年)、33刷もでているだけあってなかなかの名著だとおもう。病気(特に疫病)と文化の相互関係がわかりやすく書いてある。私のような商売だと、どうしても社会の歴史ぬきで思想を理解しようとしてしまうのだが、アテナイの疫病とペロポネソス戦争とそのあとのソクラテス・プラトンとか、ペストのあとの近代ヨーロッパ社会とか、結核と産業革命とか、コレラと明治とか。

この手の本を読んでいると、いつもは感じない奇妙な感覚にとらわれる。

うまく書けないのだが、まずは、単にsurviveするだけでたいへんな作業なんで、うちの先祖さまがsurviveできたのはまったくラッキーだった、とか。 (こういうのから宗教的感覚ってのは生じるんだろう。私自身はあんまり、単にsurviveできるかどうかっていうレヴェルでの「生」や「死」を考える機会がないから、ちゃんとした哲学・倫理学者にもなれないし、ちゃんとした宗教的感覚ももつことができないんじゃな。どうしても「生」といえば、とりあえずしばらく生物的に生きてられんのは自明(?)の上で、「どういう生がよい生か」とか、「生きるに値する人生とは」 :-)っていう(その程度の)問題としてとらえちゃうもんな。しかし人間はずっと、もっと基本的なレヴェルで脅かされてきたんだもんね。むう、ワタシはほんとにそこらの感覚鈍いな。しかし、考えてもいないことを「考えてます」って顔すんのもちょっとあれだしな。むう。「♪戦争を知らずに〜ぼくらはぁ育った〜」なんて歌そのものがもうなんだかよくわからんし。)

そして、ペストやコレラで死ぬことを考えたら60でガンで死ぬってのはそれほど悪くないな、とか。人間ってのもネズミと同じで、ほっとくと増えたり減ったりするもんなんでそれが「自然」だ、それにしても人類の回復力ってのも馬鹿にできない、とか。こんなに大量の人間が苦痛を味わうってのはひどいことだ、とか。現代日本ってのはそんなに悪い場所じゃないな、とか。まあ、いろいろ考えるためにもとりあえずsurviveしなきゃね。

(☆☆)

そういや、全然関係ないけど、エヴァンゲリオンってなかなか人が死なないのね。映画ではなんとかっていう基地のひとが大量に殺されてたけど、見てるひとが感情移入する程度の人々は死んでなかったし。つまり、あそこで大量にころされているひとはひとではない。

「ガンダム」で、重要そうに見えるひとが、宇宙空間でいとも簡単に死んでいったのとは対照的だよな。ガンダムでは、簡単に死ぬわりには暴力表現はあまり目につかなかったと記憶している。白兵戦は、あたかも殺陣を見ているようだったし。

エヴァンゲリオンにあるのはひとの生き死とそれに対する反省じゃなくて、どこかで聞いた実感のこもっていない言葉と、かなり質感のある粘液と暴力と殺意そのものなんだもんな。(いや、もちろんそれがいいんだろうけど)。「忍びがたきを忍び、たえがたきを耐え、さいごには爆発」ってのは力道山以来(もっと前からか)の様式美ではあるが。むう。いや、エヴァンゲリオンでは「耐え」ているんじゃなくて、おいつめられて暴走しているだけか。ガンダムよりずっと生理的に刺激があるよな。

こんなこと書いていながら、ペルーのことは忘れてるんだから。いやはや。いかんわ。連想書き殴り形式は人間の底が見えてしまうな。


1997/04/28

某薬大。いまいち。


1997/04/29

よい天気なので散歩。中京探索コース。イノダでコーヒーを飲んで(初めて行った。あんまり好みではない)、錦でチリメンジャコを買う。好物の葉ワサビも売っていたのだが、うまく調理する自信がなかったので断念(あとで後悔)。うちの近所にも「古川町商店街」があるのだが、ものの鮮度がぜんぜん違う。錦に毎日買物に行けたら幸せだろう。

そういや、中国茶と、金針菜(山ゆりの蕾?の干物)も買った。お茶もピンからキリまであるなあ。 後者は連休中にひさしぶりに鳥ガラでスープをとって、その具にしてみる予定だが、実現するかどうか。

唐突だが、ISO-2022-jpつかってるんだから、ついでに2byteの英数文字も排除すると完璧だと思う。

lynxを2-7-1になっているらしく、いつまでも2-7をつかっているのは悔しいのでアップデートしてみる。lynx.cfgを書きなおすのが面倒。

solaris2では、installは/usr/ucbのものを使わないといけない。ここらへんまで自動にしてほしいと思うのは怠慢なのか。ま、他に問題なく動くようになる。

lynxは2.7以降cookieに対応しているのだが、ファイルには保存してくれないようだ。そういう設定があるのかと探してみるが、見あたらない。むう。まあいろいろとポリシーがあるのじゃろう。(そもそも私はcookieというものが何をするものなのか全然知らんのじゃ)

ひさしぶりにfj.net.infosystems.wwwあたりを読むと、 電子通信情報学会というところが「ホームページデザインコンテスト」なるものを実施しようとしていて、話題(問題)になっている。応募作品なるものはどれもimageにalt=""がついてないし、どうしようもない。こまったもんだ。ちゃんとした学会なんだから、ちゃんとしたページを作って模範を示してほしいものだ。(あ、原理主義者も応募すればいいのか)

『病気の社会史』のネタ本であるハンス・ジンサー『ネズミ・シラミ・文明』(みすず書房)も読みはじめるが、(分量も話も)大きすぎて読みにくい。

営利誘拐殺人事件などを見聞きすると、感情としては、「死刑にせい、死刑。殺せ、そんなやつ」ってな感じになっちゃうよなあ。どうしたって。


1997/04/30

午前中は休み。午後1コマだけ。どうも調子がでない。やっぱり連休中は気がゆるんでいていかんな。

楳図かずお先生の不朽の超名作『漂流教室』を読む。もとねたの『蝿の王』の6倍ぐらい恐くて面白いよね。(実際、『蝿の王』を読んだときは、「これは楳図かずおのパクリだな」と思った記憶がある。)ただし手にはいったのは1、3巻だけ。実はこのマンガは小学生のころにサンデーに連載されていたのをときどき見ただけだった。しかしその分、強い恐怖の印象が残ってたわけだ。(どうやら72年からの連載らしいから、私は本当に小学2、3年生だった。私の人間集団に対する恐怖とある種の嫌悪感ってのはこのマンガあたりから来てるのかもしれないなあ。

このマンガでもペストがネタになってる。ここ数日、意味なく伝染病のことを考えているのであった。そういや、ジンサーの『ネズミ・シラミ・文明』はその世界にはいりこんでしまえば楽しく読めた。古くさい文芸趣味。でも、1932の本ってんだからしょうがないか。

mewのバージョンを1.70にした。Mailing Listでは、MHと手の切れたもののアルファ版が1、2週間で出るというようなことがアナウンスされていた。

ネットワークに負荷をかけないために、いちおうproxyを使っている。京大ではwww-cache.econ.kyoto-u.ac.jp:8080(sordine)とwww-chache.imel.kyoto-u.ac.jp:3128(polyester)が動いているはず。京大内部のひとは積極的に使いましょう。しかし、これってほんとにネットワーク負荷を軽くする働きしているのかなあ。

ちなみに、lynxならば、lynx.cfgか環境変数http_proxyで指定する。しかしここから太めでつながっているはずのSINETなんかはわざわざproxyつかうのがいやなので、lynx.cfgでno_proxy:ac.jpと指定して大学にはproxyを使わないようにしているわけだ。昨日は設定のためいろいろやっていたので、sordineから読みにいった記録があちこちに残っているかもしれない。いろいろ発見もあった。

むう、もう誰もが何度も書いているけど、WWWで必要な情報を集めようとすると、フラストレーションがたまるなあ。やっぱり、こりゃ実用にならんなあ。

今、去年の日本と世界のHIV感染者なんかと妊娠中絶の最新データを見たいんだけど、情報まで到達するのがたいへん。あっともしばしば使いものにならないフォーマットになっちゃってるし。ふつうにテキストにしておく(で<pre>などで囲む)のが一番汎用性が高いってことがわかんないんだろうか? テーブル使うよりレンダリングにも時間かかんないだろうし。厚生省はインデックスの作り方も工夫してほしい。

それに文字化けやらISMAPだけやらframeやらなんやらでもうどうしようもない。

gooなんか文字化けまで起してるし。ぐわ。もうやーめた。

WWWって、特定のライターを定点観測:-)するのにゃいいんだけどね。

こんな愚痴は見飽きたし書き飽きたけど、やっぱり書いちゃう。しかしつらつら考えれば、そんなデータでもないよりはましなのか。むう。図書館行ったりする手間とこうして自宅でイライラするのとの差引勘定ははたしてどうなるだろう?やっぱりプラスなんだよな。きっと。それくらいの評価はしなくてはなるまい。ではしばらく我慢じゃな。

つらつら考えると、これは私の方もわるいのである。WWWにある情報をすべてWWWから探さねばならぬという法はない。雑誌なんかの印刷メディアの方がブラウズするのは便利なんだから、それをもとにすりゃいいわけだ。と思いいたり、コンビニに行ってそれらしき雑誌を立ち読み。買わなかったけど。ま、本気で情報を探したいときは、弱小(失礼)サイトは不要なわけだからこれでいいのである。


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1997/05/01

今日はお休み。一日ゆっくり過す。(鳥ガラは近所では手に入らなかった。スーパーまで行かねば。)

以前に書いた自分の書き殴りを読んでふとバクシーシ山下なるAV監督についてWebの世界でどう評価されているのか知りたくて gooで検索してみると、私の書き殴りまで出てくる。まいったね。(赤尾助教授(あれ、教授だったかな)も出てきた:-)

私が彼のAVのファンだということはないので誤解なきよう。実際、二度と見たくない。婦人団体が抗議したとかいう話についてちょっと調べたかったのだ。

それにしても、gooはreferer_logに検索文字列が残るからおもしろいなあ。「恥ずかしい姿勢」なんてキーワードでうちに来たひとがいるよ。やれやれ。一単語にも反応しちゃうってのはよくないよな。

ちなみに私は次のようなperlスクリプトでreferer_logをチェックしている。(実際にはこれをfr.plとかという名前にして、

fr.pl | sort | uniq
している。
#!/opt/gnu/bin/perl use Kconv; $log = '/var/log/referer_log';

open(LOG, "tail -300 $log|") || die "can't open $log";

#open(LOG, "$log") || die "can't open $log"; while(<log>) {
  next unless (/eguchi/); s/%([a-fA-F0-9][a-fA-F0-9])/pack("C", hex($1))/eg; $_ = toeuc($_);
# tr/A-Z/a-z/; # s/^(.*)\?\S+/$1 /;
  print; }

あんまりエレガントじゃないな。Kconvというモジュールを使っている。 単にURL encodeされたのを見るだけだったら、

#!/opt/gnu/bin/perl while(<pre>) {
  s/%([A-F0-9][A-F0-9])/pack("C", hex($1))/gie; print;
}

っていうコードだけでいいはず。これをnkfにでも通せば。

<hr>はholizontal rulesですね。

The <HR> element is a divider between sections of text; typically a full width horizontal rule or equivalent graphic.

HTML 3.2では、使用法まで指示されています("may"だけど)。

Horizontal rules may be used to indicate a change in topic. In a speech based user agent, the rule could be rendered as a pause.

なるほど。3.2では"speech based"なブラウザ(?)も考慮に入ってるんだな。

<p>は「段落変更」ではなく、段落の開始である。終了は</p>。ただし終了の方は省略してかまわない。ふつう、<p>と</p>で囲まれた段落の前と後には、1行かその半分の空白があけられるはずである。(そうしてくれないブラウザもあるようだ。) rfc1866では次のようになっている。

The <P> element indicates a paragraph. The exact indentation, leading space, etc. of a paragraph is not specified and may be a function of other tags, style sheets, etc.

Typically, paragraphs are surrounded by a vertical space of one line or half a line. The first line in a paragraph is indented in some cases.

現在W3Cの「recomendation」になっているHTML 3.2でも次のようになっている。

The P element is used to markup paragraphs. It is a container and requires a start tag. The end tag is optional as it can always be inferred by the parser. User agents should place paragraph breaks before and after P elements. The rendering is user agent dependent, but text is generally wrapped to fit the space available.


1997/05/02

看護学校。

そろそろHTML 3.2に準拠して、<HR>にwidth="50%"とかつけようかなあ。

昨日バクシーシのことを書いてしまったので、今日1本借りてきてしまった。途中ぐらいから見ることができなくなる。高校あたりで援助交際とかテレクラとかをやらない方がよいという教材に使ってほしい。つまり危険なのじゃ。

ご存知ないかたのためにちょっとだけ解説すると、この監督の作品は、「女優」を精神的肉体的に痛めつてそれを見せることを目的としている。迫真(というか、もう犯罪そのまんま。私がこれまで見た2本はおそらくかなり前のものだから、これに対してどういう評価がくだされ、社会的にどうなったのかはよくわからん。詳しい人はおしえてください。とにかく、ああいう作品が公開できるのなら、「ビデオ倫理協会」とかはほとんど意味がないじゃろ。(だからといって「許可するな」と言いたいわけじゃないけど)

ま、最近、本屋に行くといわゆる「鬼畜系」の出版物が大量に目につくようになって、ずっと気になっているのじゃな。


1997/05/03

雨だったので、岡崎の古本市に。同業の方が荒らした後なので、別に重要な本はない。ヴォルテールの『哲学書簡』(岩波文庫)は今手に入りにくいような気がしたから手にいれておいた。他にはビーグル号航海記(3冊で800円なので)。

ジョージ秋山の『アシュラ』と『咲太郎』。『アシュラ』は読むのがつらい。こんなマンガが載っていたんだから、70年代初頭の少年マガジン恐るべし。諸星大二郎だって少年ジャンプだったわけだし、マンガ雑誌があんまり分化していなかった時の方が、青少年の多様な関心をよびおこすって意味はあったような気がするな。

永井豪の『キューティーハニー』。永井豪は、読んでいても「やーい、エッチ、スケベ」と非難される恐れがなくなったのでうれしい。(っていう感覚は私の年代のひとでないとわからんのではないだろうか?) 『あばしり一家』や『ハレンチ学園』なんかも全部欲しいな。

その他、安い新書・文庫をごちゃごちゃ。

次の古本市は、


1997/05/04

連休は徹頭徹尾家でごろごろ。昨日はカレー、おとといはハンバーグとか作ってよろこんでいた。

最近目的の本がすぐに探せなくて困ることが多いので本棚の整理をもくろむが、予想どおり途中で挫折。前より悪い状態になる。六畳の部屋一面に本がしきつめられた状態。ううむ。同じ本を何冊ももっているのも悲しい。

前に看護学校で体育の先生と一緒になり、「まあ、ウォーキングですね。2日に1回ぐらい、とにかく40分休まず歩くこと」とアドバイスされたのでなんとか実行中。

全国のアイちゃんファンの皆様こんにちわ。今日はひさしぶりにアイちゃんがNHKに出演しましたねー。すてきでしたねー。賢いですねー。感動しましたねー。チンパンジーあなどるべからずですねー。

それにしても、最近のNHKの科学番組はどれも面白いなあ。なんか腕ききのプロデューサーとかいるのかな? 昨日は「地球」のやつをずっと見ていたのであった。

(☆☆☆)夜、ひさしぶりにお医者と将棋。1勝2敗。話題が援助交際とかいうものになり、とうぜん「なぜ援助交際はいかんか」という議論になり、「朝日新聞のようにわけわからんものに訴えるんじゃなく、危険じゃからという理由で私利にうったえたほうが効果ありそう」ってな感じの話をする。「危険とは?」とたずねられたので、(私のなかで)話題のバクシーシ山下のAVのサワリ観賞する(やっぱり途中まで)。不愉快な気分になったと怒られる。すまん、医者。しかし、あれを中学・高校で見せたら援助交際しようなんていう子は減ると思うな。やろうかな。(うそ)

「満足な豚より不満足な人間、満足した馬鹿より不満足なソクラテス」というミルの有名な部分を、「現実逃避的傾向」と解釈する人がいた。(安食正夫『プライド』中公新書p.14)ふーむ、そういう見かたもあるか。


1997/05/05

寝る。散歩。結局、スープストック計画は挫折。午前中に行動しないとガラは手に入らない。


1997/05/06

授業再開。まずまず。さすがに私語はかなり減った。(しかし絶滅させるのをめざす)

水谷助教授が「The BASIC」に連載中の デジタル万華鏡 (電脳曼陀羅は中村正三郎でした)が一部オンライン化されたようです。よろこばしい。

なんと、エッチの話は私の名前が発端だったのか! (<a name=>には空白とかいれても大丈夫だっけ? うまくreferできないような気がする。)

そういや、昔から「えっちさとし」とか「エロ恥」とかよく言われたなあ。しくしく。とくに、「江口恥」(江口聡だってば!)と書くやつはいまだに後をたたないのが悲しい。

まあ、「エッチする」という言葉については私はそれほど抵抗はない。「ムカツク」や「エラソーニ」という敵意ある言葉に抵抗があることを前に書いたが、まあ、そういう言葉とはちょっと違うじゃろ。もともとは女学生の使う言葉だったのではないかな。

そもそも、性にまつわる表現はいろいろ婉曲にしたり冗談めかしたりしたくなるものなので、まあ、ほほえましいと思う。ちょっと反省すると、「セックスする」とかっていう表現もなかなかへんである。なんでそんな基本的な単語に外来の言葉をつかわねばならないのか? すでに「せっくす」という言葉をつかうのにも照れとか入っていたんじゃないかな。40年〜50年代の日本の雑誌などを見ると、そこらへんの表現に苦労しているのがわかる。 (よって私はその行為は「交尾する」「愛をつくる」「ネジをまわす」「それをひたす」「それをもつ」「相互交流をもつ」 などを用いる。「ようよう、ねえちゃん、ネジまわせへん?」とやるわけである。(うそ)「おセックス」とかも好きざます(これもウソ)(あんまり下品で頭が痛くなった))

「寝る」とかってのも実感にそぐわないようになったのかもしれない。(いや、立ってするようになったわけではなく....)

興味深いのは、「セックス」と対比される意味での「ペッティング」という表現や、関係の一元的進行状態を示す「A、B、C」などがほとんど消滅したように見えることで、「高校生はキスまで」「結婚前はセックスはいかんがペッティングは許す」というアメリカ50年代的自己欺瞞的態度(?)が消滅しつつあることを反映しているのだろう。「セックス」という言葉には、上のCを指すという狭い意味があって、「エッチ」はもっと広い身体的交渉を指すのだろうし、そういう意味でつかいたくなるのもわからんではない。

書き忘れたが、「スケベする」という表現は1984年冬〜1985年春には、河原町近辺ですでに使用されていた。また同時に(それに対応して)「エッチする」という表現も用いたことがあると思う。

ちなみに、二人称の「お宅は」という表現は、1975年ごろに多用していた。

こういうネタが続いたが、最近でた度会好一『ヴィクトリア朝の性と結婚』中公新書は当時のイギリス社会に関心をもっているひとは必読。当時の手紙や日記を中心にして、性をめぐる「神話」の真相をあきらかにするという本。ちょっと全体を通しての筋が見にくいけど、資料として十分おもしろい。カーライルを貧乏人よばわりして結婚をこばんだ女やら、すべての功利主義者のマドンナであるハリエットちゃんやらも登場。もちろん、そのほかハーディーやらオースチンやらも出る。もっとも、「偽善に満ちたヴィクトリア朝」という認識はかわらなかったけど。(もちろん私は偽善が大好きなので、そうであってくれてうれしい)


1997/05/07

国内哲学・宗教学関係リンク集 哲学テキストリンク socioにミラーしてみる。SINETを利用している大学関係の方などはこちらの方が速いはずである。どちらも大変な労作で、非常に有用なものなのだが、大学からは遲くて遲くて私はこのごろチェックしていなかったのである。作者の永崎氏と涌井氏に感謝。

仕事の上でちと小さな(?)ミスをしてしまう。むう。ま、いっか。もっと大きいのはいろいろやってんだから。


1997/05/08

雨。某大学。まずまずかな。木曜日はいつも帰ってくると、「キュウ」ってな感じで死にそうになる。なぜ特に疲れるのだろうか。

しかしビデオを返さねばならないので百万遍へ。ついでに、いくつか借りてくる(もうAVは見ない)フレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズの「トップハット」を見て寝る。もうひとつかな。「コンチネンタル」の方がずっとよくできているよなあ。


1997/05/09

質問なんですが、大学の臨床心理学やカウンセリングなんかの授業で、オプションで3万円ぐらい払って合宿して集団カウンセリング(2泊3日ぐらい泊りこんで悩みを語りあったり、身体的接触をためしたり、泣いたり笑ったりetc.ってやつ)なんかをするのはふつうのことなのでしょうか?

某看護学校は今日はお休み。家でゆっくり。初夏っていいなあ。

名人戦第3局は谷川の勝ちだったのね。棋譜だけ手にいれた。まだ評や解説をまったく読んでないけど、棋譜を見るかぎりでは谷川らしい名局なのではないかと思うのだが。(実はまた双方ミスだらけの凡局だったりして)毎日新聞勝ってこよう。

今日入るはずの給料がはいってない。ううむ。困りまくり。

MacでGIFのアイコンを作るフリーソフトはないものだろうか?

辺境の地において、ある細菌との局所戦激化。冬の間に絶滅させておくべきであった。あわてて救援物資を送る。最近はかなり高性能な兵器が開発されているので、敗北の心配はない(はず)。

楳図かずおの『漂流教室』2、4、5巻を読む。夢落ちにしなかったのはエラい。


1997/05/10

ひさしぶりにHTML原理主義宣言に手を加えた。いつまでたっても完成しないし、文章もなんだかヘン。でも、まだ一度も読んでないひとは一度でいいので目を通してください。おねがいします。

初夏ということで無性に体を動かしたくなり、夕方ひさしぶりにジョギング。
知恩院→川端三条→鴨川を北上→今出川(折り返し)→鴨川を南下→御池
というコースをちんたらちんたら走るとほぼ40分かかる。今日の目標は、「とりあえずゆっくり40分体を動かす」だったので満足。よいシューズをもっていないので、足腰に負担がかからないようにラフを走ることができるのがこのコースのよいところ。(また、カップルを観察(「出歯亀」か?)できるのもよい。距離も時間もちょうどよいくらいなのでこのコースを「公認ジョギングコース1号」とする。

今日はウォークマンを持ちながら(Chicのベスト)走ってみたが、ディスコサウンドではちょっとペースがあがりすぎるようだ。おそらく通はウォークマンなどしないのであろう。

散歩やジョギングは楽しい。一銭もかからない娯楽である。問題はうちにシャワーがないこと。


1997/05/11

軽い筋肉痛が心地よい。

唐突だが、松本大洋の『ピンポン』は京都の駸々堂コミックランドでは全巻平積みになっている。


1997/05/12

授業は悪くないような気がする。しかし眠い...

加藤尚武『現代倫理学入門』(講談社学術文庫)をテキストに使っている授業を二つやっているのだが、そのP.38「10人のエイズ患者に特効薬が1人分しかないときにどうするか」という問題に対して、どちらの大学でも1/4近くの人が「均等割り」や「捨てる」を選択する。つまり、「1人しか助けられないなら誰も助けない」を選択するのである。非常に興味ぶかい。

問題の文章がちょっとミスリーディングだったり(失礼)、私のその問題状況についての説明が舌足らずだっだりする可能性があるが、もっといろんな心理的問題があるのだろう。ちょっと考察するつもりだが、今日はあまりに眠いので明日。簡単にメモしておくと、おそらくこれは「平等」という価値を最優先するためではなく、自分が生き残る者となった場合の「咎め意識」と関係がある(あたりまえか)。


1997/05/13

「出歯亀」なる言葉は昭和生れにゃわからんかもしれんのう。(ワシも変換まちがえておった)やあ、すまんすまん。明治の末に池田亀太郎という男がおったのじゃ。変態性欲者で女湯とか覗きまくったんじゃな。まあ、それいらいノゾキとかするようなヤツをデバガメというようになっていた時代があったのじゃ。流行語じゃな。じゃから、ワシのような明治生まれの人間や、そういう時代の文章なんかを読んでいる人間だけにしかわからん文章ができてしまうのじゃ。まあ、辞書にも載ってはおるがの。

実はこのひとは女湯を覗いたあと、さらに凶悪な行動にも出たそうじゃ。くわばらくわばら。

故郷から服などが送られてくる。ほろほろ。


1997/05/14

まじめに授業。午後「哲学」はちょっとうまくいかなかった。むう、むずかしいものだ。

いろいろあって、とりあえずホームページからこの書き殴りへのリンクを消した。「What's New」のリンクも切ったので、とりあえず書き殴りは分離されたわけである。とにかく、移動しなければならない時期が来てしまったらしい。無念。このまま(ホームページとのリンクを切って)続けるか、もとにもどすか、あるいは別のサーバーに移るか、あるいは完全に地下にもぐるかは未定。

大学における集団カウンセリングについてご意見ありがとうございました。現在まで、18通回答をいただき、うち、「そういうもんだ」が2通でした。そういう合宿などをしているところもあるかもしれないという情報もありました。はっきり、ふつうはそうなのかどうかということはわかっていません。そういうもんなのかもしれません。

以下に、書いて秘密の場所においていたもの。

===================== ここから ====================

さて、ちょっと耳にした話なのだが、(危ないネタかもしれないのでとりあえず用心のためこっちに)ご相談。

ある大学では「カウンセリング」という授業があって、その受講者はこの連休中に合宿をチョイスすることができたそうである。二泊三日で3万円ほどの費用が要求されるらしい。教務課を通して申しこむ。クラスのかなりの人数が参加したらしい。で、どういう合宿かというと、どっかのお寺に行って、3日外に一切出ず、グループで身体的に接触してみたり、悩みを語りあったり、泣いたり笑ったりというものらしい。(だいたい想像つくよね?) 帰ってきた子はかなりハイになっていて、あんまり親しくない子にもこれまでの悩みごとなどをいきなりぶわーっとうちあけたりする精神状態になっているらしい。すべて伝聞。

むう、たしかにカウンセリングってのは、実際に福祉の仕事とかしようとしたらそういう技術が必要なのかもしれないし、そういう訓練をつむものなのかもしれない。たしかにそれくらいのことをしないと、カウンセリングなんてできないかもなあ。

しかしなあ。うーむ。夏休みは1週間の合宿があるらしい。ううむ。なんだか。大学が人格開発セミナーを紹介しているようなもんなわけだしなあ。ま、3万円だったら安い(!?)からいいのか? (ふつう10万円越えているような気がする)カウンセリングの授業というのはすべてそういうものなのだろうか?

通常の授業の様子などは知らない。参加して疑問を感じている子もいるそうだ。「あとで考えると、指導者に体をいいように触られていたような気がする」らしい。その話をしてくれた子は、そんなひどいのなら見物に行ってみようかな、などということを言っている。

カウンセリングとはそういうもんなのだろうか?

私はそういうものにひやかしで参加するのさえ危険だと思うのじゃな。

以前JICC出版局の『人格改造』というブックレットを読んだことがある。鶴見某の『人格改造マニュアル』は未読。

いくらまきこまれないようにしようとしても、ワシら人間は、罵声や鳴き声やさけびや非難など、そういうものには生理的に反応してしまうようにできているのだと思う。そういう場所で平静でいられるはずがないのである。ま、ある意味(っていうか、まさに)洗脳そのものなんだし。

ある方は集団カウンセリングを覗いたという報告をしてくださったが、実際にその中で経験すれば、外からは笑えるものも笑うことはできなくなってしまうのではないだろうか? 何度も言っているが、私はアドレナリンが出るような状況は(極端に限られた場合を覗いて)嫌いである。そんな状況にはおちいらずに生きていきたい。戦争反対。

恋愛や友人関係や学校の授業、ってのも、まあ、いろんな意味でカウンセリングや洗脳に似ているというのはある。愚痴をこぼしあったり、他のひとには話せない悩みを吐露したり、感情的になったり、人格攻撃:-)しあったり:-)、まあそういういことは濃い人間関係の中心部分のはず。それ自体は問題はないと思う。

問題は、集団カウンセリングなんてものは、そういう「操作」そのものを目的にしているってところにある。人為的に生理的に不安定な状態をつくりだし、そこでなんらかのカタルシスを体験させるってのは、まあ、それを十分に説明を受けてのことであれば、悪いことではないのかもしれないが。しかし、自分が心理的ストレスをかけられたときにどうなるかを十分に知っている人はそう多くないだろう。

その集団カウンセリングに友達同士で参加した女の子たちは、それに参加した同じ男の子を好きになってしまい(!)、関係が悪化したそうな(伝聞)。精神的ピンチのときに恋愛感情がひきおこされるってのは当然あるじゃろな。パニックもの映画ではなんらかの仕方で男女がくっつくし、それをワシらは納得して見てるもんね。

カウンセリングにお金をはらうということは、ふつうの人間関係ですませるべきかもしれないことをわざわざ金をはらって誰かに依頼するってことなんだと理解している。お金をはらってパパや恋人やガールフレンドなんかになってもらうってことなのだろう。 だからまともなカウンセラーの原則第一条は「お金はらわないやつとは会わない、決った場所でしか会わない」のはず。

集団カウンセリングはその集団で相互にやらすんだから、安上りだし(金銭的な意味だけでなく、心理的コストという意味で)、邪悪な意図もはたらきやすかろう。

20歳前後の女性を、そういう手口でモノにするのはそれほど難しいことではないだろうと思う。私がそういうセミナー開いたら、毎回1人は、まあ、ウハウハだな。(下品)あんまり関係ないような気もするが、そもそも教師なんていう職業はそういう危険性とつねに隣合わせになっていると私は理解している。

まあ、健康なものではない。なんでそんなものを大学が紹介するなんてことがありうるんだろうか? どう考えてもちょっとおかしい。

むう、問題は、私はセックスなどと同じように、そういう人間関係における心理ってのは人の核になるべきもので、簡単に金銭にからめるのはおかしいし、意図的に操作するのもおかしいと思っているのだな。いや、売買春の方がずっと問題が少ないかもしれない。

ううむ、このネタは表のページにも出したいなあ。 (☆☆☆☆)しかし、いやしくも福祉だのカウンセリングなどを志すのであれば、そういう経験もつんでおく必要があるだろうとも思うわけだ。前にも書いたように、私たちは、他人から糾弾されたり、危機的な叫びを聞いたり、苦痛の呻きを聞いたりしたときに自分がどう反応するかってことを知らない。殴られたときにどういう痛みを感じ、どう反応するのかってことを知らないひとも多かろう。(私自身、ここしばらく殴られたことがないから忘れちゃってる)絶対的に弱い人間や醜悪な人間を前にしたときにどう行動するかも知らない。

ワシらはそういう経験をつまずに「大人」になっちゃったりしているちゃったりするわけだなんちゃって(酔ってる)。んで、そういう状態で「カウンセリング」なんかしちゃったら、患者(じゃなくてえーと。うぃ。ひっく。)にまきこまれたり、自分の気づかないサディズムが呼びおこされたりしてしまうにきまっているような気もしないでもない。んじゃ、あらかじめ免疫つくっちゃえ、というのもありそう。そりゃー、例えば登校拒否だのカジュアルセックスしている人の苦しみを理解する一番てっとりばやい近道のように見える方法はそういう体験をしてみることだろうからね。人格改造セミナーや宗教団体にはまるひとの内的生活を知るにははまってみるのが一番早いだろう。ワシらの想像力や認識力なんてたかが知れてるからのう。

む。そこまで考えた上でのことじゃったら許す。許してつかわす。やれ。集団。泣け。わめけ。動揺し絶叫せよ。金とられて不幸になることを教えるためには金をとって不幸にせよ。

続くが、前に行っていた塾が、まさに人格改造セミナーのようなものだった時期があるのだな。経営者はガタイのいい外見も醜悪なおっさんで、私が働きはじめた当初は、生徒を怒鳴るわ怒鳴るわ。私は知らないが、殴ったりしたこともあるはず。そういう恐怖と個人的なアメ玉で生徒をあやつっていたわけである。おそらくその当時は、教師の方の力不足を彼のカリスマでおぎなっていたのだと思う。

そのころ私(D2の冬だからもう5年まえ?)は「研修期間」ってやつで、時給800円で授業の見学をしているだけのころだった。そんなところにいたくはなかったのだが、経済的にやめるわけにもいかなかったのである(と合理化しておく)。

恐怖の前では理性だの合理性だの理屈はなどなんの役にもたたないのである。

その塾は、それを一度見たあとは、おっさんとは直接にはほとんどかかわりなく過すことができたので、まあ、直接にはそういうものにコミットしないですんだ(と合理化しておく)。そこの雰囲気もずいぶんずいぶんなごやかで合理的で効率的なものになったと思う。実際、そのころのようなひどい顔をした生徒はそれ以来見たことはないし、合格者は増えたし。すこしは潜在的な幸福の増大に貢献したと思う。(ほんとうは、去年教えた子たちが今年どうなっているのか心配なんです。ああ。)

あれは麻原と同じ手口だし、私たちは一度恐怖にとらえられたらそれに対抗することはほとんど無理なんだと実感した。以前、麻原がどこかの支部の女の子に電話しているテープてのが流れたことがあったが、あれとだいたい同じなわけだな。

むう。あそこで私は何が起っているのかを把握することができなかったし、自分がするべきことを認識することもできかなったし、それがわかったとしても行動することはできなかっただろうから。

人格開発セミナーとかヘンな宗教団体に出たひとびとも、おそらく「これはヘンだ」と思っても抜けだすことができないのだな。それはバクシーシ山下のAVで逃げられないのと同様。(ちなみに私が見てショックを受けたのは『女犯』の4と5である。)

さらにつっこむが、そもそも、そういうものを嫌悪する私の方がおかしいのかもしれない。長年人間とかいうものは戦争だとか、喧嘩だとか、宗教的儀式とか、共同体の祭だとかそいう興奮状態を味わって生きているわけで、そういうのがないってほうがおかしいのかもしれない。時々なんらかの強いストレスをかけないと人間はぼけるんだよな。「人間は戦争が好きなのである」ってのはどうだ? いや、これは最近読んだなんかにあったなあ。『病気のうんたら』だ。

これはしばしば感じることで、例えば私の生活は「ケ」ばっかりで「ハレ」な時がないのである。むう。そういうのを金を出しても手に入れるべきなのか?

===================== ここまで ====================


1997/05/15

リンクを切ったのは別にどこかから圧力がかかったりしたわけではない。災厄を未然に防ぐのである。(ほんとう)

ついでに、「日記猿人」というところもひさしぶりで「新作リスト」というところを見ると、なんだか多くの日記に埋もれていて意味不明なので登録をはずすことにした。日記猿人ファンのみなさま、さようなら。またどこかでお会いしましょう。

じわじわと後退しているわけである。こういう行動をしてしまうところが、雨つづきの日々の軽い鬱を反映しているわけである。」


最近また「日記界」というところでモメゴトがおこったようだが、しばらく電脳野次馬を引退していた私にはよくわからん。実際のところ、こういう日記のたぐいは、あんまり多くの人に読まれない(正確には特定の人に読まれないように)するのがたいへんなのであって、私にとって「誰にでも楽しめる」ようなものはそれほどおもしろいものではない。個人的な独白や随想や失望や激怒を読みたいと思う。いつも書いていることばかりでおもしろくないからコメントアウト実際のところ、「ばうわう」氏の文章はもめごとを起しているときしか読まない。暴れているときだけは、彼自身の奇妙なpreferenceがはっきり出ていて、まあ、興味がひかれたりもするなあ。

遅刻しそうになり、あわてて亀岡の某大学へ。今日は「学生大会」ということで、午後の授業は休講になる。ついでに午前中の1コマも休講にしたかったのだが、まあ、そういうのもナニなので急ぐ。

やはり、嵯峨野線も亀岡駅からのバスもがらがら。「ああ、やっぱり学生大会の日なんか、みんな学校には行かないんだな、きっと教室ガラガラだな、やっぱり休講にすればよかった」などと思いつつ大学到着。それにしても人がいない。ぽつり、ぽつり。こんなに学生がいないなんて、学生大会の実行委員なんかもたいへんだろうな、などと思いつつ事務へ。しかし、なにやら紅白の幕をたらして消防団の式典の準備などをしている。ううむ、学生大会しながら別の行事もやるってわけか。うーん。ちょっとなあ。

しかし、ここらへんでヘンなことに気づくべきであった。

学生「あ、先生、先生の授業とりにわざわざ来たけど、今日は創立記念日で休みらしいですよ。

がーん。またやってしまった。じゃ、学生大会はいつなんだ?

去年も某大学が夏休みのときに行ってみたり、学園祭のとき行ってみたりした。オレってダメなやつ。しくしく。人間失格。

午後時間があいてしまったので、京都駅からふと京都線に乗り、気がつくと大阪福島の将棋道場にいる。実にひさしぶり。なにやら調子よく、6連勝で4級に昇級。ついに。うーむ。感動。どれも序盤で苦しくして終盤でひっくりかえすという展開なので、なかなか気分よい。4級の認定証と、5連勝賞として小銭入れをもらう。これから私のことは江口4級と呼ぶこと。


1997/05/16

看護学校。

関西将棋会館で将棋。○●●○○

やはり4級ではそんなに簡単には勝てない。


1997/05/17

近所に功利主義者たちが集結しているという噂を聞いたので、ひやかしに行く。

帰宅してすぐに寝る。金がないときは寝るのが一番。


1997/05/18

今日も功利主義者たちが会合を開いているようなので、午前中ひやかす。それにしても、功利主義って言葉はどうにかならんか。どうしても「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんな」という人々の会合のようではないか。

某氏と将棋して●●○。

最近、『Quick Japan』という雑誌のバックナンバーを集めて読んだりしている。

3月号はコーネリアスの小山田圭悟がいじめっこだった話だの、竹熊のオウムの論評だの、4月号のブルーハーツ解散の話だの、読みごたえがあって、最近の雑誌のなかでは、なかなか上位に位置すると思っている。というか、私の嗜好にあっている。大昔の『宝島』を読んでいるような感覚がある。

「消えた漫画家」でのジョージ秋山や『聖マッスル』の特集もなにやら感心して読んでしまった。

子供のころの私に衝撃を与えた秋山の少年ジャンプに連載していた『灰になった少年』や少年マガジン連載の『地上最強の男・龍』(作者名は失念)を読んでみたいぞ。『灰になった少年』はもはや出版は不可能だと思うけど。

本人の精神状態不安定のため、ホームページ(index.html)を書きかえる。こりゃ、最初から書きなおさなきゃだめだな。とりえあず解体して仕切り直すか。


1997/05/19

某大学で授業。

木屋町「鮹道楽」で「明石焼」を食べながらバクシーシ山下『セックス障害者たち』を読む。それほどおもしろくない。ま、こんなもんじゃろ。この本から、「ビデ倫」の判断基準が曖昧であるというご指摘をいただいていたのだが、まあ、たしかに曖昧だが、その件について特に考察したくなるような本ではなかった。つまりどうでもよい本であった。AV作者はAVだけですべてを語っているので、わざわざ本を読む必要はなかったわけだ。ちなみに、「明石焼」はおいしくなかった。

どうでもよいことだが、私の前歯の1本は差し歯である。これは、昔酔っぱらって自転車に乗っていると、東大路の歩道に自転車が転がしてあり、それに乗りあげて転んで折ったのである。自転車というものは危険なものなのである。


1997/05/20

非常につかれて、帰ってくると動けない。


1997/05/21

なんとか午前中授業。午後は学園祭だかなんだかで休み。今回は事前に察知していたので行ったりしない。寝てしまう。

給料が入っていた。これの大半が借金返済にあてられるかと思うと悲しい。とりあえず、たまりまくっている家賃の一部と、これまた滞納している電気とカードを払うとほとんど残らん。ぐう。家計簿を復活させる。

しかし、いつまでも水の漏れるヤカンを使っているわけにはいかないので、2000円ぐらいの笛が鳴るやつを購入。このタイプのものは、空焚きすると壊れることは実証ずみなので避けようと思ったが、沸かしっぱなしにしてしまうことも多いのでやはり笛つきにした。

え?んじゃ前はなんで空焚きしたんだって?口を開けたまま沸かしてしまったのよ。意味なし。

区役所から呼びだされている(保険証の書きかえ)が、恐くて行けない。

どういうわけか、今ごろSugar BabeのSONGSなんかを聴いている。ボーナストラックのライブの「愛は幻」〜「今日はなんだか」のあたりがなかなかよい。でも一番好きな曲は村松が歌う(?)「ためいきばかり」。山下達郎ってひとは声が細すぎてちょっと気の毒。これだけはどうにもならんからなあ。大貫妙子もなんだか音程が不安なときがあるな。


1997/05/22

仕事がおわってから、鶴見の『人格改造マニュアル』と、別冊宝島の『洗脳されたい』を買ってきて、ビヤホールで一人さびしく食事しながら読む。

『洗脳されたい』はたいしたことないんだけど、鶴見はやるなあ。覚醒剤使おうが、人格改造セミナー通おうが、それでハッピーになれるんだったら価値があるっていう主張で、頭がぐらぐらする。

私もすでに、タバコ、コーヒー、酒といろんな化学物質にたよっているんだよなあ。


1997/05/23

休み。警察に行って免許証をもらい、散歩がてら歩いて区役所まで行って、健康保険の手続き。たっぷり冷汗をかかせてもらう。とりあえず、今年からの分は払うという誓約書にサイン。誓約書を書くのは実はこれで3回目。今回は同情的なおじさんなのでまだ助かった。

ぷらぷら大学に来て、借金の一部を返済する。


1997/05/24

昼は薬味だらけの素麺、夜は玄米と鰺とタラコとアサリとモヤシとシシトウと油揚。健康な食生活っていいなあ。

素麺は自分でツユを作りたいが、椎茸をもどしたりできたダシを冷したりすることを考えると面倒だよな。私はセッカチなので、時間がかかるものは作りにくい。 夕方、スーパーに買物に行く途中でひさしぶりに鴨川将棋会館へ。私はここではまだ段級がさだまっていないのだが、初段に3連勝。将棋会館より甘いのね。

夜、医者とビール飲みつつ将棋(○●●●●○)しながらよもやま話。これほど移植が必要なのは、あんまり人が死ななくなって死を目撃することが少なくなったからなのか、生殖クリニックがこれほどもうかるのは、ロマンチックラブイデオロギーがあまりにも優勢になったためなのか、なんて話でもりあがる。借金の一部を返済する。

それにしても、ここ4年ほど健康診断を一度も受けていないのが気がかり。恐いよう。せっかく保険証を更新したんだから、どっかで検診受けるか。


1997/05/25

夜、小雨のなか、川辺り(うちの前には白川が流れている)でホタルが一匹だけ光っているのを発見。おそらくまだ幼虫だろう。

調子が出ないのは、きっと気温が低いからだよなあ。早く暑くなってほしい。


1997/05/26

2年生のドイツ語の授業は最近調子いいのだが、人文の授業が失敗。むう、睡眠不足か、昼飯を抜いたせいか、単なる準備不足か、鬱か。

帰りに寺町でプリンタのインクを買うと、近くに「スーパーその日暮し」という家計簿ソフトがおいてある。私のような破滅型経済生活のひとに生活指導してくれるらしい。まえから気になっているのでパッケージを手にしてしばらく考えこむが、7000円も出せないのでやめる。このお金でジーンズでも買おう。

とりあえず今日は日が暮れる前に寝るべし。はやく暑くならないかなあ。こんなの、夏じゃないよう。やだやだ。本物の夏を返せよう。わーん。


1997/05/27

天気と頭の調子の関係を実感する。

授業から帰ってきて夜は料理プレイで楽しむ予定だったが、諸般の事情によりスーパーに行きそこねたので、ふらりと祇園の店に入ってみる。

イスが6、7ぐらいしかないカウンターだけのほんとうに小さな店で、料理も惣菜風のものだけ。おでん、クリームコロッケ、おひたし、ポテトサラダ、豚の生姜焼なんてものをビールといっしょに食べるとウマい。ごはんもなにやら感動するほど旨い。いや、ほんとにおどろくほど旨いごはんだった。勘定が気になっていたのだが、安いじゃないか。なんだか村上春樹のエッセイの「うさぎ亭」に来たような感じであった。うーむ、そういう店が実在するんだなあ。

これまで祇園は恐くてぜんぜん利用していなかったのだが、これを機会にお店をさがしてみることにしよう。


1997/05/28

まずまず。やっぱり天気は重要。デパートでジーンズを買う。やっと今年の普段着ができた。実は、今、ふつうのはくズボンが全然なかったのである。(すべて大きな穴があいていた。)

表ページはほとぼりがさめてから秘かに復活の予定。

スーパーでは青梅と氷砂糖とビン(壷?なんていうだ?)が並べて売ってある。挑戦しようかと悩んだが、今日は見送り。梅酒を作れる生活ってのは、かなり豊かな感じだよな。いや、経済ではなく気持ちが。

1997/05/29

最近、夜もなかなか時間がとれなくて書き殴れない。むう。


1997/05/30

爆眠。看護学校は毎週授業があるわけではない。やはり、週休2日と3日の違いはでかい。

ひさしぶりに、自転車に乗って烏丸鞍馬口の至誠堂という洋書屋へ。いろいろ欲しい本があるが、全部買うわけにはいかない。やっぱりこの生活はだめだ。

これまた懸案であった市府民税について相談しに区役所へ。2年分20万近くをためこんでしまっていて、何度も督促されていたのだ。前に一度行ったときと同じように小部屋に通され、冷汗をかく。とりあえず2万円まきあげられる。しくしく。ああ。しかし、借金というものは、時々でも一部を返して誠意を見せることが重要なので、いたしかたなし。やっぱり今年も苦しいなあ。

買物ついでに鴨川将棋会館で2局。初段と2段に連勝。やっぱり、あそこは段級認定がかなり甘いなあ。

ひさしぶりに夜時間がある。 うれしい。掃除しようか、久しぶりに酒のみに行こうか、あの本を読もうか、寝るか、などと思案しつつ時間が過ぎていく。

(☆)

とりあえずトイレなんかを掃除しちゃったり。

WWWによる掲示板はたいてい使いにくい。かといって、fjやjapanあたりでグループを作るのもこれまたちょっと面倒だし、余計な人々にも読まれることになる。いっそのこと、ローカルなニューズサーバーとか立ちあげることはできないもんじゃろか? いや、やはりメーリングリスト程度で我慢すべきか。

もう、かなりの数の蛍が飛びかっている。悪くない。


1997/05/31

一日ゆっくり授業ノートを作ったり、本読んだり。

少し時間があるときは、とりあえず『断腸亭日乗』なんかをぱらぱらめくって、そういう余裕のある気分になっておく。たとえば(季節がちがうけど)

秋海棠植え終りて水を灌ぎ、手を洗ひ、いつぞや松延子より送られし宇治の新茶を、朱泥の急須に煮、羊羹を切りて菓子鉢にもりなどするに、早くも蟋蟀の鳴音、今方植えたる秋海棠の葉かげに聞え出しぬ。かくの如き詩味ある生涯はけだし鰥居の人にあらねば知りがたきものなるべし。
ということらしい。

どういうわけか、モリエールの『人間嫌い』の文庫本が出てきたので読んでみる。高校生のときに読んだ記憶があるのだが、筋を思いだせずなんとも新鮮。とくにこの本は、その私がかつて読んだやつではなく、これで卒論を書いた昔のガールフレンドのもので、いろいろ書きこみしてあっておかしい。彼女は元気なのだろうか。


1997/06/01

というわけで、ひそかに復活してます。

随時、特定ドメインからのアクセスをブロックしたり、いきなりパスワードをかけたりすることもあるはずです。

いきなり読めなくなったりしたときには、メールしてみてください。

近所に「千鳥酢」という酢を製造してところがあることを知った。最近改築したので目立つようになったのである。このまえ試しにその酢を入手してみたのだが、これが旨い!酢がうまいことがあるとはおどろきであった。それ以来毎日酢の物を作っている。(ワカメ酢の物しか酢を使う料理はおもいつかない:-)

こんなに味がかわるのなら、味噌や醤油もちゃんとしたものを使いたいなあ。塩はコンビニの天塩で満足している。

ところで、全粒粉の小麦粉なんてものはどこに行くと手にはいるのだろうか?阪急と高島屋の食料品売場では見つけられなかった。三条の明治屋や元田中のマキならあるかなあ。マメ類はマキにけっこういろいろあることを確認しているのだが。

午後、明治屋に行ってみると、あるではないか。全粒粉の小麦粉。1Kg(?)400円。安いじゃないか。フスマとかも手に入ることを確認。しかし、結局それらは買わずに、ソバ粉とアップルジャムとメイプルシロップを購入。これで何をするかは秘密。他にもギーとか入手してみた。昨日寝るまえに読んだ本がわかっちゃうな。

明治屋では生鮮食料品を買う気にはなれないので(あそこは高過ぎるし、過剰包装も気にくわない)、スーパーに行くと、やはり梅が気になってしょうがない。清水の舞台から飛びおりるつもりで(おおげさ)梅1Kg、氷砂糖と貯蔵ビンを買いこみ、酒屋で焼酎を入手ついでに、そこのオバさんに詳しい製作方法を伝授してもらう。梅1Kgに対して氷砂糖600g、焼酎1.8Lというレシピで、梅のヘタをとりよく洗い、完全に水気をふきとること、ちょっとでも痛んでいるヤツは排除することがコツと教わった。

というわけで、帰宅してから梅酒製作。ビンに今日の日付をつけ、記念撮影を行なう。とりあえずこれを飲めるときまで生きていることにした。


1997/06/03

疲れた。明日は午前中授業がないのがうれしい。ゆっくり寝るぞ。

この喰い物のことばっかり買いているが、私は玄米はふつうの炊飯器で水を多め(2倍ぐらい)にして炊いている。炊きあがりはベチャベチャだが、しばらく蒸らすとほどよい感じになる。昔は土鍋で炊いていたころもあったなあ。

今日はギーを使ってブロッコリーを炒めてみた(カキ油風味)が、ふつうのサラダ油よりちょっと濃厚な感じだが、あんまりかわらんな。固形の油(ギーは常温では固形)は初めて使ったのだが、思ったより大量に使うものなのだなあ。 この「ナイル印のベジタブル・ギー」は(ブリキの?)缶にはいっているのじゃが、このまま保存しておいて大丈夫なんだろうか?金属が腐食したりしないのかな。


1997/06/04

よく寝た。しまった、ゴミを出しそこねた。

そういや、(朝っぱらからなんだが)「自慰的行為」ってのもかなりヘンな言葉だよな。まず、「自慰」という言葉がこの表現以外はほとんど死にたえていることもあれだが。なんといっても、おそらくこの自慰的行為という言葉はたんに事実を記述するだけでなく、否定的に評価しているんだろうけど、なんで自慰が否定的評価語として使われるのがよくわからん。「(a)(どうせするなら)自慰より性交の方がより望ましい」という判断があるのか、あるいは「(b)自慰はそれ自体望ましくない」という判断があるのか。

おそらく、子供のころの「自慰はいけません」というような教育による否定的印象を利用した言葉なんだろうけど。(そういう教育を実際にうけた人はどれくらいいるだろう?)

まあ、「人に見せるべきではない行為」の代表としてあげられるようなもんなんだろうな。その点には同意する。

さて、そのソバ粉のパンケーキを作ってみる。水かげんがわからなかったので、ちょっと薄くときすぎたようだ。ほぼレシピ通り、マーガリンとメイプルシロップとリンゴジャム(レシピではリンゴソース)食べてみる。ふむ。こんなものかな。つまり、ソバの薫りのクレープじゃな。悪くないが、やっぱりご飯と納豆とみそ汁という朝飯の方がいいな。ヨーグルトはやっぱり小岩井のやつがうまい。

唐突だが、「ホームラン・アーティスト」っていう言いかたは昔から何度か耳にしたことがあるなあ。もちろん、この「アーティスト」は芸術家という意味だろう。(「ホームラン」自体が和製英語だと思う)たしかに、昔の田渕(古い)とかブライアントなんかの打球は芸術って感じがあったけどな。今なら江藤やいいときの松井なんかもそういう存在に近いかもしれない。

なんだか「江口の家事日記」のようになっているが、食器やまな板用の布巾がなくて困ったので、これまた丸元先生の著書を参考にして商店街の布屋でサラシを買ってくる。10m550円。安いじゃないか。これで当分困らないな。

もともとサラシってのはこういうふうに使うものだったのかしら? 「小学校相撲大会」でマワシのかわりにしたり、他の暴力団と出入りのときに腹にまいたりするもんだと思ってたが。


1997/06/06

看護学校。インフォームドコンセントの話。

終了後、福島の将棋会館。○●○○●○。

梅田付近でちょっと飲んで、さらに京都に帰ってから百万遍でさらにちょっと飲む。ひさしぶりに債権者と将棋。●○。


1997/06/07

デパートでカーテンというものを買う。これまで12年間、カーテンというものを使ったことがなかったのである。


1997/06/08

久しぶりに植物園でも散歩しようと、阪急でパンと惣菜と(安い)ワインを買って、地下鉄の駅まで歩くと、路線に「国際会議場」という駅がある。地下鉄が北の方に延びたらしい。というわけで、散歩は宝が池に変更。戸外で飯をくってだらだら午後を過す。やらねばならぬことは多いのだが。

ワインというのも(日本酒同様)難しいもんだ。値段の格差が大きすぎる。どれくらいの値段ならどの程度の味がするかっていうスタンダードがわからん。今は酒屋で1500円程度のものを飲んでいる。

だいたい、まずまず私はうまかったな、と思ってもその銘柄を憶えられないのである。みんな、どうしてるんだろう?どうもしていないのか。


1997/06/10

名人戦第6局は、予想通り矢倉。しかしかなりかわった序盤。明日は将棋会館に行って大盤解説を聞きたいな。

(☆☆☆☆)えと、遺伝子プールの多様性というポイントは、クローンや(ある種の)人工受精などに対する反論にはならんというのが現在の私の意見である。人口が1億2千万もいる国で、ちょっとやそっとの数では遺伝子の多様性を減らすことはできないと思われる。(そもそも、2000年前は現在の人口の1/20程度だったことを考えてみよう)


1997/06/11

英語。午後はなし。

むう、谷川やったか。おめでとう。今ちらりと棋譜を見て並べてみたのだが、前進流の名前がぴったり。しかし、わからんところもある。その後、棋譜を検討してみた結果、どうもやっぱり駄局と見た。あるいは、羽生になんらかのためらいがあったか。

粘着性のカーペットクリーナーや、微細繊維によるクリーナーなどによって、部屋の清潔化計画が進行中。世の主婦の方々はこういうもので1日過したりしているのだろうか。カーペットクリーナーなんて、いつまでころがしても終らないじゃん。


1997/06/12

某学園。ここはけっこうたのしんでやらせてもらっている。今日は午前中だけなので楽勝。学生大会ということで出席が心配だったが、まあ、ふつう通りであった。

電話が止る。

今年度分の国民健康保険は、年額16251円(!)。府民市民税は37700円(!)。ううむ、すごいぞ。これくらいだったら払います払います。まっとうな一市民への道が開かれつつあるようだ。

よく言われることだが、将棋というのは、よい手を指して勝つものではなく、悪い手を指して負けるものなのである。したがって、あまりに実力が違う相手を平手で指すと非常につらい。相手が自分の悪手を的確に咎めでくるために、自分の技術レベルを実感させられるからである。囲碁の場合は、とにかくなんらかの「地」が残るが、将棋の場合は相手の意地が悪い場合には、駒がほとんどなくなってしまったり、まだ序盤なのに投了しなければならなかったりする。非常にフラストレーションがたまるものである。ここらへんが、囲碁との大きな違いであると思う。「なんでも腰掛け銀」じいさん、許さん。いつかみてろ。


1997/06/13

某看護学校。ぼちぼち。

いつものように福島の道場へ。今日は、前に一緒に行こうと誘っていたある方も合流。彼は5級ということになってしまったようだ。もちろんその某5級との手合もあった。○●○○○持(持将棋)。

「お前の血液型はおそらくB型であろう。やーい。」というご指摘があった。ううむ。血液型おそるべし。

実は私は占いとかけっこう好きなのである。特に星座は重要。


1997/06/14

休日。しかしいろいろやるべきことがある。


1997/06/15

今度は縁の下(?)で子猫が1日中鳴いている。うるさくて眠れない。いったいどこから入ったのか見当もつかない。


1997/06/16

某大学。帰るなり、寝てしまう。つかれてるなあ。先日、アメリカから一時帰国中の某君に2年ぶりで会うと、「ふけた」と言われる。さもありなむ。

猫は今日もニューニュー鳴いている。水や食物もなく、ただ鳴くだけなんだろうなあ。かといって、救出する方法もない。ま、救出しても事態は改善されないだろうが。あそこで朽ちはてるのを待つのみである。明日が山か。

自宅のMacでもSKK 9.6が動くことに気がついて、さっそく乗りかえる。


1997/06/17

某大学。某大学。帰国中の某君の歓迎会。

帰ってくると、床下の子猫がかすれた声で鳴いている。おそらく、今夜を越すことはできないだろう。


1997/06/18

猫はまだかろうじて生きているようだ。

朝、まだアルコールを分解しきれていない感じ。あの程度を7時間かけても分解できないようになってしまったか。

英語。

「せんせ〜、朝いっつも眠そうやなあ。はれぼったい目して。ひげもそらんと。寝ぐせもついとるで〜。ちゃんとせなあかんでぇ。ちゃんと。」

午後哲学。アドバイスをうけて、ヒゲを剃り、寝ぐせをなおし出直す。ここはけっこうたのしい。やっぱり「哲学」の授業するにしたって、倫理的概念をあつかう方が「哲学」らしい印象を与えるらしい。

帰宅して、ごはんつくって食べると睡魔が。深夜起きてしこしこ勉強。むう。

皆そうだと思うが、毎日毎日、商業目的のへんな英文メールがけっこう大量に(私の場合、1日5〜10通)まいこんでくる。もちろん読みとばすのだが、いちいち消去しないとそのうちinboxがいっぱいになってしまい、メールの整理に影響がでる。めんどう。どっかに、そういう悪のメールアドレスリストとかないかな。いっきに/dev/null行きにしてやるのだが。しかし、あんまりリストがでかいと、いちいち機械的に処理するのも処理速度に影響あるかもな。むう。

庶民のささやかな射幸心をあおり、搾取する悪のインスタント宝くじ。5枚買うと、合計1100円あたる。そこでさらに5枚。やはり1100円。合計200円の収入となった。うれしい(うそ)。

「おひつ」について考える。食堂なんかに行くと、ごはんがおひつにはいって出てくるところがあって、なんだか好ましい。ちょっとおいしくなっているような気もするのだが、どんなもんだろうか。実はうちにも一つ、どういうわけかおひつがあるので、次回はわざわざうつしかえてみようかと思う。しかし、そんなご家庭は今どれくらいあるのだろうか? 私自身の記憶をたどっても、かなり古い記憶にならないと「おひつ」なんか出てこないなあ。


1997/06/19

某大学。快楽の比較、ゴルギアス、ホッブズ。私はやっぱり暑いとちょっと調子が出てくるようだ。

FAXが届く。

警報時には
  1. 7:00 amで解除...平常通り
  2. 11:00 amまで解除...午後から授業
  3. 解除されなければ休講
だそうだ。楽しみ。呼べよ嵐、吹けよ風!ドラムでも叩くか。

1997/06/20

休講。しかし、11時の時点でそれが決まるっていうことなので、京阪三条の駅まで行ってから休講を確認。とりあえず家に帰って寝る。

午後大学に来ると、またもやWINDOWSなんかをいじれと言われる。

本棚が必要なので児玉学士につきあってもらい生協へ。私は会員証を換金してしまったので、児玉師匠の会員証で買って、うちに配達してもらいたいと思ったわけだ。

「えと、本棚の」
「これです」
「む、えと、カタログ見せてほしいんですけど」
「これしかないです」
「む、4段?7段のとかありませんでしたっけ?」
「これだけです。」
「昔は6段とか7段とかありましたよね?」
「これだけです」
「えーと、んじゃ」
「買いたしてもらうことになります」
「む。んじゃそれをふたつ。こっちの人(児玉師匠)が買います。」
「配達ですか?そしたら他のところへ配達するのはできませんよ」
「む.....んじゃ、もういいです。」

というわけで、私はこれ以後、京大生協では一切買物をしないことを宣言するものであります。


1997/06/21

昨晩は、常備菜候補の身欠きニシンの煮つけなんかを作ってみる。なんだか体がニシンを欲していたのである。そば屋などで食べるものとはぜんぜん違うものができてしまった。生タイプをつかったから?あるいは薄味すぎる? レシピには日持ちすると書いてあるが、ほんとかな。

デビッド・リンチの『ロスト・ハイウェイ』を見る。このひともあいかわらず壊れているなあ部分的にはずいぶん面白いのだが、私はちゃんと落ちなり謎解きなりがないものは嫌いである。

医者と将棋。○●。


1997/06/22

2度つかってみたが、たしかにお櫃というものはすぐれものである。冷えた時に、水分でべちゃべちゃにならないのが大きい。

証明写真を撮る。もうおじさんだなあ。

最近、中古のLPを適当に買うことが多かったのだが、今日はCD。Nona GayのLove for the Future。ちょっと古い。これはポップいいのだが、オリジナリティとかっていう意味ではもうひとつだったかな。このファーストCDのあと、なんにも出してないけど、売れなかったなかなあ。Jam & LewisにプロデュースしてもらえばKaryn White程度には売れたんじゃろが。

Isely Brothersのベスト。"Between the sheets"が聴きたくて買った。ちょっと冗漫なところがあるよね。

Marvin Gay & Tummi TerrellのYou're all I Need。やっと買えた。このコンビってのは、モータウン史上、っていうか、R&B史上最高の組み合わせのひとつだわなあ。

他にも最近は、Steve ColmanだのJamaaladeen Tacumaだのってあたり(つまりコンテンポラリーなジャズってやつか?)も買ったな。こういうのは売れないんだろうなあ。


1997/06/23

某薬科大学。

ふと魔がさしてひさしぶりに入ったパチンコ屋で(今日は給料日だった)小さくあたる。換金するより得かと思い、腕時計をとる。実はここ2、3年、腕時計もってなかった。でも、金色でなんだか趣味悪い。


1997/06/24

某薬科大学。某教育大。

きゅう。あと2週間ちょっとかあ。きゅう。

今年初めて虫の声を聴く。もう夏か。


1997/06/25

英語。哲学。哲学の方はちょっと調子悪かった。むう。

国民年金が襲ってきた。恐いよう。

この前指した将棋を思いだして棋譜にしてみた。私の棋力を知りたいひとはどうぞ。たいていの将棋ソフトで読めるはず。最近やっと棋譜を復元できるようになってきた。以後復元できるものは残しておくことにする。それにしてもおいら弱いなあ。(今回は相手のポカでなんとか勝てたものだけど)


1997/06/26

亀岡。正義と功利、規則功利主義。カリクレス礼賛。ロックの契約説。

今、時代は習い事である。

ところで、私はクーラーを非常に憎んでいる。単に、これは単なる好みではなく、一つの理想である。つまり、クーラーが嫌いというだけでなく、その存在自体が許せん。クーラー破壊工作地下組織があったら入会しているかもしれん。

今日某大学(ここは教室にクーラーがある!)で、(おそらく学生が)極端に温度を低く設定していたので激怒する。気づくと女の子が寒くて震えていたのである。なんであんなもんが必要なんじゃ。ぷんすか。いつか撲滅してやる。せめて、温度が必要以上に低く設定できないようにすることを義務づけることはできないもんじゃろか。やはり、地道な宣伝(啓蒙)工作しかないじゃろか。

哲学的急進派である児玉師匠などに刺激されて、功利主義があるがままの姿で日本(の哲学界)に正当に輸入されていない理由を考える。

たとえば倫理学の授業なんかをすることを考えてみる。「みんなが幸福になるように」という考えかたは、あまりにも自然(あたりまえ)なんじゃな。「ガメツイ大富豪である越前屋からちょっと千両箱くすねてきて、貧乏長家に配る」という考えかたに、本気でそれはまちがっていると考えるひとはどれくらいいるだろうか。人を助けるためにウソをついてもかまわんと考えないひとはどれくらいいるだろうか。


1997/06/27

看護学校はあまりうまくいかなかったのでしくしく。

その後、ちと道場に寄り(●○●)、こだま師匠のバンドのオーディションを西九条まで見物に行く。はじめて見たのだが、正直なところ、師匠のバンドは音楽的になかなかのものであると思った。7つ聴いたバンドのなかでは楽曲、演奏ともに最もよかったと思う。パフォーマンス全体としてみても二番目の地位を獲得できたはずである。(残念ながら、パフォーマンス全体として見たばあい、一番よかったのはヴィジュアル系のバンドであった)

それにしても、調子の悪いやつというのはどこにでもいるものである。なんだってお客の前で、「関係者」と「司会」が喧嘩しなきゃなんないんだ? 客として不愉快だったし、バンドも気の毒であった。


1997/06/28

梅田の「まんだらけ」なるかなりイカれた古マンガ本屋を訪れる。ジョージ秋山の『銭ゲバ』を探したのだがなかった。無念。とりたてて見るべきものなし。実家に保存されている古いマンガはっこう高値で売れるやつもあるかもしれないな。


1997/06/29

前にも書いたように、私は知恩院のなかのお寺の門についている小屋(昔は下男とか住んでいたんじゃなかろうか)で暮らしているのだが、昨晩遲く、「ドカン」という大きな音と強い衝撃あり。また地震かとおもいきや、車が門につっこんできたのである。いやはや。門は大破。土台がはずれ、門全体が傾き、壁にひびわれあり。

今日大家さんが言うには、犯人は大家さん経営の駐車場を借りている人で、おそらく酔っぱらっていたのだろうということであった。むう、私がタバコを買いに出た瞬間だったらお陀仏だったのだな。

道を歩いたり横切ったりするときは、あの高速で移動する物体のなかには正常な意識状態の人間が乗っていると前提しているわけだが、この前提はぜんぜん正当化されないんじゃな。あたりまえじゃが恐い恐い。


1997/06/30

きゅう。


1997/07/01

TeXはどう読むかという(お約束の)話題を見かけたが、私は心のなかでは「テックス」と読んでいる。なんで私はあれを(心のなかで)「テックス」と読んでいるかだが、それが一番自然な読みだと思うからじゃな。 The Joy of TeXなんていうある有名な本のもじりの名前のこれまた有名な本もあるしね:-)みんな心のなかでは「てっくす」と読んで、(ついでにある連想もはたらかせて)、口ではどう発音するかちょっと躊躇して、もごもご発音しちゃうってのが狙いなんだと思うな。

計算機の世界では伝統的に「どう読むか」「どう表記するか」ってのでいろいろ遊ぶことになっているようだ。ちょっと食傷ぎみだが、TeXの言葉遊びは、まあ、クヌース先生(と当時の計算機世界のひとびと。ハッカーというべきか)のユーモア感覚がわかって悪くない。

ちなみに、全然関係ないけど、あなたの使っている計算機では、manコマンドは使えるだろうか。GNU emacsを正しくインストールしたUNIXマシンならば、man sexやman celibacyやman condomなどが読めるはずである。もし正しくインストールされていなければ、管理者におねがいしよう。(うそ。emacsのtutorialやFAXなどのファイルをおさめたetcディレクトリにある。)


1997/07/02

時節がら、「不正なことをされたときに不正なことをしてもよいのか」ってな話をする。

ヒュームはおもしろいなあ。


1997/07/03

亀岡。危害原則、イデア論、道徳感情論。ふう。ここもあと1回。もうちょっとで睡眠極楽、将棋天国がまっている(はず)。

『国家』をちゃんと紹介できないのは、やっぱり勉強不足が原因だな。しかしプラトンも悪い(と私は思う)。

夏恒例の微細昆虫との戦い。あいつら、何考えているのか全然わからんよなあ。あれに比べればネコなんかは非常にわかりやすい。自分が哺乳類であることを実感する。

ヴィデオで『ワイルド・アト・ハート』を見る。壊れているけど、いちおうラブストーリーなんだろうなあ。


1997/07/04

お休みの日。布団を干そう!

将棋会館で昇級。これでついに3級である。某5級とは香落ちの手合ということになる。むう。3級に昇級してからは4勝2敗。だいたいこれくらいの実力なのだと思っていたのである。

最近は指した将棋をかなりの確率で再現できるようになっているのがなんだかうれしい。年内に初段てのはちょっと無理だろうな。


1997/07/05

実は今月から毎週土曜はスイミングスクールに通うのである。今日は午後のクラスに出席した。1クラス15人ぐらい。これが多いのか少ないのかはよくわからん。ほとんどおばさん(失礼)なのでそういう楽しみはあんまりない。まず30分みっちりストレッチした後、プールへ。私は平泳ぎ以外では泳げないので初級コースということになる。初級とはいっても他の人々はかなり泳げる。私自身はクロールの息継ぎができないので今日はそればっかり練習していた。恥ずかしいといえば恥ずかしい。情けなくもある。むう。運動量が少なくてちょっと欲求不満。とにかくクロールができるようになるまで地道にやるしかないなあ。講習の日をふやししたいなあ。フリーで行って泳ぐかなあ。

私は小学生のとき以来、ちゃんとしたスポーツの指導をうけるのはこれがはじめてなのである。なかなか新鮮な感覚を味わった。

プールと言えば思い出すのは大江健ちゃん。特に名作『「雨の樹」を聴く女たち』。泳いだあとにサウナにはいっているとおばさんがいたのでちょっとどきどきした(って書いても意味不明だな)

なんとか家賃もはらう。やっと4、5月分。むう。お金がぜんぜんなくなってしまった。やっぱりスイミングスクールは無理だったかなあ。

虫さされに塗る藥をはじめて買う。むう、効く。藥おそるべし。

夜、お医者とちょっと将棋。●●●。調子悪い。

「フォーカスの事件とかどう思う?」
「ま、あれは編集部がバカなんだと思うけど、そもそも成人による犯罪だって、個人によるものなんかは実名で報道しなきゃなんない理由はそれほど明白じゃないんだよね。」


1997/07/06

夏はいいなあ。

洗濯したり布団を干したり。私の住んでいる下宿にはクーラーなんかはないけれど、窓も玄関も開けっぱなしにしていると、暑いながらも風が通りすぎていく。銀杏の葉が揺れる音が心地良く、夾竹桃と百日紅が目に痛い。

外の日射しを網戸ごしに見ながら、薄暗い部屋のなかで、薬味たっぷりの冷奴と素麺でお昼にして、本を読んだり試験問題を作ったり、ちと昼寝したり。これで風鈴があれば言うことないなあ。もうすぐ夏休みだ。

夕方から二条のフジタの屋上のビアガーデンで涼む。屋上の風はさらに気持ちよい。帰り道、鴨川べりを歩くと、多数の若者たちが花火をしている。若干不愉快な気分になってさらに歩いていると、座っているカップルをロケット花火が直撃(意図的ではないと思うが)という現場に遭遇してしまった。幸い怪我とかはなかったようだが、私が被害者だったらどう行動すべきかなんてことを考えてしまったのであった。

それにしても花火の害は大きい。本物の打ち上げ花火や線香花火なんかはたしかによいものだと思うが、コンビニで売っているような打ち上げものとかロケットものとかは許しがたい。うるさいし、美しくもない。見るべきものがないのである。やってる若者たちもたいして面白いと思っていないのではないだろうか? 発売禁止しろと叫びたいくらいである。どうにかならんか。

どうでもいいことだけど、man condomを熟読した結果、STV (System Transmitted Virus)を防ぐ一番の方法は、使用する実行形式をすべてchmod 700(see chmod (1))することだと気がついた。) マニュアル作者に連絡しようか:-)


1997/07/07

高槻。とにかく月曜の仕事はこれで夏休み。きゅう。あとちょっと。ぜいぜい。


1997/07/08

高槻と柏原。朝遅刻しそうになるが、意外なことに楽勝で間に合ってしまう。1時間で目的地に到着できるとは驚いたね。

あと2日。

摂津富田の駅前の古マンガ屋で、榎本俊二の『ゴールデンラッキー』を発見したのでとりあえず1〜6巻を手に入れた。(安かったが、重かった)電車のなかで読みゲラゲラ笑う。あやしいダメサラリーマンに見えていたことであろう。

ここしばらく、京橋で降りて食事してから帰宅することが多い。あの駅近辺でうろうろしているへろへろのサラリーマンの一人になっているわけだ。

ときどき麻雀屋に入りたくなる。もう長いことしてないなあ。まだルールを憶えているだろうか? ご近所にお住いのみなさん、誘ってくれませんか?当然レートは極安で。(研究室で麻雀するのはだれだっけ?)


1997/07/09

そういや私は1人で1コマ喋るような講義には飲物を持っていくことが多いのだが、昨日某教育大の生協にミネラルウォーターが入っていたのはうれしかった。実は以前何度も「水はないですか?」と暗に要求していたのである。私はいつも水かなにかを飲んでいないと駄目で、講義中は「間」をとるのにも適当。

明日の某大学の購買でも同じことをしているのだが、あっちも成果があるといいな。

今年もベビーパウダーのお世話になる時期がやってきた。皮膚が弱くてすぐにアセモができてしまうのである。風呂あがりに体中白くする。江口が全裸でパウダーをはたいている図など想像しないように:-)パウダーの缶のなかにパフも入っていることを予想して買ってきたのだが、入っていなかった。以前にも同じ失敗をしたのを思いだした。なんだか不親切だよな。また薬屋まで行くのも面倒なので手でぬりたくる。くりかえすが私が全裸でパウダーを手でぬりたくっている図など想像しないように。いやはや。

問題は特にスネのあたりにあるのだが、スネ毛をそってみたら問題は解消されるだろうか?

ふう、あと1日。

『国家』は嫌いである。なんというか、退廃しているというか独善的というか。『ゴルギアス』の緊張感がない。きっとこれを書いたころのプラトンのまわりには、お追従ばっかりの弟子たちしかいなかったんじゃなかろうか。


1997/07/10

亀岡。めでたく夏前は終了である。

祝いに出町柳駅前の紀州屋でちょっと飲む。私はここで白身の魚のお刺身と釜飯を食べるのが好きである。それにしても高い店になったなあ。昔は庶民的な店だったのに。突き出しに手のこんだものが二種類も出てきたり、加茂茄子田楽に海老がのってくるようになっちゃあお終いだ。もう行けないな。しくしく。さらば、わが青春の紀州屋よ。


1997/07/11

夏休み1日め。午前中早くに起きてしまうが、「V-A-C-A-TION、なつやすーみー」などと歌ってみて、(大滝だか小西だかわからんが)ふたたび寝る。まず睡眠が基本。しかしやらねばならないことも山積み。

岩波新書でこの前出た「陶淵明」を読む。おもしろいなあ。どっかの大学に学士入学でもしたいもんだ。「じ〜ん〜せいが〜に〜ど〜あれば〜」(古い)

プールでちと泳ぐ。自由遊泳の時間は空いている。若い女性もちらほら見うけられるようだが、コンタクトレンズをはずしているのでなにがなにやらわからん。実はそれほど若くないかもしれん。同じ階の別のプールではシンクロや水球なども練習しているようだ。水面から足が何本も生えているは確認したが、これも近眼のためなにがなにやら。

平泳ぎで体力を消費したのち(水中を歩いているオバサンに抜かれたのはショックであった)、課題の息つぎを練習。 利用時間の終り近くになって、クロールについてのある種の真理を体得したかのような感覚に襲われたが、詳細は不明。

運動するとご飯を大量に喰えるのがうれしい。気分だけはアスリートである。

「お蚕さま(おこさま)のように飯が食えたらのう」というフレーズは『カムイ』にもあったが、幼いころにもどこかで聞いたことがある。たしかに肉体的な快に対する態度が変わるんではないだろうか。(いや、ちょっとおかしいか)

この先(お金があれば)行くかもしれないライブ


1997/07/12

夏休み2日め。今日は水泳教室の日なので、かんたんにご飯を食べてから行きました。クロールがすこしできるようになったのでうれしいです。もう25M泳げるようになりました。でも、背泳ぎのれんしゅうで水をがぶがぶ飲んでしまってかっこわるかったです。

虫とたたかうためにバルサンをたきたいのですが、せんたく物を部屋のなかに干しているのでこわくてできません。こんど晴れた日にすることにしました。また虫にさされるのかなあ。やだなあ。ぼくはとりあえず虫を殺したいです。殺したくてたまりません。

今日はゆうか団の木村さんがラグでライブをするのですが、けっきょくお金がなくて行けません。とってもかなしいです。やっぱり世の中はおかねがいちばんだいじだと思います。

そんなことを言いながらも、せんたく物がかわかないので着るものがないので、2枚で1200円のティーシャツを買ってきました。

もうどうしようもないほどおいつめられたので、へやのじゅうたんをはがすことにしました。これでひとあんしん。


1997/07/13

昆虫をガスによって抹殺し、部屋の浄化を行なったつもり。

その間大学に避難し、勉強しているつもりで『カイジ』を読み時間をつぶしつつ博打について考える。『カイジ』は阿佐田哲也以来の傑作だよなあ。5巻の最後の方で破綻しちゃってるのがちょっと残念。

博打のたのしさってのはつきつめると借金の楽しさ苦しさ、博打の話は最後はかならずもっと一般的なシノギの話になっちゃうんだもんなちなみに阿佐田哲也の本で一番好きなのは『ドサ健バクチ地獄』

半自動で収集しているalt.binaries.pictures.*やjapan.binaries.pictures.*の画像を閲覧していると、例の容疑者の少年の画像らしきものもまぎれこんでいる。むう、ニューズで流した人もいるんだな。

夜、ごはんをたべていると某5級来訪。酒をのみつつ将棋。●●○●。


1997/07/14

solaris 2.5にmpack(munpack)というMIMEのエンコーダー/デコーダーをインストールしたいのだが、getopt.cでエラーがでちゃう。stdio.hとプロトタイプ宣言がくいちがってるぞと怒られてしまう。しくしく。私の能力では対処不能。

他にMIMEなメールなんかからバイナリーを切りだしてくれるツールはなかったかしら?(インタラクティブじゃないものが欲しい)

上の問題は、ある方の情報によって無事解決した。

*** getopt.c Tue Jul 15 03:11:46 1997 --- getopt.c~ Fri Feb 17 06:39:44 1995 *************** *** 62,69 ****
  int getopt(ac, av, opts)
      int ac; !  char *const av[]; !  char const *opts;
  {
      extern char *strchr(); static int i = 1;
--- 62,69 ----
  int getopt(ac, av, opts)
      int ac; !  char *av[]; !  char *opts;
  {
      extern char *strchr(); static int i = 1;

こういう時に、ネットワークは巨大な知恵袋であることを実感する。それにしても、目的(特に秘す) まで推察されてしまった。ハッカーおそるべし。

Quick Japan最新号を読むが、ちょっとテンション低い。まあ、いいときのレベルを維持するのはたいへんだわなあ。

こんどは羽蟻が部屋を乱舞している。ま、このひとたちは私に危害を加えるわけではないのでそれほど殺意は覚えない。


1997/07/15

grepはふつーGNU (e)grepだが、日本語の必要があるときはふつーjgrep。jvim(viクローン)のおまけについてくる。

(☆☆☆)

女泣き濡れるの巻

深夜、一人でQUESTで飲む。どういうわけか泣き濡れる妙齢の女性がある。店を出てからコケる音が聞こえるが、皆無視。

江口遭難すの巻

酔っ払って店を出て、三条京阪の裏を通って帰ろうとすると、(ヤンキー風の)女二人組みを、車から(ヤンキー風の)男二人組みがナンパ中。

そこを通りすぎてしばらく行くと、後から車。

「ぶろろろろ」「おい」
「おい、こら」
「?」
「なんやこら。」
「?」(あ、私か)
「ジャマすんなや」
「?」
「見てくなや。なんや。こら。こら。」
「む?いや、すまん」(よく理解できないときにすぐにあやまってしまうのは私の悪い(?)癖)
「見られたらできひんやろが。こら」
「あ、じゃまだった?すまんす。そういうつもりでは」
(助手席の男はパイプ状のものをとりだす)
(うえー、あぶねー。お金目当てかな?お金は今1100円しかないなあ。現状の私を見てお金をもってそうと思うかな?)
「こら。逃げんなや。足早いで。こら。」
(むう、こっちはよっぱらいサンダル。ま、別に逃げる必要はない。あやまってしまえばよい。しかしこっちもアドレナリンが出ているのを確認しているのでけっこう速く走ることができるだろう。人間を肉食動物型と草食型にわければ私はまちがいなく草食型。最悪の場合逃げ足だけは...。)
「すんません。悪かった。ごめん。」
「......行ってええ」
「そりゃありがたい」
「なんやて?こら。」
「いや、ほんとに悪かった。ごめん。」
(君たちが今夜「できひん」のは君たちが悪いのではなく、すべて私が悪いのである。非常に反省しているのである。)
「気ぃつけや。こら。」「ぶろろろろろろろろ(こら。)」

一人でよかった。連れがあるとまた状況はちがってしまうもんな。こら。

Moral。ナンパしているところを見たら目をそらすべし、こら。繁華街の裏道はあぶない、こら。宵々山は危険である、こら。気ぃつけや、こら。


1997/07/16

蕎麦屋(最近は東山三条をしばらく東に行った「桝富」という店を利用することが多い。ふつうの蕎麦屋だがなかなかうまい)で京都新聞を読んでいると、投書がある。「農学部の荒廃ぶりは目にあまる。ときどき女性の悲鳴があり、学外者の私もほうっておけないので近くに行こうとすると、見張りの若者がいて近づけません。(中略)警察を入れないのなら自警団なりなんなりを作るべきではないでしょうか」というかんじ。

そういや昨日も新聞を読んでいると、一昨年まで私が住んでいた岩倉長谷町でナイフを持った連続強制猥褻魔が捕まったなんていう記事もあった。やだやだ。

安全は大事だなあ。

夜、「ふちがみとふなと」を聴く。あいかわらず楽しめる。「おいしいご飯と酒と音楽があればごきげんになるとは分かりやすい奴ねえ」

このデュエットについては前にも書いた。おすすめである。

これを聞いているときに感じたのだが、ロックなんかにも古典的名曲っていうか基礎知識のようなものがあるんだなあ。(あたりまえだけど)そういうことを考えちゃうのが私の悪き教養主義なんだけど。

で、これを書いてからgooで「ふちがみとふなと」で検索してみると4件。なるほど。さらに読んでいると、去年の神戸でLee Konitz (じゃずの偉い人。好き好き)とボアダムズのギタリストが共演なんかしている。なるほど。ボアダムズの音を聞いていると、フリー寄りのジャズの影響をずいぶん感じていたけど、こいつがそうだったわけね。ふむふむ。勉強になるなあ。


1997/07/17

ちょっと二日酔い。ワインほぼ1本、ビール2本ぐらいを消費していたのでやむなし。

夕方から某読書会を覗かせていただき、また先日の遭難事件について諸氏の意見を伺う。(かなり気にしている:-)

ここ1週間夏休みの雰囲気をもりあげるために不精髭をのばしている。(もちろん不評)実はこの夏休みは私にとって中学以来はじめての本格的夏休みなのである。中学、高校と吹奏楽なんかやってたので、高3の夏にいたるまで夏は練習で1日が過ぎていった(ご存知の方も多いと思うが、吹奏楽は夏休みが忙しいのである。高校のときなんかはほんとに12時間近く練習していたもんな。あれはちょっとやりすぎ。今でもそうなのかな?)、大学に入ってからはバイトに明け暮れていたし。特に受験産業に足をつっこんでからは夏休みこそ忙しかった。

それが今年は(とりあえず)人前に出たりする機会がないので不精することに決めたのである。

ところで鬚だが、これを本格的に顔面で栽培する場合は、やはり時々手入れしなければならないものなのだろうなあ。「ここはちょっと剃ってここは残して」なんてやるんだったら全部剃ってしまった方が楽だな....。どこをどうすればよいのかもわからんしな。

髪もぼさぼさ伸ばしっぱなし。あとは樽をひろってきて1日中ころがせば完成じゃな。

そういや、茶髪ってのも一回やってみたいような気がするな。この時期を利用して...いやいや、いかん。


1997/07/18

ものぐさもすなる打ち込みなるものを江口もせむとて...。 fj.fleamarket.miscでQY8というシーケンサーを安く売っているひとがいたので買ってしまった。今日届いたのだがなかなかおもしろいではないか。もっと高機能なやつ(この方はQY20も同時に売っていた)にしたほうがよかったかもしれんが、まあ、これでも十分楽しめるであらう。


1997/07/19

土曜はプールの日。

明日は合宿かぁ...。

シーケンサをいろいろいじってみる。操作性はよくないけど、全体としてよくできているなあ。"Swing"を選んで「枯葉」とかのコード進行を入力すると、ウォーキングベースつきで伴奏してくれるわけだ。たいしたもんである。

もちろん、本格的(?)にやるには音源とコンピューターの方がずっとおもしろいのだろうが、楽器の練習のお相手としてはこれくらいで十分じゃな。進化したメトロノームっていうか。


1997/07/20

研究室の合宿で京北町へ。


1997/07/21

合宿から帰る。今日は二日酔いできつかった。胃が荒れてる。詳細についてはこだま師匠がそのうち報告するであろう。


1997/07/22

どういうわけか、右上半身がしびれたように痛い。寝違えたのかと思っていたが、どうも違うようだ。とにかく体調悪い。もしかすると、昨日の帰りのバスでこの部分をクーラーで直撃されつづけたのが原因かもしれない。あるいは単なる風邪かなんかか。

とにかく節酒、節煙。

ニューズなどで流される画像にはマスクがかかっていることが多いのだが、どういう具合いになっているのかちょっと興味をもってマスクはずしツールgmaskを入手してみた(WINDOWS)。むう、簡単。なんというか、ほとんど無意味だな。

さて、勉強勉強。この時期は涼しい夜を有効に利用せねば。とにかく酒を飲むことをひかえるべし。

どうでもよいことだが、本日はGeorge Clinton御大の誕生日だった模様。

MpackはSubject:やFrom:に生のJISが入っているとフリーズしてしまうことを発見。むう。


1997/07/23

最近は朝6時ごろに寝て12時すぎに起きるのがデフォルトである。クーラーにあたらなければ体調は復活した模様。

Sidgwickの翻訳スタート。これは苦しい。シジウィックの文章はチマチマしているけど細かいところに気をつかっているよい文章。読んでいる分には楽しいのだが、読める文章にするってのはちょっとなあ。

第一旭のラーメン(なぜかラーメン食いたかった)で昼食にして学校に出てきて、研究室のクーラーを強制的に切り、奥田・児玉両師匠の勉強会に乱入して翻訳のしかたを教えてもらい、作業をつづける。

実労2時間で約2ページの荒い訳。むう。

お好み焼を食べて帰り、ちょっと仮眠。


1997/07/24

朝から寝て、夕方から大学へ。

なにやら職組の人々が中庭をつかってビヤガーデンをているらしいので数人連れだってちょっとだけ飲む。

合宿のときの写真ができたので、現状の私を限定公開。あやしいヒゲ面(jpeg 36KB)とこだま師匠との2shot(jpeg 36KB)。見にくいけど、こだま師匠が指さしているのは、有名な京北町病院の門柱。 (残念ながら公開期間は終了しました)

翻訳作業のため、メーリングリストをたちあげることにした。とりあえず利用者の多そうなfmlというプログラムを手にいれてみる。/etc/aliasesをいじんなきゃなんないので管理者の手をわずらわすことになる。


1997/07/25

翻訳で困る。とりあえずお手本とそれに書きこまれた修正をみてうなる。

昨日から(利用している工学部の)ニューズサーバーの調子が悪いようで悲しい。反応がひどく鈍いのである。おそらくニューズの流量(特にjapan.*)が多すぎてディスクがいっぱいになっているとか、記事の配送だけでCPUパワーをつかいまくっているとかそぷいうことなのではないだろうか。だって、無理してなんとか記事数だけ確認すると、japan.binaries.pictures.* (特に秘す)に1日で500件以上がながれこんでいるみたいだもんね。ついでにいうと、この工学部のサーバーはjapanはかなりの日数(10日前後か?) 保存しているようだし。

メーリングリストのソフトfmlを実際に動かしはじめる。うむ、楽。懸案のKiekregaardメーリングリストも動かそうかな。他にも研究室で動かしたいリストがあれば相談に応じるぞ。


1997/07/26

昼、河原町三条のSUBWAYというサンドイッチ屋で食事。ここは安いし味もまずまずでおもしろいと思うが早晩つぶれるじゃろな。お客がぜんぜんいないんだもん。全店禁煙ってのもちょっと理想が高すぎる。コンセプトは素敵だけどね。秋にあそこのサンドイッチとワインをもってピクニックにでも行ったら楽しいだろう。

エヴァンゲリオンなるものを見る。台風にもかかわらず満席。立見までいる。25話はまずまずだが、最後はやっぱりちょっとあれだな。まあ、結局あれだったということだな。幼稚園児ぐらいの子供をつれてきている人々もいて、あんなもん見せて大丈夫なんかいな。トラウマになるんちゃう?

土曜はプールの日。今日は夕方のコースを受講してみた。台風の影響か、初級平泳ぎコースは2人しか生徒がいなかったのでおねえさんにゆっくり教えてもらえた。クロールと平泳ぎのそれぞれをチェックしてもらい、ちょっとは上達した感じ。やはり少人数は有効。

水泳教室は30分の体操と1時間の水泳というメニューになっていて、実は体操の時間の方が面白い。ストレッチetc.などの体操を毎週違うメニューでやる。これまで一度も伸ばしたことのない部分なんてのがあることに気づく。「おお、こんな方向にも伸びるのか」人体の神秘。(ちょっとおおげさだが)

この時間中、少し離れた場所で小学生低学年とおぼしき女生徒たちが床運動のようなことをやっていて、これがまたおそるべき柔軟さを披露してくれる。うーむ、あそこまで曲るのか。そんなに広がるのか。どうなってんだ。体操とかはテレビでしか見たことがなかったが、ああいうふうに子供のころから柔軟に作っていくものなのだなあ。ちなみに私は前屈(立って手を下にやるやつ)しようとしても、床と指との間は20cmぐらいある。

帰りに東山二条の『唐子(からこ)』でラーメン+明太子ライス。ここのラーメンはわりとおすすめ。今日は不健康な食生活であったがやむなし。

望月峯太郎『ドラゴンヘッド』を読む。むう、おもしろいぞ。こういう『蝿の王』だとか『漂流教室』だとかの集団漂流物ラインの話はおもしろいよなあ。そういや筒井康隆の『霊長類南へ』も名作だったなあ。

合宿に行ったときもふと思ったのだがそういうパニック状態のときに身近な人がどういう風に行動するかを想像するのはなかなか面白い。合宿中にジェイソンが襲ってきたら誰が最初に殺されるか、とかね。ま、笑いごとのうちはいいけど。


1997/07/27

SUBWAYについては、よく日記を読んでいる人々もなにかと書いていることを教えてもらった。あそこの禁煙ポリシーについてはものぐさな人が書いている。しかし、若い女性の喫煙率が低いというのはどうかなあ。今喫煙者の割合がもっとも高いグループの一つが10台後半〜20台初頭の女性のような気がするなあ。


1997/07/28

プールで軽く泳ぐ。定期的に通うようになってから

などの恩恵がある。「腹がへこむ」「昔僕の貧弱な肉体を笑っていた友人たちの態度がかわり、女の子たちにもモテモテ」といった変化はまだない。

なんていいつつ深夜研究室でWINDOWSマシンを使っていると、ソフトをハングアップさせてしまい、さらに悪いことにOSそのものが起動しなくなってしまった。フロッピーさえ読みにいかないのだからどうしたもんか。こまったこまった。ひさしぶりにMicorsoft(とIBM)のトラップにひっかかってしまった。頼りのこだま師匠はしばらくいないし、むう。

コンビニで流れている森高千里の歌に感心する。

岩波新書の小沢浩『新宗教の風土』は阿含宗と親鸞会のレポートがおもしろかったが、なんだかまとまりがよくないし主張もよくわからん。

ジョナサン・ローチの『表現の自由を脅かすもの』角川選書は赤尾先生のところのページで見て手に入れてみた。事例はおもしろいんだけど、このネタをあつかうのにミルのご意見が出ていないのはどういうことだろう。プラトン、ロック、ヒューム、ポパーetc.といった他の大御所は出てきてるに。その分、なんで表現の自由が必要かっていう一番の問題がうまく説明しきれていないように見えた。


1997/07/29

昨日壊したWINDOWSを直しに学校へ来ると、こだま師匠がいる。すでに直っている模様。えらい。

今出川白川付近の蕎麦屋(戸隠流『実徳』?)で蕎麦。ショーケースのなかで麺を打っているのがなんだかアレだが、たしかにうまい。おすすめ。

この研究室にはMicrosoftトラップの他にもいくつかのトラップがしかけられている。昨日は『明日のジョー』トラップの一部にかかり3時間以上ついやし、今日は『エリア88』トラップにかかり脱出に4時間も費やしてしまった。他にも『ぼのぼの』や『動物のお医者さん』トラップなどもあるようだ。危険な場所になったものだ。

「シジウィックメーリングリスト」に続き「ベンタムメーリングリスト」なるもの立ちあがったようだ。実はキルケゴールメーリングリストも同時に稼働しはじめたのだがどうするかねえ。

よく知られていることなのだろうが、ヒゲ(特に口ヒゲ)は不潔なものである。最近ビールをグラスで飲むときに口ヒゲに泡やしずくが残るようになってしまった。みそ汁の味がするようになる日も遠くないだろう。そろそろ剃るべき時期であろう。


1997/07/30

早起きしてなんとかゴミを出し、しばらく活動していると突然睡魔に襲われ昼寝してしまう。

ふと、mew 1.87を入れてみようとしてみるが、imgetがうまく動いていないようなので断念。別に急ぐ必要はないもんね。βバージョンは使わないというのは素人の鉄則だわなあ。

プールで軽く。私の行っている踏水会のプールの特徴は、人の話し声がほとんど聞こえないことだな。全員黙々と泳ぐだけってのもなかなか禁欲的で悪くない。つねづね残念なのが近眼で他人が見えないことで、ほんとうに影しか見えず、近くにいるひとが男やら女やら(これはかなり近づけば水着でわかるが)おじさんやら兄さんやら、おばさんやらお姉さんやらどんな顔をしているのやらどんな表情をしているのやらわからないことだな。ハードコンタクトってのはゴーグルをつければプールでも使えるだろうか? 落してから泣くのはやだな。

『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』を読んでいると、このひとも学生のころは体育の授業が嫌いだったなんてことが書いてある。私は小学生のころから基本的にスポーツは全然だめで、体育の授業は地獄(ちょっとおおげさ)だったなあ。特に器械体操と球技が苦痛であった。器械体操はケガしそうで恐いし、球技は他人さまにご迷惑をかけちゃうからねえ。じゃいつも苦痛やんけって?うむ。しかし持久走は好きだったのだよ。なんというか、唯一自分の体をコントロールできるのが持久走だけだったのだ。

これは、もともとの運動能力ってよりは、ひっこみ思案な性格(!)が影響していたんだと思う。いや、そうではなく、どうしても他人と能力を比較してしまうところに問題があったのかもしれんな。むむむ。

深夜散歩に出てそのまま木屋町の某バーで飲んでしまう。マスターは実は元プリンスが一番好きなミュージシャンということでプリンス話でもりあがる。なるほどねえ。


1997/07/31

昼ふたたび睡魔に襲われ寝ていると悪夢を見る。起きれば汗びっしょり。ああ、夏休み。

夕方から読書会に参加して、ちょっとお酒を飲んで将棋して(○○)。ああ、夏休み。


1997/08/01

ああ、業務連絡。業務連絡。8月5日に熊本大魔王が上陸予定。注意されたし。午後に研究室で迎撃予定。

ついに鬚から納豆の味がするようになったので剃る。やー、さっぱり。

研究室で午後から夕方にかけて過す。研究室に来てもクーラー消しちゃうからあんまり利益はないよな。

研究室にいるときはNetscapeとか使ってみたりもするわけだが、いつもlynxで見ているのとはちがった風景が広がる。日記以外のページとかも見てみるが、あいかわらずセンス悪いページが多いなあ。もっとも、日常的に読んでいるような人々のはそれほど悪くない。

YahooやYahoo Japanなんかで引用事典だのWoo's Whoだの各種事典のページがないか調べてみるが、それほど充実しているわけではないようだ。まだまだじゃな。

アニメgifを使っているページを読みこんでしまうと、いつまでもぐちゃぐちゃうるさいのだが、いったん読みこんでしまった画像を表示しないってことはできないのかな。

むう、こんなテストをしたら恐くなっちゃったよ。 もっとも、精神科のお医者も商売であることは忘れちゃいかんよな。あのテストで50点以下をとるのはなかなか難しかろう。

そういや、昨日喋ってたこと。

「ハッカー倫理」というようなものを提唱するひとがいるのだが、おそらくこの「倫理」という言葉は強すぎる。ethicという単数形で使っている場合は往々にしてギリシア語のエートスETHOS(性格、道徳的気風、品位)と直結するような意味で使われることが多い。むしろ「気質(かたぎ)」なんてふうに訳した方が実感に近いかもしれない。で、どういうエトスを持つべきかってのはまた別の根拠づけが必要なわけだな。

これは合宿のときにレオポルドの「土地倫理Land Ethic」を読んだときにも感じたことで、わしらはこういう「・・倫理」ってのを聞くとそれがもっとも基本的な原理であると思いこむ習慣がついてしまってるのかもしれない。しかし、こういう人々が、そういう原理ではなくエトスとしてなにかを提唱しているのであれば、話はぜんぜん別のものになる。

なんてことを考えながら山根さんの 原稿を読みなおしてみる。「倫理と道徳」の対立ってのはなかなか難しいなあ。ちなみに私がこの二つの言葉を使うときはまったく区別せずに用いる。

山根さんは、「道徳」を「集団ごとの掟」と定義し、「倫理」の方は定義していないように見える。もしかしたら、「Internetの資源(あるいは信頼性)を害する活動を Internetにおける倫理の問題圏とする」という言い方で規定しているのかもしれない。つまり、「倫理」は資源に関する何かなのだな。むう、わかりづらい。

もし山根さんの言うような意味でインターネット倫理なるものが存在するとすれば、まあ、それ自体根拠づけが必要であることになると思う。それは現状の「道徳」が根拠づけされたり批判されたりしなければならないのと同様。

もちろん、そういうインターネット倫理が「道徳,因習,掟,法律など」と対立することはあるだろう。でも、インターネット倫理が通常の道徳etc.と直交するような別の次元の価値という主張(に読める)はちょっと怪しいな。そもそも、なんで「インターネット倫理」が「集団の掟」と別のものであるかってのがわからないからなあ。むう。

むう、こういう書き方はちょっと失礼かもしれないな。また書く。(近いうちに書きなおすらしい)

そういや、某助教授のページも知らん間にずいぶん充実した模様。日記書かないひとのページはチェックしなくなっちゃっていかんいかん:-)

がんばったが翻訳はそれほど進まないのであった。なかなか大変。これってけっこう読みやすいのになあ。しくしく。

むう、帰るか。フロッピー持ち歩く必要のない世の中になったってのはまあ、いいことなんだろな。

ぐわ。うちのMacのキーボードの調子が悪い。リターンキーを何度か叩かないと認識してくれないことがある。これはやだなあ。PC98なんかを使っていたころからCtrl-hはよく使うけど、Ctrl-Mでリターンキーのかわりにするってのはどうしてもなじめなかった。


1997/08/02

土曜はプールの日。今日は午後のクラスに。この時間はおじさん講師。

「それじゃ、今度はビート板を使って平泳ぎのキックをやりましょう」
「(平泳ぎはできるんだから簡単.....む、呼吸のタイミングがわからん)うわー。ぶくぶく。ごぼがば。げほげほ。」
「江口さーん、そんなに考えこまないで。体を動かして」
「げほげほ。(体が動かないからこそ考えこんじゃうんだけどなあ)」

ものを教える/教わるというのは難しいことである。


1997/08/03

京大のDNSサーバーが止っている模様。そういや昨日今日は停止するっていう告知があったな。

午後から学校へ。翻訳メーリングリストの案内を各氏へ。fml-2.1deltaってのを使っているのだが、安定性がもうひとつのような気がする。

知らない人にメールを書くのはちょっとつらい。特に冒頭の「時候の挨拶」なんかはメールでは書いたことがない。メールのやりとりに慣れている人であると思えばもう直接用件だけ書いちゃうんだけど。そういう想定が効かない偉い先生たちだからなあ。 今日のではタイプミスしたまま出してしまったようだ。しまった。

『エリア88』の1、4巻を持ちだしたままの人がいるのは許せないことだ:-)

日中がんばったあと、夜債権者と将棋(●●●●)。当然死刑の話になり、反死刑廃止論者の動向が注目される。

全然関係ない話だが、 ある人は、「麻原が15年で出てきたらゆるされへんやろ、感情的にはわりきれないものが残るやろ」と言う。(この文章は、15年後のために書かれている。賭金は5000円である。)


1997/08/04

こだまっちとメーリングリストの実験をして操作のだいたいの見当をつける。

研究室の引越しにまつわるネットワークのなんやらにかかわってしまう。別に部外者の私が世話する必然性はないが、やっぱり恩がえしにやらにゃいかんよな。

夜、NHKでウルフルズが出演しているのを見る。はからずも感動してしまう。「それが答だ」は名曲だし、今日のはパフォーマンスもなかなか。背中に電流が流れたよ。CDではよく聴いてるんだけどね。(司会の谷村新司も意味なく涙ぐんでたな...) 私もちょっと目頭があつくなったが、なぜだろう?

研究室からMOを借りだしてハードディスクのバックアップを取る。ついでにハードディスクの整理をしたりフォーマットしたりシステムを入れなおしたりしたい欲望が芽生えるのを感じるが、自愛の思慮によっておさえつける。これまで何度も痛い目にあっているのじゃからして。

あいわからずキーボードの調子が悪い。機械ってのは生物とちがって、調子悪いときにほっておけばそのうち直るってわけじゃないのがアレだな。自動修復機能のついたキーボードがあれば買うな。生物キーボードか。

とりあえず、これまた研究室から使っていないAppleキーボードII-Jを借りてきたが、JISのキーボードなんか触りたくない。Controlキーも左下だし。やだ。

おもえばこのキーボードは、SE/30といっしょに買ったものだからすでに7年以上使っているのじゃな。むう。やはり寿命か。毎日私の汗と涙を十分に吸っておるからのう。(ついでにタバコとビールも吸収しているか)

そういや、プリンタの調子も悪い。たんなるStyleWriterIIなのだが、給紙がうまくいかない。こっちは寿命というよりは、つもりつもったほこりが原因のような気がする。

山根さんのクリプトアナーキズム論の新版が出ていたので読みなおす。

むう。とりあえず書きなぐり。

RFC1087とRFC1984を読んでみたのだが、山根さんの論文とはかなり違う印象をうけた。

山根さんが「インターネット倫理」を見いだすRFC1087だが、これがIBAなりIESGの「インターネット倫理」の定義であると見なすのはちょっと無理だろう。

山根さんはこう書いている。( 発表版の方)

IABは「非倫理的で容認できないあらゆる活動」として、以下の項目をあげています。
        故意に(a) インターネットの資源への無権限アクセスを得ようとすること、(b) インターネットの計画された利用を中断させること、(c) そのような行為に資源(人、容量、計算機)を費すこと、(d) 計算機を基盤とする情報の信頼性を破壊すること、
    そして/もしくは
      (e) ユーザーのプライバシーを危険に曝すこと。
ここには一般にインターネットの倫理的問題と言われる(らしい)公序良俗の問題とかネットワークの犯罪利用については言明されていませんね。それは、この倫理が扱っているのは国民に対する安全保障とか公序良俗いったローカルルールではなく、ネットワークの存亡にかかわるものだからです。(これに近いのは、ネットワーク系ならぬ生態系の位相を導入した「環境倫理」の考え方でしょう)。 本論ではこのRFCの定義から出発して、インターネットの倫理をローカルルールとは別のものとして扱います。さしあたって、インターネットにおける倫理とは「ネットワーク(の信頼性)を破壊せず、そこでの情報交換を促進すること」と定義することにしましょう。

細かいのだが、気になる点がある。別にこれはRFCによる「倫理の定義」ではないってことだな。RFC1087は基本的には「インターネットは非常に研究者の役にたってるし、インターネットは国の金をつかってんだから、ちゃんと使わなきゃね」というのが前提で、だから「壊すのはやめようね。研究を阻害になるようなことをするのはやめましょうね」っていう文章なわけだ。提言のバックには、「研究は大事」と「国家の金はむだにつかうな」という基本的な判断がある。その上での話であって、インターネットの保全がそれ自体で価値があると見なされているわけではないことに注意。

第2に、RFCでは上の前提から5つの提言をおこなっているわけじゃが、それはたしかに"unethical and unacceptable"と言われているが、これは別に倫理の定義じゃなくて、倫理的に受けいれられないものの一例にすぎないじゃろ。たとえばインターネットを通じて犯罪に加担するというのは、このRFCの作者たちにとってもunethical and unacceptableなはずじゃ。個人や国家の安全保証なんかの問題も、インターネットというものが実際に強力な武器になった場合には「インターネット倫理」に入りこまねばならないと思う。89年当時は危機感はまだそれほどでもなかったんじゃろ?

また、最後のプライバシーに関するやつはどういう前提から出てきているのかちょっと理解しにくいところがある。(これはRFC1087の問題点)

さらに、RFC1984の方だが(この番号もアレだな。この番号になるのを待ってたんだろな)この文書は「暗号を利用する権利」ってのを主張している文書とは見えなかった。むしろ、暗号利用の規制は実質的に不可能であるし、非効率的であり、(さらに重要なのは)利用者の利益に反するというという技術的な主張に読める。

こちらでも重要なのは、「利用者の利益」が「インターネット倫理」(そういうものがあるとして)の最終的なよりどころだってことじゃな。ここで考える必要があるのは、ここで言われている「利用者」ってのは今現にインターネットに接続している人々のことじゃろか?それとも、もっと広い一般の人々じゃろか?

私はこの「利用者」を例えば「現につながっている人」とか「サイバー世界に住んでいるひと」と読むことはできないと思う。サイバー世界に住んでいるひとだろうがなんだろうが、それが現実の世界となんらかの接触をもつかぎり、「倫理的」にはすべての人の利益を考慮にいれなければならないと思う。問題は、暗号技術は現実の世界の人々にどのような影響をおよぼすだろうか、ってことだわなあ。もしインターネットなりサイバースペースなりが現に生きている人々に巨大な害を与え、それに見あうだけの善をもたらさないとしたら、そんなものつぶしてしまえというのが自然な反応だろう。 (もちろん私はインターネットとか暗号とかいうものは非常に有益なものだと思っているが)

RFC1984の解答は、(暗号技術はあぶないかもしれないけど)現実に法によって暗号を規制するのは何の役にもたたん(犯罪の防止の役にはたたんのにもかかわらず、プライバシーとかをおびやかすことになるからほとんど利益がない)ってことなんだな。あの議論は説得力があるように見える。

それでは、「ローカルルール」としての道徳や法律なんかと、「インターネット倫理」はなにがちがうんじゃろか?

実は違いはないのである。どれも結局のところはその正当化は利用者なり国民なり全人類なり感覚のある存在者すべてなり、そういうものに対する影響に訴えなけりゃならんじゃろ。いかなるローカルルールであっても、もしそれがうたがわれる場合にはそういう手続きをふまねばならん。(たとえば今局所的にはやっている死刑の話とかもそういうことだよね)

なんだかよくわからんようになった。まあ、「インターネット倫理」なんてもんは存在せんのだと思う。もしインターネット利用者の決めごととしてそれが存在するとしても、そのインターネット倫理はもっと基本的なレベルでの倫理とか道徳とかそういうものによってその正当化されなきゃなんないじゃろな。そういう実質的な議論を読みたいと希望するものであるのじゃ。


1997/08/05

熊本大魔王さまご一行とお食事。大魔王とは2年近く会っていなかったらしいが、全然そんな気がしない。

「えーと、半年ぐらい前にも京都に来てましたよね?あれ、学会だっけ?」「いや、会ってへんよ。」

メールのやりとりとかしていたからなのか。生霊が来ていたのではないかという噂もあった。

2軒ほどまわって、さらにカラオケなるものにまで行ってしまう。よく憶えていないが、そのあと債権者さまと将棋したかもしれない。●○●●ぐらいか?


1997/08/06

話題のクラッカーがうちにも来ている。2回やられたようだ。とりあえず簡単な対処をする。

qrvl-67ppp160.epix.net - - [26/Jun/1997:07:13:47 +0900] "GET peach.kjb.yamanashi.ac.jp - - [01/Aug/1997:03:01:33 +0900] "GET ....

アクセスログを公開することはプライバシーの侵害になるか?ならんな。

ま、ここはsolarisなのでshadow passwordとかなんとかっていう機構をつかっているので実害はないじゃろが、ま、ちょっと気持ちわるいよな。

上のようなものを「さらし首」と呼ぶらしい:-)んー、だいじょうぶかなあ。


1997/08/07

夕方研究室で読書会を聞かせてもらう。しばらく仕事して熊本大魔王の土産であった麦焼酎なんか味見して(焼酎はあんあり飲めなかったのだがなかなかうまい)帰宅。朝まで起きている。


1997/08/08

明け方、涼しいうちにジョギングなどものす。高校生らしき集団があちこちで走っている。インターハイとか京都でやってるんだったかな? 走りおわってから丸山公園で池にたたずむ。あそこの池はたいへんな数の亀が棲息しており、そいつらがなんやら泳いだり岩に登ろうとしてたり、縄張りを争ったりしているのを見ているのはなかなか楽しい。爬虫類とか両生類ってのも何を考えているのかちょっと想像しにくいよなあ。白川で喧嘩ばっかりしている鴨もなんだか邪悪な雰囲気をただよわせているが。

日中寝る。汗だく。夕方起きだして風呂。

ところで、うちの隣には自動販売機があって、「南アルプスの天然水」がある。これはどのSUNTORYの自動販売機でも売っていると思っていたのだが、ほかのとこでは入っていないのね。ジョギング中に水を求めて気がついた。

当然のことながら、何が売れるかを考えながら販売機を運用しているのだなあ。隣の販売機から「水」を買っているのは、私だけなんじゃなかろうか。


1997/08/09

やはり朝から夕方まで睡眠。土曜日はプールの日。どうもやはり土曜の夜のクラスは初心者が少ないらしく、今日はマンツーマン(ウーマンツーマン?)であった。それにしても、

「それじゃ・・・しましょう。」
「はい・・・がばがば。」
「では・・・しましょう。」
「はい・・・ごぼごぼ。」
「では・・・を」
「はい・・・げほげほ」

はかっこわるいなあ。

13日に甲子園第3試合にちょっと縁のある高校が出るので行ってみようかなあと思っている。無料だよね?(金のことが気になるのが情けない。)


1997/08/10

やはり朝から夕方まで寝て、研究室で仕事。なぜか来た債権者と将棋。●○○。

おごってもらってから研究室でAI将棋をためしてみる。「標準」でも序盤はヘンな手順をつかってなかなか強い。


1997/08/11

Tシャツを着替え洗濯するために生きているのではないかと錯覚する日々。

昨日債権者と飲んでいるときにムカデ恐いという話をしていたのだが、今日も出現してしまった。この夏3度目。

これまでは部屋の中に出たのでどこかのアニメの主人公のように「うぁーーーーーっ」と叫びながら殺虫剤をふきつけ、さらに丸めた新聞紙で身動きしなくなるまで殴りつけて目標を破壊していたのだが、(恐怖心から人を殺すときもこんなもんなんだろうと思う)今日は目先を変えた出現であった。

洗濯物を洗濯機に入れ、注水したところで、意外なことに洗濯機内にあらわれてのである。水中戦である。やはり「うぁーーーーーっ」と叫びつつどうしたらいいかわからんので洗濯機を回して目標を溺死させることに成功。いやはや。なぜ人はムカデに理性を失なうのか。

そういや最近なぜか渋谷系の音楽を耳にすることが多くなっている。コーネリアスの新譜も聴いた。ちょっとダルかなあ。やっぱりよくわからんな。一番よい曲が(おそらくボアダムズの人がやってる)最後のノイズの曲だってのはなんだかアレだ。聴いてりゃよくなるかな? フリッパーズのやつとか、コーネリアスでも前のやつ(69/96だっけ?)とかはかなりよい曲もあると思うのじゃが。


1997/08/12

やはり朝散歩してから寝る。どうやら首を軽く寝違えてしまったらしい。

この時期風呂がないのはつらい。出がけにホースで水を浴びてから研究室で読書会。

某学士とひさしぶりに将棋する。強い。あやうく負けるところであった。6級を認定する。


1997/08/13

(☆☆☆)

歳のはなれた弟が通う高校が甲子園に来ているという噂を聞き、行ってみる。野球を観るなんてのは高校生以来のことでなかなか新鮮であった。

どのあたりに座るか迷ったが、とりあえず500円はらって三塁側アルプススタンド(応援団がいるところ)に陣どる。日射しが心配だったのだが、ちょっと雨がぱらついたりする野球見物には悪くない天候であった。ビールなんぞを飲みつつゆっくり惨敗するさまを直視する。それにしても山形県の野球は弱い。

この酒田南という高校には、関西からも野球留学している生徒がいるらしい。関西弁で応援しているひともちらほら見うけられた。監督は去年関西から引き抜かれて赴任したひとらしく、そのときに生徒も5、6人連れていったのだそうだ。赴任当初、「3年で甲子園に行きます」と宣言していたらしく、それを2年で達成したということで地元の評価は高いそうである。ま、個人的な希望としては地元の生徒だけの公立校なんかに代表になってほしいのだが、そういうわけにもいかんのだろうな。

それにても甲子園って実際にスタンドで観るとそれほど広くないよね。昔プリンスが来たときにも甲子園を訪ずれたのだが、そんときのプリンスは野球選手の5倍ぐらいの大きさだったな:-)


1997/08/14

(☆☆☆)読書会のあと、身近なネタで道徳論争。そういうのは趣味が悪いと感じるひともあるだろうが、まあ、私は大好きである。我々は一般に他人の噂話とかが好きなのだが、それは、他人を貶めたいから、あるいは、単に他人を批評したいからではなく、話をしている人当人同士の価値観をすりあわせたいからなんだと思う。

もし、他人の行動について他の人々と批評しあったり、議論しあったりしない人がいるとしよう。そのひとは他人の道徳意識をどのようにして知るだろうか?また自分の価値観がどのようにして知るだろうか? 特定の事例を意識しない道徳に関する話は、抽象的かつ建前的なものになってしまい、本音の部分が見えてこないのだな。その結果、そのひとは自分の道徳意識を批判する力を身につけることができなくなってしまう。

昼のテレビの芸能人の私生活なんかに関する番組は、たしかに趣味の悪いものだが、あれはある程度必要なものだと思う。それをネタにして隣りの主婦や、勤務先の人々と「あなたならどうする」「私ならこうする」「これは許さん」とすりあわせるわけだ。その結果、自分の道徳意識を修正することもあるし、他人の道徳意識を変えたりもするわけだ。そういうふうにしてワシらは進化してるんだよな。(本当か?)

In trying to decide what is rational, we are engaging our normative capacities to try to decide what norms to accept. We do this in normative discussion, actual and imaginative, as we take positions, subject ourselves to demands for consistency, and underg mutual influence. Saying this should tell us something about the nature of philosophy. Philosophical discussion is continuous with ordinary discussion, and often with ordinary normative discussion ---- the kind of normative discussion that is a part of all human life.

(A. Gibbard, Wise Choices, Apt Feelings, Harvard Univ. Press, 1990, p.81.

あれ、もっとぴったりな個所があったけどなあ。

そういや昨日野球の応援に行って、吹奏楽をやっていたころのことを思いだしたりもした。吹奏楽の人間にとって、野球の応援はほぼ義務なわけだが、あまりうれしいものではなった。コンクール前の忙しい時に使われるのはたまったもんじゃない。外で暑いし、とにかく大きな音を要求されるので音もくちびるも荒れるし。応援団とのある種の筆舌しがたい確執もある。でも中一のときに応援に行った先で雨が降り、女の先輩の水に濡れた制服がアレだったのは今でも憶えてるな。...

中学のとき、野球の応援に行ったときか、あるいはその練習のときに、クラリネットの女生徒が過換気症候群とかいうものになっちゃって、往生したことがあったな。あんときは救急車呼んじゃった。中学でもう一度同じ症状に出くわしたことがあって(今度はフルートだったかな?)、そのときは前の経験が役にたち、鼻と口に袋をかぶせて呼吸させて事なきをえた。酸素が多すぎるから問題なんで(正確には二酸化炭素が少なすぎる?) 袋をかぶせてちょっと二酸化炭素の多い空気をすわせりゃいいわけだ。やっぱりどちらも情緒不安定ぎみだったと思う。(中学生女子なんて皆情緒不安定だけど)


1997/08/15

敗戦記念日だが、研究室でお仕事。今日は通りすぎる風がこころよい。(しかし鳩が入ってきているのが心配。)

夕方ちょっと泳ぐ。クロールも50Mは(楽とは言えないが)泳げるようになった模様。次は背泳のマスターを目指す。バタフライができるようになるまでスクールには通いたいと思っている。

夜ふたたび研究室へ。夏休み住みついているやつがいるなあ。


1997/08/16

やっぱり気まぐれでmew 1.88をインストールしてみる。なかなか洗練された方向に向っていてよろこばしいが、マシンパワーがないとつらいな。Sun SS2っていまやこの端末のWINDOWSマシンにも負けちゃうくらいの実力なのかもしれん。

あんまり意識していなかったが鬚剃りは基本的には順目だな。逆目だと肌を痛めてしまうような気がする。前にも書いたが、私も電気カミソリだとてきめんに肌を痛めてしまう。(最近の高性能なものだとわからんが、そんなもの買えない)ふつうにカミソリで剃るのがベスト。現在はジレットセンサーとかいうやつだが、なかなかのすぐれものである。カミソリの経済性はちょっと問題だが、高性能な電気カミソリを使い、ときどき替刃を買うことを思えば、それほどコストパフォーマンスは悪くなかろう。いい勝負なんではなかろうか?

ただし、この前買ってしまったSUCCESSの「シェイビング・ジェル」ってやつは最低。これは、泡にならずに最後まで透明のヌルヌルのまま使うのである。非常に気持ちわるい。あんな気持ち悪いものを開発するやつの気がわからん。興味ある方、ヌルヌルの好きな方はぜひおためしあれ。

ちなみに洗顔は「植物物語」で歯磨きペーストは「GUM」だ。(天花粉はジョンソンだ! :-)

百日紅の花が窓の外に散って模様を描き美しい。

午後遲くから研究室。どうも夕方ここらへんにいる癖がついてしまったようだ。今私の青春の汗と涙のしみついた研究室は引越しによって空き家同然となり、ただ2台の端末だけがおかれている。むう。もうここで10年も暮したんだもんねぇ。へたすると自分の家より長く住んでいるような気にもなる。実際、これまで暮したアパートより長いもんね。

夜、新研究室で大文字を酒盛。大文字は10秒ぐらいしか見ずに将棋を指しているとなじられる。もっともなことである。しかし正直なところ、私はアレのなにがそんなのおもしろいのかよくわからんのじゃよ。


1997/08/17

昨日は大文字を見たあとさらに飲み、研究室にもどったのだが、気づくと廃屋状態の旧研究室のソファーの上で寝ていた。私は某学士ではない。移転にともない、倫理研究室のホームページをふたたびsocio上で運用することにした。 http://www.socio.kyoto-u.ac.jp/~ethics/です。http://bentham.socio.kyoto-u.ac.jp/の方のサーバーは近いうちに停止します。(って、ここで書いても意味なし)

最近なぜかうちに集まっている「日本人アーチスト」のCDを整理して順に聴いている。

とりあえず今日はピチカートファイブの『月面軟着陸』とかオリジナルラブの『Sunny Side of Original Love』とか、小沢健二の『球体のかなでる音楽』とか。

ピチカートのはちょっとわからん。一番印象に残る曲が大滝のカバーの「ゆびきり」だってのはちょっと。オリジナルラブは16beatとかに対する偏愛はわからんではないが、うわすべりな歌詞がなんだかやだ。一般にここらへんの人は歌詞つくるのがヘタな感じがするなあ。 それに1枚のCDが長すぎるような気がする。

小沢健二のやつは、必ずしも好みではないが、なかなかの名盤であるような気がするな。ピアノがいいなと思ってたら渋谷毅先生であった。なるほど。

フリッパーズギターの『ヘッド博士の世界塔』。これはなかなかいいすよね。


1997/08/18

キーボードがどうしようもなくなったので、清水の舞台から飛びおりるつもりで(おおげさ)新品を買ってしまう。J&Pに行くとキートップにカタカナが書いていないやつが8000円弱で売っていた。FILCOとかいうやつ。いちおうControlキーがAの横についているので、「これだ」と飛びついてしまったのだが、なんとESCキーがとんでもないところについている。キータッチも店頭でさわったときは悪くないかと思ったのだが、軽すぎてちょっといかん。しくしく。安物買いの銭失ないとは私のことだ。まあ、なれるまではしかたないかなあ。

夜、月が皓皓と輝く。もう秋なんだな。それにしても、この「こうこう」という文字はいろいろあって難しい。これであってんだろうか?まだそれほど白くないような気がするから「耿耿」の方がいいのか?おんなじか?むう、無知。


1997/08/19

ここ2、3日、多くの日記作者たちがほのかな秋を感じたようだ。全国でいっせいに日記作者たちが秋を感じ、それを表明しているなんて、日本人の集合的意識なんてものを考えちゃったりしてちょっとおかしい。ほぼ同じ時間に交尾したり産卵したりする小動物を連想させるな。もっとも、それにある種の趣も感じられるけどね。わしらは思っているほど「個」じゃないんだろうな。


1997/08/20

夕方から研究室で仕事。なかなか進まん。

昔小倉朗というひとの『現代の音楽』だかなんだかっていう岩波新書を読んで感心したことがあった。(バルトークを教えてもらったのはこの本だった。)それによれば、我々のふつうの応答ってのは5度の関係になってるらしい。「〜〜よね?」という疑問形に対しては5度下で「うん」と答えるのが肯定で、それ意外の音程はまた別の意味をもっちゃう、ってな話だったと思う。話はそっからドミナントの力ってな話になっていくわけだが、この話は電車の中の携帯電話はうるさい、とか、半疑問形で喋るやつは抹殺しろ、とかいう話題のときにいつも思いだしてしまう。

おそらく携帯電話がうっとうしいのは、「よね?」「やろ?」その他の疑問形に対する答が聞こえないものんだから、どうしても注意があつまっちゃうんだよね。


1997/08/21

高校野球をテレビで見たり。昨日の沖縄対和歌山の準決勝は名勝負で正直感動したが、今日の決勝は最後の方で内角ぜめビシバシ、デットボールも平気ってのはなんだか後味が悪かったな。

最近私はあるきっかけで「個人情報」というものの意味と重要性をはじめて理解した。大昔は「国民背番号?いいんちゃう?税金逃れするやつが少なくなるじゃん」ってな意見をもってたような気がするのだが、今はそうは言えない。誰でも多かれ少なかれスネに傷をもっているのだろうし、そんなものをもっていなくても、個人的な情報の集積して整理すると、それだけで脅威となりうるんじゃな。

上とは直接の関係はないのだが、実感としては、「インターネット」とかいうものは、たしかにワシらには手におえない武器なんじゃないかっていう気がしている。たしかに便利でおもしろいが、正しい使い方をワシらはまだ知らないんじゃな。私自身はかなり痛い目にあってそれなりに学んでいるつまりだけど、まだまだだし、さらにこれから参加する人々が増えるにつれていろいろたいへんじゃろな。あたりまえの感想でした。

しかし手に負えないのは本当はインターネットとかいうものじゃなくて、ワシらのなかにある、露悪趣味なり、自己顕示欲なり、他人(のプライバシー)に対する配慮のなさなり、羞恥心のなさなり、何かをのべつまくなし喋りちらかさなきゃなんないっていう性格なり、prudenceの欠如なり、そういうもんなんじゃろな。

関係ないけど、最近自転車に乗っていると頭のなかで、John Lennonさんの"Dear Prudence"と"Yah Blues"が鳴ってこまってんだわさ。どっちもサビの部分がいまひとつなのがアレだ。


1997/08/23

仕事がたまっていて寝る間もないのだが、あえて水泳スクールへ。すこし気分が晴れた。こういうインセンティブのためにわざわざ高い金をはらっているのだからして。女の子の先生とは今週まで。来月は男の先生らしい。行く時間か曜日を変えようかな。

この夏は水泳ばっかりしていて将棋の道場には一度も行かなかった。

ちなみに、将棋も囲碁と同じようにプロとアマの段級は関係がない。将棋連盟の道場では10級からはじまり、3段か4段ぐらいまで取得できるはずである。4段は県代表クラスの実力であると言われている。(雑誌のクイズなどで段級が安売りされているのは囲碁の世界も同じはず)

たしか5段はアマ棋戦のタイトルをとるのが正式なとりかたではなったろうか。6段が最高で、これはほとんど名誉段のはず。(田中角栄が6段をもらっていたんじゃないかな)

プロになるには奨励会というセミプロ組織のなかで闘って四段に昇段しなければならない。奨励会にはたいてい六級から入会するようだが、これだアマ2段以上の実力がないと難しいようだ。ちなみに、プロに二枚落ちで勝てるようになればアマ初段といわれている。二枚落ちはおよそ5段(級)差と言われているが、実際のところプロとアマの実力の差を表現するのは難しかろう。

指した感じでは、アマの世界では級位者と初段の間より、初段と2段との差の方が大きいようにおもわれる。これはきっと道場でも最初は自己申告なので「自称初段」が多いってことなんだろうと思う。道場に長く通って順を追って昇段していったひとはほんとうに強い。

さらにどうでもよいことだが、雑誌などではアマは「2段」のようにアラビア数字であらわし、プロは漢数字で表すという慣例があるようだ。なんだかうよくわからん世界ではある。


1997/08/24

試験問題作成で死ぬ。


1997/08/25

試験問題作成で死ぬ。仕事のできぬ奴。死ね。きゅー。

INS64の工事終了。etherになれている身にとっては、別段速くないよな。so-netからここにtelnetしてみるが、やっぱり遲くて使いものにはならんな。これはしょうがないか。so-netなんかが属しているWIDEと(?)、大学が属しているSINETの間が遅いんだもんな。

Netscape 3.02とかも入れたが、重いしハングアップするしでぜんぜんいいところがない。やれやれ。

2.0xを探すが、もうexpireされているようで手に入らん。やれやれ。(その後、某氏に所在を教えてもらいget。2.02の方が安定しているばい。研究室のMacにはversion 2しか入れてなかったのだが、3.02ってのが出ていて飛びついた私がばかであった。

先日まではNetscape 1.1Nで十分満足していた。今回はSSLだかっていう機能を使う必要があったので判断を誤ってしまったわけだ。

それでもまだフリーズすることがある。私のMacはほとんどフリーズしないのが自慢だったのにくやしい。(今年はクラリスワークスを入れた時しかフリーズしなかったと思う)まだ1.1Nも手に入るかな。あれは結構安定していた。

TAを繋いでも、以前としてここ(socio)にはモデムで繋がなければならんので、プリンタポートにTA、モデムポートにモデムを繋ぐわけだが、プリンタが使えなくなってしまった。むう。面倒。シリアル切替器が必要か。しかしあれもけっこうな値段なんだよな。

TAの電源は入れっぱなしにしておかねばならんのもなんだかアレだ。

とにかくしばらくテレホーダイが解除された状態になっているので注意する必要がある。のんびり日記なんか書いてられんな。


1997/08/26

ちとUNIXについて質問なんじゃが、ftpなんかするときは、~/.netrcにマシン名とログイン名とパスワードなんかを書いておくと非常に便利なんじゃが、(本物のパスワードを書いておくのはまずいかしれないが、anonymousサーバーなどに送るメールアドレスぐらいはいいじゃろ。)そのマシン名を自分で定義することはできないのだろうか? いちいち「ftp ftp.utsun.u-tokyo.ac.jp」なんてタイプするのは面倒なんだが。ここは一発「ftp utsun」で決めたい。/etc/hostsに別名を書いておけば簡単なわけだが、私の権限ではそんなことはできない。(root権限もっていてもするべきでもないだろうとも思う)質問の意図がわかってもらえたかな?(ここでだめならあとでfjで尋ねてみよう)

この件については、複数の方からncftpってのを使えというアドバイスをもらった。あとで調べてみることにする。


1997/08/27

早くも1校授業が始まってしまった。教材準備のため、かなり早起きして電車に乗るが、どういうわけか乗りすごしてしまう。目的の駅は新快速が止らないので無駄に時間を過す。遅刻はまぬがれたが人間失格。

夕、ちとプール。8月はおそらくこれで最後になる。帰宅途中携帯電話で呼びだされちょっと飲む。

めずらしくテレビドラマ「それが答えだ」が気になって毎回見てしまっているような気がする。

Netscapeは1.12まで退化させる。軽い軽い。今時こんなものを使っている人は少なかろう。PPPもFreePPPで繋ぐことにする。


1997/08/28

ゆっくり起きて仕事仕事。夕方研究室へ。

深夜ふとテレビのスイッチを入れると、マーカス・ミラー先生のお顔を拝見したのであわててビデオのスイッチを入れる。モントルーのジャズフェスティバルなんてものが放映されている。

ラリー・グラハム先生や、ミッシェル・ンデゲオチェロ先生やジョン・スコフィールド先生の演奏なども拝見させていただく。ンデゲオチェロ最高。松本大洋の『ピンポン』に出てくる「アクマ」のような顔だが、音は素敵。やっぱりコンテンポラリーなやつがいいよな。

ストレートフォワードなジャズでは、ジョシュア・レッドマンのバンドの演奏がなかなかだが、やっぱりふつうのフォーマットでの4beatは古臭い印象を与えちゃうよね。その前にやったケニー・ギャレットは"Giant Steps"なんかやってたんだが、四分音符=240以上のスピードでかっとばす4beatってのはなんだかよくわからん世界でもある。なぜジャズメンは速度の限界を越えようとするのだろうか。ああいうスピードってのはパーカーの時代からあるようだけど、私の耳ではとらえられないんだよな。そのくらいのテンポの演奏はぐしゃぐしゃに聴こえる。(ほんとにグシャグシャだと思うんだけど、私の耳がおかしいのか?)やっぱりあれは、「うー、ずれるぅ〜」「頭がわからんようになったぁ〜」「止まるんちゃうか〜」とハラハラしながら聴くもんなんだろうな。 (実はベースのスラップなんかもなにをやっているのか捉えられないことが多い。やっぱり耳が悪いんだ。)

ケニー・ギャレットはマイルスのバンドにいたときが一番いいと思う、ってのは偏見か。

BSの番組をビデオに取っていただくよう、BSチューナーを所有していらっしゃる方にメールでも出そう。


1997/08/29

昼から研究室でうだうだ。

ふーん。うちの研究室のMacはkudpc.kudpc.kyoto-u.ac.jpからNTPもらってた(MacNTPってのがある)。あれ、WINDOWSの方にはNTPは入れてなかったかな? 前にso-netにNTPはどこのサーバー使ったらいいんじゃとたずねたら、一度NNTPのことと勘違いされ、再度問いあわせると「適当に好きなとこからとってきて」と答えられたな。


1997/08/30

今日も今日とて研究室でうだうだ。風が気持ちよい。

クモの巣の話なんかうまいもんだね。

夜、ひさしぶりに医者と将棋。なんと○○。


1997/08/31

研究室に来たはいいが、どういうわけかネットワーク麻雀にはまってしまう。いかんいかん。


1997/09/01

ああ、9月。今日は夜から研究室。

そういや、昨日ひさしぶりにCDを買った。Jam & LewisのプロデュースのサウンドトラックMo' Money。しばらく探しててやっと見つけた。名盤だよな。92年のやつだけど、80年代を代表するサウンドっていうか。

ベースとアンプもなぜか研究室にもちこんでいるので夜中ひいたり。まさに無法地帯。そのうちギターももってくるので、必要な人は茶色のストラトと小さい方のアンプを持ってかえって練習するように。

自転車盗難

帰ろうとすると、自転車がない。むう。鍵をかけてなかったのでしかたないかな。私は全人類を信頼しているので、いずれ帰ってくると信じている。 面倒になったので研究室で寝てしまう。今日は試みにダンボールの束をしいてみた。(以前にこの部屋に住みついている某君が示唆していた用法である)たしかに段ボールってのはすぐれた断熱物であることを実感。しかし体のあちこちが痛いよ。いやはや。なんで三十男がこんなことしてんだ。


1997/09/02

練習

夜中騒ガー音である方にノッキング迷惑をかける。すまザんヘブンズドー。某氏はあきれはギューワてて帰ってしまう。(へぶんずどー)彼をあきれさせキューることができる人間はそドカドカバリバリう多くないであろう。いやはやすまん。反べべべ省してるです。がぁー。ぴぃー。ごあー。ががが。(へぶんずどー)

japan.binaries.pictures.erotica

菅野とかいうひとの画像はjapan.binaries.pictures.eroticaあたりにもかなり流れていたけどね。MOのどこかに眠っているだろう。ところで菅野ってなにしているひと? :-)

ちなみに、あそこはまさに無法地帯なのだが、それでも、「自主規制」しようという動きがある。そういう自主規制がどういうふうにできあがっていくのかがわかって今netnewsで一番おもしろい場所だと思う。


1997/09/03

飲みすぎで夜昏睡。気をつかうお酒はいかんよ。


1997/09/04

SKKは私も使っているが、資源が十分にあるなら、skkserverなんか動かす必要はあるまい。直接バッファに読みこんだ方が速いんじゃなかったかな?


1997/09/05

じわじわ授業がはじまっていく。今日は看護学校。

帰りにひさしぶりに将棋会館へ。○○○●○●。最後はまったされて負けた。無念。

夜中ふとテレビをつけるとIce Cubeが出てる映画をやってるので見てしまう。音楽がかっこいい。たあいもない話だけどそれなりに楽しめる。それにしても、ああいうFunk〜Rapの流れの音楽ってのはたしかにああいう世界のもんだよな。恐い恐い。


1997/09/06

土曜日は水泳の日。今日から講師がかわり、二十代のハンサムな(?)肉体派男性。ちょっとがっかり。その肉体美に逃げだしたくなったが:-) 教えかたはシステマティックかつツボを押えていてなかなかうまい。


1997/09/07

昼遲く起きて学校へ。

深夜、将棋(矢倉で○)のあと、ふたたび狂熱のギター&ベース練習会。なんだかなあ。課題曲の"Knockin' the Door"と"You Can't Hurry Love"のコード進行のおさらい。某氏にはベースをおしつけることになりそうである。


1997/09/08

昏睡。夏休み集結宣言。自転車操業開始宣言。

楽器

あたりまえのことだが、楽器ってのはよしあしがあるなあ。アコースティックピアノのよしあしっては、これはもうはっきりしたもんだが、 電気を通すギターなんかたいして違いがないもんだと誤認していたよ。研究室に置いてある某氏のギター(フェンダーストラトキャスターの方)とアンプなんかなんか弾きやすいわ音はいいわで言うことなし。高いんだろうな。ポイントは、よい楽器は弾くこと自体に快楽があり、いつまでも弾いていたくなるってところだな。楽器がうまくなる秘訣はよい楽器を手に入れることだっていうのは本当なんじゃな。きっと。(練習場所の音響も重要な気がするな)

ちなみに昔大山名人も将棋上達の方法を尋ねられ、「よい盤駒を持つこと」と答えたそうな。(あの人は商売気があってちょっとへんだったみたいだけど)

ちなみに、ftp://ftp.uu.net/doc/music/guitar/のあたりにいろんな歌詞カードやらコード譜やらタブ譜やら練習用ドキュメントやらユーティリティーやらごちゃごちゃあってたのしい。 rec.music.makers.*あたりも読むようになった。

明日からふたたびテレホーダイが使えるようになる。


1997/09/10

朝遅刻しそうになりあせるが、なんとかセーフ。田舎は電車の本数が少なくて苦労する。京都ではもうすぐ東西線なんてものが開通するらしく、ちょっと期待している。どの程度便利になるかは本数次第だな。

マンガ

昨日は京橋の古本屋で上村一夫先生の『狂人関係』3巻1500円を発見したのですぐさま購入。これは73年頃の作品で北斎の弟子が主人公。この人のマンガを読んでいるとドキドキすることがある。巻末に作品リストがあったのですべてそろえてみたいのだが、難しいかな。

少年のころこのひとのマンガをちょっと大人な:-)マンガ本などでみかけると、読むのを避けていたような気がする。おもしろく読むようになったのは杉浦日向子の作品なんかを楽しめるようになってからだな。べつに杉浦と上村はあんまり関係ないような気もするが、あるような気もするな。どっちも漫画家ってよりは「画師」だし。

そういや昨日は他に冬目景『黒鉄』と沙村広明『無限の住人』っていうマンガも買ったな。どっちもアフタヌーンあたりに載ってたものだと思う。ストーリーも絵柄も似ているような気がするが、どういう関係だろう? が、『黒鉄』の方がおもしろいし絵も好き。

電脳無法地帯

組織的に市販のプログラムやシェアウェアの登録番号を不正に流通させているようなひどいサイトもあることを知る。ま、予想はついてたけど、ひどいなあ。こういうのと比べればエッチ画像なんかどうでもいい問題だよな。「インターネットは無法地帯なんでしょ?」と言われれば、やっぱりイエスと答えなきゃなんないんだろな。もっとも、どんな社会にも調子悪いやつはいるといえばそうなんだけどね。


1997/09/12

看護学校。

(☆☆☆☆☆)日記界で有名な某氏等に某所でたかったような気がする。asahi-net1名、kyoto-u関係者4名、osaka-u関係者1名。


1997/09/13

当然のように重度の二日酔い。久しぶりに死ぬかと思った。

土曜はプールの日。

悪人面

この前大臣になった佐藤さんってのはほんとに悪人面だよな。なんだってあんなに人相悪いんだろね。うーむ。私はかなり人相とか第一印象とかに左右される方なんじゃが、こういう第一感ってのはどの程度信頼できるもんなんじゃろか。


1997/09/14

昼間、ぷらぷら河原町を歩き、永沢光雄の『AV女優』(ヴィレッジセンター)他数冊本を買い、ブルーノートでお茶しながら読み、知り合いのカメラウーマンがやっている個展を見る。その個展は三条通りに面した(小さい)駸々堂の地下の「射手座」という画廊。暇なひとは見に行ってやってください。

『AV女優』はいまさらだが、やっぱりおもしろい。前から少しずつ本屋で立ち読みしていたんだけど、やっぱり買っちゃった。それにしても、ジャズ喫茶で軽い本を読むってのは楽しいよね。


原理主義ふたたび

この前某よろずやな方と飲んだときに、ひさしぶりにHTML原理主義について話をした。そんときよろずやな方はlynxでどう見えているか知らないというようなことを述べてらしたんで、うちのUNIXのlynx + Macでどう見えているのかのサンプルをちょっと。 なんと端末ソフトはいまだにNinja Termだ。

縮小したいのだが、画像はどう処理していいのかわからん。<img>にはhight属性やwidth属性もつけておく。

よろずや画像

書き殴り画像

だれもが気になるインデントなのだが、lynxの場合は<H1>はセンタリングしてくれるし、<H2>や<H3>など他のヘッディングはある程度インデントして示してくれているのだな。本文もちゃんとそれなりにインデントされている。こういうのはブラウザの方で好きなように指定できるようになっているべきなんじゃよ。(スタイルシートはどうなったんだろ?HTML 4.0のドラフトとかも調べてみるか。)

それにしてもデジカメ欲しいぞ。


1997/09/15

昼間ブルーノートで音楽聞きながら採点作業を終える。時間がない。

昨日書いた個展は昨日でおわりだったらしい...すまんです。


1997/09/17

授業がない

午前中滋賀、午後は伏見区...と思っていたのだが、行ってみると講師控え室はカラ。つまり、 去年とまったく同じことをまたやってしまったのである。

もちろん、あの経験を忘れていたわけではない。今年は何度も渡された日程表を確認しているのである。(実際、家を出るときも確認している)

ほどなく原因が解明された。その日程表には「9月16日後期開始」と書いているのだが、その下のほうに「9月25日後期授業開始」とあるのだった。むう。なるほど。16日から履修登録したりなんなりという大学の機能が動いているということらしい。まぎらわしい。ぷんすか。

ま、私の性格に問題があるのは重々承知。病気なんかもしれん。

とりあえずの教訓。なにかをまちがえたときは、その原因を明らかにしておかないと同じことももう一度やってしまう。

気分をはらすため、小銭をかきあつめてプールへ(会員は1000円弱)

帰りみち、月が凶暴なほどでかい。


1997/09/18

一日に一つのことしかできないっていう怠惰な性格はどうすれば直るか思案。結論は出ず。

フュージョン

Wether Reportの8:30とBrecker BrothersのReturn of Brecker Brothers。どっちも中古屋でゴミ同然の値段だったので買ってきた。時代は70年代フュージョンである(うそ)。ウェザーリポートなんかは中古LPがほんとうに捨て値で売られているから、今のうちにそろえておくかな。(実はいままで1枚ももってなかった。おどろいた。)

「しあんくれ〜る」というジャズ喫茶でバイトしていたころ('86〜'90ぐらいか)は、こういう音楽は邪悪なものであって、リクエストがないかぎりかけてはいけないものだったような気がする。 電気な音はあそこの音響システムではあんまりよく鳴らなかったってのもある。

「しあんくれ〜る」の正統は60年代ハードバップや70年代モードで、コンテンポラリーなやつというとジェームズ・ブラッド・ウルマーとかアーサー・ブライスとかアート・アンサンブル・オブ・シカゴとかであった、ってのは半分ウソだけど、たしかにウェザーリポートなんかあんまりかけなかったし、好きでもなかったかもしれない。今聴くと新鮮で、いろんなことをしているのに気づく。

「フュージョン」に対する偏見ってのは、けっこう根深いものがあったかもしれんな。いや、好きだったんだけどね。チャック・マンジョーネとか渡辺貞夫とかから「ジャズ」を聴きはじめたような気がするし。

もっとも、ジャコパスってのはちょっとあがめたてまつられすぎているような気もしないでもない。いや、名プレイヤーであり、エレキベースのイノベイターであるのは認めるけどね。スコット・ラファロと同じ意味で重要だが、同じ意味で音楽の上でのイノベイターではないじゃろう。

と書いたが、いやいや、やはりジャコパスは強力な影響あるよなあ。あそこらへんの音楽のスタイルを全部変えちゃったと見ることもできるな。むう。

そういや、マーカス・ミラーもベースプレイヤーとしてはあんまり好きじゃないな。ソロ楽器としてのベースってのはなじめんということか。私自身がベースプレイヤーで好きなのはP-FUNKのCordell Mosson(Bootsyではなく)とかChicのバーナード・エドワードとかTimeのころのTerry Lewisとかだもんな。ぶっとい音で同じビートを延々繰り返してグルーブってのが好み。こりゃすでに音楽のそのものの好みだな。


1997/09/19

Macにはふつう2つしかシリアルポートがなくて、モデムとターミナルアダプタとプリンタを同時につなぐことができずに最近非常に困っている。現在はプリンタを使うたびにケーブルを差しかえているのだが、そのうちコネクタが壊れてしまうんじゃないかと心配。私は機械的なものはよく壊す。みんなどうしているのだろうか? 切替器とかあるんだろうが、けっこう高そうだな。コネクタの問題もあるし。

松原。帰りに将棋会館。●○●○○○●○●。

夜、某5級とさらに。●○●。


1997/09/20

土曜日はプールの日。バタフライとかいう泳法のメカニズムを知る。しかし、実際にやるとなると、イルカキックすらできない。むう。


1997/09/21

午前中に起きていたのだが、NHK将棋を見損ねる。かわりに囲碁を見てみるがぜんぜんわからん。それにしても聞き手の女の子美人だなあ。将棋の方も高橋和嬢でもつかってがんばってほしい。(いや、今の番組に批判的なわけではないが)

午後喫茶店で3時間ぐらいねばる。


1997/09/22

後期は月曜は2コマ目から。朝ちょっと余裕があるのはうれしい。もっとも、早晩ギリギリまで寝てしまうようになるのだろう。

Watch

私はここ1、2年、腕時計をもっていない。今年6月ごろにパチンコでとったのだが、すぐに将棋道場でなくしてしまった。ストップウォッチなんかをもちあるいていたのだが、あまりにもみっともない。しかし金はない。よって、財布のなかの2000円にすべてをかけ、ひさしぶりにパチンコ :-)無事獲得できたのは実に幸運であった。

コンタクトレンズ洗浄

最近、コンタクトレンズの洗浄にロートのCキューブというものを使ってみた。(これまではメニコンの純正)これはなかなかのすぐれもので、たしかに装着した感じがスムーズで快適。高分子化学おそるべし。

祇園の交差点を一筋上る西入るにBorderというSoulなバーを発見。わりと気にいったのでまた行ってみよう。

家計簿ソフト

ふたたび家計簿をつけようとしている。Nifty Serveなどにある「家計簿スタック」というのはなかなか優れものなのだが、ハイパーカードの起動がおそくてイライラしてしまう。メモリも食うし。

クラリスワークスの表計算もためしたが、もうひとつしっくりこない。軽いアプリケーションのものが欲しい。しかし市販の家計簿ソフトを買って家計を圧迫するのはばかげているし、だいたいその手のソフトってのは使い勝手が勝負なので、試さずに買う気にはなれない。

1000円ぐらいのシェアウェアでないかな。

渡辺武信『住まい方の実践』中公新書。相川正道・長倉貢一『現代の感染症』岩波新書。『バルトーク』中公新書。佐伯『新・コンピュータと教育』岩波新書。吉田健一『東京の昔』。

吉田健一を読みつつ酒飲んで時間を過せば極楽。


1997/09/23

Fifth Element

『もののけ』を見ようとしたのだがいまだに満席で立見という状態らしいので、『フィフス・エレメント』に。娯楽大作で楽しめる。やはり娯楽はこうでなくては。プリンスを連想させるDJ役のキャラクタが立っていて非常によい。近日中にブルース・リーも見なくてはならん。

『はじめてのラテン語』講談社現代新書


1997/09/24

ストレッチ

私は体が固い。特に前屈がぜんぜんでない。最近すこしずつストレッチしているのだが、あんまり無理にやると腰をやってしまうだろうから、ゆっくりゆっくり。

今日も生徒に試験させている間、後で見えないようにしてえんえん体のあちこちをのばしていた(Tarzanを買ったのである:-)

毎日の成果がようやくあらわれはじめ、調子のよいときは前屈でつまさきまであと5センチ。

アリストテレスはむずかしいなあ。哲学ってなんでこんなに難しいんじゃろか。


1997/09/25

レポートの様式

何度か書いているような気がするが、大学でのレポート提出の様式について。私はどこでも「手書の場合はA4原稿用紙(タテヨコ自由)、ワープロ等の場合はA4横書きで行間を十分に開けること。表紙は必要ないが、ステープラー等で留めること」と指定している。まず、いわゆる「レポート用紙」にびっちり書きこんでくるやつがいる。そんなもん読めん。ぷんすか。今回の大学では、わざわざ表紙をつけてくれるのはよいのだが、大学の指定の表紙に二穴があけてあり、それにひきずられたのか綴じヒモで綴じてくる子が大半。むう。ヒモがついていると、大量のレポートはあつかいにくいので、わざわざヒモをはずしてステープラーでとめなおす。これは盲点であった。

「なんでみんなヒモで留めるの?」と尋ねると、「リサイクルできるんちゃう?」というすばらしい答が返ってきてうなる。むう。ほんとにリサイクルするんか?その学生にはいずれ、はずしたヒモをプレゼントすることにしよう。レポートが200本ぐらい書けるはずである:-)

さすがにクリップで留めてくる学生はいなかったが、大きなクリップ(というか、なんというか、商品名はなんていったかな)で留めてくる学生もいるあれはたしかに便利なのだが、かさばって邪魔。これもはずしてステープラーでとめなおす。ここらへんは私がちゃんと指示しなかったのがいけない。

さらには何度も何度も何度も指示したのにもかかわらずなんにもとめていない学生もかなりいて、さすがにこれはその場でつっかえした。実際、私は「ちゃんと」できない人間なので綴じていないものをあずかるのは危険である。

また、これまた何度も言ったのに、ワープロでわざわざ原稿用紙にプリントしてくる奴がいる。そういう意味不明な行為は許さんといってるのに。きい。

それにしても、手書きの数が多い。今時の学生はワープロももっていないのか?

よって、次のレポートでは

「手書きの場合はA4原稿用紙(タテヨコ自由)、ワープロ等で印刷の場合はA4横書きで、行間を1行あけること(「ダブルスペース」と指定するべきだろうか?)。必ずステープラーで留めること。綴じ紐は不可。(商品名不明)は不可。ワープロ等で原稿用紙にプリントするのは不可。可能であれば手書きは避けること。」
と指定するか。最後の一文は問題あるか。「手書きは推奨されていない」とか「教官は趣味として手書きを好まない」とかか。なんだかヘン。

ついでに、「江口教官」と書いてきた学生は少なくとも5名。.........

表題

書き殴りに表題をつけてみようと思ったが、あんまりなじまないな。これはなにかちゃんとした目的のために書いているのではないからだな。だいたい、書きはじめるときに、何について書こうとしているのか意識していないことが多いようだ。現状では分量も少なすぎる。


1997/09/26

看護学校。ここはあとちょっとでおしまい。


1997/09/27

土曜の日常

昼間ジャズ喫茶で3時間ほどねばる。何だかジャズ喫茶がふたたび習慣化しつつある。土曜はプールの日。また若い女性に習うらしい。第4週は「泳ぎ込み」の日。延々泳ぐ。今週はぜんぜん泳いでいなかったこともあって、けっこう疲れた。とりあえず平泳ぎ、クロール、背泳はなにやら形だけはできるようになった模様。これで3ヶ月になる。週一にしてはまずまずの成果か。帰りにビール飲みながらラーメン。

スイングジャーナル

ジャズ喫茶とか行くとおいてある「スイングジャーナル」や「ジャズ批評」とかを読むことになるのだが、いつ読んでも、なんというか、退廃していて読んでいて泣きたくなる。どの号を読んでも「マイルス」「コルトレーン」「パーカー」。文章も死んでいる。もっと感動ってのがないのだろうか。ないんじゃろな。やはりいわゆる「ジャズ」ってのは死んだ音楽なんだな。

いや、ちがう。死んでいるのは音楽じゃなくてライターなんだろう。同じひとが同じ対象について何度も書いていれば死んでしまうんだな。業界には新しいライターがはいれない/はいらない状態なんだろう。

今日の音楽とカフェバー

クルセイダーズ。このバンドも昔は軟弱であると避けていたが、よい。"Street Life"とかね。うちにはVolal Albumしかないので数枚集めてみたいな。このバンドって特に「カフェ・バー」とかって言葉を連想するよな。ジョー・サンプルが悪いのか:-)

私が大学生になったころは、ちょうど『なんとなくクリスタル』が売れた1、2年後だったのでカフェバーとかたくさんあったんだよな。行ってみたかったけど、恐くて入れなかったことがあったような気がしないでもない:-)

テレビ死亡?

とか書いていたらテレビがうつらなくなっている。ブラウン管が光らず、キュルキュルといやな音がする。お亡くなりか。次のを買う予算はないぞ。製造年を見てみると84年。むう、13年も働いてくれたか。

このテレビは売られたり買いもどされたり、借金のかた:-)にもってかれたりなんやらで何度も私の手をはなれては帰ってきたケナゲなやつだったのだが。とりあえず明日の将棋(谷川vs阿部)とサッカーはどうするんだ。ま、無駄な時間を使なくなってよいのかもしれんが。( 囲碁のおねえさんも気になる:-))


1997/09/28

半日寝てもやはりテレビはなおらん。音声も出ない。というわけで、今日サッカーを見る必要がなくなったわけだ。めでたし。


1997/09/29

日常

摂津富田。

帰り、寺町の電気屋街を歩く。テレビは14型で1万7000円というものがあった。むう。しかし買えない。しかしこれくらいの値段だと、今のやつを修理に出すより安いかもしれない。むう。

懸案のシリアルポート切替器を探すと、2400円というおもいの他安い値段であったので購入。情報サンクス。ただしスイッチはチャチなので、あまり頻繁に使用するのはためらわれる。3つ繋げる切替器なので、ひとつあまっている。ここにも繋げたいものがあるが...テレビも買えないようじゃ無理じゃな。

ついでにドイツ語の辞書のCD-ROMを探すが見つからない。三修社の12ヶ国語辞書というのを見つけるが、WINDOWS版。とりよせることになるらしい。Macでも使えるのかな。出版社からタダで送ってこないかな。

間宮芳生『現代音楽の冒険』岩波新書

この前、中公の『バルトーク』を読んでなかなかおもしろかったのでその継続。『バルトーク』はまだ若手の人が書いているもので、作曲家ではなく民族音楽研究家としてのバルトークって切り口がよかった。間宮のは発見や感動がなく退屈。五線譜に表現できないような音楽を印刷物で表現するというハンデを負っているからか。こういう分野こそ「マルチメディア」とかいうものが威力を発揮するんじゃろが。しかし現状の「マルチメディア」はまだ印刷物に比べて手間ヒマがかかりすぎるか。

この手の本で私自身には大きな影響を与えたのは、やはり岩波新書の小倉朗のやつだ。あの本は、20世紀になってからの作曲家達の調性との格闘をストラビンスキー、シェーンベルク、バルトークの3人を中心にして描いたもので、当時の(おそらく今でも)私には非常に説得力があった。特に、バルトークの「弦チェレ」の4楽章で1楽章のテーマの音程が変えられて現われる場面について「感動は動かしがたい」っていう表現があって、いつもそれを思い出してしまう。刷り込まれてしまっているのである。(同じような刷り込みに小林秀雄の「悲しみは疾走する」ってのがあったが、これは私にとっては何の意味もない)

この小倉の叙述のタネ本はレンドヴァイの『バルトークの音楽技法』ってやつなのだが、間宮はこれを批判したりしている。なるほど。(しかし実際のところは批判しているのかそうではないのかがよくわからず、ここらへんがおもしろくない理由のひとつだわなあ)

西垣戸勝『性教育は、いま』岩波新書

大筋退屈だけど、細かい点がおもしろい。そのうちヒマになったら抜き書きとコメントでも書く。

『ゴールデンラッキー』8。もちろんおもしろい。私はこの人が描く女性が好きである。


1997/09/30

摂津富田。午後なんだか調子悪くなって寝てしまう。

この日、読売新聞にインドでの臓器売買に日本人医師がかかわっていたという記事。


1997/10/01

午前中は授業なし。午後深草で後期開始。

甘味

夜になるとビールなんかを飲みたくなるのは、血糖値と関係あるのではないかという仮説のもと、甘味とコーヒーで我慢してみるテスト中。お酒を飲む習慣がない人がうらやましい。

山井和則『世界の高齢者福祉』岩波新書。バクシーシ山下『私も女優にしてください』太田出版。中崎タツヤ『問題サラリーマン5』。 中崎のはコンビニで立ち読みしてたらおかしかったのでつい買ってしまった。バクシーシのはつまらん。

蔵書印

蔵書印って持ってますか?ちゃんとしたやつにちゃんとした朱をつけて押すのはたのしいだろうなあ。蔵書票とかを専門のひとに発注したりすんのもたのしそうだな。


1997/10/02

メーリングリストのSubject:

このネタは前にも書いたが、メーリングリストから送られてくるメールのSubjectには、[Foo-ml:000123]とかそういう文字列が付けられていることが多い。好みの問題なのかもしれないが、私は嫌いである。メール配ソフトの代表格であるfmlのドキュメントには次のような記載がある。

fml デフォールトは「Subject: はいじらない。本来メールソフトが好きな形にフォーマットするものをサーバ側でフォーマットを押付けるべきではない」「有効に使いもしないのに Subject:の本体の情報を減らすタグはつけるべきではない」というものです。

#注意:この問題は本来はメールインターフェイスプログラムが賢いか?
#否か?という問題に還元されるべきものです。

実際、Subjectの文字列によって話題別にソートしようとしたりするとこの番号つきの文字列が非常にじゃまなんだよね。私は現在はメールが届いた時点でわざわざフィルタをかまして取り除いている。あまり親切でないサーバーソフトと、あまり賢くないメールソフトと、あまり慣れていないユーザーの3点がそろうと、

Subject: [foo-ml:012349]RE:[foo-ml:012348]RE:[foo-ml:012345] ほんとのサブジェクト
なんて悲しいことになる:-)

(そういや、返信にRE:RE:RE:とかRe:3とかつけちゃうソフトもあって、そういうものを使っているひとの品格が疑われる(うそ)こともあるな。)

たいていのメーリングリストソフトは、ヘッダにSubject以外にもX-ML-NameとかX-Mail-Countとかっていうフィールドを用意してくれているので、それを見てブラウザの方でなんとかするべきもんだいなんだよね。ま、しかし、それほど賢くないソフトを使っている人も多いだろうから、そうも言っていられないか。そういうものを欲しいと思う気分はわかる。

しかし、こういう文字列が今ではハバを効かせているので、逆に一般の人が使うメールソフトが進化しないって弊害もあるんだよな。

甘味の力によって前日から徹夜で3コマ。寝る。

蔵書印は持っているひと3人、もってない8人、シャチハタ等3人、自分で作った1人。イモ版だろうか?ちがうか。落款みたいなやつかな。いいなあ。シャチハタ仲間がいるのは心強い。


1997/10/03

河内周辺。


1997/10/04

ひさしぶりにお医者と将棋。○○●。最近は、ちょっとでもアルコールが入れば私の方が強い。近所の中華料理店2店について意見を交す。


1997/10/05

外人にからまれる

またもやジャズ喫茶でテスト採点などしつつ半日過ごす。途中アメリカ人のひとびとがやってきて、店員に英語が通じず、ちょっと助けてあげるといろいろ話しかけられ往生する。シラフでは英語なんかしゃべる気にはなれんので、その外人たちにタカる:-)実際のところ、英語でなくても、初対面の正体不明のツーリストやビジネスマンと話しあうべきことはほとんどない。

夜大学に潜入するが、旧研究室はもぬけのから。むう。


1997/10/06

高槻周辺。

良書を読む秘訣

どうでもいいことだが、昔河原町今出川をちょっと下ったところに本屋があったのじゃ。「銀邦堂」じゃったかな?名前は忘れた。あるときこの店は大々的に改装してきれいにして、回る看板をかざったのじゃ。それには、「良書を読む秘訣は、悪書を読まないことである----ショーペンハウエル」なんていう文句がでかでかと書かれていたのじゃな。その言葉どおり、その本屋では悪書(わかるじゃろう)をぜんぜん置いていなかったじゃ。ワシはみあげた心根と感心しておったのじゃが、改装後ほどなくつぶれてしまったな。よい本屋じゃったのだが。やっぱり悪書は本屋の売上げには重要なようじゃ。

12か国語電子辞書

三修社の12か国語電子辞書(8000円弱)ってのを買った。とりあえずGerman-EnglishとDanish-Englishがおめあてだったのだが、簡単すぎてほとんど使いものにならん。技術者向けってかんじ。ソフトの専用のものがついてきて、他のマシンやソフトでは読めそうにない。失敗。こういうのも試して買うことができればいいんだけどねえ。やはり電子ブックをちゃんと調べてから買うべきであった。

そういや、最近ASCIIから出た「広辞苑+リーダーズ」ってのも欲しいが、1万7千円とかですぐには手が出ない。WINDOWSのWORDについてくる小学館のBookshelfなんていいよな。辞書ひき専用にWINDOWSマシンが欲しいぞ。

その後、ちょっとfj.sys.macを読んでたらちょうどこの話題が出ていた。 図書印刷日外アソシエーツにリストがある。むう。いろいろ欲しいものがある。もうちょっと安くならんかな。

実際、いま新しいマシンがほしくてほしくてしかたがない。優先順位は

  1. モバイル用の軽いヤツ。なんとかしてemacs+skkが動けばいうことなし。
  2. Power Mac + 17inchモニタ
  3. UNIXが動くもの
『知能指数』。『トリマルキオの饗宴』。『電脳無法地帯』。

1997/10/07

高槻は追試験期間につき授業なし。柏原後期開始。

将棋会館○○○。


1997/10/08

バックアップ

ある人からMacのハードディスクが読まなくなったので見てほしいと言われる。Performa588。内蔵のディスクを読まなくなっている。IDEでつながっていることは認識しているようだが、APPLEの「ハードディスク設定」でフォーマットしようとしても失敗する。物理フォーマットさえできない。バックアップをちゃんととっていなかったらしく、1年分以上のファイルの一部を失なってしまったらしい。なかには非常に貴重なものも含まれていたようだ。非常に気の毒だが私ができることはほとんどない。修理に出すしかない。ノートンユーティリティーとかを買ってきても、あんまり意味なかったじゃろと思う。ハードディスクは飛んでしまえばそれまでと思わねばならんな。

バックアップは重要と知っていても、フロッピーで定期的にバックアップをとるってのは心理的にも時間的にもちょっと無理じゃろな。私自身、MOを買う前は数か月に1回おもいだしたときに自分でつくった文書だけをなんとかセーブしていたにすぎない。ひやひやしながら使っていた。特に、忙しいときほどコンピュータをよく使うので壊れる可能性があがるんじゃよね。

現在はMOとSynchronize!というシェアウェア(おすすめ)を使ってなかなか快適。ハードディスクがいつ飛んでも恐くないぞ:-)

ま、これを読んでいるひともなんとかしてバックアップとりましょう。貴重な文書や日記や手紙なんかのことを考えたら、MOドライブ3万円は高いものではないと思う。

特に個人用日記を失なってしまったら悲しいよな。

その人のコンピューターを見るため、研究室のそとづけ1GBのハードディスクを借りだした。家のMacに接続してみると、LC575内蔵の320KBハードディスクはかなり遅いものであることにいまごろ気づく。速い大容量ディスクをつなぐだけでだいぶ使い勝手がかわるな。きっと。


1997/10/09

亀岡。きゅう。なんとか帰ってきてビールを飲んでいると某氏から呼びだされ将棋。●●●。


1997/10/10

Risk taking / risk averse

1/100の確率で1000万円と1/1の確率で10万円だったら10万円の方を選ぶよなあ。

では、1/100の確率で1000円と1/1の確率で10円だったら? 1000円の方を選びそうだ。

むう。

ここらへんはお金の価値が私にとって金額と比例するもんじゃないってことをあらわしているんだろうな。

いや、書きたかったのはこういうことじゃなくて、なんらかの行為にリスクがともなう場合に、それをどう評価するかってことなんだったんだが。

車を運転したり、夜ひとりで危険だと言われる地域を歩いたりするってのは危険な行為なんだよな。そこでどう判断するかってのはリスクがかかる場合の好みが表現されちゃんだな...むう。経済学も勉強しなきゃ。

スチールラック

某児玉大人の寛大なる御心により、スチールラックを一つ賜る。感謝感激。これまた親切な彼が用意してくれたラチャットでくみたてる。このラックは側板がないか本棚として使うには工夫が必要だな。 この部屋を人間らしいものにするには、本棚があと2、3棹は必要だ。(む、本棚もサオで数えていいのか?気になって広辞苑をひくと、箪笥や長持を数えるのに使う」とある。)

古紙回収

たまった古雑誌をちり紙交換に出そうとトラック(関西古紙)を呼びとめると、雑誌はもっていけないという。古紙の値段が暴落していて、どうにも処分できないそうだ。「5年分ぐらいためといてください」なんて言われてしまった。そんなことできるわけないじゃろ。むう、どうする。雑誌にうもれて寝るのか。

この話は前にニュースかなんかで見た記憶があるが、実際生活にかかわってくると困るよなあ。行政はどうするつもりなんじゃろ。

認証

認証があまりちゃんとしていない掲示板なんかには書かないのが一番だが、どうしても書かねばならんのならば、PGPを使えばよい。 たとえば

===================== ここから ====================これはテスト2行目===================== ここまで ====================

というようなテキスト(foo.txt)をあらかじめつくっておいて、pgp -sta foo.txtとしてパスワードなんかを入れると、

===================== ここから ==================== -----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE-----

これはテスト2行目

-----BEGIN PGP SIGNATURE----- Version: 2.6.3i Charset: noconv

iQCVAwUBND3TYN+WfeD6a2SlAQFqgwQAqCBfyjuBmhmBUwUNQXU6nHrcpBR6DNRe /6bQ3ZrT2XO/liFR29c6mtGKwRssWpkTvFtpu6W/fWHN+y1Ge6VHfmmz2YBi/x8F y85nOe9wC04rS7oAOENkvkPtHa70KvZoqlx9U10rzYEol0go5BGBLQVUyw6TcVZe 0GHurKEqoIc= =puPV -----END PGP SIGNATURE----- ===================== ここまで ====================
てな感じにしてくれる。これを書きこめばかなりよい本人認証ができるわけだ。DOSでもWINDOWSでもMacでも動くものがあるはずなのでおすすめ。

と書いたが、WEBでの掲示板ソフトでは改行や文字コードなんかの問題があるからおそらく使いものにならんな。失礼。上のやつも文字コードをEUCにしないと"Bad Signature"と言われてしまうはずである。


1997/10/11

部屋の掃除、部屋の掃除。

土曜日はプールの日。初級平泳ぎコースは人数が増えてきて、「江口さん、来月あたり、そろそろ上(初級クロールコース)にあがりましょうか」と言われたのである。わーい。(私は昇級昇段が好きであるのは否定できない。一般に、何かが上達するのが好きなのである。好きでも上達しないものも多いが...

さようなら、路面電車

京阪の三条〜御陵間が今日で廃線になるらしく、東山三条〜蹴上付近はカメラマンで混雑。しばらく前からカメラかかえた人々がうろうろしていたが、まさにピーク。老若男女。鉄道ファンがこんなに多いとはしらなかったよ。

白川では、「地下鉄開通記念友禅流」なんていう意味不明なことをしている。

私自身は1年半ほどお世話になった電車だが、特に感慨はない。乗り物は嫌いなのである。4000億(!)だかかけて作った地下鉄ののりごこちは、水曜日に試すことになるだろう。しかしすごいね。4000億。私の収入の何倍になるんじゃろ。


1997/10/12

女郎花みつからず

女郎花を探しに植物園へ。入口の案内には写真があるがどこを探してもない。

寒い寒い

寒いっす。しかし着るものがない。 よって、つい布団を出してしまい、つい布団をかぶってしまい、つい寝てしまうっす。コタツの出番も近い。

新米

田舎から米とリンゴを送ってもらう。米うまい。


1997/10/13

高槻は、追試験期間につきお休み。お金がないのでしばらくまじめに炊事する予定。(もう「自炊」っていう言葉は私には似合わないと感じるようになってしまった。ま、米がうまいからいいか。)

女犯坊

本屋に行くと、ふくしま政美の『女犯坊』が復刻されていたので買ってしまう。3000円。たかい〜。ちょっと前に復刻された同じ作者の『聖マッスル』は見送ったのだが、こっちはいちおう買っておかねばならぬじゃろという脅迫観念があって。なぜだかはわからんが。喫茶店で読む。ほんとに壊れてるな。

それにしても、このQuick Japanの「消えた漫画家」シリーズはおもしろいな。

先週ぐらいに出ていた「コミック ゴン」を買いそこねたのが無念。

杉田聡『クルマが優しくなるために』ちくま新書 (いまごろ買う)。 渡辺照宏『仏教』岩波新書。情報サンクス。 三島憲一『ニーチェとその影』講談社学術文庫。 つんでおいた滝澤武人『人間イエス』講談社現代新書を今ごろ読む。

日本語の類語辞典が欲しい。しかし今日本屋でみかけたやつは使いにくそうで買うのをやめてしまった。


1997/10/15

滋賀。深草。調子悪い。

冤罪

最近、東山区ではゴミの日がかわったのだが、いまだに間違えて出すひとがいる。

今日滋賀で仕事をして帰ってみると、下宿の前にゴミぶくろがおかれ、「ゴミの日は火・金です」というメモがのこされていた。ああ、きっと大家さんが、私がまちがえて出したのだと思ったのである。ちがう〜。わたしじゃない。

ま、しかし、生活がぐしゃぐしゃだから信用ないんじゃなあ。しくしく。この冤罪ははらしておかねば住みにくくなってしまうな。きっと。

いろいろ考えるが、わざわざ大家さん宅(10m離れている)を訪問して私じゃないと言うのもちょっとアレだが、かといって、外に出ているゴミを家のなかにひきこんでしまうのも自分であると認めることになってアレだし(だいたい、大量で家にはいらない)、かといって放っておくのもアレだ。やれやれ。(結局そのままにしている)


1997/10/16

調子悪い。


1997/10/17

調子悪くて1日伏せる。けっきょくずっと寝ていた。 怠け者なのではない...と思う。軽いかぜと見た。つかれがたまっているのか。やはり健康は大事。


1997/10/18

文学部の停電のため、サーバーが今日から月曜までとまる。と思ったのは勘違いだった。来週だったのね。

今日も調子が悪いのでスイミングスクールはお休みの予定。講習料がもったいないが...

結局一日中床についていた。ひさしぶりの病気。


1997/10/19

早朝。今日はまし。さて、仕事。

夕方、研究室の雑誌の編集の仕事を邪魔しに行く。許せ>邪魔された人々

のち昏睡。やっぱり本調子じゃないなあ。


1997/10/20

摂津富田。

外人の接待

河道屋で外人(デンマーク人)夫妻の接待。久しぶりに英語で長いこと喋ったので頭のいつも使っていない部分が疲れた。ちなみに私はデンマーク語で会話する力はまったくない。あんなもんが発音できるようになるとも思えん。そもそも聴きとることができないんだから。話せるようになるためには耳を鍛えねばならんのだろうが、デンマーク語は教材もないので無理無理。

ちなみにこのおじさんは、キェルケゴールの新しい全集(4飯)にかかわっている。この新全集はなかなか意欲的らしい。早いところ出版されないかな。

ちなみにキェルケゴールの全集はこれまで3つ出版されていて、第1版は入手不可能、第3版は誤りが多いので第2版が最良とされているのだが、こいつが亀甲縛り文字:-)なのでまた一苦労。(私がもっているのはふるぼけたやつでなかなか趣があるのだが)

機械可読なやつもでるらしいので期待が大きい。


1997/10/21

高槻、柏原。

忙しい〜。時間がない〜。


1997/10/22

篠原、深草。

発作的に机の上とまわりをかたづけたり。机は下宿にすえつけのけっこう大きい木の机なのだが、電話機とプリンタが場所をとってる。どうにかする必要があるな。


1997/10/23

亀岡。

刑罰、ストア、ミル。行き帰りの電車でSusan WolfとJonathan Benetteの有名な論文を読んで感心。これコピーはもってたけど読んでなかった。

まずまず。今日は東西線を使って二条駅で乗りかえてみた。なかなか快適。特に帰りは40分ぐらい早い。

やっと、6、7月分の家賃と、8月分の電気料金をおさめる。ひー。大家さんごめんなさいごめんなさい。

CD購入

Marvin GayのTrouble Manを中古で入手。あと、 New Soul Rebelsとかいうコンピレーション。R. Kellyがなかなかよい。アルバムも買ってみるか。中古レコード店ではフランスもののLPが目につく。ジャケットがかっこいいもんなあ。それだけで買いそうになるが我慢。

最近いろいろ本を買ったようなきがするがわすれた。


1997/10/24

本日から月曜までサーバーが停止する予定。さらば。

フロッピーの廃棄

昔のバックアップのフロッピーディスクなんかを捨てようと思うのだが、もしかしたらあとで必要なファイルがあるのではないかなんて不安がある。でも一々たしかめるのも無理だし、そもそも読めないこともある。ま、これはしょうがないね。

「ゴミのなかからフロッピーを拾われて私の情報が...」なんてことも考えちゃったりもする。昔は企業のゴミを拾うのは産業スパイの常道だと聞いたが、今はどうなんじゃろ。私の場合は重要な情報はないが、恥かしい情報はいろいろあるなあ。

しかしフォーマットしてから捨てるってのもおおげさだよな。枚数もかなりあるし。そうか、物理的に破壊しちゃえばいいんだ。しかしそれも面倒...

Performa 588

詳しいことは聞いていないが、以前に書いたハードディスクを飛ばしてしまったひとが修理を以来したところ、10万円以上要求されてしまって困っているらしい。(保証期間は6月ごろに切れているはず)新しいマシンを買うことになりそうだ。

今月号のMac Powerを読んでいると、同じような症状のことを書いているページがあった。11月号216ページ。この人も購入後1年ちょっとの「オールインワン」のマシンらしく、修理代は10万円とある。他にも、IDEの内蔵ハードディスクの故障についての記事があったように思う。

むう、もしかしたら構造的な欠陥があったんじゃないかな。もしそういう欠陥があったとして、コンピューターなんかの場合はリコールなんてことはしないじゃろうから、消費者の泣き寝入りってことになるよなあ。

ところで、先の人のジャンクと化したマシンは私が拾ってくることになるかもしれない。IDEドライブがだめでも、SCSIの外付けディスクをつないだら動くんじゃないかなと期待している:-)アップルトークで繋いで通信専用にでもしたらよさそうだ。

あ、それを教えてテストしてみてあげるべきか。


1997/10/25

サーバー移転

いつも使っていた 京大のサーバが止っているので、ここで更新することにする。そろそろ完全に移行する時期なのかもしれない。

すでに ASAHI-NETと、ここSO-NET、そしてgeocitiesの3つの商用サーバーを利用できることになっている。ここSO-NETを日記サイトに使うつもり。ASAHI-NETはまじめなページをつくろうかな。そしてgeocitiesでは:-)

スイミングスクール

土曜日はプールの日。先週休んでしまったので今日はちょっと早めに行ってトレーニングルームで軽く体を動かす。 今日は体操の時間を使って体力測定が行われる。身長、体重、皮下脂肪、立脚前屈、反復横飛び、ジャンプ、etc.結果は分析して返してくれるらしい。32歳男性としての運動能力はどんなもんなんじゃろか。

エディー・コスタ発見

中古レコード店で以前から探していたEddie CostaのHouse of Blue LightのLPを見つけてしまい、ちょっと高かった(1700円)しょうがないので買う。このレコードは昔は「幻の名盤」扱いされていたものだが、おそらくCDで再発されているじゃろとは思う。(そんでも見つけることができなかったのだが)このひとは夭折したひとのなので、残されているのはタル・ファーロウとやっているのが数枚あるぐらいなのかな。

昼過ぎに起きてうだうだ。

夜医者来訪。ドナーカードの話なんかをしながら○●○●●。


1997/10/26

31歳最後の日。禁酒1日。時間が足りない。なるべくネットワークには触らないようにしているのだが。

なぜか無性に大根下ろしが食べたくなり、大量に擦りおろして納豆とともに食す。

単位と数字

世の中にはだいたいどれくらいの数であるかをせめて桁だけでも知っておくべき数字があるような気がする。世界の人口とか(57億人ぐらいかな?まだ60億はいってないよな)、日本の出生数とか(110〜120万人ぐらいかな?)、中絶の数とか(40万人(件?)を切るぐらいか)、交通事故死の数とか(わからん。2万ぐらいか?歩行者は5、6000人だったと思う)、自殺の数とか(これもわからん。万のオーダーのような気がする) 1年に失なわれる森林の面積とか(1000万ヘクタールっていうけど、これは具体的にはどれくらいの広さなのかがわからん)、日本の面積とか(これを知らないから前のやつがわからん)、日本の国家予算だとか(ぜんぜん知らん)、女性器削除されている女性の数とか(1億ちょっと!)、アメリカでレイプされている女性の数とか(7人に1人が生涯に1度は経験するそうな)ナチスに殺されたユダヤ人の数だとか(600万ぐらいかなあ)、戦争中に死んだ日本兵とか(うーん、百万の桁だと思うけど。頭に浮ぶ200万って数が兵隊なのか、一般市民なのか)、これまで生きてきたと思われる人間の数とか(これは難しいな。推定人口のグラフとかってのは見たことあるから、計算すればだいたいのオーダーはわかりそうだが)

こういう数字は一度知らべてもすぐに忘れてしまう。その桁までわからんようになってしまうっては恥ずかしい。いかんな。なにかメモを残して蓄積することにしよう。どっかにそういうのがないかな。単位ごとに昇順か降順になっていて、だいたいの桁のオーダーで意味があるような例がのってるってやつがいいな。CGIで皆に適当に書いてもらうってのも企画したが面倒。

ま実は、今ワールドウォッチ研究所の『バイタル・サイン』てのをながめていて、その数字がどの程度の大きさなのかがよくわからないものも多いのだな。恥ずかしいことである。


1997/10/27

徹夜のまま高槻。

サイフを一個取得。好物のウナギを食って誕生日を祝う。ビール少々。ドロドロに寝る。

誕生日に関して特に感慨はなし。あと何年生きなければならんのじゃろか。


1997/10/28

朝がつらいがなんとかがんばって起きる。高槻と柏原。まずまず。

サイフを持ちあるくと、自分の現在の所持金を意識するようになってちょっとつらい。人前で開くのもはばかられる。倹約効果があるかもしれない。

LC575が最近頻繁(2、3日に1回)に落ちるようになってしまっている。おそらく原因はバックアップ電池の消耗であろう。(ネットワーク関係のソフトにも問題があるかもしれない)放っておくと立ちあがらなくなってしまう恐れがあるので明日電気屋に相談してみるつもり。

MacOS 8はかなり安定しているっていうけど本当かな。

妹からはじめてメールが届く。やっとネットワークに接続したらしい。(Niftyだけど)妹ももう30歳になっちゃったんだな。結婚とかしないんじゃろか?

私はあんまり妹と会う機会がないので、どんな生活しているかもほとんど知らんのじゃ。


1997/10/29

滋賀、深草。

最近、プリンタの調子も悪くて困っていた。どうもプリントしていると余計な部分が汚れてしまうらしく、

「自分への誕生プレゼント」ということで、OKIのMicroline 4Wというレーザープリンタ3万円を買ってしまう。(カード地獄)

OKIのプリンタは昔誰かがプリンタドライバで悩んでいたりした記憶があるので避けたかったのだが、実際に使ってみるとやーなかなか快適。これが3万円ってのはよい時代になったなあ。


1997/10/30

半日休講

北の方。今日は学園祭準備のため午後から休講。午前中だけ1コマ。出席をとっていないので学生さんがいなくなるのではないかと心配していたが、平常通り。1コマだけだったら楽勝。なんて楽なんだ。300人もいたら出席なんかとりようがない。「レポートちゃんと書いたら単位はやるから出てくるんじゃねえ」って言ってしまってる。最近やっと(おそらく少しは)興味のある子だけになって私語もなくやりやすくなっている。

控え室には3人しか先生がいない。

「やー、がらがらですね。みなさん休講にしてらっしゃるんですかね。」
「そうみたいですねえ」
「私も休講にすればよかったかな。そもそも、半日だけってのはアレですね。すべて休みにしてもらった方がいいですよね。」
「いや、そうもいかんのです。私の本務校でもいつも全休にするかどうかっていう議論があるのですが、学生の実行委員の方から半日授業をやってくれ、ってたのまれるのですよ。全休にすると学生が出てこなくなっちゃうってんですな。」
「なるほど。そういうわけですか。授業で学園祭に学生をひっぱりだすってわけですね。んじゃ、私も休講にしなくて正解ってことですか。しかし学生をひっぱりだす力なんかないよなあ。」

日本の景気

経済が専門の先生に日本経済についてのご意見を伺うが、なにも気のきいたことを言えない。 いや、こちらから尋ねたんじゃなくて、彼が勝手に喋りはじめたんだけど 日本の景気に関しては、これまで32年の間、1年で30秒ぐらいしか考えたことがなかったことに気づく。(今年はこれがはじめてだ :-)バブルも不景気も、私の生活には直接の関係はほとんどなかったもんな。(「バブル」の当時に景気がよかったことは、後になってから「あのころは景気がよかったから〜」って話を聞いてはじめて知った。)やれやれ。

今って景気いいんですか?悪いんですか? :-)

東西線

家から地下鉄東西線→地下鉄烏丸線という手段で京都駅まで往復。230円で京都駅まで行けて、接続もなかなかよく、バスより5〜10分ぐらい早い(バスは220円)。なかなか便利じゃ。これから常用してやることにしよう。

プラットホームにドアがついているのは安心じゃな。いつも落ちちゃうんじゃないかと心配だったことに気づく。

書類

無駄な書類を書きあげる。通算4通目か。「自筆で」ってのは苦痛。何回となく書きまちがえてしまう。すぐに5通目も書かねばならん。無駄無駄。

デスクマット

下宿にそなえつけの机が木製のかなり古いもので、なかなかよいものなのだが、デコボコしているのでボールペンなんかは使いにくい。デスクマット1500円購入。早晩タバコで焼け焦げをつくってしまうことであろう。

グールドの『八匹の子豚』早川書房。生物学はおもしろいなあ。

商用プロバイダに移動したのを機会に、色をつけてみた。「らしくない」なあ。


1997/10/31

どういうわけか徹夜。 看護学校の最後の授業のレジメとテスト問題を作っていた。ここは3年もやったし、そろそろ後輩にゆずろうかな。

授業終了。

ここは今年はかなり不調であった。

いろいろ分析して反省。


引越しの理由

ま、日記をひっこしたのは、もともと京大のサーバーを使う権利は私にはないはずじゃから、ってのが一番かな。いまだに京大のまわりをうろうろしていたりするのじゃが、籍があるわけじゃないからね。

Bookmark喪失

むむむ、foreachコマンドの使い方を間違えて、lynxのBookmarkのたぐいを全部とばしてしまった。バックアップはいつとったんだったかな....

サピオ

電車のなかで行きは「AERA」、帰りは「SAPIO」を読む。AERAを買うのはひさしぶり。SAPIOははじめて買った。

SAPIOの方が読みごたえがあるというか、なんというか。今回は「人権主義って、何者だ?」っていう某師匠が好きそうなタイトルだったので買ってみたのである。なかなか悪意に満ちた雑誌だなあ。 この雑誌の対象の読者はどういう人々なんだろうか。20〜30代の高学歴の人間なんじゃろな。AERAと同じ層なのかもしれない。

寒い寒い。暑いのは好きだけど寒いのは我慢できない。押入から電気ストーブを出す。ガスストーブを出す日も近いな。


1997/11/01

起きれば昼過ぎ。

土曜日はプールの日。早めに行って体操場をぐるぐる走り、ストレッチで体をほぐす。1週間なにもしていなかったので体が固くなっている。今月から初級平泳ぎコースから初級クロールコースに移る。


1997/11/02

起きると昼。そば屋で昼食。仕事、仕事。


1997/11/03

なにごともなし。忙しい。良い天気だったが、部屋にこもって仕事。

たしかにこんなに天気のよい日には芋煮会とかするべきなんだよな。私は芋煮会の本場山形県で生れ育っているので懐かしい。来年こそは企画してみよう。

仕事の友はコーヒーとミントの粒(フリスクってやつ)とストレッチ。股関節が開かないなあ。

ダイレクトメール

裏ビデオ業者から初めてダイレクトメールが舞い込んだ。

「突然このようなダイレクトメールを送りまして、大変申し訳けございません。この案内状は、名簿業者のリスト(特に電話中心)を使用し、送付させていただきました。従いまして、あなた様のお名前、ご住所等は当社の会員リストには一切登録しておりません」
だそうだ。 住所は私が普段使っていない長い表記のやつ。おそらく自分では一度も書いたことのない表記だ。むう、どっからのもんじゃろか。意外に区役所あたりなんじゃないだろうか。こういう時のために、あちこちで書く住所をちょっとずつ買えておいてメモしておくべきだな。

うちは繁華街の至近距離だが、お寺のなかだからこういうものが郵便ボックスに投げ込まれたりはしない。じっくり読んでみるが、これで商売になるのかなあ。


1997/11/04

あたりまえのことだが、WEBの世界は日記だけではない。

ひさしぶりにちょっと調べものをした。いろいろ興味深いページを発見。作ってくれる人々の意欲に驚き、また感謝する。私自身はもう有用なページを作るなんて気力はないなあ。

高槻。


1997/11/05

Bootsy Collinsの"Ultra Wave"を何回もリピートして聞いている。2曲目の"F-Encounter"が最高にいいんだよな。この曲は2、3年ぐらい前に塾講師に行く前に景気づけにずっと聞いてたんで、聞くたびに塾の暗い雰囲気とか、岩倉の暗い夜道を思いだすよ。

今日電話が止まる予定。

と思ったら止まらなかった。

午前中は推薦入試のため休講。うれしい。午後深草。1コマだけだったら楽勝なんだよな。

RamDoublerで安定?

最近Macが頻繁にハングアップするので、しばらく使っていなかったRamDoublerを入れた。するとぜんぜん問題がおこらない。うーん、どういうことだ。20MBではメモリが足りないってことか。RamDoublerを入れると安定するってのはヘンだよなあ。しかしこれで安定してくれていれば、MacOS8を買う必要がなくなるな。(現在のシステムは7.5.5)


1997/11/06

亀岡。 電話はまだ止まらない。ISDN回線にはちょっと甘いのかな?

羊水検査の危険性/ダウン症の確率

出生前診断のために羊水穿刺を行なったときに流産や感染を起してしまう確率は0.5〜1%ぐらいだったと思う。ちなみにより早い時期にさまざまな診断ができる絨毛検査だと3〜4%。ま、そんなもんじゃろうか。

ちなみに、ダウン症の発生率は平均1/650〜1/700で、女性の年齢に大きく左右される。

年齢 出生率20 1/1500 25 1/1350 30 1/900 35 1/380 39 1/150 41 1/85 45 1/28

『ヒトの遺伝』岩波新書p. 51

メモの取り方再考

最近、メモをとっておくことの重要性を再認識。10年前とは記憶力がぜんぜん違う感じがする。

基本的にA5のシステム手帳をもちあるいているのでそれにごちゃごちゃ書きこんでいる。

コンピューターの前に座っているときは再利用や検索の便を考えて当然それを使うわけだが、いまだにどうも決定版と思えるような手段に至らない。

適当にテキストファイルに書いておいて、あとで「ファイル検索犬ポチ」っていうシェアウェアを使って探すって方法をとっていたのだが、JISやEUCのファイルはちゃんと検索してくれない。作者に頼んでみるか。(実際にメールしておいた)

"New Notepad II"っていうのも現在使用しているのだが、このファイル自体はテキストファイルではないので、わざわざこのプログラムで探さなければならない。

一元化がだいじなんだよな。むう。

ってメモユーティリティがあればいいんだけどね。なんかおすすめないですか?(Macintosh)

1997/11/07

シングルタスク

一度にひとつのタスクしかこなせないってのはこまったもんだ。部屋の掃除さえできない。

ふつうの人は、論文3本書きながら翻訳しながらゲラの校正しながら部屋の掃除をしながら料理をつくりながら授業の準備しながらガールフレンドとデートしたりしてるんじゃなかろうか。いや、まったく同時にするんじゃなくて:-)タイムシェアリングってんだっけか。

「69はエロな年」/「四十八手」

なんとか電話料金をおさめに家を出たまま陽気に誘われて散歩しているとレコード店にたどりついてしまったのでちょっとだけ購入。(金はないのだが....)

1枚はSerge Gainsbourgのcomic strip。"69 année érotique" (う、Netscapeは欧文文字をちゃんと表示できないんだった。ann'ee 'eroticね)を聴きたかったのだが、ゲーンズブルのCDってのは結構数があってよくわからん。これはリマスターしたベスト盤なのかな?

"Your're under arrest"と"Live"(Love on the Beatがはいってるやつ)は持っていて、特に"under arrest"の方は非常によく聴くCDになっちゃってるんだけど、このひとがどういうアルバムを残していて、どれが必携盤なのか知らんのじゃ。今日買ったやつはもうひとつだったかな。

フランス盤を買ってしまったので歌詞がわからんのでしくしく。エロエロなんじゃろうけど。フランス語もやっとかにゃならんのだが。

おフランスの桑田佳祐なんていうフレーズが思いうかぶが、関係ないよなあ。

もう1枚はR. Kellyの12Play。訳すと『四十八手』か。こっちは歌詞はなんとかわかるが、それはそれでこまる。エロエロ。このひとはよくクラブとかで聴いてたね。非常によい。(いや、別にエロエロに飢えているわけではない(と思う))

しかし、プリンス様の歌詞もエロエロとはいえ、なんらかの知性は感じられたけど、ケリーさんはちょっとねえ。いや、それはスキンヘッドに対する偏見か。マービン・ゲイ先生だってヒドい歌詞だしな。


1997/11/08

木村充輝

昼から散歩。家→市立美術館で絵を見る→泉屋博古館で古代中国の青銅器を見る→哲学の道 →パチンコでトイレを借りて2000円負ける→本屋→家具屋でスチールの本棚の値段を確認→今出川の天下一品で夕食→三条ラグ→バー2軒→帰宅すべて徒歩。

博古館では、団体のための説明係のうしろについて歩いた。ああいうものを見るときは説明が必要だもん。

ラグでは憂歌団の木村さんの「ジャズ・ユニット」。ギター+ギター+ピアノ+ベースという構成はコード楽器が多すぎてもうひとつだと思うが、まあ、ひさしぶりに木村先生の歌が聞けたのはよかった。"All of Me"もやってほしかったなあ。

新しい店を開拓すべく知らん店に入ってみるが、どちらもはずれ。サークルボックスのような店ってのはちょっと。


1997/11/09

なにごともなし。一日部屋を掃除して暮す。

フラットファイルを買ってきて、コピーなどを綴じる。やっぱり最終結論はフラットファイルだな。

先日買ったR. Kellyを何度も聴きなおす。これは名盤であるという結論に至った。

夜、テレビでK-1とかいう格闘技をやっている。(私は格闘技ファンではない)明日いじめられて泣くことになる子供の数は通常の10割増しではないだろうか。想像すると心が痛むことであることよ。もちろん格闘技が悪いのではない。でもやっぱり痛い思いをする子はいるだろう。

彼らが「明日は危険だから学校は休もう」と思えることを祈る。そんな才覚があればあんまりいじめられずにのだろうが...。

全然関係ないが、 ここここ。おもしろいなあ。

(ひさしぶりの☆☆☆☆。)

私自身は小学2年生と6年、それに中学3年のころにうっとうしいヤツにからまれていたなあ。もちろん、あんまり暴力的なことはされなかったが、うっとうしいものはうっとうしい。

小学2年のときは本気で登校拒否になったんではなかったかな。相手が転校して一件落着だったか。(もっとも、彼と関係なく少・中・高と仮病を使って休むことは多かったが)

6年生のときのはなんだったかな。これまたうっとうしいやつがいて、なんだかんだからんでくる。今思えば彼は私のことが好きだったのかもしれん。あるいは、他にかまってくれる友人がいなかったのかもしれん。(こっちだな)

思いだした。卒業式まぎわにからんできたところで一発左の頬を殴ったんだ。

中学はだいたい生徒というよりは先生と対決していたのであまりいじめられることはなかったな。3年のときのうっとうしいいやつはいまどうしているだろうか。彼も私のことを嫌いというよりは、私に存在を認めてほしかったんではないかと今は思う。実際、私は彼のことが嫌いだったし、ほとんど無意味な人間だと思っていたからね。私がわるかったのか。なるほど。私が経験した2年生、6年生、中学3年生のどれも、私の方にも問題があったのかもしれん。(ホントに今気づいた)

しかしよく憶えていないな。けっきょくそんなもんなんだが、いじめは本人にとってはきびしいもんだよな。人間は苦痛に耐えることはできない。いや、耐えられちゃうのが問題なのか

むう、「いじめ」について書くのはむずかしい。全体としてみれば、上に書いたように何度がうっとうしい目にはあっているが、(上級生にからまれていたこともあったが、どうでもよかった)私自身は「いじめられっこ」ではなかったんだろうと思う。なにか長所のようなものがあれば大丈夫なんだな。

時々思いだすのは、「いじめられっこ」がいじめられているのを知っていながらなにもできなかったことだわなあ。あのとき私はどうするべきだったんだろうか。

ちなみに私の生まれ育った新庄市は例の「体育用具室スマキ事件」の発生地である。雰囲気はいやというほどわかる。ああいう危ないことをするのが好きな地方なのである。きっと。

ここまで書いて、ある人の日記のようなものに「いじめ」の件があったことを思いだして読みなおした。

「学校にはいかなくてもよい」とか明日「危険なので休む」と考えらえるような子はそんなひどい目にはあわないんだよな。

実はいまうよく遊んでいる女の子も元「いじめられっこ」で、「いじめ」の件についてはよく話す機会が多い。彼女は陰湿な手段をつかって反撃していたらしい:-)彼女はそうすることでsurviveしていたわけだ。

もちろん、私はそういう陰湿な手段:-)について楽しく話を聞いているわけではないが、まあ、それなりに気分はわかる。私も「魔太郎」ファンだし。わしらはあんまり「正しく」は生きられないんじゃな。きっと。

むう。何を書こうとしているのか。

ちゃんとしていない人間が4人以上あつまってしまうと、ある種のいじめが生じるようにおもえてしょうがない。わしらの支配欲攻撃欲おそるべし。そういうものにコミットしない唯一の手段は「隠れて生きる」だけなんだろうな。エピクロスえらい。


1997/11/10

さようなら、ビックコミックスピリッツ

スピリッツはずいぶん長いこと毎週欠かさず買っていた。まだ隔週のころから(高校2年かな?)だから、もう15年になるか。『めぞん一刻』の響子さんが「受験がんばってね」と言っているお守りなんかをかざったこともあったものだ。

しかし読むものがほんとうになくなってしまった。

スピリッツは昔は数少ない「意味のない女の裸がないマンガ」だったのだが、もうそれは昔の話。もう、岩明均のマンガが載っているときしか買わないことを宣言するものである。

(だいたいこんなにオヤジになっていながら毎週何冊もマンガ雑誌を買ってるのがおかしいのか)

GTP

血液検査をすることがあったのだが、その結果を見ると、GTPとかいう値が高いらしい。これは肝臓関係のやつだなあ。酒をひかえるべし。

GOT(AST) 58 GPT(ALT) 73 LDH 734
なんてかんじ。どういう意味なんかはわからんけどね。

歯医者

一部で歯医者に行くのが流行しているようなので、私も行く。実は詰め物がとれたまま長い間ほうっておいたのだ。

数日前に、銭湯につかっていると、近所のおっさん同士が喋っていて、「あそこの歯医者はうまいしええで」ってなことを言っていたのでその医者にする。こういう口コミ情報が確実でよろしい。

今日はいきなり麻酔を打たれてちょっと削られて型をとられて終了。

リクエストはしなかったのだが、(調査票に「徹底的にやって」と書いていたからか)「歯をきれいにしましょう」ということで例の水が出る歯石をとる道具でキーキーやられ、さらに手動でごりごりばりばりと取られる。(下の歯だけ)歯の裏側にこびりついていたタバコのヤニがきれいさっぱりとれてなかなか美しい。

以前に岩倉の歯医者でも歯石をとってもらったことがあるが、そんときはこんなにきれいにはならなかったもんね。

それにしても、医学関係ってのは技術革新がすさまじいよな。哲学教師なんか10年前も50年前もそんなに違ったことをしているとは思えないが、歯科なんてほんとにどんどん進んでるんじゃね。レントゲンも頭のまわりをグルリと周るヘンな機械でとられてしまった。もうかってんじゃろな。


1997/11/11

数日前、

全然関係ないが、 ここここ。おもしろいなあ。

と書いたが、片方全然リンクが違う。ほんとうは ここ。さて、どちらをまちがえたのでしょうか :-)

Macのメイラー

Macのメイル関係を扱うにはなにがいいのか。今はEudora1.3.8.7r2-j14ってやつだが、ちと機能が貧弱に思える。この手のソフトは使ってみずに高い金を出して買うのがイヤなのでシェアウェアでさがしてみると、MUSASHIってのがちょっと使いよさそうだ。もうちょっと試用してみる。

高槻

行きの電車のなかで気分が悪くなってたいへん。そういう経験ははじめてなので、電車のなかで吐くんじゃないかと思ったよ。やれやれ。

授業しつつ汗をかいたり、昼電車のなかでうとうとしていると直る。午後は問題なし。、柏原。

最近ゴキブリの姿を見ることがなくなったことに気づき、秋が深まったを感じる。

むむむ、そうなのか。ワシは健康体ではなかったのか。健康だけが財産のつもりだったのに無念である。肺ガンと肝硬変と胃ガンと脳卒中のどれが早いかと思っていた(おそらく血統的には卒中が本命)が、きっと肝硬変になって死ぬんだ。芹沢八段の無念がわかるぞ。(いや、肺ガンもそれほど遲くないぞ)

二十歳のころとあんまり変わらん生活してるんだから、ガタがくるのは当然といえよう。ま、こういう生活は長くはつづかないんだよね。はてさてどうすべ。

0088

思うところあって0088と契約。実は数年前も契約していたんだけど、料金を滞納したら使えなくされてしまった。でもそれから番号が2度も変わったから大丈夫のようである。


1997/11/12

近江八幡と深草。どちらもうまくいった方であろう。

厚着

私は寒がりなので、この季節すでに達磨状態である。昼某短大を出ようとすると、某事務のおじさんから「江口せんせ、この季節からそんな厚着してどうすんですか」
と笑われる。美人事務のおねえさんも笑っていた。むう。

キシリトール?

電車のなかで、キシリトールなるものを使った製品の広告を見かける。

「キシリトールが生れたフィンランドでは、子供の70%が虫歯になったことがありません。日本では20%です。虫歯になりにくいキシリトールを使ったホゲホゲをどうぞ」

てな感じだったかな?細かいことは忘れた。しかしすごい宣伝だ。ウソは書いていないのだろうが、あたかもキシリトールキャンディーだかなんだかを食べているから虫歯にならないかのように思わせる。広告ってのはそういうもんだってことなのか。

ちなみに、キシリトール入りハッカ粒は、最近愛用しているなあ。

CD-ROM

某短大からMacLifeの先月号を借りだして、電車のなかで読む。電子出版の特集がのっていた。むう。いろいろ欲しいものがある。万が一20万円手にはいったとしても、高速なハードを買うよりこういうソフトを買ったほうが有効だな。きっと。節酒したお金でちょっとずつ集めるかねえ。

テレビで鴨川の橋の話をしている。ブラウン管の中で、至近距離の田中シャツ店のおやじさんが「できれば便利になる」っていってたけど、ほんとに便利になるよなあ。ほしいほしい。(っていうか、いつも不便だと思いつつ遠回りして河原町に行ってるからね)

あんな部分に「京都の景観」が残っているとは思えない。だいたい、それって何だ?とか考えちゃう。私は基本的に「京都の街並を云々」ってのにはあんまり共感をもっていないのだな。


1997/11/13

亀岡。


1997/11/14

歯医者へ。やはりなかなかうまい。右上の奥歯は終了。次は前歯。


1997/11/15

阪大で学会の日だったのだが、所用で行けなかった。明日は行くつもり。

しょうがないので、夕方スイミングスクールへ。先週休んでしまったのでけっこうヘビーであった。


1997/11/16

学会で阪大へ。南茨木からはじめてモノレールに乗る。けっこう揺れるなあ。シンポジウムを聞いておしまい。さっさと帰る。


1997/11/17

高槻。

部屋に帰ると、ネコが侵入した形跡あり。これまでは裏口からしか入ってこないと思っていたのだが、窓からも侵入していたらしい。なぜわかったかというと、窓のところに置いていた洗剤がぶちまけられていたからである。しくしく。もちろん、洗剤の蓋をしていなかった私が悪い。


1997/11/18

高槻、柏原。忙しい。なんのために生きてるんだか。

ビアホールでビールなんか飲むからだしかし酒も飲めない人生ってのも耐えられん。


1997/11/19

滋賀と深草。行きがけの電車のなかでR.Kellyの12Playを聴くとある幸福感を味わう。むう。やはり名盤。

この前ヴィデオで『パルプフィクション』を観た。おもしろい。はやった理由がいまごろわかる。タランティーノってこういう監督だったのか。もちろん筋は他愛ないけどね。

やっぱり、日記を書いてPPPでつないでFTPしてって作業は面倒ですな。

やっと給料がはいる。私は給料日が月に5、6回あるのだが、なんでこんなに貧乏しているのであろうか。謎。


亀岡。

昨日はストーブをつけたまま床で毛布にくるまったまま寝てしまった。いったん起きたのだが、Macの画面を見るとまだ6:43。目覚しがわりのラジカセは8:00。 目覚しがわりのラジカセは8:00。

これはきっとラジカセの時計をすすめてしまったのだろう(私は時計を進めてしまう習慣があるので、この部屋には正確な時計はMacしかない。)

というわけで、タイマーを1時間後にあわせてふたたび寝てしまう。再度ラジカセが鳴ったときにMacを見るとやはり6:42。フリーズしていたのである。ぐう。

(なんとか遅刻はまぬがれたが)

帰りのJR線でまちがって花園駅で降りてしまう。あそこは看板がちゃんと立っていなくてややこしい。ぷんすか。

次の電車を待ってもよかったのだが、一度も降りたことのない場所なので、ウォーキングのつもりで次の二条駅(千本通り)まで歩いてみる。

しばらく歩くと、なにやら既視感がある。奇妙だと思いつつしばらく歩くと、1回生のころに電気屋のビラ配りのアルバイトをした場所(妙心寺)なのだと気づく。ほとんど何もおぼえていないし、思いだしたこともなかった。

あれやこれやと1時間弱もかかってしまった。疲れた。そりゃ一日3コマ立ちっぱなしで、さらに重い鞄をもってんだからあたりまえだ。

秋冬はカフェオレを飲むことが多くなる。しかし現在家にはヒビのはいった小さなコーヒーカップと、お茶用の茶碗があるだけ。カフェオレボウルが欲しいな。 実は今ご飯の茶碗で飲んでいるのだ.....

(☆☆☆☆)

サウンドシステム

ひさしぶりに外で音楽を聴きながら酒を飲む。世の中にはサウンドシステムに大きく左右される音楽というのがある。

これはなんだかヘンな話でもある。サウンドシステムに左右されない音楽というものはおそらくない。正確に言えば、よいサウンドでなければ意味がない音楽がある。あれ、「意味」ってのも意味不明だな。うーん、つまり、テクノとかの打ち込みものを指しているわけだ。ああいう音楽は低音が十分に出ないとぜんぜんおもしろくない。

そういえば、今日昼間つれづれなるままにKeyboard Magazineなるものをはじめて買ったのであった。(これを読んでいるうちに熱中してしまいへんな駅でおりてしまったのである。)現在の音楽の作り方をかいまみる。なるほど。そういうことになっていたのか。ワシもちょっと打ち込んでみたいぞ。音源とソフトで10万ぐらいか。出ないねえ。

そういや、うちのステレオセットもどうにかしたいものだ。スピーカーは18年もの。ウーファーのダンパー(っていうのかな?「コーン」のまわりにあるやつだ)が腐っている。アンプは14年もの。これは以前につかっていたものより格がおちる。CDプレイヤーは12年もの。どれも買い換えの時期はすぎているんだよな。 (アナログディスクプレイヤーも18年ものだが、これはいまだにしっかりしている。さすがに一番値段がはっただけはある。)

どうでもいいことだが、今、マーヴィン・ゲイとタミー・ティレルを聴いていた。前にも書いたが、このレコードは名盤である。特に"Ain't No Mountain High Enough"は最高。もっとも、この曲をダイアナ・ロスが歌っているやつも悪くないと思う。他のバージョンもあるのだろうか。

1997/11/21

本棚入手

待望のスチール本棚2竿を入手。銀閣寺交差点の「ツバメヤ家具店」で1竿8900円。すぐに配達してくれた。やっと床が見えるようになりそう。

歯医者。左の上の歯はつめものをしていたのだが、その下で虫歯が進展していた模様。まだ痛む。


1997/11/22

ときおり歯が痛む。

本棚を整理しようとするが、いままで床にころがっていたりダンボール箱にはいっていたものを本棚にいれると完全にいっぱいになってしまった。あと2竿は必要だな。

夕方、児玉グルのバンドのライブを観に11月祭なるものに行く。狭い部屋と問題のあるPAで気の毒であった。

Natural Born Killers

夜、ヴィデオで映画『ナチュラル・ボーン・キラーズ』を見る。題材は話題になったようだが、映画自体はそれどすぐれたものだとは思えなかった。実際、見終ってなにも残らなかった。(少なくともイヤな後味程度は期待していたのだが)

連続殺人魔ってのはああいう人々ではないような気がするしな。だいたい、なんでnatural born killerがテレビや大衆の反応をあんなに気にするのかよくわからんよな。(人を殺したりすることがかなり強い興奮を与えるものなのは納得するがね。戦争マニアとかもいるだろうけど。)


1997/11/23

石油ストーブ始動

押入れから石油ストーブを出す。冬である。ポリタンクもひっぱりだしてきたのだが、フタがないので持ちはこべない。しょうがないのでガソリンスタンドでポリタンクも買うことになる。むう、散財。(たいしたことないけど)

道徳/倫理

宮台真司の『制服少女たちの選択』(講談社)なんて本がなぜか手元にあったので読んだり。特におもしろいとは思わなかったのだが、ちょっとだけ気になるのが、

「道徳」は「倫理」とはまったく別ものである。倫理というのは、 周囲が自分に悪罵を浴びせようと後ろ指をさされようと、「我これを信ず」と言いつづけられるような「内的確かさ」にかかわるものである。だから「近代市民社会的な倫理」というときには、旧来の村落共同体的な因襲や世間のまなざしとは無関係にみずからを自己操縦できるような、内発性や自発性を意味することになる。」(p. 85)

「道徳」の方は説明されていないが、このパラの「因襲」etc.を指すのだろう。 こういう「道徳」と「倫理」という言葉の使いわけはどこに由来するんだろうと考える。moralはラテン語のmores(custom,習俗)から来てるし、ethicsはギリシア語のETHOS(character)から来てるんだよな。ただしこっちも社会のETHOSとも使うわけじゃから、あんまり違いはないと思うんじゃが。だいたいETHOSの訳語としてmoresが使われたって歴史的経緯もあったはずだし。(ここはちょっと自信ないけど)

もちろん、こういう使いわけや定義は基本的には筆者が勝手にすればいいもんであるわけなのだが、私自身はどっちも同じ言葉を指すものとして使うことが多い上の「道徳」に当たるものははっきり「因襲的道徳」や「習俗」と書くことにしている。

ヘーゲルのMoralitaetとSittlichkkeitかな。ちょっと含みが違うな。社会学者だし、ウェーバーあたりか?社会学者にとってはこういう使いわけは当然のものなのだろうか。

違う分野の人と話すときなんかはこういう使いわけが誤解を生む原因になるので注意しなければ。

それにしても、Netscapeでの西欧文字の扱いはなんとかならんか。&auml;はちゃんとaウムラウトとして表示してほしいところだ。

コタツ

夕方コタツに襲われ内部にとりこまれる。とりこまれると意識が次第に薄れていく。足げり、空手チョップなどをみまってもヘとも思わぬ強敵である。しばらく思うがままに半睡状態にされたあと、弱点であるコンセント付近を攻撃しやっと自分をとりもどすことができた。

この連休どっかのクラブで大音量でテクノい音を聴きたかったのだが、果せず。

近所のコンビニが1件つぶれて、酒のディスカウントショップになった。ズブロッカが600円弱、ストリチナヤが700円強。買って冷凍庫に入れておく。ジンはあまり安くなかった。これまでよく利用している近所のコンビニではスピリッツ類はあまり充実していなかったのでちょっと助かるような、健康に害があるような。

未だにウォッカ飲んでるのはなんだかアレなかんじがするが、まあ、好きなんだからしょうがない。ウィスキーは精神衛生に悪いし、日本酒は好きじゃないし(おいしいのは高い)、ワインは好きだけどこれまたおいしいものは高い。

放射能とかでウォッカとかピスタチオとか消費されないようになった時期があったと思うが、今だれもそんなこと考えてないんだろうか。(私は考えてない)

マグカップ2脚と安い合成繊維の鞄を買う。 毎日重い(5Kぐらいあるか)カバンを持ちあるいていたので、せめて肩にかけられる軽いものが欲しかったのだ。


1997/11/24

連休もおわり。

1997/11/25

高槻、柏原。

毎日R.Kellyの12 Playを聴いてはまっているので、ここらで情報というか、最近の80年代〜90年代の見取図を仕入れるべくMUSIC MAGAGINE増刊『R&B.ソウルの世界』(鈴木啓志)なるものを買ってきて勉強。しかし、私とは全然感性もとらえかたも違うひとのようだ。ま、とりあえずいろいろ入手すべきものはわかった。


1997/11/26

滋賀。

Jannet Jackson新譜とR.KellyのR.Kelly(中古)を入手。Jannetのはなかなかよい曲がちらほら。まあJam&Lewis先生のプロデュースなのではずれるはずがなし。

夜、コンピュータデータに関する謎の打合せに出席。ビールを飲む。なかなか節酒できないなあ。


1997/11/27

亀岡。調子悪い。

ひさしぶりに鍋など作ってみる。実は前日行った店は鍋が売りものなので、私は猛烈に鍋が食べたかったのだが、果せなかったのである。その復讐の意味がある(意味不明だな)。これからの季節、自炊するときは鍋にすればいいので楽。

ふちがみとふなと

QUESTで「ふちがみとふなと」(Vo.とBassのデュオ)のライブがあったので出席。狭い店で人がおりかなさるようにして聴く。8席ぐらいのところに12人ぐらいかな。


1997/11/28

金曜日は完全なオフにするよう心がけている。一切仕事や勉強に関係あることはしない。

前日の残り汁で雑炊などつくって食べたり。

歯医者へ。奥歯は治療終了。問題は、みっともない前歯である。どうやら「削ってかぶせる」ことになるらしい。うーん。つめものをした歯は、しばらくの間しみたりしっくりしなかったりだったが、深夜になるとおさまった。

古着をもらう

知り合いから古着を送ってもらう。ジャケット2枚、ダウンパーカー、シャツなど。サイズはぴったり。冬をこれで越すことができるか。他にも服があまっていてしょうがないという人がいれば私がいただきます:-)現在私は身長170cm、体重65Kg。非常に標準的な体型なので、たいていの服は着れるぞ。

フードのついたパーカーなんてものは初めて着た。あんまり似合わんが、すこしは若く見えるじゃろ。新しい服を着ると外に出てみたくなるという心理をはじめて味わい、散歩。

中古レコード店などを絨毯爆撃しつつ歩く。アポロニア6とかを探しているのだが、なかなか見つからん。

とりあえずParliamentのUp for the Down Strokeを中古で入手。これでパーラメントの重要なものはほぼそろった。(60年代のは買う必要はないじゃろう)ファンカデリックの方は4枚ぐらいしかないが、これも集める必要があるかなあ。

本屋とかCD店とかってのは他人がなにを手にしているか気になるよね:-) 20前後の女の子が、Miles DavisのDo Bopとかを買っている。むう、よしよし。それはよい音楽なのだよ。

楽器店でシンセサイザーを触ってみたり。いいなあ。

二条で煎茶入手。今回は一保堂ではなく、柳桜園にしてみた。一保堂は最近よくないような気がしていたのである。 旦那さんが出てきて膝をつくようないかにも京都の茶舗である。

「おいしい煎茶ください。」
「いくらぐらいのにいたしましょ。よく動いているのはこれやこれですが... ご進物ですか?」
「うんにゃ。」
「それでは、その100グラム2000円のがおすすめです。」
「それではそれを。」

さすがにこれくらいになるとちゃんとしたお茶の味がする。まともなものを飲もうとすると結構お金がかかるものだ。

臓器提供意思表示カード

というものが届く。某氏の日記で、厚生省の「日本臓器移植ネットワーク」なる団体に WEBで連絡できることを知り、数日前注文していたのである。ドナーカードが2枚と非常に簡単な説明がついてきた。おそらく私は(無条件ではないにしても)移植賛成派なので、1枚ぐらい持っていてもよかろう。(しかしこんなものがなくても「デフォルトで提供」にするべきなんじゃないかと思ってるんだけどね)

文字コード

前にも書いたが、Macには文字コードを考慮してくれるgrepがないから不便。すべてshift-jisにしてしまえばいいのだが、HTMLについてはちょっとなあ。「File検索犬ポチ」の作者にはメールしたのだが返事はない。そりゃ、あんまり需要がないかもしれないもんな。あー、Linux + Emacsが動かせるようなマシンが欲しいな。CPUは486ぐらいで十分なんだけどな。

しかし、冬のことを考えるともうお金はつかえない....。


1997/11/29

雨。洗濯物がかわかない...。最近忙しさにかまけて洗濯をさぼっているので事態は深刻である。


1997/11/30

夕方起きてぼちぼち仕事など。

深夜、ウォークマンをして散歩。深夜の散歩ってのは意識活動を低下させ落着かせるような気がする。あたりまえだが。


1997/12/01

前日遲く起きたので結局徹夜で朝を迎えてしまう。これじゃ体壊すってば。わかっちゃいるのだが。

『マカロニほうれん荘』1〜3を読む。なつかしいが、2巻のうしろの方からパワーがなくなって、不安なものを感じる。最後は唐突に終っているし。この人は「壊れた」んだな。

そういや、昨日も中古CD店でParletのInvasion of the Booty Snatchersが600円だったので入手しておいた。とにかくP-FUNKコレクターへの道を爆進。(きりないけど)

高槻。月曜は久し振りの授業。初級程度の語学の授業なんて、ほんとに集中講義にでもしてくれた方がまだましだと思う。

笹澤豊『小説・倫理学講義』。対話篇だの小説だのってのは難しいんだよな。ヒラの文章で書いた方がいいと思うんだけどね。それにしてもこの手の入門書を読むと、加藤尚武先生の影響力の大きさを痛感するな。

一応少量の年賀状を入手しておく。ふつう年賀状は書かないのだが。

電話料金

やはり1万2千円程度。むう、昼間に使いすぎだな。つつしむべし。

INS通信料の方はテレホーダイ料金の固定料金より適用分の方が少ない。あんまり使ってないんじゃよね。

もっとも、ISDNにする以前とほとんど同じ金額なので、たしかにISDNはお得と言えるかもしれんな。

夕方、湯豆腐、イカの天ぷら、おひたし、しじみのみそ汁。しじみは最近食べたくてしょうがなかった。肝臓弱ってるのね。

ひとねむりしたあと深夜ペペロンチーノ。今日も徹夜だ。なんだってこんなことになっているんだろう。

いろいろはいっていたヘンなメーリングリストを順に抜けている。入るのは簡単だか抜けかたがわからんところが多いのよね。いままでは/dev/nullに直行していたのも多いのだが、マシンやネットワークにかかる負荷(たいしたことはないだろうが....)を考えてのこと。


1997/12/02

高槻と柏原。

寒い。以前まだ暖かいうちに皮のコートを来てダルマ状態になっていたのに、今日にかぎってコートを着ずに出てしまう。帰りの山の上の風は最悪。ぶるぶる震えながら帰宅。

部屋に入るやいなや、牛乳をわかして飲んでひといきついて、銭湯にいき、湯豆腐を作ってたべて10時には布団についた。


1997/12/03

深草。

『Internet ASCII』の「万華鏡」コラムを立ち読み。このページはもっとページ数がほしいっすよね。一般に、文章ってものはある程度分量がないと言うべきことが言えなくておもしろくない。

近所の本屋には他にも「Intercommunication」とか難しい雑誌がおいてある。どういうひとが読むんだろ?

MD欲しい、MD欲しい.....

街を歩いていると、MDはほんとうに値段がさがったことを知る。もはや市場は完全にいれかわったのだな。クリスマスプレゼントはMDが欲しいなあ、などとぼそっとこんなところに書いても意味なし。しかしあれはあれなんじゃろか、携帯用MDは再生専用のやつを使って、安いMDラジカセなりMDプレイヤーなりを別に買った方がいいか、あるいは録音もできるやつにしたもんか。 いやいや、いかんいかん。借金も返していないのにこんなことを考えてちゃ駄目だ。

今日も湯豆腐その他。昨日にひきつづき三条の明治屋で買いものをするが、過剰包装が気にくわんな。

『将棋世界』などを買って読むが、自分のなかの将棋熱がさめていることを知る。次の趣味はなにかなあ。(ストレッチなのか?)

レズビな若者たちとの遭遇

そういや、昨日前丸善でエスカレーターに乗っていると、前を行くカップルの前(丸善のエスカレーターは狭く1段に1人しか乗れない)の子がいきなり後を向いてチュー。

「ひねってキスやで」
「ヤダー」
クスクス。ウフフ。

後に私がいることに気づき、ちょっとおどろいたようだが、私の顔色を見て(目をそらしていた、あるいは平気な顔をしていたはず)、さらに次の階にのぼるときに再度。むう。

なんでこんなことを書いているのかというと、このカップルは中学高学年〜高校生低学年ぐらいの年齢で、さらに言うと、(おそらく)両方とも女性なのである。むう。やるな。そういうイチャツキは、肉体関係をもちはじめてすぐのカップルがよくやってしまうことじゃが、年少だったこととホモセクシャルであることがかなり強い印象をのこした。はっきりレズビアンのカップルを見たのもはじめてだと思うし。(男性どうしのはみかけたことがある)

好きなものどうしが「エッチ」なことをするのが当然であり、異性どうしのカップルが人前でチューしてもいいのなら、まあ、同性のカップルだってやっていいわなあ。このカップルのは、特に同性どうしという点を意識しているようには見えなかった。(片方がはっきり男の子役(「タチ」ですか)だったけど)

まあ、よいことなのかもしれない。ああいうのが増えれば、もっとホモセクシャルな人が生きやすい世の中になるかもしれんな。私は(極端に言えば)どんなセックスでも(暴行や脅迫を含まないかぎり)ないよりはあったほうがましという立場なのだなということを確認。

もちろん、人前でそういうことをするのが他の人に不快感を与えるかもしれないってことはある程度考慮しておく必要があるだろうけど。あれ、どこまで考慮するべきかってのはかなり難しい問題じゃな。肩をよせあって歩くことでさえ、場合によってはかなりエッチな雰囲気をただよわせることがあるしなあ。むう。

若年のセックスは規制(あるいは教育によって抑制)されるべきかってのも難しいな。あとで考えよう。

Redirect

恥ずかしながら、redirectの方法をいまごろ知ったのである。いちおうwww.socio.kyoto-u.ac.jpの日記からこっちに飛ぶようにしておいた。(そうするべきではなかったかもしれないが)

.htaccessに

Redirect /~papirer http://www01.u-page.so-net.or.jp/ca2/eguchi-s
と書くだけであった。今までこの「もとのアドレスはルートから書く」ということに気づかなかったんじゃ。

急須破損

お茶がおいしいと人生が2倍ぐらい楽しいような気がする。私の人生の幸福の量は非常に少ないので、ちょっとした楽しみが大きな変化になる。楽しみが多いひとは、より楽しむためにたくさんのことをしなければならないはずだから気の毒である。

などとバカなことを書きながらお茶をいれていたら急須の先が欠けてしまった。しくしく。この急須を買いなおす費用の私にとっての大きさは、お金もちにとっての大きさとは比べものにならん。これも上と同様の理屈による。経済学はよく知らんが、限界効用低減の法則ってやつか。(しかしこの「限界効用」っていう訳語はちょっとなんだかよくわからん言葉だよなあ)


1997/12/04

ふたたび徹夜で亀岡。

どこの大学でも、そろそろ単位の心配をして「相談」に来る子が多くてうっとうしい。ちゃんと掲示したり授業中に指示したりしてるのだが。向うは軽い気持ちなのだろうが、こっちは何十人、何百人に同じことを言わねばならんのである。「いきおい、単位なんかなくても大丈夫ちゃうん」とか「卒業してもいいことなんかないんちゃうん」とか「長生きしてもなにもええことなんかないで」とかそういうことを言ってしまうのである。

帰宅して風呂してご飯を食べてコタツに入るとそのまま意識を失なってしまう。

あと一息で仕事も終了だ。


1997/12/05

モデム故障?

朝起きると、モデムの調子が悪い。とつぜんどこにも接続できなくなってしまう。うう。大学のコンピューターに接続するために毎日1〜2時間も活躍しているものなのだが。こまったなあ。ここらへんの値段のものってのは修理に出すよりは新品を買っちゃった方が安かったりするから難しい。いまさらモデムを買う気にはなれんよなあ。14400bpsのやつで十分なんじゃが。中古で探すか...とにかくしばらく電源切って休ませて自然治癒を待つ。(機械は自然治癒せんてば)

SO-NETからtelnetでsocioに入るのは遲くてストレスがある。もう完全にsocio利用をあきらめるか。メールとニューズとWebを読むだけなんじゃから。

ネリネリ

ココアを飲むことが増えた。ココアパウダーと牛乳を撹拌すべき器具がないので、割箸を大量に使ってみたが、やはり「ダマ」ができる。やはりバンホーテンさんのレシピ通りちょっとずつ牛乳を加えてネリネリするのが正しいようだ。一人暮らしの中年男が乱雑な台所で背中をまるめてネリネリしているところを想像することなかれ。

「おふみ」とかいうもののために(うそ)床屋へ。さっぱり。何箇月ぶりか。

前歯

歯医者。前歯を削り、仮歯を入れられる。むう、全部で2万円近くかかるらしい。私は社会保険じゃなくて国民健康保険なので、3割負担なんじゃよ。痛い。(肉体ではなくアレが)

インフォームド・コンセントについてもちょっと考える。(この歯医者はまずまずなのだが...)

夕方、数人の人と梅田付近で飲む。梅田は歩道橋の階段をころげおちる若者、駅の構内で転んで血を流す老人などいろんな人がいた。


1997/12/06

仕事は山積みのまま。

映画でも見ようとおもったが、何も見るべきものをやっていないようなので、ヴィデオでスパイク・リーの『ガール6』を見る。なにが言いたいのかよくわからん愚作だと思う。もっとも、主人公の髪型やファッションはかっこいい。プリンスの音楽をバックにファッション映画をつくってみたかっただけなのかもしれない。

夜遊びに出かける。前から気になっていた近所の「Existenz」という店を訪れる。店の名前が商売柄気になるし、いろいろ凝ったヴィジュアルの広告のようなものを出しているので。 基本的にはふつうのライブハウスであったが、帰りぎわ、「ありゃ、もうお帰りですか?いろいろエエモンもありますからね。また来てくださいね。といって、死体写真集などを見せる。うーむ。

あとはUp Tightというよく行くようになっているクラブに寄って、ラーメンを食って帰る。ラーメンという食物は若い女性は食べるチャンスが少ないらしい。

栄枯盛衰

以前、あるお気にいりの小さなバーに行こうとすると、ドア越しにギャーギャー騒いでいる声が聞こえる。静かで、20代の子とかは来ない(看板さえない)店で気にいっていたのだが、無念である。さかっているということだろうから、喜んであげるべきことなんじゃろなあ。


1997/12/07

昨日の夜、突然サンタクロースから電話がかかってきた。

「ああ、江口くん、PC98 Can Beってのはいらんかね?」
「は? どういうことでしょう。私はなにかに当選したんですか?それはいただけるのですか?」
「いや、あげるわけではない。君のところにしばらくおいてやってもいいと思っておるのじゃが。もちろん自由に使ってよいぞよ。本棚もいっしょにのう。」
「は? なぜ私がそんな光栄にあずかることができるのですか?」
「ふふふ、まあ、それはUniversal Benevolanceというものじゃよ。私たちサンタクロースはこれが人間に比べて異常に発達しておるのう。とにかく明日持っていくから待っていたまえ」
「はあ」

というわけで、待っていると、やはり昼頃ほんとうにサンタクロースが来た。見ためは、よく見覚えのある普通の若者のようなのだが、実はサンタクロースなのだろう。 PC9821CB2というものと、コンピューター机、スチールラックを二つ。スチールラックの部品の一部を忘れてきたところを見ると、まだサンタクロース見習なのかもしれないが、 たしかに頭の上には光の輪っかが見えた。私はあまりのことに呆然とするばかりであった。

これまでこのような奇跡をまのあたりにした人々はいったいどのように対処したのだろうか。

というわけで、今手元にはPCがある。パソコン机も組み立てそのなかにセッティングした。

おそらくサンタクロースの真の意図をさぐろうとしても、私の限られた知性ではそれを理解することはできないのだろう。しかし、これにFreeBSD(98)をインストールしろということなのではないだろうかと思う。その前にバックアップをどうにかしなればならんが。

お金はないのだが、実は他にも最近いくつかのブツを入手したのである。

ひとつはYAMAHAのポータブルキーボード。fjで2000円で。ほんとうは7〜9千円ぐらいのものかな?小さなキーの完全なおもちゃである。ピコピコやってると楽しい。

もうひとつは、SANSUIのアンプAU-D607F。これは名器で、学生のころあこがれていたものだ。これもfjでたったの5000円でゆずってもらった。ここしばらくアンプは10年ぐらい前に友人からもらったもの(定価は2万円台だろう)だったので、つなぎかえるとその差は歴然。10年ぐらい前のものだというが、まったく完璧。これはたいへんよい買物をした。向うの部屋(ステレオ一式は「書斎」ではなく「寝室」の方にある。)で過す時間が急激に増えるであろう。

この二つ(合計7000円)は自分自身へのお歳暮&クリスマスプレゼントのつもりである。これくらいなら許されるんじゃなかろうか。


1997/12/08

モデムは悪くなかった

各位にご心配をかけた私の通信事情であるが、実はモデムは故障していなかったことがわかった。

サンタクロースのPC98の内蔵モデムでも通信できなかったので、ハタと気がついた。ターミナルアダプタがあやしい! 電源をいれなおしてリセットしてみると、あっけなく繋がってしまった。ご心配をかけたみなさんごめんなさい。 `

モデムが勝手にパルスになったりして非常に奇妙な挙動をしていたし、電話の方はちゃんと繋がっていた(はず)なので、てっきりモデムが悪いと思いこんでいたのである。すまん、モデム。

最近、気をつけていること

こういう基本的な生活習慣を20過ぎてから変えるのは難しい。

朝ごはん

朝から働いているマジメな独身中年にとって、朝ごはんをどうするかってのは難しい問題じゃないかと思う。以前は大丈夫だったような気もするのだが、最近はとにかく何か食べないとダメ。ご飯に納豆に凝っていたころもあれば、トーストに凝ったころもあり、コンビニのサンドウィッチだったこともある。最近はシリアルに凝っていろいろ食べくらべているのが、CRUNCHNOLAの"Honey Almond"ってのがなかなかうまいと思っている。他におすすめがあれば教えてください。

某師匠来訪。16ビート(というよりFUNK)の感覚について熱く語りあう。

FreeBSD(98)

すこし寝てから、なぜか未だにうちにあるPC9821cb2にFreeBSD(98)2.2.10-Releseを入れる。よくマニュアルを読まずにインストールしたので、WINDOWS95がはいっていた内蔵ハードディスクに上書きしてしまう。うう。

最初はいろいろconflictをおこしているようなので、モデムボードやMPEGビデオボード、SCSIボードなどをはずすとあっさりインストールできてしまう。「おうちでUNIX」が実現してしまった。

まだXは動いていない。

だいたいの感じはつかめたので、ヒマをみつけてWINDOWS95を入れなおして、その上でFreeBSDを再インストールする予定。冬休みの課題だな。

もうRelease 2.2.2が出ているようだし....こうしてFreeBSD追っかけWanabeeになってしまうのだろうか?


1997/12/09

高槻、柏原。もうひといき。

FreeBSD日記その2

一応Xが動くようになったようだが、なんだか変。マニュアル通りのX serverでは動かない。

muleとかtcshとかlessとかのインストールは簡単。しかし、これで通信できるようになるまではまだかなりかかるな。

今日UNIX USER誌のバックナンバーなんかをあさってみたが、PC互換機はもっと楽にインストールできるようだなあ。まあ、贅沢はいえない。


1997/12/10

滋賀。眠い。

深草。冬休み前授業終了。 どうやら多くの先生はもうこれで最後の授業にしているようだ。今レポートを提出させている先生も多いらしい。むう、私はまだまだやりたいことがあって時間が足りんくらいなのに 眠い。なんでこんなに眠いのか。

FreeBSD日記その3

内蔵ディスクにはWINDOWS95を入れておこうと思っていったんディスクをフォーマット。しかし復旧失敗 :-(

仕事の片手間にインストールしなおしている。こんどはSCSIの方にインストールしてみている。実はいままでSCSIホストアダプタがどうなっているのか理解していなかったのだが、IRQの指定を変えるだけで読み書きできることに気づいたのである。

XはXconfigの直し方を理解してちゃんと動くようになったし、kterm+Mule+SKKで日本語も読み書きできるようになった。スタンドアロンとしてはほぼ使えるようになったといえるか。しかしメモリ16Mではちょっと苦しい。

問題は通信なんだよな。内蔵モデムを使うのはしんどそうだ。TAでPPP接続か。

家にあっても時間を食うばっかりだから、もう大学にもっていってイーサで繋ぐことを考えるのが生産的か。


1997/12/11

亀岡。ここも正月前は終了。1月にあと1回。きゅう。

FreeBSD日記その4

読書しながらカーネルの再構築中。

このマシンの存在意義について考えてみる。とにかくMacとファイルの共有なりなんなりができないと意味がない。ターミナルアダプタを使ってどこかのプロバイダにつながることが確認できれば、Macとこのマシンの両方にEtherカードをつっこんでつなぐことができるよなあ。ちょっと調べたところ、BSDマシンにルーターの働きをさせることも可能なようだし、ちょっとしたSOHOができるんだな。Macのカードは15000円ぐらい、PC98のは8000円ぐらいか。

しかしそんな使いかたをするより、研究室でWebサーバーとして働いてもらう方が、公共の福祉に与するような気がするな。

ちょっといじると、ISDNでPPP接続ができるようになった。となれば、上で書いたように、Macと98の両方にイーサボードをつっこんで繋ぎたくなる。

あとやることは

深夜、本の返却などのため大学へ。


1997/12/12

歯医者。前歯を入れて、一連の歯の治療はおしまい。前ほどみっともなくないはず。

ズボン下

私は寒さに極端に弱く、この季節になると、ただでさえ低い活動能力がさらに下る。これに対処するため、今年ははじめて「ズボン下」というものを手にいれてみた。むう、これはよい。中年になるとこんなものもはけるようになる。やー中年はいいなあ。

ただし、この「ズボン下」なるものと、私が常用している「トランクス」なるものは非常に相性がわるいようだ。腰まわりがモコモコになる。「スボン下」をはくときは、トランクスははかないべきなのだろうか。あるいは、「ブリーフ」とかいうみっともないものを着用するべきなのだろうか。スーパーには他にも、「男性用スパッツ」とか「タイツ」とか「サルマタ」と「モモヒキ」とかいろんな名前のものが並んでいた。ここらへん何をどのように着用するのが正しいのか、他のさむがり諸氏のご意見をもとめる。


1997/12/13

爆睡。眠くて眠くてしょうがない。病気じゃなかろうか。仕事山積みのまま、ヴィデオで"Brother from Another Planet"を観る。説明不足なところが多くて気持ちわるい。鍋を食う。本当に最近家では鍋と雑炊しか喰ってないな。健康的なんだかどうだか。

ズボン下快調。こんなよいものを使わない手はない。

実は私も隠れ中坊公平ファンである。このまえNHKでやってたのは再放送だったのね。ああいう骨のあるジイサンになりたいものだが、無理じゃろなあ。

FreeBSD日記その5

PPP接続はできる(pingとかの反応はある)のだが、DNSがひけない。むう。

しかしそろそろ飽きてきた。眠いし。なんちゅーか、時間の無駄である。


1997/12/14

ゆっくり起きる。今日は徹夜になってしまうであろう。外に出ると小春日和。

梅酒その後

昨日今日と、6月につけた梅酒を味見している。ソーダで割ってappetizer & 食中酒にする。なかなかいける。諸般の事情により節酒しているので量は飲まないが、すぐになくなりそうだ。とにかくこれが飲めるまで生きていたわけだ。次は来年梅酒をつけるまで生きることを目指す。そうすれば、また冬まで生きられるであろう。

『ぼくの初体験』

古本屋で弓月光の古いマンガを入手し、電車のなかでニヤニヤ笑ってしまう。これもえらくなつかしいなあ。 小学生のころ従姉妹の家で「わあ、えっちだなあ」と読んだものだ。やっぱりエッチってのはおくゆかしい方がよろしい。現在の弓月光には興味はない。やっぱりあのひとはここらへんを少女誌に載せていたころがよかったと思う。男性誌だとどうしても表現が直接的になるもんね。

交通死

二木雄策『交通死』岩波新書。

応用倫理とかそういうものにも興味をもっている私としては、ここしばらく気になっているテーマなんだけど(年間1万人以上の人間が殺されているのに、誰も不思議に思わないってのはおかしい。)、この本はのっけから怨念がこもっていてのけぞらせられた。この「交通死」って言葉は定着するかもしれんな。こういう言葉が定着すると、交通事故に対する考えかたも変わるんじゃないかと思うのじゃが。

もっとも、この著者のように「加害者への量刑が軽すぎる」と叫ぶのは(気持ちはわかるが)どうか。交通死の加害者に重い刑を課すとどういうことになるか。かなりひどいことになりそう。(例えばいきなり稼ぎ頭の父親が1年交通刑務所に入れられたと家族がどうなるかを考えてみよ)

被害者感情ってのは扱いが難しい。

FreeBSD日記その6

完全に2.2.2R-RELEASEに入れかえ。どういうわけかDNSもひけるようになって、so-netにもFTPできるようになったのだが、遅い。FTPすると23KBのファイル(これ)を送るのに20秒もかかる(1.8KB/Secぐらい)。むう、設定の問題か、FreeBSD(98)の問題か、シリアルポートの問題か。newsで尋ねてみるかのう。

遅いにせよ、とにかくネットワークに接続されたわけなので、socioから.emacsや.tcshrcなんかをもってきて着々と環境がととのいつつある。メールの読み書きという大物がのこってる。

OAデスク

サンタクロースが貸与してくれているパソコン机と、イスの高さが合わずに背中が曲ってしまい、肩や背中が凝る。きっと腰にも悪いにちがいない。それにしても、この「パソコン机」ってのは奇妙なものだ。机として低すぎるし、マウスを置くスペースがないし、プリンタは上に置くようになっているしで、使いにくい。こんなものを売ったり買ったりする人々というのはどういう人々なんじゃろか。その名前にだまされて買っちゃう人がいるんだよな。


1997/12/15

左手小指

に、ここ一月ぐらいつき指に似た軽い痛みがある。これは噂に聞く「Emacs症候群」のひとつではないだろうか。Emacsに限らず[Control]+Hあたりはほとんどどのソフトでも使えるので、左手小指を酷使してるもんな。

FreeBSD日記7

PPP接続が遅いのは設定のせいであった。正しく設定すると38600bpsまでは出る。これでも遅いが、それ以上は現段階のFreeBSD(98)じゃだめみたい。

とりあえずプリンタも使えるようになる。

レバニラ

よく利用している近所の中華料理屋で日替り定食をたのむと、レバニラ炒めが出てきてしまった。私はレバーが嫌いなので往生した。好き嫌いが多いと困ることがある。しかし、最近心配な肝臓のためと我慢して食べる。しかし現代の科学物質に汚染されたレバーがはたして肝臓によいかどうかはうたがわしいな。

そういえば、好き嫌いについて。実は私は学部1回生のころまで卵が食べられなかった。ある日、友達がバイトしているカレー屋に行くと、彼は「秘密だよ」と生卵をプレゼントしてくれたのである。「(ぎゃー)」しかし私は彼の厚意を無にするにしのびなく、とりあえず食べた。それ以来食えるようになった。レバーもこれを機に食えるようになればよいのだが。

あ、なるべく肉食はしない方針だったか。


1997/12/16

カギ

A大学のあとB大学へ。どちらの大学でもマイクを使うためカギを借りている。

B大学についたとき、A大学のカギをもってきてしまったことに気がついた。「むう、これは間違えて返さないようにしないと」

しかし、家に帰りついたとき、B大学のカギがポケットに入っていた。うう。危惧したとおり、B大学にA大学のカギを置いてきたのである。人間失格。

電話

ひさしぶりに電話をとめてしまった。これも人間失格。

サンタクロース第2弾

家に帰りつくと、ポータブルキーボードとレコードプレーヤーがある。またサンタクロースが来たらしい。プレーヤーは知り合いが安く買いとる予定。

マニュアル

ターミナルアダプタのマニュアルが見あたらず困っていたのだが、会社にメールすると無償で送ってくれた。サンクス > サン電子

2日つづけて徹夜に近い生活をしてしまったため、早くに寝こんでしまう。


1997/12/17

滋賀へ。ここはあと1回。

次の月曜と水曜に働けば新年になってしまう。

大島弓子の『いちご物語』なんか読んだり。かなり忙しいのだが。

FreeBSD日記その8

落ち着いた。もう環境はいじらんぞ。

標準でrogueがついてきていることを発見。当然はまる。昔もかなりはまったんだ、このゲーム。

Silk Socking

コール・ポーターとアステアの『絹の靴下』をヴィデオで観ている。相方がジンジャー・ロジャースじゃなかったので今まで観てなかったんだけど、途中まではかなりおもしろかった。(もっともやはり『コンチネンタル』をしのぐものではないけど)やっぱり私はこういうちゃんとし娯楽映画が好きなんじゃよ。

話は、ソ連のゴリゴリの禁欲的な共産党員のお姉さんをアステアが口説いて、世俗的快楽の魅力と恋の楽しさを教えて、結局結婚しちゃうっていうたあいのないもの。「シルクのストッキング」は消費社会の象徴なんじゃな。禁欲主義とはなにかとちょっと考える。

私自身はあんまり着飾ったフェミニンな女性はあんまり得意じゃないけど。あんまり関係ないが、「知的な女性をこの好む者は同性愛の気があり、女性的な女性を好む者は獣姦の気がある。」てなことをニーチェか誰かが言ってた。言いえて妙。

それにしてもAll of Youを歌って踊っただけで口説けるとはうらやましいなどと思いつつコード進行を確認したり

夜、また耳が痛くなってきた。炎症を起しているようだ。1年に数回こういうことがあるんだよな。耳とか歯とかの痛みは、何も考えられなくなるのがつらい。痛みってのは本質的にそういうもんか?ちがうな。


1997/12/18

区役所へ行って健康保険の相談。

FreeBSD日記その9

今までXの上でMuleはmule -nw (no window)で起動していたのだが、windowを使って表示するようにしてみる。フォントやウィンドウの大きさの指定をどうすればいいのかわからん。フォントが大きすぎるがどうやって変更指定すればいいのかわからん。ウィンドウの大きさも、いちいちmule -geometry 80x24なんて入力するのはいやだよね。

Windowシステムで動かすことにしてしまえば、やはりhilit19も使いたくなる。html-helper-modeはhilit19に対応しているので、タグなんかを色を変えて表示してくれる。なかなかよい。

2.2.1-RELEASEのpackageにあるSKKサーバーはどうもcore吐いて死んでしまうので、すべてメモリに読みこむ設定にしている。これはけっこう資源を喰っているような気がするので早く対処せねば。

メモリがせめて32MBあれば、こんなこと気にせずにすむし、全体の動作スピードもかなり変ると思うのだが、この98Can Beってどれくらい増設できるのかな。

スピーカー

今使っているスピーカーは中学生のころに買ってもらったものだから、もう17年ぐらいの古さである。前に被せてある「サラン」(?)をはずしてみると、ウーファーのヘリ(「ダンパー」?)の部分のウレタンがカビてボロボロになって穴があいている。低音があんまり出なくなっているような印象がある。(位相かなんかの問題が生じるんだろう)『ステレオ』誌を立ち読みしていると、これはウレタンを使ったものウーファーでは避けられないことらしい。そろそろ買換えたいなんてことを考えてしまうが、お金がない。春までは我慢我慢。 この前電気屋で見たJBLの4312あたりが欲しいなあ。(古いか)

机の上の模様替え

OAデスクのあまりの使いにくさに腹をたてて、机をかたづけてMacと98の2台を机の上にのせる。これで腰や背中への負担が減らせる。うーみゅ、電磁波が恐い。

あいかわらず耳が痛い。今日病院に行くべきであった。


1997/12/19

今日はどういうわけか徹夜になりそう。

永遠の野原

『ぶ〜け』で逢坂みえ子の「永遠の野原」が最終回。二太郎が結局あのバカ女とラブラブで終るという結末が許せん。ま、それにしてもあっけないおわりかたで無念。このマンガ、ここ数年は調子悪かったよな。ま、私の青春のマンガではあった。

区役所で国民年金の相談。

左手小指その後

ぜんぜん直らん。原因は、SKKとPC98のキーボードにあると思う。私の好みからすると、キーが重くて浅くてクリックがしっかりしていないから力がはいっちゃうんだな。

X

muleのウィンドウの大きさその他は~/.Xresourcesで指定することを知る。

skkserverが動かないので、dbskkなんかもインストールしようと試みるが、やっぱりsegmentation faultでcore吐く。むう。小指も痛いことだし、Cannnaにしちゃおうかな。

30行

98のコンソールを30行にすることもできるらしいが、ツールが手にはいらず挫折。無念。もしそれが可能なら、わざわざXを使う必要がなくなるんじゃけどね。Xを使っているとSWAPがはげしすぎるような気がする。マウスが上にないウィンドウには入力できないっていう仕様もMacになれた身にとってはなんだか使いづらいし。


1997/12/20

なにごともなし。いぜんとして仕事山積み。

時計じかけのオレンジ

ひさしぶりにヴィデオで見る。中学3年のころに観た憶えがあるのだが、当時はぜんぜん理解できなかったのだが、今見ればなかなかおもしろい。あの映画の時代設定はいまごろなんじゃないだろうか? 暴力はすでに身近なものになっているような気もしないでもない。


1997/12/21

so-netへのメールはちゃんとチェックしていなかったので、よろずや氏が上洛して近所まで来ていることに気がつかなかった。すまんす。文学部の停電でメールサーバが落ちているので不安。

ゆっくり起きて『実践哲学研究』の合評会。最近年がら年中ストレッチする癖がついているのを発見され笑われる。しかし昨日観た『時計じかけのオレンジ』でもあったように、金持ちはストレッチするものなのである。

皆で飲んだあと、早々に引きあげる。児玉師匠から借りたTalking Headsの Stop Making Senseを観ながらぼちぼち仕事。これも懐しい。今観てもかっこいいよね。イッてしまっているBernie Warrelが最高。ベースをかかえた女もスタインバーガーなんかかかえて、なんだか切れてるし。

02:27。仕事進まず。

いつのまにか耳の痛みがおさまっている。体の部分ってのは痛いときにのみその存在を意識するんだよなあ。

FreeBSD日記その10

おかげさまでskkserverが動くようになった。/etc/hostsに自分のマシン名をちゃんと書いておかなかったのが原因であった。thanks > 情報提供者。

しかし、PPP接続の場合に自分のドメイン名をどうするかってことは未だに謎。いちおうこのマシンはkalliklesという名前をつけているのだが、/etc/rc.confでhostname="kallikles"とだけ指定していると起動時にsendmailが文句を言うようだ。まだkallikles.bun.kyoto-u.ac.jpを名乗るわけにもいかんし。(いかんよなあ?)

また、Xのフォントなどの設定の仕方もぼちぼち判明しつつある。これまたthanks > 情報提供者。しかし、メモリが少ないので、Xを動かすよりは複数の仮想端末を使った方が快適なことに気づきつつある。swapの回数が全然ちがうもんね。次は30行化だな。

FreeBSDによる日記作成環境:-)もなかなか充実してきて手になじんできた。むう、研究室にもっていくのがもったいなくなってきたな。

so-netからmailをとってくるのが遅い(incでもpopclientでも)原因がよくわからん。


1997/12/22

98 CanbeにEther Cardは不可?

サンタクロースのPC9821Cb2にイーサカードを入れて大学の研究室で接続する計画は、挫折しそうである。今日電気屋に行って探してみたのだが、そんな古い機種に適切なカードはもうないとまで言われてしまった。モデムカードの差入れ口が独自の形になっているのね。もともとごちゃごちゃ付いているタイプなのが悪かったようだ。

[あらすじ]耳や小指の痛みによって身体の存在を確信するに至った江口は.....

授業中、教室をうろうろ歩いていると(語学の授業中は歩きまわることが多い)、左膝を机に打ちつける。がっ。しばらく声が出ないほど痛い。

というわけで、歩くたびに膝の存在も意識するようになったのであった。少なくとも、痛みの存在は確信している。めでたし。

ヴィトゲンシュタインなんかが「痛み」にこだわる理由もわからんでもないような気もしないでもない。

もし痛みが存在すると意識しているならば、必ず痛みは存在しているんだけど、この概念的真理に今気がついた。トートロジーなんじゃな。しかし意外なことでもある。(ヴィトゲンシュタインや永井均あたりが言ってそうなことだ。よく知らんけど。)

柚湯

冬至ということで、今日は銭湯は柚湯。袋に柚を大量につめて湯ぶねに浮かせている。しかし、銭湯のああいうものってのはかならずしも清潔なもんじゃないような気がするよね。もっと早い時間に行くべきであった。

u-pageではどこからリンクされているのかを知ることができないのがやはりちょっと気になる。CGIやSSIが使えるso-net本家の方に移転するかなあ。

ジョージ秋山

ジョージ・秋山『捨てがたき人々』。ビックコミックゴールドで連載中のやつ。すでに名作。

そういや、このまえも『灰になった少年』が文庫化されたので入手した。前にも書いたがこれは私が少年のころにジャンプに連載されていたやつで、非常に恐かった記憶があるのだが、今よむとあまりたいしたことがない。ちょっとがっかり。

おそらく原因は、文庫化に際して差別的表現を書きなおしたりしたからではないかと思う。もしかしたらカットされたページもあるかもしれない。連載当時のものは血友病その他の遺伝病に対する誤解を招くような表現が多かったはずである。で、実際、私が感じた恐怖の多くは遺伝に関するもんだったような気がするんだな。


1997/12/23

生命倫理の研究会。飲み会には出席せず。家で仕事。この仕事が終って明日の授業が終れば一応冬休み。

冬目景

『黒鉄』で気になっていた冬目景の『羊のうた』ってのを買ってみたら、これが『灰になった少年』タイプの遺伝病の話。むう。なかなかおもしろいぞ。絵柄がなかなか好みである。

フル・メタル・ジャケット

この前『オレンジ』といっしょに借りてきていた『フルメタルジャケット』をストレッチしながら観る。標準的なベトナム映画だよな。

Can Be

ふとビデオカードを抜いてしまえばイーサカードを入れることができるんじゃないかと思った。また電気屋で確かめてくることにしよう。


1997/12/24

さあ、冬休み。仕事するぞー。

最近、NHKで『ビバリーヒルズ高校白書』の再放送をやっていて、秘かにハマっているのである。話のテンポがよいし、起承転結もちゃんとしていて落ち着いて見てられる。ウケるのもむべなるかな。


1997/12/25

今年も年を越せるだろうかと心配。

六田昇『ICHIGO』おもしろい。とりあえず6巻まで。やはりマンガは殺人じゃないとなあ:-)なんだかマンガばっかり読んでいる。

今日も『ビバリーヒルズ』を観てしまう。主人公かわいい。


1997/12/26

研究室へ。某先生のWINDOWSマシンのディスクが飛んでいる。バックアップの重要性を再認識。どうやらソフト的にいかれているようだ。「修復ディスク」が見つからない。どうするかねえ。

実はコーヒーメーカーを研究室に寄付しようかと思って持って行ったのだが、箱を開けてみるとミルが付いているタイプだったので考えなおし持って帰ってしまう。電動ミルを買うまで使うことにした。しばし待たれい。

どうでもよいことだが、「忍ぶれど...」の歌を聞くといつも

    しのぶれど
       色に出でけり
            盗み酒
を連想してしまってクスクス笑ってしまう。

深夜、お医者来訪。ひさしぶりに将棋。○●●。


1997/12/27

どういうわけか某氏と二人で忘年会(?)。●●。やはり将棋熱はさめている感じがする。

『ビバリーヒルズ』を観るためちゃんと2時ごろには帰宅。


1997/12/28

次々と来年度のシラバスの原稿用紙が届く。冬休みはこれを書いて終ってしまうな。

冬目景の数年前のマンガを2冊。この人昔は完全なアニメ系(?)の絵とストーリーでどうしようもないな。読めるようになったのは最近なのね。


1997/12/29

押入れを整理(?)しているとオヤジの自動巻の腕時計が出てきた。先日徳南晴一郎の『人間時計』を読んでいたので古ぼけた機械式時計も悪くないかと思い、切れていたベルトを付けかえることにする。しかしずいぶん古いものなのでガラス(プラスチックか?)に細かいヒビが入ってしまっている。時計屋に持っていって、ガラスを換えてもらうことが可能か尋ねると、見積りをとるだけで金がかかるという。もちろんお金ができるまで見合わせることにした。でも時計はやっぱりクオーツなんかじゃなく機械式がいいよね。新品を買えるようになるのはいつの日か...

散歩してお茶を買ったり、年賀葉書を買ったり(今ごろ)、どういうわけかドラムスティックなんてものも買ったり。

ギターもキーボードもベースもフルートもドラム(高校のとき文化祭で叩いたりしたけど)も*できない*マルチインストルメントプレイヤーを目指す。つぎは金管(一応経験あり)とリード(アルトサックスがいいな)を... :-)

スーパーの柵も年末仕様になってしまっていて、ふつうの惣菜の材料がなくなっている....

たまにはマンガ以外の軽い読物も読もうとハードボイルドなんかを買いこんだり。いや、別に某師匠のSFに対抗しようとしているわけではない。

鹿島茂『新聞王ジラルダン』ちくま文庫。おもしろい。19世紀半ばの新聞ジャーナリズムの成立期の話。

キルケゴールって人は晩年に大衆新聞と喧嘩したんだけど、キルケゴール研究者はたいてい歴史や社会に興味をいだいていない哲学者たちなので、ここらへんの事情を「キルケゴールが悪しきジャーナリズムと闘った」ととらえている。それはそれで正しいんだろうけど、こういう側面から見るとキルケゴールと新聞の関係も見なおすべきなんだろうという気がしてくる。しかし、自分で資料を探す気になはなれんなあ。


1997/12/30

コーヒーメーカー

ここ数日試飲しているのだが、以前からコーヒーメーカーでいれたコーヒーは、なんだか気の抜けた味がすると常々思っていた。なんだか重要な成分が抽出されていないような感じ。ふと原因はお湯の温度が低いからではないかと思った」。いや、科学的根拠は全然ないが。 (お茶なんかは熱湯をつかうとあんまりおいしくなかったりするけどね)

もう一つの問題点は、ドリップした時のアワというかアクというか、あの部分まで落ちてしまうことで、味が濁ってしまうと思う。

以上の理由により、やっぱり手でいれることが多い。

約束/嘘

月並だけど、『ビバリーヒルズ高校白書』を見てると、あちらでは約束や嘘の(道徳的)意味が私の実感なんかとはぜんぜん違うね。

FreeBSD日記

シリアルポートのパッチを当ててカーネルを再構築する。TAと115200bpsで接続できるようになったようだ。めでたし。

ヴィデオキャプチュアカードを抜いてみると、Xが立ちあがらなくなる。ってことは、イーサカードをつっこめたとしてもXが使えなくなるということか。ジレンマ。

スタジオ

ふと思いたち、ドラムスティックとメトロノームとシールドをかばんに入れて散歩に出発。寺町通の貸しスタジオで1時間ほど延々太鼓を叩いて汗をかく。なにやってんだかねえ。

中古CD2枚(Eric GalesのPicture of a Thousand Faces / CrusadersのChain Reaction)、文庫本数冊。「フュージョン・ギタリスト」のエリック・ゲイルだと思って買ったCDは、ごりごりのハードロックであった。しくしく。

最後の忘年

某氏らと飲み、研究室のPCのディスクの死亡を宣告し、徒歩で帰宅。ディスクは殴れば動くのではないかと思ったが、そういうわけでもなかった。


1997/12/31

一人で蕎麦を食って年越し。

    故郷にたのめし人もすゑの松待つらむ袖になやみこすらむ
                                         藤原家隆

読みたい本を探しても出てこず、あれこれやっているうちに気づけば富士日記にはまっていた。


EGUCHI Satoshi<eguchi.satoshi@gmail.com>