牟田和恵先生のフェミニスト的恋愛/結婚論には問題があると思う

伊藤公雄先生と牟田和恵先生の編集の『ジェンダーで学ぶ社会学』が2015年に改定新板になってたのきづかなかったので読んでみました。この本の初版は1998年で、ジェンダー社会学とかの超基本書、ロングセラー、ジェンダー論ベストセラーですわね。

実はずっとフェミニストやジェンダー論論者によるアカデミックな恋愛論みたいなの探していたので [1]どういうわけかフェミニスト/ジェンダー論者は恋愛を語らない傾向があると思う。、牟田和恵先生の「愛する」は非常に貴重だと思います。えらい。それにしてもこれはものすごく問題が多い。

第1節の見出しは「リスク化する恋愛」で、ストーカーやらリベンジポルノやら、「非モテ」を苦にして(?)の大量無差別殺人事件とかあげて、恋愛はリスク化しているっていうわけです。

恋愛は人にとって、とくに若者にとっては、幸福感を与えてくれるもの、刺激的で楽しいものであるはずなのに、命の危険さえともなうもの、深刻な悩みと葛藤の因になってしまうようなリスクのあるものになってしまったのだろうか。(p.67)

私おどろきました。そら最近ストーカーやらなんやらそういうの問題になってるのはわかるけど、それって最近の現象なんですか。最近警察が対応するようになってきたから数が増えてるように見えるだけなんちゃうんですか。「リスクのあるものになった」って、むかしからそうじゃないんですか。いつリスクがなかったんですか。データで示せますか?

そういや、牟田先生とは違う先生だけど、10年ぐらい前に、「児童虐待が急増している」とかって主張しているこれまた家族社会学の先生がいて、その根拠が警察かどっかの統計だったんですが、それって認知件数とかっしょって腰をぬかしたことがありました [2]http://amzn.to/2zPGKA3 。当局が把握する数がふえているんであって、1年や2年で犯罪や暴力の数が増えたら、実際の件数が増えたんじゃなくて認知の数が増えただけだろうって考えるのがふつうなんじゃないですか。社会学者いったいなにしているんですか。

それに「恋愛は人にとって、とくに若者にとっては、幸福感を与えてくれるもの、刺激的で楽しいものであるはず」ってのはなんですか。いつからそんなことになってるんですか。そりゃうまくいけば幸福感を与えてくれる楽しいものかもしれないけど、うまくいかなきゃいろいろたいへんで、時に暴力ざたになるってのはもうホメロスの大昔からそうじゃないっすか。恋愛が「刺激的」なのも、なかなかかうまくいかないし、時に危険だからでしょ。いったい社会学者はいったいなにをかんがえてるんですか。この「恋愛は〜はずだ」っていうのは「そうだといいなあ」っていう牟田先生の願望をあらわしているにすぎないと思いますね。

第2節は「恋愛離れ」。これはまあ最近よく指摘されることですね。でもこれもそんな意外なことだろうか。小谷野敦先生が『モテない男』で鋭く指摘してているように、モテない男女は少なくないし、なんか恋愛とか興味ない男女、興味はあるけど結局恋愛ってどういうふうにするのかわからない男女も少なくないものだと思います。

第3節は「恋愛の歴史」。ネタ本はギデンス先生の『親密性の変容』。原書の出版は1992年なので25年も前の本で、ちょっと古いんじゃないですかね。でもまあいいです。

恋愛の起源は、ヨーロッパ中世の騎士の既婚の貴婦人にたいする、崇拝的な騎士道的愛に発するといわれるが、その画期的意味のひとつは、ロマンティックな情熱が、それまでの魂の病気、一種の発狂であるとみなされていたことから一転して、美しい生活にいたるものとしてポジティブな価値を獲得したことにある。(p.69)

まあいいんですが[3]ほんとはよくないけど、まあこう解釈するのが通説。、これ、恋愛の起源じゃなくて、「ロマンティックな」恋愛をよしとする恋愛「観」の起源ですね[4]そしてこの通説もあんまりよくないけど、今回はOK。。人間どうしの間で排他的で情熱的で性的な関係を結ぶってのはみんながみんなそういうことをするわけではないけど、通文化的・普遍的現象のはずです。

ヨーロッパ中世まで恋愛は存在しなかった、みたいに考えるのは、近代までネクタイも背広もなかったから、服を着たいっていう欲求や身を飾るをいう営みもなかった、みたいに考えるのとあんまり変わらない。社会学者なにしてるんですか。

第4節は「純粋な関係性」。ギデンス先生のキーワードですね。近代から現代社会にかけて、パートナー関係や結婚についての考え方が変わってきて、生殖や経済的な便宜のための結びつきってのから、そういうのとっぱらった、恋愛のための恋愛、みたいな「純粋な関係」がもとめられるようになりました、ってお話。それ自体はそれでいいんですが、そのあとのいろんなポピュラー文化を見たら、それだけじゃないってのも明らかだと思いますね。そら頭がお花畑な時期には純粋な恋愛のための恋愛、みたいなの素敵に思えるわけですが、実際には生活とかなんやらあるじゃないですか。「恋愛と結婚は別」みたいなのはわれわれが若い時代もよく聞いたし、いまの学生様だってそういいますわよね。ギデンス先生は1970年代のセックス革命みたいなのから1990年ぐらいまでを見てまあいろいろ好きなことを言ってるわけだけど、それってあなたたちの生活と照らし合わせたときにどうなのですか。

あと「関係性」はrelationshipの訳語なんだけど、訳語としては「人間関係/恋愛関係」の方がよいと思う。「親密な関係性」じゃなくて「親密な関係」ね。relationshipが可算名詞として使われる場合は、「関係性」という訳語から感じられる「「性」質」ではなく、「人間関係そのもの」を指すのです。The relationship between two people or groups is the way in which they feel and behave towards each other. とかA relationship is a close friendship between two people, especially one involving romantic or sexual feelings. という定義ですね。

第5節は「ロマンティックラブとジェンダー・アンバランス」。ロマンティックラブってのがジェンダーのバランスを欠いたものだっていうギデンス先生の洞察は正しいと思います。ただし、牟田先生の説明ではロマンティック・ラブがどういうものか、どういう点でジェンダー平等じゃないかっていう説明がされてないから読者にはわからんと思う。これは驚きました。もちろん、われわれ人文学系大学教員にはロマンチックラブっていうのはあるイメージがあるのでさらっと読んじゃうけど、学生様とかは読めないはず。ていうか、人文学系大学教員の間でも、ロマンティックラブってのでどういうのを想定するかはさまざまだから、牟田先生はそれを明示しないとならんと思う。どうジェンダーアンバランスなんすか。

騎士道的恋愛に見られるアンバランスははっきりしている。男性は騎士で地位が高そうだけど、女性は女主人であって、実は女性の方が地位が高い。一対一の情熱的恋愛。女性は高貴であり、粗野な男性騎士を精神的に導き高めることが期待される。一応直接に性的な関係はもたず、精神的な繋がりを重視する。男性は女性に命をかけて尽くす。そういうやつ。

ロマンティックラブってのはそっから派生してきているやつで、一対一(あなただけです!そして私だけを見てください!)、情熱的(あなたを思うと夜も寝られない!)、美(あなたは美しい!)と精神性(しかしあなたは外面より内面の方がさらに美しい!尊敬してるぅ!)の両方を含み、さらに生涯にわたるコミットメント(生涯あなた一人を愛し続けると誓います!愛し続けるというのは物理的に防衛したり経済的に保護するということを含みます!)とお互いの人格の理解という親密さ(あなたのことをもっと知りたい、語り合いたい!)も含む、そしてなんか障害(既婚者だとか事件や革命が起こるとか)があった方が燃える、っていう最高級の恋愛形式で、まあ私が思うには、まさに女性を喜ばすためのお話ね。そういうの考えただけで鼻血出そうな女子もいると思う。映画「タイタニック」では主人公男、海につかって死んじゃいますからね。

これはたしかにジェンダーアンバランスなんだけど、女性の方が上で、プロポーズとかも必ず男の方からひざまづいてやるわけよね。それはっきり言わないでどこがジェンダー論なんすか。社会学者なにしてるんですか。

牟田先生とギデンス先生は、女性がこうしたロマンティックラブが好きなのは、女性が男性によっかかって自立や自己実現を達成しようとしなければならないからだ、みたいに考えます。これはまあいいと思う。ただ、私は女性も自立した方がいいと思うけど、自分でがんばるより伸びそうなやつとコンビ組んで分業して戦うっていうのが有利になることも多いだろうから女性の選択肢の一つとしてありだろう。そうしたくてそうできるひとはそうしたらいい。選択肢は多い方が有利ではないのだろうか。牟田先生も恋愛と結婚は、女性にとって「理にかなった投資」だってことを認めてますね。

第6節は「男性にとっての恋愛の理不尽」。でもそんなよっかかられるは男にとってはたいへんで理不尽です、って話。これは正しいと思う。

恋愛の中核であるロマンティックラブが、ジェンダーのアンバランスの上で、男性は女性より社会的経済的に優位に立たなければならないという「常識」や、男性が女性を養うのがあたりまえであるかのような意識をともなっていることそのものが問題なのである。(p.75)

これもフェミニズム/ジェンダー論標準なのでさらっと読んじゃうんだけど、これって結局、女性が金や地位持ってないとくっついてこない、ってことを指しているわけですよね。繰り返すけど言うけどロマンチックラブというのは男が女に奉仕する(と一応約束する)恋愛だ。金や地位もってないのは相手にならん。おそらく男性の方は尽くしたくなんかないわけだからこんな「常識」なんかどうでもいいわけだけど、セックスしたりケアしてもらったりはしたいだろうからどうしたって金や地位をゲットしにいかないわけにはいかんでしょうな。これって反フェミツイッタラーが言ってることそのまんまですけど、牟田先生の言うことにも一理あるのと同じくらいツイッタラーがいうことにも一理あるかもしれない。

第7節は「女性の地位の変化と男性の暴力」。女が恋愛上だったり、男が経済的に上だったりするロマンティックラブに比較して、ギデンス先生の「純粋な関係」はあくまで対等で、恋愛感情以外のヒモがついてない関係をめざす恋愛。

純粋な関係性の重要な特徴は、……ロマンティックラブが結婚や家庭を媒介としての女性の男性への従属や同一化を前提としていたのとは大きく異なって、女性側からの男性との対等な関係の要求をもとなっていることだ。純粋な関係性は性的にも感情的にも対等な関係が実現できてはじめて実現される。(p.75)

ここの問題は、ロマンティックラブ理想をもとにした男女関係が、「女性の男性への従属」と見ることができるかどうかね。「男性の女性への奉仕(の約束)」を基本だと見るなら、家庭内で分業して男性が死にそうになりながらお金稼いで帰ってくる、ってのは女性が男性を家畜のように使役し搾取しているようにも見える。たとえばロマンチックラブで結びつているカップルや家庭内での発言力がどうなっているのかとか見たら、「女性の男性への従属」とかそういうふうにはなってないんじゃないかと思いますが、どうっすか。まあ私自身は、実際にはカップル内・家庭内ではけっこうバランスが取れていて、利得のバランスが崩れたら関係はこわれてしまうんじゃないかと思ってますけど、これはまさに家族社会学とかの調査課題であって、所与の前提ではない。もっと現実をみてみましょう。

しかし、女性との対等な関係性を心から欲しているような男性はさほど多くはない。「妻には働いてほしい」と経済的貢献を求める男性も、「家事や育児はしっかりやって」と注文をつけ、女性が男性のケアをし、情緒的な支えになることを相変わらず期待する。そこに、男女間の葛藤がまた生じる。(p. 76)

ここで対等っていうときに、いろんな魅力や貢献をぜんぶ合算しての対等(グローバル対等)なのか、個々の領域(ドメイン)に分けての対等(ドメイン対等)なのか。ドメインを指しているんだったら、同様に、男性との対等な関係を心から欲しているような女性もどれくらいいるんかな、って思いますね。そしてそんなものにどれくらい価値があるのか。牟田先生が考えている対等ってのはどっちですかね。

私の理解では、ギデンス先生が「対等」な純粋な関係ってので考えてるときは、経済・家事・生殖・育児とかぜんぶとっぱらった恋愛とセックスと親密さだけの「対等」なんすわ。この意味では、別々に暮らして、ときどき合って割り勘で飯食ってラブホに行って愚痴を言い合うセフレとか不倫関係とかまさに対等で、これが90年代ぐらいにもとめられた関係だったってわけです。それが純粋な関係ね。それわかってますか?そして、そうした恋愛と性欲以外にヒモ付きでない関係っていうのは、多くの女性が求めたいものでもないと思う。

んでさらに悪い事に、こっから牟田先生は非常にあぶない方向に行く。

ここに、ジェンダー平等が進展するほど、男性による権力や支配が起こりやすくなるという、大いなるアイロニーがみられる。つまり、女性の権利や意識の向上によって、男性が女性を制度的に支配することができなくなり、女性に対する優位性に揺らぎが生じているがために、男性は私的な関係のなかで一対一の暴力によって女性を支配しようとするのだ。(p.76)

なにを言ってるんですか。なぜいきなり暴力が出てくるんですか。なにか論拠があるんですか?ギデンス先生がそう言ってるから?でもギデンス先生が言ってるのは、「今日、男性の性暴力の多くは、家父長制支配構造の連綿とした存続よりも、むしろ男性の抱く不安や無力感に起因している」だけっすよ。これは、ギデンス先生が「性暴力は家父長制が原因、とかっていうのはうたがわしい、むしろ性暴力振るう人々はそういうのと関係なくやってるんちゃうか」ぐらいのところっしょ。そして、そういう性暴力が増えてるとかそういうのも言ってない(と思う)。まあこのギデンス先生の「不安や無力感」が原因だっていう推測自体もフェミニスト風味のあれからの憶測よね。

もちろん、実際に性暴力が増えてるとかそういうのを示してもらえれば、牟田先生のような推測も一つの仮説としてありえるだろうと思う。でもそれはまずそうしたデータしめしてもらってからね。さらに、百歩ゆずって、性暴力が実際に増えているとしても、もっといろんな仮説を立てることが可能なはずで、そうした他の仮説を検討して自説の有利さを論じる必要があると思う。そういうのがない社会学とかいったいなんなのですか。これで「ジェンダーで学ぶ社会学」になるのですか。社会学ではないのではないか。

最後の節は「恋愛を〈救う〉には」。「恋愛が危ういものになってしまったのは、近代以降の社会が恋愛に価値をおきすぎたからではないか」(p. 77)がまた出てくる。これ本気でそう思ってるんですね。危うくなかった時代があるのかなあ。そもそもいつと比べてるのだろうか。戦国時代とくらべて危うくなってるのだろうか。江戸時代ぐらい?

私たちは今も、性的絆を含む一対一の男女の関係や、そこから生まれる親子の関係こそがもっとも深い人間と人間の関係であるとみなしがちだが、しかしそれは、*ヘテロセクシズム*が生み出した思い込みである。(p.78)

この一文、まあOKなんですが、ちょっとあれで、分解すると、

(1) 恋愛関係や親子関係がもっとも深い人間関係だと思いこんでいる。
(2) 性的絆を含む「男女」関係がもっとも深い人間関係だと思いこんでる。

の二つに分けられると思う。(2)はたしかに「ヘテロ」「セクシズム」と呼んでよい。でも(1)はどうかな。

人と人との親密でかけがえのない結びつきは、多様にありうる。友情の絆、血縁にかかわらない親子や家族・親族のつながり、生業や活動をともにする仲間たちとの共有の感情。……恋愛がそうした多様な人と人のつながりのひとつのかたちにすぎなくなれば、さらには若い時代に限られたものでもなくセックスを必ずともなうものでもなく一対一の排他的なものに限るのでもないというように、恋愛自体がもっと多様になれば{\――}逆説的だが、恋愛がそれほど大したものでなくなれば{\――}私たちは恋愛の成就や破綻にさほどエネルギーを使ったり葛藤を抱えることもなくなるだろう。

まあこれは共感しますね。よい。でも、恋愛というのはすでにいまでもある種の人々にはたいしたものではないし、いろんな形があるだろうと思うし、そして、それにもかかわらず、ある種の(ふつうの能力のふつうの生活をする)人々にとっては、恋愛や生殖、子育てなどは、やっぱり親密な関係の最大のものでありつづけるだろうって思います[5]あと、恋愛と若者や「若い時代」をむすびつけて考えるってのはなぜなんだ。ははは。

全体に「性暴力や支配が増えてる」っていう根拠のない思い込みが支配していて(増えてるとしてもいつから増えてるの?)、社会学としてはとてもよくないと思います。ロマンチックな恋愛っていうのがどんなものかとか、そういうのについてももうちょっと検討してほしい。結婚と恋愛については、なんでも適当なことを言う古いギデンス先生とかよりもっといいタネ本はたくさんあると思う。ヘレン・フィッシャー先生あたりでもいいし、家族社会学プロパーならStephanie Coontz先生のMarriage, a History: How Love Conquered Marriageあたりを参照にしてほしいです[6] … Continue reading

この概説というか論文は、結局のところ、「最近は私的な性暴力が増えている」というスパンも根拠もあやしい話を、他にもよいテキストがあるにもかかわらず25年前の社会学の偉い先生のお話の怪しい読解をもとに解釈している、というよくない形になっていると判断します。私は、ジェンダー論となるとこういうレベルのでOKにしているジェンダー社会学界隈を疑っています。

伊藤公雄先生については昔にも書いてます。ここらへん。

https://yonosuke.net/eguchi/archives/832

https://yonosuke.net/eguchi/archives/837

当時は自信なかったからひかえめだけど、アカデミックな作法の話ね。




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References

References
1 どういうわけかフェミニスト/ジェンダー論者は恋愛を語らない傾向があると思う。
2 http://amzn.to/2zPGKA3
3 ほんとはよくないけど、まあこう解釈するのが通説。
4 そしてこの通説もあんまりよくないけど、今回はOK。
5 あと、恋愛と若者や「若い時代」をむすびつけて考えるってのはなぜなんだ。ははは。
6 あと「ロマンチック」恋愛だけがれないじゃないので、ストルゲとか友愛とか友情結婚とか言われてる恋愛パターンがあるってこととか、もっといろいろ語って欲しいことはある。

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