高校までの授業と違い、大学では自分で積極的に授業に参加することが求められます。「求められる」というのは、「道徳的にそうした方がよい」とか「そうしないのはダメな大学生だ」とかという意味ではなく、「あなたの利益のためには授業に積極的に参加しなくてはならない」、「そうしなければ損をする、大学に来る意味がない」、という意味です。
基本的な心構え
大学教員の実態
だいたい、大学の教師というのは教師としての教育を受けていないし、 スキルも身につけていないのです。大学教員になるには、(1)大学院に進学して自分の学問分野で研究して論文を書く、(2)官公庁企業その他で業績をつむ、の二つの道がありますが、どちらも「教育者」としての訓練を受けることはほとんどありません。実際私は教員免許すら持ってませんし、教育実習を受けたこともありません。
小中高の教師は授業研究などで技術を磨くわけですが、 大学の教員の授業を他の教員が覗くことはまったくありません。もちろん他の教員の授業を見学することもありません。
ついでに言うと、大学の教員になっている人間が大学在学中にまじめに授業に出ていたかというとそういうこともありません。私自身は学部の講義の授業はほとんど出ませんでした。つまり、わたしは大学の講義とかそういうものをまともに経験せずに授業しているのです。
つまり、大学の教師は研究のプロかもしれませんが教育のプロではないし、授業というものがどういうところもわかっていない可能性があるのです。小中高の教師はそれなりの教育を受け訓練を受けているわけで、教師としてのスキルには大きな差があります。
さらに悪いことに、大学教員というのには一般に勉強する動機がありません。いったん大学に就職してしまえば、勉強したり論文書いたりしなくても自動的に給料はあがっていきますし、クビになることはありません。特別なことがなければ、誰も教員の業績を審査したりすることはないのです。したがって、就職したあとはぜんぜん勉強しないで毎日を過ごしているひともけっこういるのです。
そういう教師に大学生は教育を受けるわけです。あなたたち学生はちゃんと自衛しなければなりません。
授業内容
大学の授業内容は完全に教員にまかされています。高校までは文科省や受験による縛りがあって、「これこれのことを教えなければならない」とほぼ決まっているわけですが、大学ではそういうものはありません。教員が適当に教えやすいもの、興味があるものを取りあげていることがほとんどです。もしかしたらあなたが教えられていることはまったくの間違いかもしれません。
大学の授業
ではどうしてそういう状態になっているのでしょうか。基本的に大学というのは学生が自分でなにかを「研究」する場所なのです。高校までのように口を開けて何かを教えてもらうのを待っている場所ではありません。
だから講義よりも演習形式の授業の方がはるかに大学らしい授業なのです。高い授業料を払っているのですから、自分なりに大学を有効に利用しましょう。そのためには授業を自分で動かすつもりがなければなりません。黙って聞いているだけの人はそれなりのものしかもらえないのです。結局大学というのは自発的で能動的な人は得をして、そうでない人は損をする場所なのです。
人間は議論を通して進歩する / 協力しよう
まあそういう大学教員の問題はおいておくとして、
人間というのは議論を通して進歩するものだと思います。
自分の考えを他人に説明できるようになって、はじめて自分がどう考えているのかを
理解するということはよくあることです。ちゃんと考えるためには、他人から
批判を受けることが必要なのです。自分の説明のどこがわかりにくいのか、自分の考えのどこが伝わりにくいのかは、やっぱり他人に教えてもらわないとわかりません。
だから、他の人の発表に積極的に質問したり意見を述べたりするのは、
そのひとに対する協力の意志と敬意の表明でもあるのです。なにもコメントしないのは
その人を無視しているようなものです。
実際、「学会」とかってときにひどい発表のときには
なにも質問が出なかったりして非常にサムいときがあります。「質問するにも
値しない」と思われてしまってることがはっきりしてしまうわけですね。
具体的には
授業評価はちゃんとする
さすがに最近はそういう大学教員の授業のあり方に対して批判的な意見が出てきて、文部科学省の音頭で学生による「大学評価」「授業評価」をする方向に進んでいます。その手のアンケートは非常に重要ですから、教員をちゃんと評価しなくてはなりません。よい授業はよい、ダメな授業はダメとはっきり主張しなければなりません。
自分が喋れば眠くない
だいたい、他人の話を30分も1時間も黙って聞いているというのは非人間的です。私自身は1時間だまっていることは不可能です。でもなにか一言でも発言すれば目も覚めるし、内容にも関心が持てるようになるものです。
感想を伝えろ
とにかく何か感想を述べましょう。「〜がおもしろい」「〜はよくわからない」「〜は知らなかった」「〜は勉強になった」「いまの話が私の人生とどういう関係があるのですか」とか
質問しろ
大学では何を質問してもかまいません。教員があなたにわからないことを喋っているのなら、それはあなたが悪いのではなく教員の説明が悪いのです。すぐに質問。「〜〜って何ですか?」。
もちろん、あなたに基本的な日本語の能力がない場合はかなり問題です。わたしは以前「枚挙」という言葉がわからないという質問を受けたことがあります。さすがにそういうのまで面倒を見るわけにはいきません。電子辞書を用意しておいて、わからない言葉はすぐに辞書をひきましょう。
教師を信じるな、批判しろ
上で述べたように、大学教員というのは資格もなければ審査もなく、勉強をつづけているかどうかもわからない人間です。そういう人々を無批判に信じこんではいけません。「おかしい」と思ったらすぐに質問するなり糾弾するなりしましょう。セクハラ発言も許してはいけません。議論を挑むのだ。
わからないことはわからないと主張しろ
教員の授業や、他の学生の発表がよくわからないときは、あなたが悪いのではなく教員や発表者が悪いのです。
「間違い」を恐れるな
まともな教員は、少なくとも演習形式の授業では学生に意見を求めます。何も話すことができない学生もいます。でもそりゃもったいない。へんなことを言ってもそれはそれでいいのです。間違ったり奇妙なことを言っても大丈夫なのは学生の特権です。どんどんヘンなことを言ってみましょう。その方がクラスも盛り上るものです。
何も言うことがないときに便利な表現
なにも質問や意見が思いつかないときがあるかもしれません。そういうときは決まり文句を使いましょう。
- 「〜のところをもうちょっと詳しく教えてくれませんか?」
- 「おもしろかったです。〜についてもう少し詳しく話してもらえませんか?」
- 「〜という人は〜と言ってました(書いてました)が、それについてはどう思いますか?」
- 「結論としてはどういうことになるんでしょう?」
具体例
次のような文章の一部があります。
野田正彰・関西学院大学教授(精神病理学)が教えてくれた。大学で講義をしていても、話した内容を鵜呑みにするだけで、深く考えることを忌避する学生が年々増えてきたという。
「このテーマについてどう思う、と尋ねると、「思うってどういうことですか」。あなたの考えを聞いているんだよと返すと、「私に考えはありません」なんて会話をさせられることが珍しくないんです。「私は小さい頃から先生に評価されるように、どう答えたらよいかということに励んできたので、いい成績を取ってこれたのです。それで難しい大学に入ってこれたのだから、それでいいじゃないですか」って。絶句しますよ。」(後略)(斎藤貴男『安心のファシズム』岩波新書、2004、p.98)
微妙な文章と談話ですね。あなたがこういう文章を読まされたとき、どういう反応をすればよいのでしょうか。私だったら次のようなことを考えます。
- 「深く考える」てそもそもどういうことかわからない。なにを考えたら「深く考える」ことになるの?
- 「年々増えている」っていうけど、なんか証拠があるんだろうか。昔からそうだったんじゃないの?
- 「鵜呑みにする」っていってるけど、鵜呑みにしている証拠はあるんだろうか。他人があることを鵜呑みにしているかどうかはどうやってわかるんだろうか。野田先生の勘違いじゃないんだろうか。
- 「このテーマについてどう思う」とか質問されても困っちゃう。質問が漠然としてるんじゃないかな。「あなたの考えを聞いている」と言われても困る。教師はもっともっと具体的なことをたずねるべきなんじゃないだろうか。問いの前の説明なり興味の引きかたなりがまちがってるんじゃないのか。まったく興味のない教師から、「私についてどう思いますか」と問われてもなんとも思ってないことは多いだろう。
- 「私に考えはありません」は日本語としてかなり危ない感じだけど、ほんとうに文字通りこう答えたんだろうか。野田先生がそう解釈しただけなんだろうか。
- 「珍しくない」ってのはどの程度の頻度だと珍しくないんだろう。1年に1回?
- そもそもこの学生(やその他の「珍しくない」学生たち)と野田先生の間の関係がうまくいってない、という可能性はないのかな。
- 野田先生の言うことに反感を感じたり、だめな教師だと思っているけどそれを言うのは気の毒だし喧嘩になると面倒だから言わないですまそうとしている、ということはないのかな。
- 「私は小さい頃から〜」とかすばらしい洞察と表現力じゃないか。こんなこと言える学生のどこが「深く考えることを忌避」してるんだろうか。
- とりあえず他人が「深く考えない」とか考えているひとこそ「深く考えてない」可能性はないのかなあ。私は自分が「深く考えている」なんて思えないけど、こういう人びと(斎藤貴男や野田正彰)は「深く考え」ているんだろうなあ。偉いものだなあ。
まあ演習とかでは、こういう思いついたことを勝手に口に出してもよいのです。私が「この文章についてどう思う?」とかって漠然としたどうしようもない質問をしたら、上を参考にして適当に答えてください。
補足
あと、少人数授業のちょっとしたティプス。
- 友達とは離れて座ろう。近くに友達がいるとつい思いついたことを
小声で友達に話してしまいます。もったいない。
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