動物はしばしば社会的グルーミングというのをします。あの猿がよくやってるやつ。なめたりノミをとったりして、お互いの体をきれいにするやつですね。これは社会的な動物では重要な儀式で、仲がよいことを確認したり紛争を解決したりするらしいっす。
人間やチンパンジーを含む霊長類はこのグルーミングが好きなんですね。人間は特に複雑な対人関係を処理しておかなきゃならんのですが、1対1でのグルーミングは時間がかかるんですわね。友達が10人いるとして、30分ずつグルーミングしたら5時間もかかっちゃう。そういうわけで人間は体をグルーミングするかわりに、いろんなおしゃべりをしてグルーミングのかわりをしている、とかそういう話を読んだことがあります。ロビン・ダンバー先生の『友達の数は何人?』か、『ことばの起源:猿の毛づくろい、人のゴシップ』のどっちか、あるいは両方かな [1] ロビン・ダンバー『友達の数は何人?』、インターシフト、2011。ロビン・ダンバー『猿の毛づくろい、人のゴシップ』、青土社、1998 。
友達とたいしたことを話すわけじゃなく、細かいことをいろいろ確認したりするのもまあ友達であることを確認するためなんでしょうな。「あなたを気づかってますよ」「お互いに協力してるわよね」みたいな。
まあ生きていく上で友達は重要なのでどんどんおしゃべりとかして友情を深めたらいいと思うんですが、授業中にこれやられるの困るんですわ。なんかあると「課題なに?」「プリントこれでいいの?」「え、先生なんて言った?」「なにしろって?」とかやるのはどうですかね。私語はやめてください。もし指示がわからなかったりしたら、他にもわからん人がいるでしょうから、大声で「わからん!」と叫べばいいのです。
個人的には、教員として私がなにか尋ねかけたりすると隣りの子に「え、なんて答えよ?」みたいに相談する態度とられると非常にカンにさわります。私はあなたに話しかけているのであって、あなたとそのグルーミング友達ののグループに話しかけているのではない。
「自分はまちがっているのではないか」「ここでどうふるまったらいいかわからない」とかっていう自信のなさに苛立ってしまいます。もっと自信をもて!話しかけれれたりしたらすぐにその相手に反応すりゃいいわけです。
少人数のゼミとかでも隣の子とこそこそ話しをするのは非常に印象が悪いですね。これはおそらく教員だけじゃなくて、他のゼミの学生さんにも印象が悪い。10人ぐらいの少人数のところでさらに少人数で話をするっていうのは、グループの中にグループを作ってしまうことで、他の人々に対して敵対的であるとみなされてもしょうがないんですわ。
まあそういうふうにして親しい友達と細かいことで細かくコミュニケーションしてグルーミングしたい、っていう欲求はよくわかるんですが、そういうのを公の場所でやるのが大人としてだめなんよね。そういうグルーミングはテレビとか見ながらやるもんであって、他人から見られているところではかっこ悪い。
けっきょく大人になるということは物事を一人で決め行動することができるようになる、ってことです。カントという偉い哲学の先生は「啓蒙というのは大人になることだ、他人に一々相談しないで、自分の頭でものを考えられるようになることだ」って言ってます [2] カント、『啓蒙とは何か』、岩波文庫、1974。 。大人であるはずの大学生がいつもいつも隣の子とこちゃこちゃ相談しているのを見るのはうんざりなんですよ。時々叩き出しちゃいます。グルーミングの時間じゃないんだから、授業では友達とはあえて離れて座りましょう [3] … Continue reading 。
まあいつも就職の話になっちゃいますが、年がら年中お友達と相談して決めててどうすんのよ。けっきょく企業だって自分でその場で判断しすぐに行動できる人を求めてるに決まってるでしょ。グルーミングは休み時間にゆっくりやってください。友達とカフェでゆっくりするのもいいですね。家で飲み会するもよし。
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