さて、いつものように自分語りをはじめるですか。ははは。
うちの両親はぜんぜん音楽とは関係ない人々でしたね。はじめて音楽というものを意識したのは小学2年生ぐらいかねえ。なんか音楽の授業で当時はハーモニカとかってやってて、それが吹けない、と。それが音楽に関する一番古い記憶かな。
当時からもうネガティブな少年だったので、「わーん、学校でハーモニカが吹けない、だめだ、死ぬ、学校行きたくない」みたいになってて、家でなんか楽譜見ながら父親となんかしてた記憶がある。「白地に赤く」とかあれじゃないかな。軍国少年だったわけでも軍国小学校だったわけでもないと思うけど。あれ、「あれマツムシが泣いている」だったかなあ。
ところが1日やったら吹けるようになって、そんときはそれでおしまい。ああハモニカって楽器は小学生向けではないわね。あれは難しい。ピアニカになってよかったすね。
次の試練は小学3年生だったかなあ。家にこもっている私を心配したのか、親がカブスカウトとかっていう軍国組織に入れて(やっぱり軍国教育を受けてたのか。もう死ぬほど嫌いでした)、そこで鼓笛隊とかってものをするようになる。リコーダー吹くわけですわね。楽譜読めないし、たしか今思えばヘ長調だし「シb」とかわからんし。「わかーいちからーとかんげきに〜」とかって曲だと思うけど、楽譜の読み方がわからなくてわーんと泣いてた。もう行きたくない、と。父親はハモニカは知ってるけどリコーダーは知らんわけですわ。もちろん母親も。それに、この曲は弱起なわけだけど、なんで楽譜から「ド」の音がはみでているのだ、許せん、みたいなのもあって。親がこの「ド」について誰かに電話かけて聞いてくれた記憶がある。その8分音符の「ド」の分は、曲の最後に8分音符を借りてきてるので最後短くなってます、それで帳尻とれてますから大丈夫。そうですか、わかりました、それなら吹けます、みたいな。もう当時から理屈っぽいのが爆発しておりました。
しかしこれも一晩練習したらいきなり吹けるようになるわけですわ。ていうか楽譜みたらなんでもその場で吹けるし。しかし鼓笛隊っていうのは「奇兵隊」とかなんか長州だの薩摩だの官軍な感じでいやですよね。
まあとにかくリコーダーぐらいはすぐに吹けるようになることがわかる。
3年生後半とかになると小太鼓とかやらされるわけですが、もうそういうので困ることはなくなりました。だいたい体育以外なにやっても他の子よりは早く修得できることに気づくのはこのころ。今思えばフラムとかあるんだけどちゃんと教えてもらえない。あのタイミングでパラディドルとかルーディメンツ教えてもらえたらよかったなあ。
- 音楽と私(1) ハーモニカ・リコーダー・小太鼓と私
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