中学校に入って迷わず吹奏楽部に入る。しかしこれがなかなかたいへんだったわねえ。
トロンボーンの先輩はすばらしい音を出す人であこがれた。なんていうのか唇の形とかの問題なんかね。ほれぼれする音だった。僕もがんばってあんな演奏がしたい!みたいな。
吹奏楽部ってのはまあ今だにどこもそうなんだろうけど、上下関係がすごい厳しいんよね。それになんかしらんけど無駄に禁欲的。先輩見たらかならず挨拶、椅子も前の方の1/3にしか座らない、マスピースだけで数十分、へたすると1日マウスピースだけで練習する、延々ロングトーン、曲はそのときに演奏してる曲だけ、とか馬鹿みたい。
特に上下関係ではもうかなり苦労したです。私はふつうにしていてもなんかどうも生意気に見えるらしくてねえ。まあかわいがってくれた先輩もいたんだけどね。
小学生のころからなにかあるとまず本を読んで知識をつける子どもだったので、トロンボーンの練習法についていろいろ本読んだりもしたな。そういうのと部活での練習がぜんぜんちがっていて苦痛だった。
2年生ぐらいになると、美音の先輩がいなくなり、トロンボーンの3年生がいない状態になって1年生や同級生と自分たちで練習メニューを決めるようになって、これは少したのしかった。みんなでいろんなキーでスケール練習して、I- IV -G – Iとかのカデンツ吹いて「いいハーモニーだ!」みたいな。トロンボーンの魅力はその分厚いハーモニーですよ。
まあ正直私がはいったときのその部活はもうぜんぜんだめで、ティンパニのチューニングさえできない感じだったと思う。1年の夏にティンパニの3年生女先輩と二人でチューニングについて研究したのはよい思い出だ。私の方が耳がよいしあれなので、チューニングのしかたを教えたり。チューニングは教えましたが、チューは教えてもらってません。ははは。あとバスクラの先輩がなんか意味なくうちに遊びに来たりしたな。ははは。
2年生後半からはもちろん指揮者。とにかく他の楽器の子もチューニングさえできない状態だったのでそれの重要性をあれして、ハーモニーの練習いろいろやったな。3年生では自由曲はフィンランディアやったんだったかな? けっこうよかったと思うけど、きれいにやるのを目指すあまりちょっとこじんまりして元気がなかったかもしれない。
高校生の定期演奏会みたいなのも聞きにいって、「愛のコリーダ」とか「愛するデューク」とかやってるの聞いていいなあ、とか。そういうの好きだったんよね。
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