尊敬するスージー鈴木先生の『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者をたたきよる』を読んで、私も子供のころの曲でも聞いて人生をふりかえりたい還暦。 スージー先生は1966年生まれで私より一学年下みたいですね。それにしても同時代。地域は都会の大阪(でもどろくさい天王寺とかあっち付近?)、私は山形の寒村なのでそういうのはちがうけど。
とりあえず1975年ぐらいからスタートしますか。1975年、私は10〜11才、小学校3〜4年生ですか。
走りながら↑ここらへん聞いてみたり。あと前から『青春歌年鑑』って偉大なコンピレーションは時々聞いてて、それはこんな感じですね。
上のアップルのプレイリストで一番印象強いのは「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」ですわね。この時代の「歌謡曲」はストリングスとトレモロマンドリンとか入ってるけど、「ヨーコ」はちゃんとロックしている、というか今聞いてもかっこいいロック。今聞いても非常に斬新な「ロック」で、この記事によれば元ネタはジェフベックだとか。私はスポークンブルースみたいなのはよく知らんのですよね。ルーリードの「ワイルドサイド」やギルスコットヘロンの「ザ・ボトル」かな、とか思ってた。歌詞も非常によくて、「なんなのさ」をくりかえしたあげくの最後の「あんた、あの子にホレてるね?」はほれぼれする。それにしても、主人公というか聞き手はヨーコの行方を追跡してどんどん近づいてって、最後はギターが暴れてパトカーの音で終る、っていうのは非常にヤバイ展開を連想させますね。最初から延々やるギターのリフはドキドキしている鼓動のようでもあり、暴力の予感のようでもあり。 実はストーカーの歌ですか。気づきませんでした。ヨーコさんはこの男から逃げていたのです。おそろしいですね。
あと、桜田淳子先生のヒット「はじめての出来事」に「あなたには何気ない事件でも私は世の中が変わるほど大きな出来事だったのよ」って歌詞があるんだけど、これ、私が大好きな岡真史少年/高橋悠二先生の「みちでバッタリ」の元ネタであることに気づきました。それだと「でもぼくにとって/これは/世の中がひっくりかえる/ことダヨ」になってる。岡君(1963年生まれ)は天才。
実は私にとって1975年を代表するのはアリスの「今はもうだれも」じゃないかと思うんだけど、まあこれについてはまた(この曲はAppleのプレイリストでは1976年にまわされてました)。
このころ、小学3〜4年生の江口少年がなにをしていたかというと、なにをしてたんでしょうね。空き地でキャッチボールや野球の真似事みたいなのしてましたね。父親が野球好きなんでキャッチボールはずいぶんつきあってもらった。あとなんか盆栽とか朝顔とか押し花とか挿し木(つつじと椿)とかそういう植物関係かな?それは3年生ぐらいまでか。3、4才上の従兄弟の影響で『ラジオの製作』を読むようになり、3年生後半ぐらいから電子工作の世界に目覚めて、トランジスタ1、2個の工作してた気がします。例の電池で「ビリビリ」感電させる玩具とか。あと銅板買ってきてエッチングみたいなので回路基盤作ったりもしてた気がする。町に一軒だけ部品屋さんがあって、そこであった少年と顏は知ってるけど名前知らないのでおたがいに「おたく」と呼びあってたオタク第一世代。キットで小さなAMラジオつくったかもしれないです。中古の短波ラジオ買ってもらって、BCL(海外ラジオ受信)もはじめたかもしれない。BBCのベリカードはもらったはずです。
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