まえのクリッツァーさんの『モヤモヤする正義』の続きも書きたいのですが、けっこう関連があり、かつ問題があるように私には思える記事があったので、それにコメントしておきます。
弁護士JPニュースの「“男性特有の匂いが嫌い”や“おじさん詰め合わせ”は「差別発言」指摘も…男性への「ヘイトスピーチ」とはいえない明確な理由」です。
すでにツイッタじゃなくてXには書いたのをまとめて加筆しておきます。
大前提として、アナウンサーやタレントの人の「職場の男性の匂いや不摂生してる方特有の体臭が苦手すぎる」や「おじさんの詰め合わせ」といった発言はおそらく普通理解されている「ヘイトスピーチ」ではないでしょうし、男性差別といえるものかどうかは私は判断しません。おそらく男性差別的なものだとしても、そんなに不正・悪質なものではないだろうと思います。そしてそうした発言をもとに、職業を奪ったりするキャンセルカルチャーにはあくまで反対です。これは前提ね。
さて、私が見るところ、この記事は以下のような構造になっています。(私が読みとれた骨組です)
- 上にあげたような女性たちの発言を「男性へのヘイトスピーチ」とかいう連中がいる
- 「ヘイトスピーチ」の正しい意味(定義)はこれでこれである
- したがって上にあげたような女性の発言はヘイトスピーチではなく、連中の言葉づかいはまちがってるばかりか、連中の勉強不足やマイノリティの苦境に対する無関心を示している
- そんな連中はおかしい連中なので、話を聞いても無駄である
私には信じられないような主張ですが、かなり好意的に読んでも実際こうなっていると言わざるをえない。したがってコメントせざるをえないと考えました。
さて、「ヘイトスピーチ」ってなんですか、という話ですが、この記事では、法務省や国連の定義をもちだします。
ヘイトスピーチの法務省の定義は次のようなものだそうです。
特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に、日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの一方的な内容の言動
したがって、この意味では「男性に対するヘイトスピーチ」はありえません。
国連の定義は次のようだそうです。
ある個人や集団について、その人が何者であるか、すなわち宗教、民族、国籍、人種、肌の色、血統、ジェンダー、または他のアイデンティティー要素を基に、それらを攻撃する、または軽蔑的もしくは差別的な言葉を使用する、発話、文章、または行動上のあらゆる種類のコミュニケーション
これだと、場合によっては男性に対するヘイトスピーチも可能性としては一応ありえる、と。ここまでは問題ありません。
言葉の定義には「理由」と「目的」がある
次の節で説明されるのは、ある言葉を定義するときには、その目的があるのだ、ということです。
https://yonosuke.net/eguchi/archives/15686 にも書きましたが、定義をおおまかに分類すると、辞書的定義、規約的定義、明確化定義、理論的定義、説得的定義などがあります(分類は排他的ではない、つまり重複することがあります)。
辞書的定義というのは一般の人が使っている言葉を辞書に載せるような形で定義することですね。この場合は定義の目的は人々が何を言っているのかを理解することです。あたりまえ。
上の法務省や国連の定義は、まずは 明確化定義 であると考えられます。たとえばある種のスピーチを、法や政策によって規制したり少なくするように対策したりするためには、その対象を可能なかぎり狭く限定する必要がありますからね(言論の自由は大事です!)。したがって、法や条約では必ずといってよいほど言葉の定義がなされます。また、それは 規約的定義 でもある。「今後、この一連の話では「ヘイトスピーチ」をこの限定された意味で使いますよ」と宣言してるわけです。明確化定義なのか規約的定義なのか、ということはここでは問題ではありません。
さて、法務省や国連が「ヘイトスピーチ」を定義する 第一の 目的は、まさに、法の対象を限定することです。しかしこれじゃあたりまえすぎる。法務省や国連の立法や条約や宣言の そもそもの目的 はなんだろう? それはとりあえずは人々の平等を達成し、法的・社会的差別の害悪を軽減することですね。「ヘイトスピーチ」は特に人種的な差別を扇動するものであり、社会に害悪を及ぼす傾向があると考えられているために、それをターゲットにしているわけです(ただし人種に限られる必要はない)。たいへんもっともな話です。
ところでみなさん、上の法務省と国連の定義には 「マイノリティ」の語は入っていない ことに気づきましたか?
堀田さんと編集部は、そのあとで、師岡康子弁護士の定義をとりあげます。
「ヘイト・スピーチとは、広義では、人種、民族、国籍、性などの属性を有する マイノリティの 集団もしくは個人に対し、その属性を理由とする差別的表現であり、その中核にある本質的な部分は、 マイノリティに対する 「差別、敵意又は暴力の煽動」……、「差別のあらゆる煽動」であり、表現による暴力、攻撃、迫害である
おそらく堀田さんたちは、法務省や国連の定義の目的は「マイノリティの保護」にあるのだ、と言いたいのでしょう。堀田さんはそれを歴史的経緯から説明します。日本で問題になったのは在日朝鮮人に対する差別であり、アメリカではアフリカ系アメリカ人や女性・性的マイノリティに対する差別が問題だったのだ、と。だから師岡先生のように 「マイノリティに対する」 という文言を入れることは正当なのだ、と言いたいのでしょう。
でも、実際には法務省のにも国連のにも入っていません。つまり、堀田さんたちの定義(実質的には師岡先生の定義)は、堀田さんや師岡さんの一つの「解釈」あるいは定義の「提案」なのです。したがって、それがただちになにか重要な効力をもつものでは ない 。むしろ、堀田さんたちは自分たちで法務省や国連とは別に規約的定義をおこなっているのです。師岡先生や堀田先生は明確化と同時に、 理論的定義 も同時におこなっているかもしれません。つまり、ヘイトスピーチが悪であり場合によっては規制されるべきなのは、それが マイノリティに対する 攻撃であるからだ、のように(そしておそらく 説得的定義 もおこなっていますが、今回はこの点は説明できないのでつっこみません)。
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