ジョーカー:フォリ・ア・ドゥはこういう終り方だったらよかったのに

映画はほとんど見ない老人なのですが、見てしまうとあれこれ反芻して考えちゃうタイプです。今回はジョーカーフォリアドゥとかってやつをうっかり見てしまい、全体としてはたいへん楽しんだのですが(特に裁判所でのゲイリーとのシーンは最高でした)、判決以降のところが残念な感じだったのでどんなエンディングがよかったのかなあ、みたいなのはずっと考えてしまいます。

「フォリアドゥ」とはいうものの、別に二人のあいだに特別ななにかがあるわけじゃないわけすよね。どっちもたいして狂ってないし。ガガ様の役(リー?ハーレイ?)は、ルックスはとても魅力的ですが(実はガガ様が出演しているとは知らずに「すごい魅力的な役者だな」って見てました。歌もダンスもミュージカル俳優としては下手だし新人女優かな、みたいな)、脚本が薄くてまともな人格が感じられないし。ガガ様にはもっとちゃんと凶悪で悪辣な女性を演じてほしかった。

なにより、二人の心理的な関係の描写が薄いし、ガガ様が裁判シーン以降、簡単に退場してしまうのがよくありません。再開してのシーンもたいへんよくありません。なんか脚本に不備がある、というよりなんらかの制約があって(特にガガ様の役の周辺の描写に制約ありそう)、ああしかしょうがなかったのかな、と思って見ました。

ではどうすればよかったのか。一つの道はガガさんに狂気を見せてもらうことです。この場合は、ガガさんに実際にアーサーの頭か腹をぶち抜いてもらうとか、そういう方向になりますね。

もう一つは、アーサーにちゃんと狂ってもらう(ついでにガガさんにも狂ってもらう)。この道が一番自然で、脚本も最初はきっとそうなってたと思うんですよ。

具体的には、裁判終了 → 判決 → XX (ネタバレ回避)→ (こっから私の妄想)このあとにアーサーがジョーカーメイクしているチンピラに拾われる → 「あんた本物か!」→ 「とりあえず連れてってくれ、メイク道具もってるか?」っていって部屋に連れていってもらい、メイクして出てきてチンピラをまず殺す。ぜひ殺してください。

→ ガガ様となんかの形で会って合流、車の上で二人で群集を煽って暴れる → テレビカメラが来たところで二人で歌って踊る(近所の階段がいいですね) → 群集大喜び、ガガ様と二人で演説、ガガ様が一番盛り上ってるところで、アーサー=ジョーカーがみんなの前でガガの頭なぐって倒してけとばして、土下座して命ごいするガガの頭を拳銃でぶち抜く。あ、これの前になんかアーサーとガガ様のやりとり入れないとだめですね。あと病院内部の話もやっとかないとならんし。どうするんかな。まあちょっと難しいけどなんとかなるでしょう。

とりあえずそこらへんなんとか処理して、最後はガガ殺したアーサー=ジョーカーが民衆とテレビの前で突然メイク落として真顔になって、チャップリンの『独裁者』の感じでアーサー=ホアキンフェニックスが「暴力はやめろ!ジョーカーの真似なんかするな!理性的に話しあえ!エンターテイメントに踊らされるな!」とかマジな現代のアメリカの映画界批判・政治批判も含めた演説を10分ぐらいやって、でもやっぱり自分の頭ぶち抜いて終了。

どうでしょうか。

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