翻訳ゲリラ:スティーブン・ドレイク「まだ死んでないぞ!」

この文書は Stephen Drake, “Not Dead Yet”, in Jerey A. Schaler (ed.), Peter Singer Under Fire: The Moral Iconoclast Faces His Critics, Open Court Publishing, 2009を江口が無許可で試みに翻訳したものである。著作権関係を処理していないので配布には注意してほしい。現段階では荒い試訳にすぎない。

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スティーブン・ドレークは米国障害者団体 Not Dead Yet (http://www.notdeadyet.org/)のリサーチアナリストである (http://www.notdeadyet.org/staff)であり主要なスポークスパーソンを務めている。


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この文書はStephen Drake, “Not Dead Yet”, in Jeffrey A. Schaler, Peter Singer Under Fire: The Moral Iconoclast Faces His Critics, Open Court Publishing, 2009 を江口聡eguchi@kyoto-wu.ac.jp が無許可で試みに翻訳したものである。著作権関係を処理していないので配布には注意してほしい。現段階では荒い試訳にすぎない。

スティーブン・ドレークは米国障害者団体Not Dead Yet (http://www.notdeadyet.org/) のリサーチアナリストである(http://www.notdeadyet.org/staff) であり主要なスポークスパーソンを務めている。
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\vspace{1zw} これから、プリンストン大学が雇用しているある人物の著作についての主張をおこないたい。それは侮辱的で、ショッキングにさえ見えるかもしれない。彼の著作は広く尊敬されており、そのテキストは世界中の大学の教室で標準的なテキストとされている。ピーター・シンガーとその著作とをディフェンス弁護するスタンダードなやり方は、それらがどんなに不快に思えても、それは知的な完全性と厳密性をそなえている、といったものだ。これがピーター・シンガーにテニュア終身在職権を与えた「プリンストン・ディフェンス\footnote{訳注:プリンストン・オフェンスというバスケットボールの戦術がある。}」なのである。

つまるところ、こうした弁護こそが、私が挑もうとしているものだ。ピーター・シンガーの著作は、安楽死や新生児殺し、「\ruby{人であること}{パーソンフッド}」{\——}ある種の人間は人であり、ある種の人間は人ではないとする考え方{\——}に関する限り、ぞんざいで不可解なものであり、不誠実でさえある。公平に言って、生命倫理学という領域では、こうした性質はシンガー独自のものではない。生命倫理学はその囲いのなかにいるプロフェッショナルに対して、知的な完全さや誠実さをもとめるような領域ではないのだ。

この主張に移るまでに、過去に、\ruby{学界}{アカデミア}と、自分が進歩派だと思いこみたい人々とが、社会的な\ruby{政治的課題}{アジェンダ}を、理性と合理性と科学という見せかけののもとに本気で奉じていたことを示したい。特に、この国(米国)における優生学運動を考えてみよう。20 世紀の初頭、いまでは信用を失なった優生学運動はとてつもなく強力だった。運動のリーダーたちは、社会の病は悪い遺伝子をもった人々によって引き起こされていると「証明」したかった。優生学は、金持ちと権力者たちに与えてくれたのは、自分の地位はよい血統の自然の結果だと見ることができるという恩恵だ。有力大学は優生学について教室で講義した。いま見れば笑うべき論理によるテキストが、この科学の厳密さと、その社会問題への恐れ知らずの適用のために尊敬されていた。

運動の主要なゴールの一つは、「\ruby{不適者}{アンフィット}」とされた人々の義務的断種手術だった。もう一つは国内で犯罪や売春、アルコール問題などの源とされた低能(feeblemind) と呼ばれた人々の強制的隔離だった。優生学運動には、重度の障害を負った人々の根絶というさらに大胆な政治的課題を掲げる人々もいた。その一人は、障害を負った新生児を殺していると公的に宣言し、20 世紀初頭に一時的に有名になったシカゴの医師、ハリー・ハイゼルデン(Harry Haiselden) である。

シカゴにはまた別の活動家もいた。1922 年、シカゴ地方裁判所のサイコパス研究所による大部の優生学の書物である。この裁判所の主席判事ハリー・オルソン(Harry Olson) によって書かれた序文をこの本から引用しよう。

\begin{quote}
もし仮に断種が実施されているとしても、なお隔離は必要である。断種は将来の世代を守るものであり、隔離は現在の人々を守るものだ。
\end{quote}

オルソン他の努力にもかかわらず、イリノイ州は義務的断種法を成立させなかった数少ない州の一つだった。しかしながら、彼らは隔離というゴールについてはすばらしくうまくやった。現在のイリノイ州の学校組織の構造や、施設に押し込められている人々の数を見れば、非常に悪しきアイディアが非常に長い生命を保っていることがわかる。

私はピーター・シンガーが新種の優生思想家だと言おうとしているのではない。私が立証したいことは{\——}手短にいって{\——}―悪しきアイディアが広く尊敬されていた立派な先例があるということだ。優生思想家が成功し尊敬されたのは、彼らの主張が、他の白人の特権階級の専門化たちの偏見を増強するものだったからだ。その結果、彼らのあやふやな根拠にもとづいた主張と政策提言が、今思えばもっとよくわかっているべき多くの人々に批判されないままになってしまったのだ。

そしていまでもある人々は、こうした古き悪しきアイディアを、新しいレトリックと新しい形式につつんで再生させようとしている。米国では、『ベル・カーブ』が、知性の遺伝的決定論と人種格差に関する主張を再生させるてベストセラーに入った。健全なことにも、この本は数多くの分野の研究者によって非難された。この本では、知性と人種と遺伝学について、根拠のない断言をおこない、不完全でバイアスのかかた研究事例を用いられていた。この本がどんなにあやふやなものであろうとも、学ばれるべき本当のメッセージは、こうした科学と合理性の仮面を被ったイデオロギーの最新作を受容しようとする潜在的な聴衆が存在していることなのだ。

ピーター・シンガーが一身に受けている尊敬も、同じ土台の上に建てられたものだ。シンガーの著作は注意深く組み立てられている。彼は選びぬかれた「権威」の物語と知恵とにひどく頼りきっている。世界はさまざまな物語によって埋めつくされている。物語を用いるとき、ある疑問がつねに浮びあがるはずだ{\——}「なぜこの物語が選ばれたのか?」「取りあげられなかった物語はあるか?」「提唱されている結論や政治的課題をひょっとしたらくつがえすような他の物語はないだろうか? それはどういうものだろうか?」。

シンガー教授と私が直接対面した唯一の場で、彼は意味深いコメントをした。それはシカゴのプライベートスクールでの会合で、そこが遅蒔きながら、そこで講演をおこなったシンガーへの対立視点としてNot Dead Yet を招待したときのことだ。学生への講演のなかでシンガーは、生命倫理学は「物語」に頼りきっている領域だと述べた。また、「脳死」は生命倫理学者が公衆に売りつけた一つの物語だとさえ述べた。

シンガーの本やあるいは他の多くの偉大なる生命倫理学のテキストを読んだ人なら誰にでも自明なことだろうが、この自白をおおやけにしておくのは役に立つことだろう。生命倫理学で使われている―――そして誤用されている―――物語の多くには、障害を負った人々が登場する。

ジャック・ケヴォーキアン(Jack Kevorkian) の経歴はさまざまな仕方で語られる。シンガー教授はケヴォーキアンを賞賛の言葉で述べたてたことがある。おそらく「ぞんざいさ」の事例として挙げられる事例の一つになるだろうが、シンガー教授はケヴォーキアンの手によって死んだ人々を「末期的に病気である」と記述した。事情に詳しくない人々のために書けば、ケヴォーキアンの死体統計のなかで、言葉の普通の理解で「末期的」であった人はほんの少数派でしかなかったことを示す資料が大量にある。ラジオ番組でこのことを突き付けられると、シンガー教授は、私の見るところ本気で驚くべきことを表明した{\——}それでも彼は「すべての」人々はケヴォーキアンによって注意深く検討されたのだと主張することを止めなかったのである。そもそもケヴォーキアンのところに行った人々が医学的状態がどんなものであったかについて十分正確に知らないのに、そんなことを言うのはきわめて侮辱的だと私は指摘した。実際のところ、ケヴォーキアンが自殺を幇助するために人々を選ぶのに、彼自身の基準にさえ従っていなかったことは十分記録に残されている。

この本\footnote{訳注:この論文が収録されている\emph{Peter Singer under Fire}。}の読者の多くは、ピーター・シンガーの『生と死の倫理』(1994) の次の文章はよく知っているは ずだ。

\begin{quote}
私たちはダウン症の子どもがギターを弾いたり、SF 小説の鑑賞能力を発達させたり、外国語を学んだり、最新のウディ・アレンの映画についておしゃべりしたり、立派な陸上選手やバスケットボール選手やテニス選手になったりすることを期待することはできない。
\end{quote}

この一文の正確さやバイアスに対する批判は、数えきれない数の個人および団体から提出されている{\——}ほとんど出版のその日からといってよいほどだ。こうした批判には2000 年までには十分な数の人々が参加して、シンガーはそろそろ譲歩するころだろうと思われたのは確かなことだ。しかしこの本の重版と、事実の正確さについての免責条項がつけ加えられなかったことからすれば、シンガーが古い偏見とステロタイプを捨てさるには難しいものだと思ったのは確かなことだ。あるいは、結局のところ、事実的正確さや厳密さは、障害を負った人々について話し書くということにあれば、彼の政治的課題のなかではたいして重要な位置を占めて いないのだろう。

物語に戻ろう。『生と死の倫理』において、シンガーは特定の物語に{\——}自分自身が言うように{\——}頼りきっている{\——}インディアナのベビー・ドゥ(Baby Doe)\footnote{訳注:判決文などが新聞・論文などで議論されるときは匿名化のための姓に替えて「ドゥ」が使われる。「某」。}とジョン・ピアソン(John Pearson) の物語だ。どちらもダウン症の新生児だった。どちらのケースでも、両親がそれぞれの新生児の死の要求をはじめ、擁護し続けた。かなり標準的な補正手術を必要としていたベイビー・ドゥは飢え、脱水症状を起こして死んだ。ジョン・ピアソンは過剰な麻酔剤を投与されて殺された。

これらの物語が選ばれたのは偶然ではない。現実に、障害を負った新生児を殺すことを両親が懇願するといった例を探すときに、とても狡猾な選択がおこなわれているのだ。ふつうの場合、医者がそうしたアイディアを提出する。シンガーが、ニュージャージー州のベイビー・ジェーン・ドゥの物語を使わなかったのは印象に残る。これはインディアナ州のベイビー・ドゥが殺された翌年に起こったケースである。インディアナのケースも、ニュージャージのケースも、シンガーが『生と死の倫理』の「謝辞」で情報源として挙げた本のなかで詳しく述べられている。グレゴリー・ペンス(Gregory Pence) による『医療倫理の古典的事例』\footnote{グレゴリー・ペンス、『医療倫理:よりよい決定のための事例分析』、みすず書房、2001、2002。}と題されたこの本は、新生児殺しとそれに関連する問題の複雑な議論のために推奨できる数少ない生命倫理学のテキストである。

ジェーン・ドゥは二分脊椎症で生まれた。最初から意見の対立があった。外科医は赤ちゃんをすぐに治療することを推奨した。一方、小児神経科医は両親に対して、両親の選択は、赤ちゃんが治療されずにすぐに死ぬことになるか、あるいは、治療してより長く苦痛に満ちた生活を送るか、の選択であると伝えた。外科医はこのケースから降り、両親は、小児神経科医が構想した選択にもとづいて、治療しないことを決定した。

この物語はおおやけになった。生命に対する権利運動で活動しているある弁護士が、赤ちゃんのために治療を強制するよう州裁判所に提訴した。裁判の結果、赤ちゃん(の利益)のために訴訟後見人が任命された。訴訟後見人は、小児神経科医が書いた記録を発見したが、これはヒアリングでの彼の証言と矛盾するものだった{\——}少なくとも二つの重大な医学的な詳細について。言いかえると、この医師は、証人席で嘘をついたのであり、明らかに両親にも嘘をついたのである。けっきょく、数回のヒアリングののちに、意思決定は両親に差し戻された。ししかしこれらのことが生じている間に、両親は考え方を変えた。両親は赤ちゃんのために手術と治療を要求したのである。5 年後の追跡記事によると、キリ・リンは幸せな子どもになった。小児神経科医が両親に予想させたような、苦痛に悩む意思伝達のできない子どもとはほどとおい結果になった。

この物語の情報源であり、シンガーが『生と死の倫理』で利用したグレゴリー・ペンスは、ジェーン・ドゥーのメディアへの登場の仕方を検討している。ペンスによれば(実は彼は障害者の立場に友好的とは言えないのだが)、メディアの取り上げ方は、不正確であり、すべてジェーン・ドゥーの死を支持する方にバイアスがかかっていた。死を擁護した小児神経科医の意見表明は事実としてとりあげられ、生命を擁護した訴訟後見人は、ペンスによれば、狂信的であるとして退けられた。ピューリッツァー賞をとったジャーナリスト{\——}バイアスの源であった{\——}のこのケースに対する皮肉とばからしさをペンスは指摘している。シンガーがこの物語を現在まで取りあげていないことになにか驚きがあるだろうか?

事実はこうだ。ピーター・シンガーのいわゆる実践倫理は、現実世界にほとんどなにも接点をもっていないのである。現実世界は、それにもとづいて行動しようとする偏見をもつ医者に満たされており、また彼らは自己防衛のために嘘をつき、自分のプロフェッション職業や実践に対する管理監督をおこなおうともしていないのだ。ここに、現実世界の一部を挙げておこう。こういうものがピーター・シンガーの本には出てくることはないだろうし、近い将来に生命倫理学の主流のテキストにも現れることはないだろう。

\begin{itemize}
\item 2001 年の公式調査によると、ロンドンのロイヤル・ロムプトン病院(Royal Brompton Hospital) は、ダウン症の子どもに対する手術はそれに見合う価値がないと信じており、この子たちを差別していた。

\item 1998 年、合併障害の子どものデヴィッド・グラス(David Glass) の親族が肺炎で病院にいた。病院スタッフは家族に、デヴィッドは死につつあると説明し、治療を控えたうえで、モルヒネを投与し、それが彼の呼吸をさらに抑制した。家族の数人が、治療の再開を求めてスタッフと文字通り格闘した。彼らは逮捕されたが、デヴィッドは治療を与えられ、家族のもとでまだ生きている。暴行で起訴された家族はほぼ1 年刑務所で過すことになった。医療スタッフにはなんのペナルティも与えられなかった。

\item 障害者コミュニティでは、いわゆる「オクラホマ研究」(Oklahoma Study) が悪名高い。このオクラホマ州の「研究」は1970 年代におこなわれた。24 組の両親が子どもについて不正確な情報と、非治療の勧告を与えられた。不正確な情報を与えられ、病院によって操作されていたことを知り、非治療についての考えを変えた2 組の親たちが訴訟を起こした。彼らは最高裁に至るまであらゆる訴因で敗訴した。この研究については、シンガーが書いたものも含め、実質的に主流の生命倫理学のテキストは一切触れられていない。なぜか不思議に思うだろうか?
\end{itemize}

こうしたことは障害者団体の支持者や活動家、研究者たちにはなにも驚きではない。医療従事者たちは、障害者自身はもとより、一般人よりもさらに障害に対してよりネガティブな態度を抱いているということを示す一貫した研究結果がある。医療従事者たちは、自分の偏見が「客観的」であると信じており、そしてこれこそ シンガーやその仲間たちによって支持され広められているフィクションなのだ。

私たちの信念の一部にあるのは、ほとんどの生命倫理学者が口に出さないゴールの一つは、医療関係の職業の評判と権威と地位を守ることだということだ。こうしたことを疑問に感じさせるような物語は分析されるどころか、論議されることもない。もうひとつ、ここで議論しておく価値のある、物語の組立の一側面がある。この章で書いた他のことより、ここでとりあげるトピックの法がより多くの批判を受けてしまうのではないかと思っている。それは、シンガーの母親についての物語だ。シンガーのプリンストン大への就任に際して、報道はシンガーの母親の状態を風聞で嗅ぎつけた。彼女は痴呆症のかなり進んだ段階にあった。ほぼまちがいなく、シンガーの母親はもはや「\ruby{ひとの地位}{パーソンフッド}」をもはやもっておらず、シンガーは一見した矛盾について尋ねられることになった。

たとえばここに、彼がマイケル・スペクター(Michael Specer) に話したことについての『ニューヨーカー』の記事がある\kenten{訳注:おそらくhttp://www.michaelspecter.com/1999/09/the-dangerous-philosopher/}。

\begin{quote}
シンガーは、もしそれが母親が望んでいることだとしても母親を殺すことはけっしてないだろう。シンガーは私に、彼はジャック・ケヴォーキアンの死ぬ人を手伝う試みを信頼していると言ったが、そうしたシステムは患者がまだ自分の願いを表明できる場合にのみ機能するとも述べた。
\end{quote}

シンガーは、この時期さまざまなレポーターにたずねられこの種のテーマについてなんども繰り返している。結果として、オプ・エドとエッセイには、彼を偽善者だとして非難するか、あるいは彼が母親の生命を終らせないのは、彼の倫理的見解が彼自身にとってさえそれにしたがって生きるには過酷すぎることの証拠だとする記事があふれることになった。

米国の障害者団体とプロライフ集団の両方から攻撃を受けた際に、彼をもうすこし柔らかく人間らしく見せる道具になった二つめのテーマは、公衆の注意を引きつつあった。

少なくとも、シンガーがロナルド・ベイリー(Ronald Bailey) に『リーズン』(Reason) 誌のインタビューで答えたところによると\kenten{訳注:おそらくhttp://reason.com/archives/2000/12/01/the-pursuit-of-happiness-peter。}、これは物語の\kenten{すべて}ではないことが明らかになったのである。『リーズン』の読者は限られており、一般大衆よりシンガーの世界観に好意的である。最初の一群の報道のたとに、この専門家層の読者に対して彼が述べたことがベイリーによってレポートされている。

\begin{quote}
単一の原則に固執すれば、自分が仕掛けた爆弾にやられてしまうことになる。シンガーの母親は重度のアルツハイマー症に苦しんでおり、もはや彼の基準によればパーソンではない。しかし彼は母親のケアにかなりの額を費している。この一見したところの彼の原則の間の矛盾は、メディアによって見逃されなかった。この7 月に彼のマンハッタンのアパートでおこなわれたインタビューで私がこの件についてたずねると、彼はためいきをついて、自分だけが母親についての決定をおこなっているわけではないと説明した(彼には姉(妹?)がいる)。もし彼だけに責任があるのであれば、母親は今日生きていないかもしれないと彼は語った。
\end{quote}

シンガーの物語の両方ともが真実であることはまったくありそうなことだ。家族生活は複雑である。しかし、この二つ目の方の物語が米国の大衆に紹介されなかったのは興味深いことである。すくなくとも、この話が伝えられれば、多様な方面からさまざまな{\——}より共感的でない{\——}コメントが寄せられたことだろう。これがよくよく考えられた上での選択かもしれないという考えに抵抗する人々にとって、シンガー教授は、生命倫理に関する本を特徴づける論争術に加えて、「動物の権利」運動家たちの路上パフォーマンスとも親和性があることを覚えておくのがよいだろう。

シンガー教授が言論圧殺された(silenced) と不平を述べたとき、「言論圧殺」という言葉が奇妙なしかたで使われている。自分の理性的で、感情的にならない議論を自慢におもっている人間には非常に奇妙なはずだ。彼にとって、講演の約束をキャンセルされることが言論圧殺されることと同等なのだ。

障害者コミュニティにいる私たちは、「言論圧殺」とはなんであるかよく知っている。ルス・クーパードウダ(Rus Cooper-Dowda) は医師と夫によって言論圧殺される寸前だった。彼らは彼女が意思を伝えようとしていたのに無視し、彼女の生命をいついかにして終らせるかを議論していたのだ。ジェームズ・ホール医師(Dr. James Hall) もすんでのところで言論圧殺されるところだった。彼と意思を疎通させ生命維持を中止するのをやめさせるため、彼の友人たちが、時間や医療スタッフのあからさまなあざけりと戦ってくれたのだ。医療従事者たちによって誤って意識がないと思いこまれている障害者たちがいるのだ。

また別種の言論圧殺もある。ここ数年、テリー・シャイヴォ(Terri Schiavo) の命日付近には、生命倫理学の会議やシンポジウムが開かれてきた。裁判所が命じた脱水症状による彼女の死に対して20 を越す全国的障害者団体が反対してきたのにもかかわらず、米国中のこうした集りに障害者の代表者は誰も招かれなかったのだ。

私たちはこれまでやってきたことを続けるつもりだ。限られた資源を使って、金と権力と名声によって裏づけられた偏見のかたまりに対して戦いを挑む。多くのケースで、私たちが無視され周辺化されるだろうということはわかっている。しかしそれでも私たちは、もっているもので戦う{\——}経験、情熱、そして知識。これでは十分ではないかもしれない{\——}この国で非同意の不妊手術の犠牲者となった6000 から7000 人の障害者にとって十分ではなかったことはわかっている。しかし、しかし戦わなければ、次第に組織化されつつある、私たちの命の全一性(integrity) や尊厳や価値に対する暴力に受け身のままで参加することになる。こうした選択肢は受けいれられない。私たちは沈黙しない。サンキュー。

「世界で一番危険な男」というフレーズを使うことは、Not Dead Yet 会長のダイアン・コールマン(Dian Coleman) がはじめたと誤って広く信じられている。Not Dead Yet によってピーター・シンガーを描写するのにもっともよく使われるのは、「氷山のみっともないてっぺん」だ。シンガーは他の主流派の同僚たちより目立って耳ざわりだが、(少なくとも米国の)生命倫理学のもっと広いエリアでは合意と運動がたっぷりとある。もし生命倫理学が氷山だとしたら、私たちの社会という船をうまくカジとりして回避できることを期待することにしよう。というのはまさにいま、生命倫理学者たちは救命ボートに誰が乗れて誰が乗れないのかを決めようとしているからだ。これは障害者にとってはよい知らせではない。特に知的な障害をもっている人びとにとって。

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