翻訳作業と私

去年の夏とこの夏は、ラジャ・ハルワニさんの『恋愛・結婚・セックスの哲学』っていうかなり大きな本の翻訳やって終ってしまいました。夏は翻訳に手間とられることが多いのよねえ。いままでやったことを反省したり。

いちばん最初に出版されたのはこれかな? これはM2のときにたいへん怖い先生が研究室に君臨して、このMoral Thinkingっていう本が最初に先生に教えてもらったものですね。たいへんすばらしい本で、人生変わりました。そのあと山内先生にもヘアの授業してもらったんですわね[1]これについてここに書けない話もあるんだけど。。教えていただいた先生がたには感謝かぎりなし(ヘアに限らず、大学・院で教えてもらった先生たちにはほんとうに恩義を感じています。百万遍は少人数の演習科目がたくさんあってすばらしかった。)。たしか1992年ぐらいから「翻訳するぞ」ってんで作業はじめた気がする。もちろん下手だしちゃんと読めてないしで、監訳の山内先生と怖い内井先生にはものすごく迷惑をおかけしました。でもとても感謝しております。

よくわからないけど訳の方針については監訳の先生たちのあいだで若干意見の相違があったようで、山内先生はやわからくわかりやすく訳したいけど内井先生はきっちり原文に近い形で訳したかったんではないかな。結果的に内井先生の方針が通って訳文は若干硬くて直訳的な印象はあるけど、まあこういう分野の哲学というのは概念的な話やってるから直訳的じゃないと話がわからないところがあるのでやむをえない。

最近重版されたようでめでたい。もっと多くの人に読んでもらいたい。私は正直、メタ倫理学に関してはヘアの立場で十分でした。今でも十分だと思っています。

これはキェルケゴールで長年お世話になっている桝形公也先生の仕事。先生が海外とか出ていって、英語圏のキェルケゴール研究者と知り合いになり、主にその会合での発表原稿を翻訳したような感じ。まあこの本まで、古い本しか翻訳されてなかったので、英語圏のキェルケゴール研究を紹介するという点で意義はあったと思う。

作業は実は1990年から開始しているんだけど、1994年までかかっているのよねえ。論文2本担当したんだけど、そのうち一本は「こっりゃだめだ」ってんで同輩の田中一馬君に投げてしまった。

これは怖い先生の後任の加藤尚武先生の仕事。1章だけ。これはとてもおもしろい本で、いまだに読むに値するじゃないかという気はする。でもまだこういうタイプの哲学に慣れてなくてそれなりに苦労しました。

桝形先生の第二弾。まあちょっと一般向けじゃないねえ。キェルケゴールに関しては英語圏でも有名論文があるので、ちょっと古くてもそういうものを翻訳した方がよかったんじゃないかという気がする(いまとなっては)。

某プロジェクトに雇われて、なんかテキストぐらいないとやばいね、って話でやった本。基本的には私の仕事。これはそこそこ同業者の人から褒められたのがうれしかった。原書の版が新しくなったときにもう一回訳し直して出してもよあったと思うんだけど、某大将がもうやる気なくなってたみたい。私はそのころには情報倫理にはあんまり興味もてなかったからスルー。

これはすごく古い仕事で、実は『未来世代』のころにやってたんじゃないかと思うけど、出るまで5、6年以上かかってる。まあ我々子分が悪かったです。同様にシジウィックの『倫理学の方法』の訳もずいぶん時間をかけてやったんだけどいまだに出版されず……シジゥイックなんかかなりの人数でやったんだけど翻訳者の間でいろいろ人間的な問題もあったみたいで、翻訳は難しいです。いま某先生が最終的に手入れをしているはず。もうオンランで公開してしまえばいいんじゃないかと思ってるんだけど……大人数の作業はとにかく難しい。

尊敬するアニキ分(だと思ってる)の一人の樫先生の仕事。これはむずかしかった!もうすこしちゃんと理解して訳せればよかったんだけど……樫先生がきっちりしあげた(はず)。

これは私が自発的にやった数少ない仕事の一つ。とにかく日本の学者さんたちは「パーソン論」とかなんとか適当に紹介したり批判したりしているのに、まともに文献読んでないことに気づいたのでやらないとしょうがない。時間かかってしまって編集者に怒られが激しく発生しましたが、それなりに満足してます(とてつもなく時間かかったフィニスのは省いてもよかった)。重版もしてもらったし。みんな読んでください。

重要文献の翻訳作業はもうすこし積極的にやりたかったんだけど、私人脈が少ないのと、院生クラスの若者を翻訳にひっぱりこむのは当人の業績づくりの妨げになる可能性があって微妙なんですよね。これは若い人々におねがいした分が多いんだけど(優秀でした)、あんまりお願いするものではない、という感じもある。あともう一つ大きな反省があるけど、ここには書けない。

これも時間かかった。伊勢田先生の仕事。ほんとに遅れてしまったし、伊勢田先生が訳しなおすみたいな形になってしまってすみませんすみません。ウィリアムズは私には難しすぎました。言ってることはわかってもどう訳したらいいかわからない、みたいなのばっかり。

これもとてつもない時間がかかり、特に相棒役をやってもらった杉本俊介さんにはとても迷惑をかけ不快な思いをさせていまだに思いだすとつらいです。すみませんすみません。基本的には川名雄一郎さんと伊勢田先生が全体を見てるんだけど、各「ブック」ごとに責任者がいる感じ。もうあちこち不義理な感じでちょっと世間に顔出ししにくいくらい。

私の仕事が停滞した理由はいくつかあるんだけど、一つは「初版から最終版への修正まで反映する」っていう方針で、これはもう手がつけられない複雑さで苦しかった。反対したんだけどねえ。もうひとつはやはり用語の統一とかで、これも苦しかった。基本的に大きな本を訳す場合は、誰かが統一的な責任者として最後にぜんぶ一人で調整しないとならんのよね。大人数でやっているためにそうした統一とかでいろいろ難しい問題が生じてしまう。

私の個人的な問題としては、自分が大将じゃないとどうしたらいいかわからない、みたいなのがあるんよね。自分が大将なら自分が好きなようにできるのでまあなんとかなるけど、子分やるのはただでさえむずかしい翻訳がいろんな制約でさらに難しくなる。基本的には子分は下訳を作るだけで、絶対的な責任をもつ親分が半分以上の仕事をする、っていう形以外ありえないと思う。相談していては完成しない。まあいまやってるハルワニのやつは苦労といえば苦労だけど、最終的には私が調整しているのでなんとかなるかなあ。うまく出るといいなあ。でもページ数多すぎるのよね。

もう一つの問題は、翻訳には「完璧」がないってことだねえ。自分の論文(もどき)なら時間切れで終るわけだけど、翻訳は見てるとうまく日本語になってないところとか延々考えつづけてしまう。そういうのが我々の時間を蝕むというか。

まあ翻訳はちゃんと業績としてカウントされないにもかわらず、気にするべきことは自分で論文もどき書くよりずっと多くて報われることが少ないと思う。でも一回ぐらいはそういう作業をしてみて、自分の読み方や書き方がよいトラックにはまっているか確認することも必要なのかなあ、みたいな。

研究者としては自分で書きゃいいわけだけど、まあよい本があればそれを紹介するのも仕事なのかという感じもあり、出版はむずかしいですね。そしてグループ作業は難しい。

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1これについてここに書けない話もあるんだけど。

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