男/女/トランスジェンダーの定義 (6) ストック先生の「女性」概念についての論説

Kathleen Stock (2018) “Changing the concept of “woman” will cause unintended harms” のゲリラ訳。著作権的には黒なのですが、おめこぼしを願う感じです。 https://www.economist.com/open-future/2018/07/06/changing-the-concept-of-woman-will-cause-unintended-harms

すでにhatenademianさんという方の翻訳があるのですが、 https://note.com/hatenademian/n/nf73e538912ce 数カ所ちょっとだけ微妙なとところがあるので訳しなおしました(江口)


キャスリーン・ストック「女性という概念を変更することは意図しない危害をもたらす」

概念というものはなんのためにあるのでしょうか?最小限として、それは物事を有用なグループにカテゴリー分け〔分類〕するためにあります。概念は、何があるグループに含まれ、何が含まれないかを教えてくれるものです。たとえば、本は普通はお皿というカテゴリーには含まれません。こうしたことは、なにか悪意に満ちた意味で「排除的」ではありません。

一部の哲学者は「概念分析」ということをおこなっています。おおざっぱに言って、私たちの現在の概念の使い方とそれが含むところものもの〔含意〕を調査することです。「トランス女性は女性である」というセンテンス〔文〕に注目してみましょう。時折、こういうことが言われます。この文で表現されていることは、「女性」という概念の現在流通している含意として、すでに広く受けいれられていることだ、と。たしかに、一部の論者はこれを心から受け入れてしまっています。しかし、私が思うには、このような用法はまだ説得的であるほどには広まっていません。ほとんどの人はトランスの人々が望む代名詞や名前を使いますが、おそらくそれは、他の人々に共感的で敬意を示したいという願望(私もそれを共有しています)を示しているにすぎません。英国の法がトランス女性を女性と認めていることもたしかに真ですが、しかしこれも、概念的な論争を終結させることを意図しているものではなく、むしろ、トランスの人々に対する差別を緩和するためのものです。

同じような事情から、近年の哲学的議論においては、また別の焦点がもちあがっています。「概念工学」、つまりよき社会的目的のために意図的に概念を変更すること、が話題になっています。特に──先の例に似たものをつかうならば──一部の哲学者は、「女性」の現在の公共的な概念はトランス女性を含まないとしても、私たちは将来そうなるように積極的に概念の修繕をおこなうべきだ、と主張しています。こうしたことは、トランスの人々の経験を大幅に改善することにつながるでしょうし、究極的には人々が感じるジェンダー違和の感覚と、トランスフォビアによる暴力を受けやすい状態を最小限にしてくれるだろう、と主張されています。

トランス活動家たちはこれに力強く同意します。しかし決定的に重要なことですが、活動家たちは実質的には「トランス女性」の概念も同時に修繕されるべきだとも主張しています。つまり、「トランス女性」は、すでに生まれつきの女性でないが、心から女性であると自己宣言する人を含むべきだ、と主張しているのです。この提案されている二つの修繕をいっしょにするならば、私たちが手に入れるものはこうなります。すでに生まれつき女性でなくとも、心から女性であると自己宣言する人は、女性とみなされるべきだ、ということです。

公共的な論議では、トランス女性は女性とみなされるべきであるかということに注目が集まっています。その最終的な答えがどのようなものであれ、これは明らかに理にかなった問いであり、それはトランス活動家たちがそれを「トランスフォビア的」であると見なそうとしていることにはかかわりません。しかし、私が思うには、自己宣言だけがトランスである唯一の基準になるということが理にかなっているか、ということも私たちは問うべきです。このようなことは、他ではほとんど前例がありません。ゲイとしてカミングアウトするといった表面的に似た例では、また別の裏付けになる要因、つまり性的指向が存在していて、それが当人のメンバーシップを保証することになります。それは単に自分はゲイであると述べるかどうかの問題ではありません。そして、レイチェル・ドレザルの悪名高いケースのように[1] … Continue reading、ある人物が自分は「トランスレイシャル」だと宣言することがあるかもしれないとはいえ、そうした宣言は偽であるだけでなく、本当に抑圧されている当の人種のメンバーにとって腹だたしいことであることは、こうした事例に反応しているほとんど誰にとっても明らかなことです。「トランスレイシャル」であるなどといったものは存在しません。自分が誰であるかについてまちがって考えているのです。

ある人をトランスにするものが、自己宣言でなく、他の要因であるとすれば、その要因とは何でしょうか? すべてのトランスの人が外科手術を受けたりホルモン治療を受けているわけではありません。すべての人が一貫して、ステレオタイプ的に女らしい、あるいは男らしい服装や装身具を身につけているわけでもありません。皆がジェンダー違和を感じているわけでもありません。また、グループとしてのトランス女性も、グループとしてのトランス男性も、グループに共通の性的指向をもっているわけでもありません。同じように、一部の人はジェンダー違和を感じていても、自分をトランスと呼ぶことに抵抗していることがあります。一部には外科的に女性的な特徴を自分の体に与えていますが、トランスではないことがあります。同じようなことはたくさんあります。私たちに残されているものは、自己宣言しかないように思われます。

トランス女性は女性として分類されるべきだということに同意し、それを受けいれるならば、最終的に私たちに残されるものは次のようなことになります。生まれつき女性でなく、心から自分が女性であると宣言した人は、女性と見なされるべきだ、と。英国首相のテレサ・メイも、野党労働党のジェレミー・コービンも、この結論を熱心に支持していることは明白です。彼らは法律をジェンダー自認を許容するものに変更したいと考えています。行政手続きによって、自己認証を、出生証明に記録された性別(セックス)を法的に変更する唯一の基準としているのです。しかしながら、そうした動きにはコストがかからないわけではない、ということをここで私は指摘したいと思います。特に、「女性」というカテゴリーのもとのメンバーに対する一定の危害が、その変更の利得と比較されるべきです。

問題の一つは、「女性」(woman)と「メスのヒト/オンナ」(female)の二つの語[2]woman/female, … Continue readingは、多くの人の頭のなかでは交換可能なものですが、この「オンナ」という関連する概念についてのしっかりした理解を私たちが失なってしまうかもしれない、ということです(一部の活動家はこの「オンナ」という概念にもトランス女性を含めるべきだとさえ提案しています)。しかし、既存の概念はそれなりにうまくいっています。オンナ〔ヒトのメス〕という概念は、XX染色体をもっている人々を指していて、その人々については卵巣や子宮やヴァギナなどをもつことが統計的な基準(norm)となっています。もっとも、一部のオンナ(ヒトのメス)は卵巣や子宮などの一部をもたずに生まれてくることがありますし、後天的に一部を失なうことがあります。インターセックスの人々はこのオンナのカテゴリーを深刻におびやかすほどは存在していません。ほとんどのカテゴリーというものは、統計的な例外を含むものだからです。

また、これらの特徴のどれをももたずに生まれてきたオトコ(オスのヒト)が、ホルモン剤や外科手術を受けてそうした特徴の一部を人工的に手に入れた人がいるということも、オンナのカテゴリーをおびやかすものではありません。「オンナ」という概念をそういうものとして維持することは、特定の種類の身体的な経験を理解する上で決定的に重要なものであり、こうした生きられた経験は他の医学的・学術的専門分野ではたいへん調査不足になっているものです。はっきり言えばこうなります。もしこの「オンナ」という概念を失なってしまい、また同時に「オトコ」の概念を失なってしまうなら、私たちはそれを再発明しなければならないだろう、と。

「オンナ」というカテゴリーは、そのメンバーが、「オンナ」として直面せざるをえない特定の困難を理解するうえでも重要です。それには、特にレイプ、性的暴行、覗き魔、露出魔などの被害にあいやすいこと、セクシュアルハラスメントやドメスティックバイオレンスの被害を受けやすいこと、ある種のガンにかりやすいこと、拒食症や自傷癖などになってしまいやすいこと、などなどが含まれます。もし自己宣言によるトランス女性がこうしたことがらの統計に含まれるならば、その理解が妨げられることになります。自分が「オンナ」や「女性」に含まれるとあるオトコの人が自認したところで、自動的にこうした危害を受けやすくなる、ということにはなりません。また、あるオンナの人が自分が「オンナ」や「女性」からはずれていると自認したところで、こうした危害を減らすことにもなりません。性差別的な世界はしばしばオンナとしてのオンナに不利益をもたらすものですが、私たちはきちんとしたデータが必要なのです。もちろん、私たちはトランスの人々についてもちゃんとしたデータが必要ですが、この二つの課題は分離されるべきです。

もっとさしせまった問題として、もし私たちが上のようなしかたで「オンナ」という作業概念を失なってしまえば、自己宣言によるトランス女性(オトコの人)たちが、最終的に、もともとはオトコからの性的暴力からオンナたちを守るために導入された保護スペースへの無制限のアクセスを得ることになってしまうかもしれません。私たちはこうした侵食をすでに目撃しています。たとえば企業や慈善団体が、以前はオンナだけのスペースであった更衣室、共同宿泊施設、プール、病棟、刑務所などを皆に解放しています。それはトランスフォビックに見られたくないという欲求からのものです。

ここでの問題は、オトコの暴力です。自己宣言によるトランス女性というカテゴリーは、思春期後のオトコの身体的強さ、性器の外科的変更なし、オンナへの性的指向などをもつ人々を多く含んでいます。そして、近年では、ジェンダー再割り当ては法的に出生証明書の性別を変更することもできるようになっています。こうしたことは、「同性」スペースの今後がどうなるかを不明瞭にしてしまいます。注意してほしいのですが、これは自己宣言によるトランス女性が特に危険であるとか、性暴力をふるいやすいということを懸念しているのではないことは強調しておきます。むしろ、自己宣言によるトランス女性が、オトコの統計的な標準からははずれているという証明をもっていない、ということです。また別に、自分をトランスだと思ってはいない暴力的なオトコが、結局そうした女性スペースに関する社会的規範の混乱に乗じてそれを利用するのではないか、という懸念があります。性犯罪者たちはこれまでもすでに、被害を受けやすいオンナたちに対する接近手段(アクセス)を手にいれてしまっています。彼らがこの状況を自分に有利になるように使わないと考える理由はありません。社会的スペースの構築ということは、必然的に網の目の荒いものにならざるをえません。いったん性別(セックス)にもとづいた保護が失われてしまったら、危険な人間を遠ざけておく簡単な方法はなくなってしまうのです。

そして、「女性」という概念を自己宣言によるトランス女性を含めるようにすることは、「レズビアン」という概念の理解をも脅かすことになります。レズビアンとは伝統的には、他のオンナに対する性的指向をもつオンナです。ここでも、このような分類は社会的に有用です。こうした分類は、異性愛規範的な社会に生活しているとしても、そのメンバーがポジティブではっきりしたかたちで自分たちを理解できるようにしてくれるからです。こうした分類は、そうした人々が自分たちの社交スペースをつくる動機を与えてくれます。またそれはそうしたメンバーに、差別されているマイノリティとして特別な保護を与えてくれます。そしてまた、慈善事業などの特別な資源に対する特別なアクセスを許してくれます。一部のトランス活動家は、「レズビアン」の概念も修繕しようとしています。自己宣言によるトランス女性は女性なのであり、オンナでさえあるのだから、女性、あるいはオンナに対する性的指向をもっている自己宣言によるトランス女性は「レズビアン」であり、〔従来の「レズビアン」たちと〕まったく同じ社交スペースや保護や慈善事業へのアクセスを与えられるべきだ、と主張しているのです。さらには、自己宣言によるトランス女性の多くは、男性器を維持しています。一部のトランス活動家は、オンナのレズビアンは、男性器のある人々に対する性的関心を排除しているという点で「トランスフォビック」だと言います。こうしたことの結果はまだ未熟な若いレズビアンたちに混乱と恥ずかしめをもたらすことになり、社会的な圧力に押されて、自分たちの基本的な性的指向からすればまったく魅力を感じないようなオトコたちと寝るということことを考えざるをえないことになるかもしれません。

こうしたことは、トランスであることを定義する基準と自己宣言をもちいると同時に、トランス女性を自動的に女性であるとみなすことにまつわる危害の一部にすぎません。危害はまた、女性たちが、もとから不足している、性別にもとづいて与えられる資源を自己宣言によるトランス女性とシェアしなければならないことからも生じます(たとえば女性だけの議員候補の投票推薦リスト、メディアでの代表やスポーツ奨学金など)。こうした危害は、それを定義するカテゴリーが大々的に拡大されつつあることに連関して、すでに手術を受けた「トランスセクシュアル」にとっても起こります。そしてまた危害はジェンダー不適合(ジェンダーノンコンフォーミング)の子供たちにも起こります。まだこれから発達するそうした子供たちの世界観がトランス活動家の自己宣言についてのレトリックによって影響を受けることになるでしょう。結論としていえば、法がなにを言うべきかを決定する場合には、そして私たちの概念がどんなものであるべきかを決定する場合にすら、トランス活動家たちが私たちに信じさせようとしていることがらよりも、考えるべきことはたくさんあるのです。


(オンラインで校正してくれた方々に感謝)

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References

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1全米黒人地位向上協会(NAACP)ワシントン州スポケーン市の女性支部長レイチェル・ドレザルさんは、白人なのに黒人だと偽っていたというので話題になりました。 https://www.huffingtonpost.jp/2015/06/14/rachel-dolezal-naacp_n_7582132.html
2woman/female, man/maleの訳しわけは苦労しますね。male/femaleは人間以外の生物にも使うので、オス/メス、manとwomanはもちろん人間ですが、boy/girlとも対比されるので男性/女性ぐらいが適切でしょうが、人間をオスメス呼ばわりすると怒られが発生する可能性があるし。今回はとりあえずオトコ/ オンナ。

男/女/トランスジェンダーの定義 (6) ストック先生の「女性」概念についての論説” に1件のフィードバックがあります

  1. reger44

    {\−−}のタグ?がそのまま出ちゃってますね

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