男/女/トランスジェンダーの定義 (2) 学術会議の定義のむずかしさ

まあ定義と結論としての規範的判断をつなぐ前提となる規範的判断・原則が私の興味あるものなのですが、とにかくもうすこし定義について考えたい。

最近出た周司あきら・高井ゆと里先生たちによる『トランスジェンダー入門』はそこらへんの定義の問題を一章まるまる使って論じてくれていて、かつ、いろいろ誤解しやすいところを丁寧に説明してくれていてたいへんグッドな本でした。

でもその前にまず、学術会議の「定義」にちょっとだけコメント。

学術会議の「出生時に割り当てられた性別とは異なる性別の性自認・ジェンダー表現のもとで生きている人々の総称」という定義には、ふつうの読者・一般人にはいくつかわかりにくいところがある。

  1. ここでの「性別」とはなにか
  2. 「出生時に割り当てられた」性別という変わった表現が使われるのはなにか
  3. 「性自認」=ジェンダーアイデンティティ=性同一性とはなにか
  4. 「ジェンダー表現」とは何か

定義は簡潔なものが好まれるので、簡潔であることは問題ではありません。ただ定義自体がわかりにくい概念や用語を含んでいるならば、そのわかりにくい概念や用語もまた別に定義される必要がある。

上のリストの最後の「ジェンダー表現」はまあ服装その他の生活様式などだろうということであんまり問題がないと思います。

学術会議の提言では「性別」は定義されていないようなので、前のエントリで私はこれは一般的な「生物学的性別、セックス」を指すと解釈しました。しかしそれだと「出生時に割り当てられた」という表現がよくわからない。「出生時に 判断された 」じゃないのかな、と。なぜ「割り当てる assign」という言葉を使うのかがわかりにくい。そして「性自認」はやはりむずかしいですね。前エントリで紹介したように「性自認」は別に定義されてます。

身体に関する個人の感覚(……)、ならびに、服装、話し方および動作などの他のジェンダー表現のような、出生時に与えられた性と合致する場合もあれば合致しない場合もある、一人一人が心底から感知している内面的および個人的なジェンダー経験をいう

でも今度は「性自認」が「個人の感覚」や「経験」と説明されているだけで、ここもなかなかむずかしい。一面ではこれは言葉の説明を先延ばししているだけなのですが、しかし定義というものの本性からして、こういう先送りみたいなのを避けることは非常に難しいものです。どこかで「自認」や「経験」や「経験」は単なる言葉をあてはめる以上のしかたで(定義されるのではなく) 示される 必要があるのだと思います。これはこうしたものなので、特段の問題があるわけではないです。

問題は、(1) 「身体に関する個人の感覚」が生物学的な性別と一致しない場合があり、そういう人々がたいへん苦しんでいるようだ、というケースは、性同一性障害(GID)という障害が少数だけどあるということがよく知られるようになり、それなりの議論がおこなわれて、「性別適合手術」の国内での合法化や、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」につながったのに対して、(2) 「服装、話し方および動作などの他のジェンダー表現のような……一人一人が心底から感知している内面的および個人的なジェンダー経験」というのがどういうものか、というのがいまだにあまり広く理解されていない、というところですよね。これはGIDの人たちがもつであろうような「身体の性別」に対する違和感とはちょっとちがったものであり、それがなんであるのかわかりにくいところがある。

続きます。

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