ガブリエル・ブレア『射精責任』の解説にコメント (3) 責任と無責任

続き。前回のはぷんすかなんですが、今回は批判とかじゃなくてちょっとだけ気になっただけ。

解説の齋藤さんは「無責任な射精」irresponsible ejaculation の定義を心配しているんですが、これそんなに複雑な概念かなあ。

著者が無責任な射精という表現を用いて批判しているのは、妊娠が女性の身体にもたらすダメージへの男性の無理解・無頓着さであろう。だとすれば、妊娠が女性の身体にもたらすダメージについて、よく理解をし、配慮をしていれば、それだけで責任ある射精をしたことになるのだろうか。

うーん、まあ条件は理解と配慮以外にもあるかもしれないけど、「無責任」が無理解・無頓着っていうのはそれでいいんじゃないでしょうか。

これね、英語の問題もちょっとあるんですが、無責任 irresponsible っていうのは

(of a person) not thinking enough about the effects of what they do; not showing a feeling of responsibility

まあ「自分のしてることがどういう結果につながるかちゃんと考えてない」ぐらいの意味ですわね。

対義語の責任ある射精 responsible ejaculationとはいかなる射精として考えることができるのか。責任の有無は、誰がどのような根拠で判断できるのか。ここでの責任は、誰に対するどういう責任なのか。なにより、どのような条件を満たせば責任ある射精をしたと言えるのか。(p.200)

「無責任」の対義語は当然「責任ある」だろう、って思っちゃうのはわかるんですが、「責任がある」responsibleっていうのは無責任とは対にならない多義的な意味をたくさんもってて、こういうふうに考えちゃうと迷路に入りこむと思うんですよ。

https://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/english/responsible?q=responsible OLDだとこんな感じですが、

  1. なにかをする(役職や立場に関連する)義務がある
  2. (なにか悪いことについて)非難されるべきである、賠償するべきである
  3. (なにか悪いことの)原因になっている
  4. (人物が)信頼できる、責任感がある、ちゃんとしている ( ← おそらくirresponsibleの対義語 )
  5. 権威・権力がある偉い人に報告しないとならない立場である

みたいな感じになってるんですね。齋藤先生は「責任の有無は〜」みたいな話をしているんですが、それはおそらく上の2.の非難や賠償にかかわる意味での責任の話で、これは「妊娠望んでないのにコンドームしないセックスは無責任だ」の責任の意味とは違うのです。日本語で「責任」が問題になるのは、1.の義務の話か、2.の「誰が悪いか/誰が責任をとる=賠償する、罰を受ける、非難される」か、っていう話でなわけです。だから勝手に対義語とか考えると迷路にはいっちゃう。

出版社もキャンペーンで「責任ある射精」とかっていうのをバズらせようとしているわけですが、まあ「責任ある射精」とかってよくわからない表現ですよね。「無避妊射精したら責任とりましょう」とかっていう話をしたいんだろうとは思うのですが、それは「無責任な射精」っていうのとはまた別の議論が必要だと思うのです。

この先、先生は迷路にはいっていく。

望む妊娠か望まない妊娠かの判断をする主体は、もちろん女性であるが、その女性の判断は一貫して揺るぎのないものだという前提を置けるのだろうか。換言すれば、性行為のときに、責任ある射精と無責任な射精の区別をそう簡単にできるのだろうか。……例えば、性行為の時点で女性も男性も妊娠を望んでおり、避妊をせずに男性が射精をしたとしよう。その後、カップルの関係性が変化して、妊娠判明後に関係を解消したことで、女性がこの妊娠を望まない妊娠と考えたとしよう。さて、この妊娠を生じさせた射精は、無責任な射精なのか、責任ある射精なのか。……無責任な射精とは、いかなる「責任」が「無い」射精なのだろうか。

「無責任な射精」は後先考えない射精であると思われるので、責任ある射精は後先考えてよく相談した上での射精でしょうから、射精自体はそれで責任ある射精だと思われます。それを妊娠の事後的に望ましい妊娠か望ましくない妊娠かを考えようとするので難しい問いになってしまう。非難されるべきであるという意味での「責任」を事後の判断にまかせるとおかしなことになる。これは実は私が森岡先生の「膣内射精暴力論」で批判した点です。齋藤先生も同じ誤謬に陥ってると思います。

とかいろいろ書きましたが、「データ隠すのはやめましょう」以外は非難というわけではないです。たいへん立派な解説だと思います。重箱の隅つついちゃっただけ。「責任」はむずかしい概念なので、ここらへんはこれから議論しましょう。

あと、ブレアの「男が注意するべきだ!」論は、基本的には1970年代このかたの日本のフェミニストたちの基本姿勢です。相澤伸依先生の「ピルと私たち:女性の身体と避妊の倫理」読んであげてください。 https://yonosuke.net/eguchi/archives/4108

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