コルトレーンのマイフェイバリットシングズはいろいろひっくりかえしてる

最近、この本読みなおしてたんですよ。モンソン先生のSaying Something。名著です。ジャズは会話だ!みたいな感じの本(実際には会話とのアナロジー通用しないね、みたいな話もあり)。そのなかにコルトレーンのMy Favorite Thingsの分析があったんですわ。

原曲は

イントロ (4) |
A (16) マイナー|
間奏 (2) |
A (16) |
間奏 (2) メジャーに転調 |
A (16) メジャー |
B (16) マイナーに戻る |
コーダ (メジャー!)|

っていう構成なんですが、コルトレーンは

イントロ (8) |
ヴァンプ |
A |
ヴァンプ |
A |
ヴァンプ (24) (メジャー) |
A (メジャー)|
A (16) メジャー |
ヴァンプ (16) |
ピアノソロ〜 |
(ピアノがテーマ弾く)→ サックスソロ 〜

って形になってて、じつはずいぶん魔改造されているわけです。

ヴァンプ ってのは同じことをくりかえす部分で、実はピアノやソプラノサックスのソロは、ふつうのジャズの演奏のように原曲のテーマのコード進行をなぞるんじゃなく、 間奏にあたる部分を延々引き伸ばしてる わけです。

オリジナルの曲自体は悪くはないけど、ちょっと陳腐というか、工夫が足りないような曲なわけですが、このコルトレーンたちの魔改造によってぜんぜん違う曲になってる。

一言でいうと、コルトレーンたちは、原曲の テーマと間奏をひっくりかえしている わけです。

さらには当時のジャズには珍しい3拍子の曲なわけですが、ドラムとベースとピアノがそれぞれ別の周期で鳴ってるわけですね。ポリリズムです。めっちゃ複雑だけど、全体としてはなんか催眠効果があるというか、そのまんまヴァンプをずっと続けてほしい感じ。ジャズはヒップホップとかの父母である、みたいなのがよくわかりますね。

歌詞の方も見てみましょう。

http://oyogetaiyakukun.blogspot.com/2019/03/my-favorite-things-julie-andrews.html この方の訳詞を使わせてもらうと

Cream-colored ponies and crisp apple strudels… doorbells and sleigh bells and schnitzel with noodles… wild geese that fly with the moon on their wings! These are a few of my favorite things! Girls in white dresses and blue satin sashes…snowflakes that stay on my nose and eyelashes…silver white winters that melt into springs! These are a few of my favorite things!

When the dog bites, when the bee stings when I’m feeling sad: I simply remember my favorite things, and then I don’t feel soo…bad!

好きなものなら一杯あるの, クリーム色 のポニーとか,サクサクと崩れるりんごのお菓子(アップルシュトゥルーデル),ドアのベルにソリのベル,麺を添えた子牛のカツ(ウィンナー・シュニッツェル)に, お月様 を翼に乗せて飛んでく野生の雁の群れたち,みんなアタシの好きなもの。他にも好きなものがある, 白い ドレスで青いサテンのリボンを巻いた女の子とか,アタシの鼻と睫毛の舞い落ちた 粉雪 だとか,キラキラ光る 銀色の冬 が春に溶けていくとこ,みんなアタシの好きなもの

犬に噛まれた時だとか,ハチに刺された時だとか,悲しくなって来ちゃう時には,好きなもののことだけをただひたすら考える,そうすればまあいいかって思えるの

全体に「つらいことがあっても好きなものを思いうかべてけなげにがんばります!」ですね。マンソン先生はこの歌詞は全体に「 白っぽい 」っていうわけです。それに軽い。小さい。まあ女子とか白いものとかパステルカラーとかそういうの好きですわよね。1965年の映画『サウンドオブミュージック』も白人金髪の子供だらけで全体に白い。(もとのブロードウェイミュージカルと映画は筋ちょっと違えてるみたい。わたしはどっちも見てません。コルトレーンの演奏は映画制作より前ね。)

それを皮膚も黒くて体もでかい顔つきも深刻でこわい男たちがどっかーん!って演奏しているわけです。ぜんぜんかわいくないどころか、ものすごく攻撃的な音楽になってしまってます。どこがマイフェバリットシングズやねん、 君らが憎んでるものを破壊しようってんちゃうんか 、という感じ。敵と闘うための部族の踊りでも踊ってる感じですわね。黒人の権利運動、市民権運動みたいなのとなんか関係がある。「好きなもののことを考えると、まあいいか、って思えるの!」みたいなことはありえない。徹底的に破壊する!そういう勢いがありますね。ここにもアイロニー、皮肉があるわけですね。音楽的にテーマと間奏をひっくりかえし、歌詞と演奏スタイルもなんかちぐはぐなものしてしまって芸術になっている。ヒップホップなんかもサンプリングした曲とラップの間でそういう関係があったりする。

この、白人の音楽を換骨奪胎、デコンストラクトしてリコンストラクトしてしまう、ここにジャズ、もっと広く黒人音楽の美学があるってわけですわ。早い話、「俺たちはおまえらのヘナチョコな曲をもとにしてはるかにすぐれた芸術を作ることができるのだ!おまえらにできるか!」ってなわけです。まあビバップがすでにそうなわけですが、おもしろいですねえ。とにかくジャズとはひっくりかえすものである、ポストモダンだ!ってことに気づきました。

さっきのは尼さんが黒人女性でしたが、あれは最近のテレビ放送のやつみたい。白人の子供たち中心の映画バージョンはこれ。

攻撃的ってのではこのライブ演奏が有名。できるだけでかい音で聞いてください。はたしてコルトレーン先生たちはカツレツとかリボン巻いた女の子とか好きなのかどうか。

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