男性のセックスや恋愛に関する「認知の歪み」みたいなのがネットの一部で話題になっていたのですが、バス先生は最終第9章の「ギャップに気をつける」で、認知や欲求の男女差をちゃんと意識することが、セクハラやレイプなどの不幸な性的なできごと(その多くは男性が加害者)を防止するために有効だっていってます。
認知バイアス
こうした男女の心理的な違いは、教育においても社会制度や法制度を考える上でも重要なので、心理学的な知見がそうしたところに今以上に取り入れられるべきだ、ってのがバス先生のこの本での主張の核です。
なかでもバス先生が重要だと考えているのが、 男性は女性の単なるお愛想を自分に対する性的な関心の表明だと勘違いしやすい 、という傾向です1。「性的な関心」っていうのは恋愛に発展するかもしれない好意とかも含みます。つまり男性はナルシシト的傾向が強くて、自分はモテてるとか、あの女性はオレに気があるのかもしれない勘違いしやすいのですね。ちなみに、このバイアスは、女性が美人だとさらに強まるらしい。いつもはさほどモテてるとは思わない男性でも、美人からほほえまれると「もしかしたら気がある?きっと気があるに違いない!」とかになりやすいんですね。ははは。注意してください。
しかしこれは女性にとっては深刻な話で笑い話ではない。多くの男性がそうやって勝手に自分気があると思って女性に寄ってくるわけで、なんか誘いをかけられて断わると「そっちから誘ってきたのに!」とか怒りだす男性も多いらしいです。男性からの誘いをどうやって断わるかというのは女性の生涯でかなり重要な課題らしく、「すでにボーイフレンドがいるので」とか「会社の人とはデートしません」とかっていう断り方をすると「んじゃ彼氏と別れたらオレとつきあうつもりなのだな」とか「彼女は会社やめて俺とつきあうつもりなのだろう」とかそういうことまで考えだす連中がいる。これはこまる。
というわけでバス先生はまずこのバイアスをちゃんと男性自身に意識させるべきだ、っていうわけです。同時に女性にも、あいまいな合図みたいに見えるものが男性を誤解させる可能性があることは意識してもらう必要がある。まあこれは多くの女性は知ってることだろうけど、まだ世間がよくわかってない若年だとそうでもないかもしれませんね。
また、女性は逆に男性の性的な関心を過小評価する傾向がある。つまり、女性が意識しているよりも男性が自分を性的な目で見ていることは多い、ということです。ネットなんかでは、「男性が女性を性的な目で見ているのが不快だ」みたいな話がよく流れていますが、そういうのは実は全体的に男性の性的関心を過小評価している可能性があって、実は男性は女性をいつもそういう目で見てるのかもしれない。少なくとも女性が思っているよりはずっと性的な関心をもって女性たちを見ていて、女性がなんかのきっかけでそれに気づいたときに「キモい」になるんだろうけど、そりゃちょっと甘いかもしれません、みたいな話になりますね。
バス先生は、「男女両性に、こうした予測される誤認知について教育することがスタート地点になるかもしれない」と言っています。そして「われわれは、他人(異性)の配偶者探しの心理 mating mind についての推論するために、自分自身の内観を使うことはできない。自分自身の心理の自己分析は、貧弱なガイドでしかない」といっています。自分ならばこう感じるだろうから向こうはこう考えてるはずだ、みたいなのは男女交際では禁じ手だということですね。
性的な情動の違い
日本でも聞く話ですが、知りあいに自分のチンチンの写真を送りつける男というのが相当大量にいるらしいですね。私も何回か同じような話を聞いたことがあります(もちろん送ったことはありません)。それどころか電車の中で知らん女性に送りつける奴らもいる。アメリカでも同様。
こうした人々の一部はいやがらせでやってるんだと思いますが、そうでもないやつらもけっこういるようで、自分が女性の裸や性器を見るとうれしいものだから女性に自分のを送る、みたいな奴らもどうもいるようです。これは一部は上の認知バイアスもあるわけですが、そもそも男女のあいだの欲求や嫌悪の差というのがわかっていない。男性は視覚的な性的な刺激に性的に反応しやすい傾向があるけど、女性はそういうのは非常に弱く、むしろ強い嫌悪感 disgust をもつのがふつうで、チンチン写真を送ってくるような人々はそういう性的な欲求や情動にかんする性差を理解していないわけです。
性的な被害に対する嫌悪感や屈辱感、ショックの理解についても同様で、女性が痴漢やセクハラ、レイプといった被害をうけたときの心理的な面(PTSDなど)を男性はなかなか理解できない。バス先生自身、ずーっとそうした性差の違いを研究してあるていど理解したつもりでいたけど、最近身近な人から被害のうちあけ話を聞いて自分はぜんぜんわかっていなかったことを理解した、みたいな、なんか苦い話も出てきます。
こうした欲求・嫌悪の差を理解したり、被害者の身になって共感して考えるというのはものすごく難しい。バス先生が教育として提案しているのはせいぜい「自分の姉妹、母親、パートナー、女性の友達などが被害者になったことを想像させる」みたいな話ぐらいしか出てこない。
バス先生によれば、「多くの女性が経験するレイプされるかもしれないという恐怖や、被害の最中やそののちにレイプ被害者が味わう情動的トラウマは、男性の心のなかには 本物の対応物は存在しない 」(強調バス)。
ただし、そうした(セックスをともなわない)身近な女性たちとまともな親密な関係をもつことが、男性がそうした恐怖や被害を理解し共感する上での助けにはなるだろう、みたいなことを言っています。まあ教育の上では平等で(性的な意味ではなく)仲良しのクラス、みたいなので育つことが助けになるんですかね。
脚注:
ところで、誤解されやすいんですが、こういう知見は進化心理学というリサーチプロジェクトみたいなのとはそれ自体は独立の心理学的な実験の結果によるものだというのは意識しておく必要があります。おそらく進化心理学的な仮説は正しいだろうけど、もし正しくなくてもこういう実験の結果はそれはそれとして受けいれないとならない、ということです。
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