んでまあ実際にセックス同意に必要な能力 (competence) ってどういうものなんでしょうね。
日本の同意年齢の引き上げの議論について、同意年齢が13才であるのに少年法の刑事責任能力が14才であるということが時々話題になるようです。
まあ実際には14才になってない少年でも罪を犯した場合は「触法少年」として刑事責任は問われないものの「保護処分」の対象にはなるわけで、まあこうした刑事責任能力の認定にしても、少年法の精神からしても、子供は判断能力が十分ではないしまだ発達途中なので、罪を犯しても大人がやったことと同じようには扱わない、というのは理にかなっているというか当然ですね。
いったい刑事責任を問うのになにが必要かというと、(1) 法が何を禁じているのか知っている(あるいはもっと一般的に善悪の区別を知っている)、(2a) 自分がなにをやっているのかわかっていて、(2b) それをコントロールすることができる、ぐらいだと思います。中学生ぐらいになれば万引きしてはいけないとか女子のスカートめくってはいけないとかそういうのは知っているし、万引きやスカートめくりしたくてもそれを抑えることができるでしょうから、刑事責任能力が14才ぐらいであるのは特に問題がない。(ただ必ずしも大人といっしょに扱う必要はないので特別あつかいしてもかわまない)
んじゃセックスの同意にはなにが必要だろう?刑事責任年齢とセックス同意年齢はどっちが上であるべきだろう?
ポイントは、セックスっていうのはふつう相手がいるものであること、そしてその人の人生にとって非常に重要な帰結をもたらす(典型は妊娠)ということですね。セックス、特に女性や若い人々のセックス・身体は非常に価値のあるものだと思われていて、それを暴力や詐欺、騙し、洗脳などによって手に入れたい人々はたくさんいると考えられるわけです。お金だったら子供は現金以外は扱えませんが、セックスはその子供の身体その他が直接のターゲットになってしまう(「性的モノ化」の問題と直結しているのがわかりますね)。判断力が弱いうちに搾取してしまおう、という人々はいるでしょう。そうした人々から子供を守らねばならない。
少年法とかの背景にある考え方の裏にあるのは、「子供はまだ判断力や自律能力が足りないので、他人に害をおよぼす行動をしてしまうことがあるので大人といっしょには扱わない」ということなわけです。一方、同意年齢/法定レイプの考えかたのうらにあるのは、「子供はまだ知識や判断力が足りないので、(1) 他人に強制されたり搾取されたりしやすく、また(2) 中長期的な観点から自分の利益を十分に考えられないのでそれに反した行動をとってしまう」という点から、保護しましょうってことになってるわけです。(だからマスターベーション同意年齢とかっていうのは必要ない)
そこで、セックス同意のためには、単に法律がどうなっているかとか、自分がなにをしているのかわかっているというだけではなく、まずは、他人の強制や搾取や口車にノセられない判断と抵抗の能力をもっているとか、中長期的に自分の利益を考えることができるとか、そうした高級な能力が必要になるわけです。だからまあ理屈の上では刑事責任能力よりセックス同意能力の方があとになっても問題はない、というかあとになるべきかもしれない。(でも必ずしもあとであるべきだというわけではない)
(もうちょっと続きます)
- セックス同意年齢の問題(1) Wertheimer先生の変な空想事例
- セックス同意年齢の問題(2) 前提の確認
- セックス同意年齢の問題(3) 年の差セックス!
- セックス同意年齢の問題(4) 強制の問題
- セックス同意年齢の問題(5) 搾取の問題
- セックス同意年齢の問題(6) ジュディス・レヴァイン先生の『青少年に有害!』
- セックス同意年齢の問題(7) 同意能力はなぜ必要か
- セックス同意年齢の問題(8) 同意能力には何が必要か
- セックス同意年齢の問題(9) 私たちはどうやって成熟するのだろうか
Views: 61
コメント