「パーソン論」を何度でも:竹内章郎先生の『いのちと平等をめぐる14章』

ひさしぶりの「パーソン論」問題。

竹内先生は当事者観点から長く優生思想の問題を考えている先生で偉いのです。ただやっぱり「パーソン論」理解については微妙なところがあるので、これからこの手の話を考えたい人のために簡単な注意書きだけ残しておきます。

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(p.143)

功利主義は説明不要ですね。竹内先生のいう「道徳主義」というのは、生命倫理学上のカント主義みたいな立場で、規則や権利、人間の尊厳なんかを重視する立場です。この引用文で触れられている「生命の質」Quality Of Lifeは「生活の質」という訳語の方が適切だと私は思います。さて。

基本的に生命倫理学上の「パーソン論」とは、我々の道徳的日常で特別扱いされている「人」(パーソン)とはどのようなものであるか、をめぐる議論です。もとは生命倫理学とかで人工妊娠中絶とか考えるときに使われた議論ですね。

結核菌もドクダミもゴキブリも豚も人間も生物ですが、結核菌は消毒していいしドクダミは抜いていしゴキブリは殺してかまわないけど、人間は殴ったり殺してはいけないと我々は考えています。豚や鶏だと微妙で、殺して食ってもかまわんと思ってる人は多いけど、一部にはそれは不正なことだと考える人もいる。でもまあとりあえずほとんどすべての人が、人間はその他の生物や動物とは別の道徳的な地位をもっている、と考えてます。なぜ生物学的ヒトは他の動物やその他の生物とはちがう権利や道徳的地位をもつのだろうか?これが出発点。

んで「パーソン論」での「パーソン」には二つの論法があります。一つは、「生命その他に対する重大な/強い(serious)権利をもっている存在者」みたいに定義して、生物学的ヒトが、他の動物とちがってパーソン(権利主体)であるのはどういう根拠がありますか、と考えていくやりかたです。そして、生物学的ヒトは、他の動物とはちがって、さまざまな欲求とか関心とか、特に 自己意識 をもつからだ、のように議論をすすめます(Tooley 1972)。

もう一つの進め方は、「人・パーソン」は日常語あるいは法的な言葉としてそのまま使うことにして、我々が特別な保護を与えるべきと考えているパーソンは、一般にはどういうものだろうか、完全な定義はできないまでも、いくつかのぼんやりした特徴を抽出することはできないだろうか、と議論をすすめるものです(Warren 1973)。その場合は、知性とか自己意識とかコミュニケーション能力とか自発性や自律能力とか自由とか、まあいろいろ特徴があって、完全な必要十分な定義はできないかもしれないけど、そういう特徴をほとんどもってない存在者(たとえば受精卵や胚)は、ふつうの意味では「パーソン」ではないだろう、のように話をすすめるわけです。

でもとりあえず「パーソン」は「人」を指すのです。

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(p.143)

上の引用文で竹内先生は「パーソンが なく 」って表現してますが、これは単なるタイポではなく、非常によく見かける誤解です。歴史的事情によって、「パーソン」は日本語では「人格」と訳されることが多いのですが、これと人柄の意味での「人格≒パーソナリティ」が混同されているんですね。「パーソン論」まわりの論説でこの「人格を もつ 」とか「人格 のある 」「人格を 有した 」のような表現を見たらもうそこで読むのをやめてもよいくらいだと思います。

「パーソンではない生物を殺しても殺人(殺パーソン)ではない」というのは微妙なところですが、妊娠中絶を正当化する場合はまさにそうした議論がおこなわれているのでこれはよいとしましょう。(ただし、妊娠中絶を正当化しようとしているウォレン先生なんかは、新生児もまだ十分パーソンであるとは言えないが、パーソンであるかどうかとは別にさまざまな重大な反対理由があるので新生児殺は不正だと論じていることに気をつけてください)

上の引用文にはもうひとつ微妙なところがあって、「パーソン論」は基本的にはパーソンとそうでない存在者を二分する考え方なので、人格(パーソン)と物件(モノ)をきっちり分けるカント的な考え方と相性がよく、功利主義とはむしろ相性があんまりよくありません。むしろパーソンとモノをきっちり分ける法的な考え方の枠組み内で論じるための議論ですね。

以上、ちょっとわかりにくいんですが、若い人々はこういう文脈での「人格をもつ」という表現だけは注意して、それを見かけたら危険信号だと思ってください。

パーソン論と中絶まわりの大事な論文は下に訳出してありますので、図書館などで確認してください。

あと駄文でよかったらこれ読んでください。江口聡 (2007) 「国内の生命倫理学における「パーソン論」の受容」

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