しかし投げっぱなしだと誤解されそうなのでちょっとだけコメント。
バウマイスター & ヴォース先生たちの「セックス経済論」は、社会学でいう「社会的交換理論」の一バージョンですね。まあ経済学も含め、非常に一般的な理論というか考え方なので、名前なんかいらないくらい。バウ先生たちは、経済学者のゲイリー・ベッカー先生の The Economic Approach to Human Behavior (1976) 1 の四つの想定をひきあいに出してます。
- 個人は、比較的安定した選好にもとづいて、コスト・ベネフィットに応じた選択をする
- 希少資源は価格の調整によって配分される。
- 財やサービスの販売者は互いに競争する(購買者も競争することがある)
- 個人は結果を最大化しようとする。
まあこうしたシンプルな理論がどんだけ射程が長いか、っていうのがわかる話になってます。
2004年の段階で、バウ先生たちのが 理論として どれくらい新鮮だったかというのはよくわからない。このシリーズ読んでくれたひとの多くは「そんなんあたりまえやろ」ぐらいの印象の人が多いんじゃないかな。わざわざ「セックス経済学理論」みたいな名前つけてあざといですね。でも先生たちはその後ずっとこのラインで議論していて、そこそこいけてると思ってるみたいです。
2004年の時点で、ジェンダー問題については、社会構築主義的なフェミニズム理論(男性支配!)と急速に勃興中の進化心理学が、男女関係を考える主な「セオリー」だったわけですが、どっちも「男性が女性を支配する」っていう形で見る傾向があったわけです。2020年代の心理学はさすがにそんなに単純な形にはなってないですが、バウ先生たちの論文の新鮮さは、進化心理学と同様に男女のあいだの性的関心・性欲の生得的な性差、というのは前提にしながら、男性が単に「支配」を欲求するようなハードワイヤードな傾向をもってるんではなく(もちろん女性が支配されることを望むような欲求をもっているわけでもなく)、状況・環境に応じて戦略を変更するような存在として見るという点、そして男女の間にあるのは支配・従属ではなく、むしろ交易・交換・協力だ、ってなところでしょうな。もちろんその交易や協力が強制的・搾取的になってしまう場合もある。そんでも、男女関係におけるアクターとしての女性の有利さっていうのはまあ常識的(少なくとも私の常識)に合致しているところがあるように思います。
しかしまあ男女の間で交換しているのはもちろん、女からセックス、男から金、だけじゃないのはほぼ自明っすからね。実際には他にもいろんなものを交換し協力しているわけで、まああえてこんな単純にした「理論」というのはなんであるのか、みたいなのはよくわからない。でもまあセックスと性欲(そして生殖)を中心に考えると相当のところが説明できる、っていうのはまあ進化生物学的・経済学的な発想の強みではありますわね。
ちょっと時間があったので「セクシー化/セクシャル化」と「男性支配」についてだらだらメモ書きましたが、まあここらへんはおもしろいので、みんな(特に若い人は)勉強がんばってください。
実践的に、セックスや恋愛がんばってくださいというつもりはないです。がんばらないでください。でもセックスを中心に男女が交易しているという点にはなにほどかの真理があるでしょうから、モテたいと思う男子はちゃんと交易するための資源用意しといた方がいいだろうな、とは思いますね。素敵なテニス選手の方みたいな人から「私は高価料理メニューなので、あんたたちはそれ払えないでしょ!」とか言われるとつらいですからね。それは現ナマである必要はないはずなので、お金がないひとは海辺できれいな貝殻拾ってくるとか工夫してください。
注意として、進化心理学とかセックス経済論とか、そういうのを勉強すると、すぐに「 悪いのは 女性だ」みたいな発想する人がいるんですよね。こうした人間の「本性」や社会の仕組みみたいなのに関する「理論」や説明、解釈を、すぐに道徳的な善悪の判断や規範的判断(「よい/悪い/不正だ/罰を受けるべきだ/〜するべきだ」)に結びつけてはいかん。
実際のところ、学界でもセックス経済論をそういうふうに解釈して、「バウたちは女性たちに〜という現象の 責任 があるresponsible と主張しているが〜」のような人たちはけっこういます(Laurie Rudman先生とか)。バウ先生もヴォース先生も「女が悪い」とかそういう話はしていないし、道徳的な意味で「責任がある」みたいな話もしていない。まあ「このセックス中心の見方をすると、これこれの事象が他の理論(特にフェミニスト理論)よりはうまく説明できるっぽい」ていどの話で、誰が悪いかとか、よりよい社会(おそらく、公平で多くの人々が幸福に充実して生きられるような社会)をどう作ればいいかとういうのはまた別の話です。いろんな「理論」をすぐにまにうけて善悪の判断したり社会革命とか起こそうとするのは危険なので用心しましょう。それに「理論」っていったって、こういうのはぜんぶ 単なる仮説 だからね。他の理論より事実をうまく説明し、まだ見つけられない他の現象を予測できるかどうか、ぐらいの判断基準しかない。
(追記)
「セクシー化」は、セックス経済論が指摘し予想する女性どうしの競争となにか関係があるだろうとは思います。
「男性支配」に関してはヴォース&バウマイスター先生たちがはっきり述べてるとこがあるのでちょっと引用しておきますね。
セックス経済論(SET)は、進化的原理をもとづいた理論だが、この原理を市場という文脈の上においている。この市場という文脈は、定義によって、文化的に構築されたものである。……SETは、男性の相対的に強い性欲と、それを得るためにできるかぎり小さな代償を払おうとするという動機から、男性が女性を支配しようと試みることを説明するのだ。(Vohs & Baumeister 2015)
セックス経済論は、進化心理学的な理論とも、社会構築主義的なフェミニスト理論とも矛盾するものじゃないっすよ、と言いたいようです。ラッドマンさんなんかはセックス経済学を「家父長制的だ!」っていって非難してますが、現状とその原因の解釈としてはそれほど家父長的ではない、というかセックスと性欲という眼鏡で社会を見てみて、どう解決するか考える一歩にはなるかもしれないと私は思っているわけです。まあこの眼鏡はずいぶんとあらっぽいもので、不快に感じる人は多いかもしれませんがねえ。
【シリーズ】
脚注:
あれ、この本自体は翻訳ないんすか。
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