男らしさへの旅 (7)「支配のコスト」と集団の責任

「支配のコスト」補足

そういや、「支配のコスト」について書き忘れてたことがあるんですが「〜が悪い」「〜のせいだ」みたいな責任と非難の話ってものすごくむずかしいんですよね。


「男性による女性の支配」が仮に成立しているとします。それは、(1) 一部の特定の男性が特定の女性を支配している(ありそうだけど逆もありそう)、(2) グループとしての男性がグループとしての女性を支配している(むずかしい)、(3) 男性の方が社会的・経済的地位を獲得する上で有利である(ありそう)、ぐらいの意味がある。そしてそうした支配なり有利なりはだいたい不正である、とします。

ここで、ある特定の男性、あるいは特定の男性のグループが「生きづらい……つらい……死にたい……」みたいなことを言ってる場合に、「それは(1)〜(3)の意味でとりあえず男性支配のコストなので自業自得なので十分苦しんでください」みたいなのはおかしいですよね。なんでかというと、集団として男性が女性を支配したり、あるいは一部に(不正に)有利で得をしている男性がいるからといって、その責任を支配や有利さを得ていない特定の男性が負担する理由はなにもないからだ。もしそうした「グループとしての自業自得」を主張するのであれば、「男性の集団責任」が個々の男性に分配される、ということを主張していることになる。

これって、たとえば「日本人は過去に周辺諸国に悪いことをしたので、現在の日本人にもその責任があるから自責の念に苦しむべきだ」みたいな発想に近い。「過去に男性は女性にひどいことをしたので、あなたはしてなくても女性を支配して好き勝手なことをしているので、あるいはセクハラや性暴力をする男性がいるので、男性のあなたは苦しむべきだ、生きづらさを感じるのは当然だ」とかそういうのは、なんか奇妙なところがある。私自身は、人間は自分がやったことだけに責任があり非難されるべきだという立場をとりたいので、そういうのには抵抗がありますね。でも男性の責任というのはそういうものだと主張する哲学者・社会学者たちも少なくないです。

まあここには集団の責任とか非難とかをめぐるむずかしい話があって、倫理学者とか好きなところではありますが、私はインチキなのであんまりよくわからないので、若い人々はがんばってくだください。

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