男らしさへの旅 (3) 「支配」と「優位」と「有利」

「支配」は単なる強制と服従ではない(はずなのだが)

とにかく私は主流派フェミニズムや男性学での「支配」がわからない。なぜ「支配/服従」という形で社会や人間関係を考えようとするのだろうか。前にも書いたように、小手川〜澁谷〜平山と遡って、多賀太先生の『男子問題の時代?』でやっと答らしきものを見つけました。

われわれの社会では、実体的利益をより多く得られる立場や権威ある地位の大部分を男性が占めていたり、そうした利益や権威を得る機会が女性に比べて圧倒的に男性に多く開かれていたりする。このように、男性が女性に対して圧倒的に優位な立場にある社会状況を、ここでは「男性支配」という概念でとらえることにしたい。(多賀 2016, pp. 34-45)

「優位な立場」を支配と呼ぶのはかなり奇妙な感じがしますね。たしかに優位な立場にあれば、支配しやすいことはあるだろう。教員というのが学生様に対して優位な立場にあると言われていて、一番大きいのは単位を認定する職務上の決定権をもっている。学生様は教員の指示にしたがって、授業に出席したりクラスで発表したり期末レポートを書いたりしなければならない。もちろん、学生じゃなくて道を歩いている人々は、大学教員の言うことなんか聞く必要がない。また学生様も、その教員の単位が必要なかったら、その教員の言うことなんか聞く必要がない。でもまあ学生様は卒業するために一定数の単位が必要だし、必修の授業とかになるとその教員の指示にしたがわないで卒業することは難しくなる。そういうわけで、教員は単位の認定権をつかって学生様を支配している。(ほんとうにちゃんと支配できればいいんですが……)

こういう形で男性が女性を支配しているかというと、これはむずかしいですね。まず、特定の男性が、不特定の女性に対してそうした、支配できる優位な立場にあるかというとそうではない。私は男ですが、道行く女性に「焼きそばパン買ってきて」とかって言ったとしても誰もそんな指示にはしたがわない。警察に通報されちゃいます。

特定の男性が、特定の女性に対して支配できる優位な立場にある、ということはありえる。たとえばある父親が自分の娘に対して生活費や学費の支払いを根拠に、自分の言うことを聞かせることはできるかもしれない。学費や生活費止められたら困りますからね。親子関係じゃなくても、カップルは配偶関係でもそうしたことはあるでしょうな。

日常的な感覚で「支配」と聞けば、暴力や脅しによって支配者が被支配者を強制的に服従させるような状況をイメージするかもしれない。しかし、社会学で「支配」という概念を用いる場合、それは必ずしもそうしたむき出しの暴力による統治だけを指すわけではない。「支配」には、被支配者がその支配体制を正当なものとみなし、自発的にそうした支配体制に従うような側面もありうる。……つまり、男性支配の社会であるからといって、常に男性が暴力や脅しによって女性を力ずくで服従させている……とは限らない。むしろ、女性たちが、男性が女性よりも利益や権威を得られる社会のあり方を正当なものと見なし、自発的にそうした体制に従っている状況を「男性支配」という概念で把握することは、社会学的な「支配」の用法として、十分理にかなっている。(多賀 2016, p.35)

これ言いたいことはわかりますね。しかし、「支配体制に自発的に従う」っていうときのこの「支配」は、被支配者にはもういやなものでもないし、また道徳的に悪いものでもないわけです。日本に政府があって、政府が国民を統治しているのは悪いことではない。

となると、上の社会学者たちの意味での支配(優位/劣位)が悪いのは、その優位/劣位または有利/不利が生まれるプロセス・経過が不正だったり、あるいは有利不利の格差が参加者たちが正当性を認めるものより大きすぎたりする場合に限られるように思います。

さて、日本の社会における男性と女性の関係はそうしたものになっているだろうか?グループとしての男性とグループとしての女性が、そうした優位・劣位の関係になっているというのはちょっと考えられない。私が男だからという理由でしたがってくれる女性はほとんどいませんしね。他の男性はそうした女性をもっているのかもしれないけど、グループとしてもってるわけではないでしょう。

一方、一般に男性の方が、女性よりも教育や就労の点で(優位ではなく)有利だ、ということはありえる。それほどはっきりした有利不利が性別によってあるのかどうか私は疑問に思っていますが、これはとりあえずここでは認めてもよい。でもこの有利不利は、我々がふつう使っている「支配」とはまったく違う概念ですよね。

そして、多賀先生自身はともかく、平山先生や小手川先生は、家庭内における支配、ふつうの意味での支配、すなわち 強制 を問題にしている。つまり、夫婦・カップルの間の経済力(稼ぎ)による支配ですわ。でも本当にそうなってますか?

なぜ稼ごうとすることが「支配」なのか?

前のポストで引用した平山先生。

男性が自己強迫的に追い求める夫しての稼得役割=「家族を養うことができること」……その思考は本人の意図にかかわらず、結果的には妻の生殺与奪権を握り、支配する志向となることを免れない。(平山 2017, p.238)

小手川先生はこう。

集団としての男性は、男性は女性よりも優れているから女性を支配すべきだという思い込みのもとに、家父長制からもっとも利益を得てきたし、いまなお得ている存在である。(小手川 2019, p174)

これらの「支配」が強制や押し付けを指してるのははっきりしていると思うんだけど、どうでしょう?そして、男性は本当にそうした強制や押し付けをしているのかしら。逆に、妻からさまざまな強制をされている男性はあんまりいないのだろうか。

私が思うところでは、多くのご家族(夫婦)は、政府と人民、みたいな支配(強制)と服従、みたいな形にはなってないと思うんですよね。前のエントリで貼った「意思決定」だっていろんなことを夫婦で相談しながら決めてるじゃないですか。労働と家事の分担みたいなのも、夫婦それぞれ不満をかかえながらかもしれないけど、そこそこうまく分担して協力している。多くのご家庭では夫が主たる稼得者であるけれども、家計の管理なんかは妻がやって、おこづかい制度になっていると聞きます(旦那が稼いだものなのに!)。もちろん、協力がだんだんうまくいかなくなってくると、おたがいの不満も増えるし、いっしょにいるメリットがなくなって別々にいた方がましとなれば、離婚してしまう(現在初婚カップルの1/4だっけ?)でもそれって、支配/服従じゃないですよね。たしかに、ある時点から結婚生活が支配と服従になってしまうかもしれないけど、支配から逃れて離婚して独立することもできるのだから。

でもここで、平山先生や小手川先生に、私が想定していなかったある仮定があることに気づきました。先生たちは、たくさん稼いで妻を専業主婦になってもらおうとしている男性たちのことを考えていたのね!「結婚するなら仕事やめて」みたいな男性たち。あー、そりゃ勝ち組だわ。

子どものころから、私のまわりにはめったにそういう人がいなかったので、そういう発想がわからないんですよね。専業主婦なんてほんとうに限られた高収入層の贅沢じゃないっすか。

いまどきの男性も、配偶女性に実際に専業主婦になってほしいとは思わない傾向があると思う。統計はすぐに出ませんけど出せると思う。現代の若者男性(20代から40才ぐらいの未婚男性)が苦しいのは、妻が専業主婦になってくれないからではなく、お金がないと結婚はおろか交際(一対一の、結婚を前提とした)さえ難しいからですよね。

こういうのに気づいたら、先生たちがいったいなにを議論しているのか、そして私がそれをなぜ理解できなかったのか、疑問が氷解した、っていう感じでした。

(続く)

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