セックスのことばっかり考えてないで、ジェンダー論や男性学も勉強しないと
最初に目にしたのは、哲学者の小手川正二郎先生の一連の論文・書籍。
- 小手川正二郎 (2019) 「「男性的」自己欺瞞とフェミニスト的「男らしさ」」
- 川崎唯史・小手川正二郎 (2020) 「男だってつらい?男らしさと男性身体のフェミニスト現象学」、『フェミニスト現象学入門』
- 小手川正二郎 (2020) 『現実を解きほぐすための哲学』
どれもとてもおもしろいので、ジェンダー論や「男らしさ」に関心がある人はぜひ一読をおすすめしますね。つい読んでみて気なったのは2019のやつで、2020の2冊でも、「男性学」や男性の発想について、だいたい同じ論旨の批判と主張をおこなっておられる1。でも私ずいぶん違和感あったんですよね。
小手川先生は「親フェミニスト」っていう感じで、ちょと違和感はあるけどフェミニズムに賛成して性差別をなくしたい、そのためにもまず自分の悪しき男性性を反省したい、みたい感じで、文章読んでるとても誠実でいいひとっぽいのが伝わってきますね。
小手川先生の「男性学」や「男らしさ」に関する主張を簡単に紹介するのはむずかしいのですが、2019のやつだと次のようになる。
- 現代でも性差別は大きな問題である
- 性差別をなくすためには、男性は自分たちの「男らしさ」についての考えかたを反省するべきだ
- 一般に現代日本で「男らしさ」(覇権的男らしさ)として考えられているのは、家父長的な男らしさであり、稼ぎ、支配、威厳、独立、自律などの特徴が中心的である
- しかし実際には男性は女性に依存しており、女性のサポートによって有利な立場にありつづけている。男性は男性的特権をもっており、それを十分自覚しておらず、自己欺瞞的である
- 男性が家父長的な「男らしさ」を求めるのは、他人、とくに女性の支配のためであり、「つらさ」はそのコストにすぎない
- 日本の男性学では、「男の生きづらさ」が強調され、それの対策として「男らしさから降りる/男らしさを捨てる」のようなことが提唱されているが、「男らしさ」はそんなに簡単に降りたり捨てたりできるものではなく、それできるとかすでにおこなったとかって主張をするのは自己欺瞞的である。
- 男性はそうした自己欺瞞をやめ、次のような方針に賛成するべきだ。そしてそれが「フェミニズム的男らしさ」である。(1)自分たちの力の限界を認識し、アファーマティブアクション等の制度の改善に貢献するべきだ (2) 自分たちの男性的特権に気づき、他人(特に女性)の言いぶんをよく聞くべきだ
私の違和感は、家父長的な威厳をもって「支配」してたりしようとしている男性というのはいまどきそんなにいるものだろうかとか、男性学で言われている「生きづらさ」がそんなに欺瞞的なものだろうかとか、アファーマティブアクションみたいなものをそんなに簡単に肯定して大丈夫なのかとか、「違和感があってもとにかく女性の話を聞け」みたいなのがかえっておかしな「男らしさ」ちゃうんかとか、まあいろいろあるわけです。
- 澁谷知美 (2019) 「ここが信用できない日本の男性学」 (対応するレジュメ)
- 平山亮 (2017) 『介護する息子たち:男性性の死角とケアのジェンダー分析』
- 多賀太 (2016)『男子問題の時代?錯綜するジェンダーと教育のポリティクス』
んで、「男性学」や、ネットのアンチフェミニストを激しく批判していて気なっていた澁谷先生のを読む。伊藤公雄先生2や田中俊之先生や多賀太先生という方々が「男はつらいよ型男性学」みたいなレッテルで批判されてますね。澁谷先生は平山亮先生という方の多賀太先生批判にかなり頷くところがあったみたいなのでそれも読む。
最後に問題の「つらいよ」型の代表として多賀先生の読んで(順番が逆だ!)、ここらへん、どういう議論がおこなわれているのか少しわかったような気がする。どれもおもしろいので、ぜひ読んでください。でもいろいろ違和感あるんですよね。少しメモ書いておきたいと思います。
脚注:
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