「ジェンダー論と生物学」 (7) 性暴力、性欲、ドーキンスの麻薬患者

加藤先生は一応、原因と理由が切り離せないという話を、性暴力の話をつかって説明しようとしているように見えます。しかしここも私にはわからない。

ここで改めて性暴力(と呼ばれる人間の行動)について考えてみよう.性犯罪を犯した少年たちの治療教育に長らく携わった藤岡淳子によれば,性暴力とは「性的欲求によるというよりは,攻撃,支配,優越,男性性の誇示,接触,依存などのさまざまな欲求を,性という手段,行動を通じて自己中心的に充足させようとする」行為であるという(藤岡2006: 15). (pp. 156-157)

ここで挙げられている藤岡淳子先生の『性暴力の理解と治療教育』は国内ではよく読まれている本のようです。私はちょっと問題があると思っているのですが、ここでは触れません。「性的欲求によるというよりは」を、「性的欲求だけではなく」ぐらいに解釈してよいならとりあえずOK。

「性的欲求」が性暴力の一要因ではないというわけではないが,それだけには収まらないさまざまな欲求, しかも対他者関係的な欲求が複雑に絡み合うことから性暴力が引き起こされるという事実を,性犯罪者の証言という具体的なデータをふまえて,藤岡は明らかにしている.

これもOKです。ただ、「具体的なデータをふまえて〜明らかにしている」というのはちょっと言い過ぎだと思う。藤岡先生の解釈は、おもに海外の古めの文献の解釈にもとづいているもので、現代の犯罪学者の人々がまるっきり賛成するものではないと思う。でもそれはよい。問題はそれにもとづいた加藤先生の議論。

ここで,分析を簡略化するために,百歩譲って「性的欲求」がヒト以外の生物種(の雄)にも通底する何物か,たとえば主体的にはコントロール不能な衝動であると仮定したとしても―ドーキンスのいう「無力な麻薬中毒患者」のメタファー(Dawkins 1976=:389) を想起してもよい一一それ以外の諸要因まで同じように片づけるわけにはいかない.

まず、「ドーキンスの「無力な麻薬中毒患者」」なんて、その文脈や意味の説明なしにいきなり出してくるのが私は気にくいません。こういう、「当然知ってるよね?」みたいなのやめましょうよ。ハッタリはやめてください。、私は、そういうことする人々とは人生かけて戦いたいと思います。この一文で、加藤先生もその憎いリストに入りました1)実際のところ、この一連の悪口書かないと気がすまない気分になったのは、この「麻薬患者」への言及を見てのことです。私こういうのほんとに許せない。加藤先生はそういうのしない人だと信じていたのに。でも、実は前にもなんかへんな言及や参照は見つけていたのです。でもそれを「そんなはずはない、まちがいだろう」ぐらいで否定していたのです。

ドーキンスの出典は、『利己的な遺伝子』の1992年の方の翻訳なら399頁(翻訳数種あるので頁がちがう)。話は、カッコウは他の鳥の巣に卵を産み付けて、そのヒナの赤い口が、(他の種の「里親」となる)鳥にとって麻薬的に作用する、っていう文脈ですね。

カッコウの雛の大きく開けた赤い口はあまりにも誘惑的であるから、鳥類学者が、ほかの鳥の巣にすわっているカッコウの赤ん坊の口の中に食べ物を落としている鳥の姿を見かけるのは珍しいことではない。……突然、目の片すみに、まったくちがう種類の鳥の巣のなかにいるカッコウの雛の特別大きく開けられた真っ赤な口が飛び込んでくる。鳥はこのよそ者の巣に向かって方向を転じ、そこで自らの子どもの口の中に入るべき運命にあった食べ物をカッコウの口のなかに落とす。「抗しがたさ説」は、里親が「麻薬中毒者」のように振るまい、カッコウの雛が彼らにとっての「悪癖」として振るまうと述べた初期のドイツの鳥類学者たちの見解と一致する。……カッコウの開いた口が麻薬のような強力な超刺激であると想定すれば、なにがおこっているのかがはるかに説明しやすくなるのはまちがいない。……その神経系は、あたかもそれが無力な麻薬中毒患者であり、あるいはあたかもそのカッコウが里親の脳に電極を差し込む科学者でもあるがごとき状況のもとで、抗しがたくコントロールされているのである。(ドーキンス『利己的な遺伝子』p.399)

加藤先生、現実世界での性暴力や性欲について、これ本気で想定するんですか?つまり、鳥がついカッコウ雛の口にエサを投げ入れてしまうのと同じように、神経系が刺激されて、ほとんど不随意の運動として、男性が女性をレイプしてしまったり、電車で痴漢してしまったりするのだと(議論のためにさえ)認めてよいのですか?もしそんな「麻薬」「悪癖」「超刺激」が与えられてたら、「他の要因」なんか考える必要ないじゃないですか。選択の余地ないんだし。なにを言ってるのですか。こんなことになるのは、ドーキンスちゃんと説明しないからじゃないですか。いいかげんにしてください。

とりあえず、性欲やそれを引き起こす刺激がこんなものではないと想定して、加藤先生の文章に戻ります。

藤岡が挙げる他の諸側面は,男であるならば性的に活発であるべきであり,女を従わせることは正しく,また女が男の欲求を満たすことは当然であるといった正当化文脈と切り離して理解することはできない.

なぜですか。私にはわからない。「正しい」とか「べき」とか、加藤先生自身はなにも説明してないじゃないですか。「(男が)女を従わせることは正しい」というのは、一部の加害者の証言にあるのかもしれないけど、それ抜きでは性暴力を理解できないのは藤岡先生や加藤先生じゃないのですか。なにか客観的に、そうした正当化の文脈と切り離しては、性犯罪者の動機やその行動の原因を説明できないのでしょうか。それならそれなりに論証してもらわないとならないと思う。(もちろんそれは不可能ではないと思うけど、なされていない)

そして「性的欲求」さえも, こうした文脈と関連することで初めて性暴力を駆動する一要素になることができるのであり(人間が何をどこまで我慢するかという基準が当該社会の規範によって変わることは自明である),かくのごとく性暴力とは深く〈正当化の回路〉に属する現象なのである.

わからない。加藤先生自身はさっき性的な刺激と性欲は麻薬のように強力だと想定しているんだからなおさらわからない。その麻薬としての想定は抜きにしても、なにも社会的な正当化や規範と関係なく、強制的なセックスや性的な暴行をおこなう人々というのを私はなんの苦もなく想像できるし、じっさいそうした見境のない人や半道徳というよりは道徳をまったく気にしない「アモラル」な人々もいると思う。なぜ、ある人々の行動の至近的/究極的原因を解釈するために、道徳的あるいは社会規範的な正当化が必要になるのか、私には理解できない。

以上の考察からも,人間以外の生物に見られる強制的交尾を人間における性暴力と同一視する進化心理学的な「レイプの自然史」といった試みがかなり根本的に的はずれであることが示唆されるだろう.さらに言えば,おそらく以上のような特性は,性暴力に限らず,およそ人間における「性」と呼ばれる現象全般に通底する特質であろう.

ぜんぜんわかりません!

 

 


References   [ + ]

1. 実際のところ、この一連の悪口書かないと気がすまない気分になったのは、この「麻薬患者」への言及を見てのことです。私こういうのほんとに許せない。加藤先生はそういうのしない人だと信じていたのに。でも、実は前にもなんかへんな言及や参照は見つけていたのです。でもそれを「そんなはずはない、まちがいだろう」ぐらいで否定していたのです。

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