『恋愛制度、束縛の2500年史』で恋愛の歴史を学ぼう (9) 厨川白村先生の恋愛論輸入

第6章は、問題の日本のヨーロッパ恋愛輸入なんですが、ここはとてもよいと思いますね。だいたいこの「恋愛の輸入」の話をするときは北村透谷先生とか使ってなんかインチキな話をするのが最近の風潮なんですが、私は透谷先生とかそんな優れた作品を残してるとは思えないし(実は誰も読んでないっしょ? そもそも早死にしたから作品少ないし)、さほど影響力があったとも思えない。影響力があったように見えるのは鈴木先生がメインにとりあげてる厨川白村先生で、この先生の『近代の恋愛論』は私も部分的に読んだんですが、今でも通用するようなおもしろさと説得力で、ベストセラーになったのという話もうなづける。記述もわかりやすい。実際けっこう読まれたと思います。昭和あたりまでの文科省的恋愛論の基本という感じがある。皆も一回読んでみるといいです。この先生を中心に輸入を論じようという鈴木先生のやりかたは成功している。

白村先生の抜粋も多くて、お説教くさくて笑えるのでぜひ読んでください。

ただ歴史的にはちょっと問題があって、この本出たのは大正11年、1922年で、もう文明開花して相当時間が経過していて、明治に恋愛が「輸入」されたとしても、それが相当定着してからの話ですよね、っていうのが一点。それに、この白村先生の恋愛論って、ほんとに恋愛「論」、恋愛の理想論にすぎなくて、ヨーロッパの恋愛を輸入したというより、ヨーロッパの正しい人びとがいってる正しい恋愛観を輸入しているだけだっていうのがもう一点。

だって1922年ですよ? ヨーロッパは世紀末とかでみんないろいろ悪いことをして、まあ第一次世界大戦とかもあって、ヨーロッパの風俗みたいなの乱れまくってる時代じゃないですか。っていうか、19世紀後半のヴィクトリア朝時代だってみんないろいろ悪いことしてたわけで。白村先生はそうした西欧の実情みたいなのほとんど知らなかったんではないかという気がするけどどうだろう。アメリカ留学の経験はあるんですね。アメリカじゃなあ。どこ行ったんだろうか。足悪かったから、あちこち遊びに行ってみるっていうのは無理だったかもしれませんね。せっかくのチャンスだったのに気の毒。

っていうか、ここが問題で、鈴木先生は「ヨーロッパの恋愛」を白村先生が輸入したというんですが、その輸入したのはなんか英語圏プロテスタント系統のわりと禁欲的な恋愛結婚理想論みたいなやつではないかという感じで、それと性欲都市であるパリとかウィーンとかののぐしゃぐしゃどろどろの恋愛やセックスとはあいいれないんちゃうかと思うわけです。もし白村先生が恋愛を輸入したとしても、それってヨーロッパ恋愛文学にあるような恋愛じゃなくて、英語圏のお説教臭いやつなんじゃないの?という疑問があるわけです。私は恋愛文学作品やエロ文学やその作成のコツ(「恋愛の美学」と呼びたい)を輸入することと、恋愛についての道徳的な理念(「恋愛の道徳」と呼びたい)を輸入することはずいぶん違うことのように思う。白村先生が輸入したのは、恋愛でも恋愛論でもなく、恋愛とセックスについてのお説教だ!とか言いたくなる。こういう区別に、鈴木先生が同意してくれるかどうか。

とにかく、ロマン主義的恋愛至上主義どろどろ文学みたいなのと、白村先生が輸入した恋愛至上主義的恋愛清潔道徳主義みたいなのとの間には相当のギャップがあって、そこはなんとかしてつながないとならないと思う。それが前の章での説明が不足していると思われた、ロマン主義恋愛観の毒はいかにして抜かれたか、って話だろうと思います。

鈴木先生の言う「個人主義」とか「個人」についても議論したいんだけど、これもたいへんだから先に。


追記。厨川白村先生をちょっとググったら、こういう文書を見つけました。白村先生の口癖は「オスカア・ワイルドなんて気障な奴ですよ。ここに居合わせば殴りつけてやるんだが」。これはおもしろい。ワイルドは狭義のロマン主義運動とは100年近く離れてますが、ロマン主義的なダンディズムの末裔であると見ることもできて、そういう気障が嫌いな白村先生は、文学とかほんとうにはわかってない人だったのではないか(私は白村先生についてはぜんぜん知りません)。


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