英語の「責任」に当たる言葉、responsibilityという言葉は、だれだれに答える、応答する、respond toという動詞表現に関係していて、要するに応答できるということですね。他者からの呼びかけ、あるいは訴え、アピールがあったときに、それに応答する態勢にあることを意味すると考えられるのです。・・・英語のresponsibilityはもちろんフランス語のresponsabilité(レスポンサビリテ)から入ったもので、フランス語はもちろんラテン語から来ています。(高橋哲哉『戦後責任論』p.24)
印欧語では、「責任(リスポンシビリティ)」という語は、「応答(リスポンス)の能力・可能性(アビリティ)に由来する。・・・互いに「問いかけ・呼びかけうるし、応じうる」間柄を生きること、これが「責任がある/負う」ということの語幹である。(大庭健『責任ってなに?』p.16)
responsibilityの初出はJ. S. ミルの文章が最初だと聞いた記憶があるんだが、OEDがもってる情報では、1787年のFederalistでのハミルトンの文章みたい。(これはresponsibleである状態 the state or fact of being responsibleという意味での)”Responsibility in order to be reasonable must be limited to objects within the power of the responsible party”
次は1796のバークの文章があがってる。まあそういう文脈で使われる最近できた言葉だったわけね。
1796年には義務とか責務とかそういう意味でのresponsibilityが使われている。これもバーク。
もちろん”reponsible”の方はもっと古くて、「なにかに応答している」という意味では1599年。
「答えることができる」という意味では1647年。「誰かに対して答えられる」「説明するよう要求できる」という意味だと1647年。これは重要な意味で、誰に答えるかっていうと王様とか法廷。
“To hold this Popish erronious opinion, that they are in no case responsible to their Kingdoms or Parliaments for their grossest exorbitances.”
とか
“Being responsible to the King for what maight happen to us.”
かなり具体的に「申し開きをする」って感じだ。
「道徳的に自分の行動を説明することができる」って意味では1836年、上の意味からこの意味に来るまでずいぶん時間がかかったことがわかる。
また別の枝で、「義務を果たせる」という意味では1691。
あたりに初出があるらしい。高橋の「もちろんフランス語から来た」ってのはどっからの情報だろう?文字通りresponsibilitéの形ではいってきたと言いたいのか、あるいはresponsableの形ではいってきて-ityがついて名詞化したのか。ミルトンやバークはもちろんフランス語ぐらいできたろうが。ラルースもひいてみないとならんのだろうか。あ、少なくとも-ableや-ityの語尾がどうしてはいってきたかも知っておく必要があるな。これはもちろんおフランス語からだろうし。どれくらの時代にはいってきたんだろう?ほとんどの-ityがフランス語から来て、英語で新たに作った-ityはあんまりないとわかればそれでいいか。Verantwortung は responsibilityからの訳語のような気がする(だから19世紀のものかも)が、知らべなきゃだめかな。世の中には知らんことが多いな。
大庭先生が「印欧語」ととてつもなく大きく出たのもなにか根拠があるんだろうか。印欧祖語(PIE)にresponsibilityに当る言葉があるとかかなあ。こんな複雑な概念がPIEにあるとは思えんのだが。
まあ概念の姓名判断ってのはどの程度信用になるかわからんよな。なんでも姓名判断するとこからはじめてる、ってにに、プラトンからハイデガーを通ってレヴィナスやヨナスに至り、さらに高橋先生や大庭先生にまで届いているヨーロッパ哲学の長い長い歴史を感じて悪くないですけどね。
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