難波優輝さんの『性的であるとはどのようなことか』(3)

第1章 性的なものの何が悪いのか

まず「性的なものの何が悪いのか」。

「しばしば、性的な広告は「悪い」ものであると批判される。例えば、巨大な胸や太ももを露わにしたキャラクターの画像が駅構内で掲示されると、しばしばSNSで炎上が巻き起こる。あるいは、性的だとみなされたCMの商品の不買運動が呼びかけられたりする。

だが、そもそも、性的な広告の何が悪いのだろうか。(p.33)

これが問題意識ですね。よくわかります。このブログでも扱った「宇崎ちゃん」の日赤の献血ポスターや、最近だと「赤いきつね」の宣伝とかが問題なんですよね。

でもわかりにくいのは、「宇崎ちゃん」や「赤いきつね」は、(1) 「性行為に関わるもの」ではないのは確かだし、(2) 「裸体や性器に関わるもの」でもないし(宇崎ちゃんの着衣の大きな胸が裸体や性器なら別)、おそらく普通の意味では (3) 「性的興奮を催させるもの」でもないと思うんです。もちろん、あの宣伝を見て性的に興奮する人がいないとは限らないでしょうけど、あんまり一般的じゃないだろう。となると、難波さんは何を議論しようとしているのか。

性的なものの三つの悪さ

難波さんは、性的な要素のある広告の「悪さ」を考えるために、美学者たちのポルノグラフィ研究を援用する。ある作品、特にポルノグラフィのような作品が悪いといわれる場合、その理由として、(1) 製作者の態度が悪いから(そしておそらく製作者の悪い態度を表現しているから、あるいは鑑賞者に感じられる態度が悪い)、(2) 作品を使って悪い(有害な)ことが行なわれるから、(3) 作品が人や社会に悪い(有害な)影響を与えるから、の三つを考えます。これはよい整理だと思います。

「態度」

ただ、(1) 製作者の態度が悪い、というので挙げられる例が新海誠先生の映画『君の名は。』での主人公が口噛み酒を作るシーンらしく、新海先生の態度のどういうところが悪いと言われていうのか、この映画見てない私にはちょっとよくわかりません。

たとえば宇崎ちゃんや赤いきつねの製作者の態度を使ってくれたらわかりやすかったかもしれませんが、よくわからない。まあでも表現されている制作者の態度が悪いときに作品が悪くなるかもしれない、ということを認めることにしましょう。でも具体例がないとわかりにくいですね。

「行為」

ポルノグラフィの悪さに関する(2) はかなり「哲学的」なので一般読者にはわかりにくいかもしれない。ポルノの場合、ポルノ視聴のおしつけとか、ポルノという表現による言語行為とかそういうのが議論されます。そこらへんはがんばって説明してくれていて、たいへんよろしいと思います。

しかしここでも例が気になる。

性的なポスターを壁に張り出すという行為は、「共用スペースに性的なポスターを貼っても問題ないのだ――なぜならこの場は、男性のルールによって支配されているのだから」というメッセージを発する行為にもなりうる……

これは一部わかりますね。ヌードポスターとか貼ってる場合です。でも次のはわかりにくい。

官公庁や自治体の広報活動に、性的なキャラクターのイラストが用いられたとする。近年では珍しくないことである。このときに問題なのは、掲示されるイラストがたんに性的だからということより、それを公共機関が「公共の場に掲示する」という行為を行い、それによって、「公共の場に女性の性的なイメージを設置しても構わないのだ」というメッセージを(知ってか知らでか)発してしまっている、その行為が問題なのである。(強調江口某)

ここで言われている「性的」は難波さんの三つの「性的」のどれかなのだろうか?たとえば戸定梨香さんというVtuberキャラクターが千葉県(松戸市?)や千葉県警の広告活動に使われたというのが話題になった記憶がありますが、このキャラクターは(1) 性行為しているわけでも(2) 裸体でもないし、普通の意味では(3) 性的興奮を催させるわけでもないと思う。

たしかに、仮に、露骨に性行為や裸体や性的興奮を引き起こすようなキャラクターが使われたら問題かもしれませんが、私自身はそれほどのものは見たことがない(碧志摩メグはどうだろうとは思うものの)。だから、私は難波さんの「性的」の定義があんまりよくないと思うのです。ポルノの議論を普通の広告に使うのは無理じゃないかなあ。

「影響」については次章以降で扱われます。

第1章を読んで、私ずいぶん混乱してしまったんですわ。SNSなどで論争されたのは、宇崎ちゃん、赤いきつねとかで、私はそれを念頭に置いて読んでしまったんですが、それらが明確に態度が悪いとか行為が悪いとかそういうのはかなり言いにくいように思う。たしかに、フェミニストが批判してきたようなポルノグラフィ、ここでは性差別的あるいは性暴力的なポルノが広告に使われたなら、難波さんが言うようにそうした広告は悪い、と言えるのかもしれないけど、それは実際に起こっていることではないように思うし、現実の論争との距離がありすぎる。

もしひどいポルノが広告に使われたならば、それは悪い広告だろう」っていう形ではなく、具体的な広告を例にとって、それがなぜ悪いのかを議論してもらいたかったと思うのです。

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