続きです。
序章「性的であるとはどのようなことか」
さて、本論なんですが、いきなり「結論」からはじまります。
性的であるとはどのようなことか。まず結論を言おう。
性的なものとは、次の三つのいずれか、またはすべてを満たすものだ。
(1) 性行為に関わるもの
(2) 人間の裸体や性器に関わるもの
(3) 性的興奮を催させるもの(p.16)
結論を最初に書くのはとてもよいことなのですが、これはちょっと驚きました。それに違和感もある。
第一に、これは私たちが一般に使う「性的」の意味からちょっと離れているかもしれないし、SNSで議論されているときの「性的」ともずれているように思えるのです。
(1) の「性行為に関わるもの」が「性的」と呼ばれるであろうっていうことはよいのですが、「性行為」の範囲がはっきりしない。ハードコアポルノのように、性器セックスを描写したものはもちろん「性的」でしょうが、たとえば性的な愛情や興奮のこもったディープキスやハグも性的に思えるんですがどうでしょうか。あるいは、ベットらしきところを背景に指をからめあってる部分写真とかも性的な表現に思えます。これらの行為は「性行為」でしょうか。これは難波さんの「性行為」の定義に依存することになるのですが、少なくともなんらかの説明が必要に思えます。(それに電車で見る広告なんかで性行為がもろに描かれていることってふつうはないですよね)
(2) 裸体(特に女性)や男女の性器はたしかに性的ですが、一般に人間の身体、お尻や太ももや胸や腰や脇やうなじや背中や耳なんかも性的な場合があるように思います。おそらくちょっと狭すぎますね。また、実際、性器とかが電車の広告でいきなり登場することはあんまりないだろう。(オランピアの例にあるように、有名絵画の裸体はあるかも)SNSで議論されているのは裸体というよりは、身体の部分的な強調ですわよね。
(3) はだいたいOKなんですが、「性的興奮」がどういうものかっていうことの説明が必要に思えます。単なる興奮を性的な興奮と区別するものはなにか、それは区別できるのか、とかってことになると哲学や心理学や生理学の話題になる。私、「性的であるとはどのようなことか」っていうタイトルから、そうしたごく「哲学的」な問題を議論しているのかなと最初思ってましたが、そういう話はあんまりなかった。
「興奮」も問題です。ふつう日本語で「興奮」というと、生理的な反応も含めた激しい情動を指すと思うんですが、広告程度でそういう強い「興奮」が起こるっていうことはそんなに多くない気がします。「興奮」(excitementではなくarousal)を非常に広く取ると、主観的には興奮を感じていないような微妙な知覚や反応まで含めることができるかもしれませんが、その場合は日本語の普通の用法とは違うのだからそれはそれで説明してほしい。また、「興奮」に性的な嫌悪感による興奮とかも含めるのかどうか。
あと「性的興奮を催すもの」っていう形の文章は微妙で、ふつうは広告程度で「興奮」を引き起こすことは少ないでしょう。法的な「ポルノグラフィ」の定義では、「性的興奮を催させることを意図されたもの」とか「一般人の一部が性的興奮を覚える傾向のもの」みたいな表現を使いますね。まあ「興奮」にしても「催す」にしても、一般向けの本だから簡略な表現を使っているんだとは思うのですが、こういうのはあんまり簡略にするとかえってわかりにくくなってしまうと思います。
というわけで、おそらく、もうすこしわかりやすい形にすると、こうなりそうです。
ある表現物が性的であると言われるのは、次の三つのどれかを満たす場合である。
- 広い意味での性的活動に関わっているもの
- 広い意味での(人間の)性的な部位に関わっているもの
- 広い意味で見る者に性的な興奮を催させる傾向があるもの、あるいはそれを意図したもの
こうなるとそれらしい。ただし、性的活動、性的な部位、そして性的な興奮のそれぞれについてそれがいったいどういうものであるかの説明をすることが必要になる。そして性的活動、性的部位、性的興奮に共通する「性的」とはどういうことなのか、それぞれはどう関係しているのか、っていうこともできれば説明したい。これはまさにセックスの哲学の大問題の一つです。ハルワニの本でやってた気がする(訳者なのに記憶が……)。あ、第5章で「性的欲求」「性的快楽」「性的活動」の定義を試みてますね。
あと、「性的であるとはどのようなことか」という文脈で、こうした「性的」の定義あるいは特徴づけが「結論」と呼ばれているのにも違和感がありました。これは一般の「性的」の定義や特徴づけからちょっと離れているように見えるので、「結論」というよりは難波さん自身の(仮の)独自定義を提示しているように見えるんです。だから、この定義が正当であることの論証が必要な気がする。それがうまくいっているかどうか……
しかし、とにかく難波さんが「性的」を三つに分解したい、ていうのはよくわかります。
ある人が「このイラストレーションは裸体を描いていないから性的ではない」と言う。他の人が「いや、これは性的興奮を催させることを目論んで描かれているのだから性的だ」と言う。すでにこの二人の話はすれ違っている。
一方は(2)の条件で「性的」という言葉を用いている。他方は(3)の意味で「性的」という言葉を用いている。この区分を共有してみれば、「あ、あなたは(3)の意味で用いていたのですね、それならその通りです」となるかもしれない。「いえいえ、(3)の意味でも性的ではありませんよ、というのも……」となるかもしれない。
性的なものの特徴の区分は、何が性的かをめぐる議論を整理してくれる。(p.19)
これはたいへんよい指摘だと思います。
続きます。







コメント
性的であるとはどのようなことかという問いに「『性的』興奮を催させるもの」という定義を与えるのはトートロジーではないだろうか。
トートロジーというか、「性的興奮」を独立に規定できないと論点先取になりますね。ただし、「性的興奮」をなんらかの形で規定できれば、「「表現が性的である」というのはそれが性的興奮を引き起すということだ」とするのはOKだと思います。