『猿の惑星』についての私の感想もやっぱり最高じゃないだろう (2)

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「猿が英語を喋ってる!?」

『猿の惑星』を見る気になったのは、登場人物だけでなくエイプの人たちが英語を喋ってるのがどうなのか、という話題をSNSで見たからです。

前のエントリに書いたように、主人公がそこが地球だとわからなかったのがプロットホールである、というのは私はよくわかりませんが、それが「猿含めてみんなが英語を話している時点で無粋な突っ込み」というのもわかりにくい。

異星人ものや異世界ものでの言語の設定が重要なのはその通りだと思うんですが、1960年代のハリウッド映画製作者たちがその程度のことも考えずに映画作ってる、というのは、 製作者に対してあまりにも侮辱的 なんじゃないかと思うのです。

ハリウッドで作られている映画がアメリカが中心で英語中心なのはその通りで、それは映画という大衆娯楽の制約ですね。昔は古代ローマだろうがパレスチナだろうがみんな英語しゃべって平気だったかもしれないけど、しょうがないとはいえだんだんそういうのがつっこまれるようになる。SF となれば当然のことです。そして、時代が下るにしたがって、普通はそれを正当化するような理由も映画のなかで明に暗に説明されます。

この『猿の惑星』という作品が独得なのは、主人公のテイラーたちが最初に出会う動物が人間(ヒューマン)であること、そしてそのヒューマンたちがほぼ他の動物同然の口も利けない状態にあることです。まあ異星人だったらしょうがないのか……しかしその後に数種類のエイプの人(複数の種族がいます)たちが登場して、残虐なヒューマン狩りをする。しかしそこでも言語は使われてないんですよね。

はじめて「惑星」の原住民(エイプの人も含む)によって言語が使われるのは、なんと、ヒューマン狩りをして戦利品としての死体を並べてエイプの人たちが「記念撮影」(!)をするシーンなのです。そこで「スマイル!」と発音される。そりゃみんなびっくりしますよ。 少なくとも 私はここでびっくりしました 。60年代に見てた人もびっくりしたと思う。エイプが 人間を殺して並べて「スマイル」 ですよ? それは、一部の日本人兵が南京でやったこと、太平洋戦争や朝鮮戦争やベトナム戦争でアメリカ人兵士たちもやったと思われること、全世界の戦争で我々が兵隊になったらやってしまいそうなこと、それに、 趣味としてのハンティング でいままさにやられていることなのです! 私らはそれで戦争の愚劣さやホビーとしてのハンティングの自分勝手さを思い出させられるし、そのときの言葉が「スマイル!」という 英語 であることには十分な意味がある。

そして「アメリカの映画では言葉は全部英語でやるお約束」っていうのに納得していない観客は、「なぜ英語なんだ?」っていう疑問を抱くことになる。これは、 この映画の核心部分にある謎 であり、製作者たちが適当にやってるからそういうことになってるんじゃないのです。私の解釈ではね。

言語でコミュニケーションを取れないことが作品の中で重要になったり、あるいは翻訳機を使ってコミュニケーションを成立させたりするんです。この言語の設定がけっこう英語中心的であることも昔のSFだなぁという感じですね。

こういうふうに先生はおっしゃるわけですが、いきなり地球で見たのとよく似た(てかまったく同じように見える)人間やエイプや馬に会い、人間とは 話が通じない のにエイプの人とは 英語で コミュニケーションが 取れちゃった ことがむしろこの映画のキモであるわけです(最初はわざわざケガで声が出ない 設定 にされて苦労したけど 文字でもOK! )。そこがむしろ 新しい わけなんじゃないでしょうか。

続き→ https://yonosuke.net/eguchi/archives/17350


(追記)

和田誠・三谷幸喜『これもまた別の話』をすすめられてめくってみたんですが、

三谷「この映画、猿が平気で英語喋ってるじゃないですか。それがある意味、伏線にもなってるんだけど。チャールトン・ヘストンは初めて彼らの言葉を聞いた時、どうリアクションを取ったんだろう、って気になってたんです。そのシーンが思い出せずに今回見直したら、なんのことはない、声が出てないから、リアクションが出来ないんですよね。セリフになってない」「うまくごまかしやがったなって感じです」「それに、最初に猿が喋る言葉が、狩った獲物と記念写真を撮る時の「スマイル」じゃないですか。あれが最初の一言だったっていうのが効いてるんですよね。」

とのことでした。まあ他もほぼ私と同じ見方してる。当然てば当然ですわね。

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