メンヘラソングとしての「都会」

まあ私が見るところ、典型的シティポップ/シティポップ代表曲は「プラスティック・ラヴ」と「真夜中のドア」です。とか書こうと思ってたら、『シティ・ポップとラジカセ』っていうムック本で尊敬するスージー鈴木先生が次のように書いてました。

ただ〔「シティ・ポップ」に関する本を〕パラパラとめくってみると、佐野元春や松田聖子まで取り上げられているので、現時点での定義からすると広義に感じる。ということは、松原みき「真夜中のドア〜Stay With Me」と竹内まりや「プラスティック・ラヴ」を軸とした現在のブームは、定義がより絞り込まれたことになる。(p.32)

まあやっぱり上の2曲がシティ・ポップですよね。仮にもう一曲、系統の違う曲をあえて加えるとしたら、大貫妙子先生の「都会」ぐらい。ずばりシティです。

「プラスティック・ラヴ」は1984年、「真夜中のドア」は1980年、「都会」は1977年で、まあ1970年代後半から10年弱ぐらいが狭義の「シティ・ポップ」が作られた時代だと言いたくなるところが私にはあります。「都会」は音的にも歌詞的にもシティポップ度はちょっと下がるけど、やっぱり「都会」を代表するタイトルと歌詞で強いです。

眠らない夜の街
ざわめく光の洪水
通り色どる女
着飾る心と遊ぶ

値打ちもない
華やかさに包まれ
夜明けまで
付き合うと言うの

泡のように増え続け
あてもない人の洪水
不思議な裏の世界
私はさよならする

その日暮らしは止めて
家へ帰ろう一緒に

夜、女、光の洪水、色、遊ぶ、華やかさ、夜明け、泡、ってな感じで、シティポップで常用される都会のイメージがぜんぶ出てきてる感じですね。ガラスなんかのクリスタルな感じがあるともっとよかったか。

とにかく主人公は都会で夜遊びしているんですが、もうそういう夜遊びに価値が見出せなくなって家に帰ろうとしている。どうも「裏の世界」も見てるらしい。1977年の都会の裏の世界ってどんな感じですかね。ピアニストの山下洋輔先生の昔のエッセイなんか読むと、みんなで睡眠薬とか口に放りこんで遊んでたっぽいですが、やばいですね。特に女子がそうなると危険だしやめといた方がいいので、家に帰るのはよい選択です。

歌詞は全体にネガティブで、特に「値打ちもない華やかさ」がいいですね。

問題は、最後の唐突な「その日暮らしは止めて/家へ帰ろう/一緒に」で、主人公が誰に話しかけてるのか何回聞いてもよくわからなかったんですよね。

主人公と聞き手はその日暮らししてたんですかね。あるいは、聞き手の方だけがその日暮らしで、主人公は毎日楽器や歌の練習とかまじめに続けてるのか。「夜明けまで付き合うと言うの?」っていうのが、「あなたは(孤独な)私につきあってくれるっていうの?」って聞いてたから、「んじゃいっしょに家帰ろう」になってるのがなんかへんだなと思ってました。

その日暮らししている彼氏に語りかけているのだ、という解釈を聞いてなるほどと思いました。その場合は、「あんた、こんなパーティーもどきに朝までいるつもり?もう帰ろうよ」って言ってることになってわからんでもない。ただ、彼氏にしてはなんか頼りないだめな彼氏だな、みたいなのは思います(坂本龍一先生ではないだろう)。むしろ、やばい道にはまりつつある女友だちを連れ帰ろうとしているのか。とにかく都会は誘惑が多くてたいへんですね。大貫妙子先生は全体にスムースだけどビブラートがちょっと不安定な感じがメンヘラを感じさせますが、メンヘラ的なのはこの曲では語りかけられている相手の女子なのかもしれない。

この3曲、音楽的側面も考えてみたいのですが、それはまたあとで。

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