翻訳ゲリラ:リー・C・ライス「スピノザ(バルーフ)(1632–1677)」

リー・C・ライス「スピノザ(バルーフ)(1632–1677)」

Lee C. Rice, “Spinoza, Baruch (1632-1677)”, Alan Soble (ed.) Sex from Plato to Paglia, Grennwood, 2006. https://amzn.to/2QZoQ26 の非合法訳です。しょこら・江口某訳。

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\ifx\mybook\undefined \RequirePackage{plautopatch} \documentclass[uplatex,dvipdfmx]{jsarticle} \input{mystyle} \title{スピノザ} \begin{document} \maketitle \howtocite \else \chapter{} \fi % ———————————————————––— % ———————————————————––—

バルーフ(ベネディクトゥス)・スピノザはアムステルダム出身で貿易商の息子である。彼の家族は異端審問の時期にスペインから逃れてきた。ラビ・ユダヤ教の伝統のなかで教育を受けたけれども、ポルトガル系ユダヤ教会から1656年に異端の廉で破門された。その後は哲学と新科学とに生涯を捧げた(望遠鏡用のレンズ磨きを職能とした)。スピノザは人間のセクシュアリティに関して明示的には何ひとつ書かなかった。1677年に遺稿として出版された彼の主著『エティカ』はその論題に関して高々二つの手短かな言及を含むにすぎない。他方、彼の生前に出版された二つの著作『デカルトの哲学原理』(1663年)および『神学・政治論』(1670年)はセクシュアリティに関して提供してくれるものが何ひとつない。

それにもかかわらず、セクシュアリティについて多くの思考を巡らせた後世の思想家は、自分自身の体系的思索をそれについて形成した先駆的な洞察をスピノザの功績とみなした。例を二人挙げれば、アルトゥール・ショーペンハウアー(1788–1860, Birnbacher および Schulz を参照せよ)とジークムント・フロイト(1856–1839, Bertrand を参照せよ)がそうである。スピノザの思考の三つの枢要な側面が、セクシュアリティの見解に対して彼の思考が及ぼした革命的な衝撃の説明となる。それらはすなわち、彼が科学から目的論的説明を消去しようと計画したこと、彼が人間の感情の新たな理論を樹立しようと努めたこと、それから、彼の徹底的な自然主義である。

スピノザは同時代人には『デカルトの哲学原理』においてルネ・デカルト(1596–1650)の哲学を鋭く批判した者として、また、革命的な政治思想家として知られていた。『神学・政治論』は、匿名で出版されたものの、彼の著作として認識されていた。『デカルトの哲学原理』は、デカルトの体系の信頼できる解釈を提供しながらも、読者にたいして多くの箇所でスピノザがデカルトに不服を覚えている核心部分へと注意を促している。『エティカ』はこれらの主題を発展させ押し拡げたものである。

デカルトの体系は根本的な二元論である。デカルトとガリレオ(1564–1542)は、数学的方法と原因説明の上での決定論的見解とともに近代科学を確立した者として広く認識されていた。こうした方法や見解は、一七世紀の思想家が「機械論哲学」と呼んだプログラムであり、このプログラムは、事象(reality)の質的な特徴の強調、科学における目的や目的論的説明、それから、自然的秩序の至るところに偶然的なものの存在を伴うアリストテレス主義の科学との訣別を象徴していた。けれども、新たな方法を擁護し念入りに仕上げるなかで、デカルトは人間の行動をその枠から免除したのである。精神と物体〔身体〕は根本的に区別される実体として概念化された。物体(延長する事物(res extensa)の世界においては自然法則が数学的に編成され例外のないものとして最高位として君臨しているのに対し、精神(思惟する事物(res cogitans)は自由意志を伴ってはたらくものであり、科学的説明の外にあると捉えられた。デカルトによれば、人間精神は神の精神、すなわち無限なる思惟するものに対しては限られたかたちでしか接触できないのであり、その結論として、質料的世界は神の被造物としてすみからすみまで目的を含むけれども、人間精神は世界を造る際の神の目的に神自身のようには接触できない(「第五省察」)。これにより、目的は科学者が自然を理解するのに使用する説明の範囲から追放され、機械論的説明は物質的世界については疑問の余地のないままとされた。

『エティカ』第1部への付録で、スピノザは、目的が、{\−−}知られているにせよいないにせよ{\−−}、自然の出来事のうちに位置を占めている、という主張を強く批判する。彼の目的論に対する詳細な批判は、以下の発言に帰着する:「自然は固定された目標を持たず、目的因は人間の想像の産物にすぎない。……目的論の教説は自然をひっくり返してしまっており、本来は原因であるものを結果とみなし、本来は結果であるものを原因であるとみなしているのである」。ここから出るふたつの帰結は『エチカ』の後続のふたつの章で仔細にわたって展開されている。人間の行動と精神の諸特徴とは、自然の中にある他のすべてのものと同じく、科学的な因果説明に服すべきものであり、目的は{\−−}生物学におけるそれの類比物が「機能」であるわけだけれど{\−−}いずれのものの説明においてであれ何らの用もなしていない。

ここから、性的欲望を「生殖機能」とのかかわりで説明するのは、矢が飛んでいるのを矢の目指しているところ{\−−}アリストテレス(384—322)の自然学(『生成消滅論』2巻4章)では、矢の「自然的な位置」{\−−}とのかかわりで説明するのと同じく馬鹿げているということになる。スピノザが性的欲望に与える定義は、こうした非機能的要素をうまく使っている。「性的欲動 (libido) は身体どうしが交じり合うことへの欲望であり愛である」(『エティカ』第3部付録定義48。またRice, “Spinoza’s Account” をみよ)。フロイトがその理論で性的欲望を説明する際に、スピノザの用いたラテン語の術語 libido を選んだことには注目すべきである。

目的論の拒絶とスピノザが性的欲望に与える定義との含意を理解するには、「欲望」や「愛」といった彼の概念を理解する必要がある。そうすると今度はスピノザの感情論へと向かうことになる。彼の感情論は、デカルトからのもうひとつの逸脱である。デカルトは情念を、本質的には身体的なものであり、それがなんらかのしかたで精神と相互作用するとみなした。スピノザは「感情」(affectus)を用いることで、情念を人間の幸福にとって有害なものとみなすデカルト的またストア派的な見解を退ける。スピノザにとって諸感情はそれらの根底にあるただひとつの力の諸表現であり、彼はこの力を「コナトゥス」(conatus)と呼んでいる。コナトゥスは与えられた状態の内部でじぶんを維持するための有機体の衝動であり、しばしば「自己保存」(self-preservation)と訳される。コナトゥスの理論は『エティカ』第3部で大規模に展開されている(Fóti; Mistura; Nails; Rice “Emotion” をみよ)。スピノザがいうには、コナトゥスは精神に関わる場合には「意志」(will)、身体に関わる場合には「欲求」(apptite)、私たちがそれを意識する場合には「欲望」(desire)と呼ばれることもある(『エティカ』第3部定理9備考)。それは力学的なしくみであって(Bickel; Burbage and Chouchan)、それが原因としてもつ効力は私たちがそれを意識するかどうかに一切関係しない。フロイトとスピノザとの違いは数多いが、ここにあるのはおそらくフロイトの無意識概念の先取りだろう(Hessing; Kaplan; Rice “Freud”)。コナトゥス的な活力はまた非機能的なものとして描かれ、スピノザはこう結論する:「私たちが何かへ向けて努力し(羅 conari. conatus の元の動詞:訳者註]、意志し、欲求し、欲望するのは、それを善いと判断するからではない。そうではなくむしろ、私たちが何かを善いと判断するのは、それへ向けて努力し、それを意志し、欲求し、欲望するからなのである」。感情を理解するためには、それに先立つ原因を特定する必要があるのであって、それが向かう先の空想上の目的を特定する必要はない。

感情作用は有機体が状態の変化を経験すると生じる。状態の変化に含まれるのは、生命力の増大や環境の支配か、あるいは生命力の減少か、のいずれかである。前者の場合には、「満足」(laetitia, しばしば「快楽」と訳される)が生じる。後者の場合には「不満」(dolor, しばしば「苦痛」と訳される)が生じる。これらは2つの基本感情である。スピノザはこれらを原始的ととらえることで、愛を「外在的原因の観念が伴う際の快楽」(Amor est laetitia, concomitante idea causae externae)と定義し、憎しみを「外在的原因の観念が伴う際の苦痛ないし不満」と定義する(『エティカ』第3部定理13備考)。これらはいずれも派生的感情である。愛は〔その外在的原因の〕観念が真なのか偽なのか、想像された観念が実在するのかしないのかによらず生じる。快楽が「身体の混交」という様式で経験されるなら、それは定義により性的である(Matheron, ”Spinoza” をみよ)。(『意志と表象としての世界』のある箇所で、ショーペンハウアーはスピノザの定義を引用を間違えながら嘲笑している。「それはあんまり素朴なので、面白がるために引用する価値がある:”Amor est tilliatio [sic], concomitante idea causae externae”[日「愛は外在的原因の観念が伴う際の快感である」:訳者註]」白水社版では「愛とは、外的な原因をともなっている一種の快感である」p.115)。

感情論はおそらく『エティカ』のなかで最も研究の手薄な部分であり(しかし、Jung; Schrijvers をみよ)、曖昧な点や問題がたくさんある。「身体の混交」はスピノザが与えているのよりもずっと多くの説明や解明を要求するものである。しかし、それは精神・身体の二元論と機能的説明を断固として拒絶しつつ、先行したものからの革命的変化を示しているし、スピノザの自然主義と完全に整合している。

スピノザの自然主義の根元は彼の形而上学にある。つまり、神と自然とは同じひとつの無限なる全体である、というのである。物体と思惟とのデカルト的二元論はスピノザによってこのひとつの無限実体のふた通りの記述として再編される。スピノザがこの無限実体に好んであてる術語は「自然」である。自然を自然学において物質として把握するにせよ霊魂論において思惟として把握するにせよ、科学は自然に完璧で「機械的」な記述を与えることができる。諸記述は同型的ないし平行的である:「観念の順序ならびに連結は事物の順序ならびに結合と同じである」(『エティカ』第2部定理7備考)。その連結は数学的に表現される例外のない因果法則、すなわち決定論のひとつである。こうした因果連鎖を理解することは、スピノザが『エティカ』第4部で展開する「治療」の基礎に当たる。「治療」の目標は、ストア派やデカルトにおいてのように感情の諸衝動を撲滅することではなく、それらをひとつにし、有機体がじぶんの環境を扱う力(potentia)を最大にするように生命へと統合することである。スピノザの治療の諸原理や、それらが後続の思想家に対してもつ関係については、多くのものが書かれている(Bernard; Gabhart; Rice, “Notes”)。

スピノザは治療の諸原理の例を性的行動と関連するかたちでは与えていない。そういうかたちで例を与えようとする試みはどんなものであれ、「スピノザ学」[spinozism]というよりはむしろ、フランスの研究者が「スピノザ主義[spinozéan]」と呼ぶものに当たるだろう。「スピノザ主義」はスピノザの思想を彼の論じなかった問題に拡張する試みであり(たとえば Rice, homosexuality の項の “Homosexualization”)、それに対して「スピノザ学」は文献的ないし歴史的な分析である。

一元論的自然主義、また、それによって超自然的秩序を拒絶することは、スピノザの社会思想と政治思想の基礎である。『神学・政治論』で彼が取り組んだ中心的問題は、市民的国家の権限が宗教的な党派や教理によって分裂していることであった。この問題は私たちの時代でもなお非常に大きなものである。彼の解決策はある種の世俗主義であり、また同時に個人の自由が雄弁に要請される。宗教的な教理は私的領域に制限され、それが市民社会におよぼす影響は主権的政治権力の支配下に入る。最良の国家は、個人の自由を最大にし、多様性を強調する国家である。結婚は宗教的な制度でも性的な制度でもなく、子供を育てるために社会がなす合理的な工夫としてとらえられる(『エティカ』第4部付録20項)。スピノザが付け加えていうには、結婚は「男女双方の愛が見た目のよさだけでなく、とりわけ精神の自由をも原因としている」とき最良のものとなる。これは、ふつうはフェミニスト的思想に親和的とはみなされるないその時代においては、目新しく平等主義的な発言だった。アレクサンドル・マトゥロン(”Femmes”)はスピノザの思考を現代フェミニズムの諸テーマと接続しながら「スピノザ主義」的に展開してみせる。私が思うに、私たちはやがてスピノザの提案の展開を「クィア理論」の領域にみることになるだろう。スピノザがセクシュアリティについて書いたのはわずかなものだったけれど、感情作用一般、そしてなかでも人間のセクシュアリティを理解するために彼が提供した枠組みは、きわめて見込みのあるものなのである。

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