ブライジ先生とバドゥ先生の”Searching”に見る音楽美学の対立

ツイッタで、ロイ・エアーズ先生のSearchin’という曲を教えてもらったのですが、その前にまずこの2曲を聞いてください。

ブライジ先生のは1997、バドゥ先生のも1997年なんですね。ブライジ先生は1月にフルアルバム出していて、バドゥ先生ライブは1997年の11月の発表。ファーストのBaduismを出したのも1997年で、同じ年にライブ盤も出してんですね。

これは当然同じ曲のカバーで、上で述べたように原曲はロイ・エアーズ先生の1976年の曲ということらしいです。私知りませんでした。

この曲、いちおう歌詞(Do you hear what I hear? Can you see what I see?とか)ついてるAメロ、あるいはヴァースと呼ばれる部分(キメがかっこいい)と、「Searchin’」ってくりかえしてるBメロ、あるいはサビの部分が交互にくりかえされる形式になってますね。サックスのソロはサビの部分をつかっていて、バイブのソロはAメロのところをつかっている。Aメロのコード進行はEm7(9) – Bm7とかかな?サビはAm7 – D7 – Gm7とだと思う。まあだるくて気持ちいいですね。おしゃれかと言われると現代の耳にはさほどおしゃれではないけど、ダサかっこいい感じ。

んで、二つのカバーですが、バドゥ先生のはいちおう原曲のコード進行にのかってるんですが、ブライジ先生のは実は違うんですね。おそらく、ブライジ先生は、原曲のサビの部分Am7 -D7 – Gm7 の進行でバースの部分まで歌ってる! ほぼずっと一本道なんですわ。んでさらに自分でスキャットやる部分(オーオーオー!の部分)に勝手に(サビによく似てるけど)別の進行入れてるっぽい。

これはおもしろいですね。つまりブライジ先生は、「エアーズ先生のSearchin’はすばらしい曲だが、だるいAメロのコード進行はいりません!余計です!サビだけでいいではないですか!そしてもっとわたしの超絶ボーカルテクニックを聴いてもらいます!」ってやってるわけです。背景にはヒップホップ的な「ループだけの方がかっこいい!」という美学があります。

おそらく、さすがにここまで原曲いじっちゃうというのはどうなのか、著作権の同一性保持権とかにひっかかりそうだ、というわけで、原曲の作曲者のロイ・エアーズ呼んできてバイブ弾いてもらってその名誉を称えエクストラのギャラ出してるわけですね。エアーズ先生もそれなら文句ないだろうし。きっちり筋を通す姉御、それがメアリー・J・ブライジ先生。

後発のバドゥ先生がこのブライジ先生のやつを聴いてないわけがない。時代的には、バドゥ先生がデビューしたときにもっとも巨大な先輩、ライバルだったかもしれんし。バドゥ先生の言い分はおそらく「たしかにブライジ先生のはかっこいいけど、もっと原曲を尊重したシンプルなかたちでも充分かっこいいはずだ!Aメロのところだって生バックバンドにソロさせてかっこよくやるのだ!」「そもそも原曲のAメロのところのキメとか、サビに行く直前のところとかがかっこいいわけじゃないですか、そういうのちゃんと生かしましょうよ!」と言っているわけです。おそらくあきらかにブライジ先生たちのヒップホップ的なやりかたに対抗して新しいブラック音楽のやりかた(「ネオソウル」と呼ばれるわけですが)を提案している。バドゥ先生たちは単に気持ちいいとこだけとりだしてループさせるヒップホップ的なシンプルやなりかたより、演奏者のアドリブとか入ったジャズっぽい高級路線を選択するわけですよね。これはおもしろいチョイスだ。

もっとも、ブライジ先生の「気持ちのよいサビだけで充分である、前置きはいりません、あとは私が勝手に即興で歌います!」という方針は、JB先生までさかのぼる非常に伝統的なものでもあります。このPlease Please Pleaseって曲は実際サビしかなくて、前置きなしでいきなり核心、同じこと延々繰り返すわけですよね。

まあそうした黒人音楽美学の対立を見ておもしろいと思いました。でも本当にそうなのかどうかはよくわからないヨタ話なのでまにうけないように。

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