性的モノ化とセクシー化 (5) 「セクシー化」の方が使いやすいのはなぜ?

「性的モノ化/客体化/物象化」より「セクシー化」の方が議論に使いやすい、というか有用だってな意味のことを書いたんですが、私がなぜそう考えるのかちゃんと理由書いてませんでした。

「性的モノ化」が使いにくい概念であることは、このシリーズの(1)で書きました。

  • 自発的なモノ化(たとえば、自撮り女神様、ポルノ出演等)は不正ではない
  • アニメやイラストは誰もモノ化していない
  • 表現物が、男性を介して生身の女性のモノ化をひきおこすという因果関係を立証するのは困難

とかそういう感じですね。

実在の女性 → 集団としての女性のイメージ → 作者の頭のなかに結実した像(ビルド) → 作品 → それを見る鑑賞者 → 鑑賞者の頭のなかの女性に対するイメージや偏見 → 実在女性の被害、不快

上のような図式で考えようとすると、いろいろ論点が多過ぎるように思います。

一方、フレドリクソン先生の心理学における「モノ化」や「セクシー化」の議論は、表現物の影響によって男性の考えが歪み、それが男性の性暴力など女性に対する悪しき扱いを引き起こす、という形にはなってないのですわ。

作家の頭のなかで生まれた表現物 → それを見る女性が内面化する → 女性の不快、鬱、摂食障害、活動低下、交渉力不足など

っていう形になっています。 メディアで女性のセクシーなボディや女性的ステレオタイプが頻繁に描かれることが、女性の心理的負担になるという形で、女性に対する「抑圧」と呼ばれるものが(男性を経由せずに)直接引き起こされるというモデルなので、実証的な立証も「男性による女性の性的モノ化」よりも単純ですわ。

そしてこれは、作家が男性であろうが女性であろうが関係ないですしね。へんな言い方をすれば、ここの作家や出演者や自己モノ化する人々が何を考えいようが、その自由な行動と表現の裏に、苦しむ人々が発生するリスクがある(のでコントロールするべきだ)、みたいな議論をすることが可能かもしれないのです(私は簡単には同意しませんがね)。

文化的に女性はなによりセクシーなものだ、セクシーな方が高く評価される、セクシー最高!っていうあつかいを受けることが、(少なからぬ)女性にとって被害である、と示せればよいわけです。どうですか、魅力的でしょう?

(まだまだ続く)

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