キャサリン・マッキノンとアンドレア・ドウォーキンのラインの考え方では、性表現はよい性表現と悪い性表現がある、と。それを分けましょう。たんに友好的で平等で自発的で楽しいセックスを描いた「エロチカ」と、女性をものみたいに扱ったりいじめたり差別したり男性に従属させている「ポルノグラフィ」に分ける、と。
このエロチカとポルノ(グラフィ)の分け方は、従来の「猥褻なもの」とかの意味のポルノと混同しやすいのでよくない言葉の再定義ですよね。いろいろ問題が起こります。
まあとにかくポルノはそれ自体が女性をモノ・物品・商品として扱い、女性を苦しめ、女性を男性より下の地位に置いているので差別的であり、性暴力である、ってわけです。
あとは無理やり写真やヴィデオ取られたり、ポルノ無理やり見せられたり同じようなことをしろって命令されたり、「いやよいやよって言ってのは喜んでいるだろう、へへへ、体は正直だぜ」みたいな性暴力の原因にもなっている、というわけです。困りますね。
というわけで彼女たちの派閥の人は、1980年代前半にイリノイとかミネソタとかあそこらへんで条例を作って、そうした女性差別的ポルノを規制しようとするわけです。ただし「そういうポルノを製作販売したら罰する」とかって刑法的なものじゃなくて、「そういうポルノによって被害を受けたっていう民事倍賞を求めることができる」みたいなタイプの民事的な条例です。
まあ刑事だろうが民事だろうが、こういう法律は実際に表現を規制することになります。だってなにかるたびに「これは性差別的な表現だから賠償を請求する!」って裁判起こされたらおちおち出版とか制作とかしてられないですからね。
まあそういうふうにしてマッキノン=ドウォーキンの条例とかは表現の自由っていう大原則と真っ向からぶつかることになります。すごい議論になってみたいね。それまでわりとまとまってがんばって運動していたフェミニスト陣営もこれをどう扱うかっていうので真っ二つに割れる。マッキノンたちの批判はもっともだからポルノ規制しようという派閥と、いや表現の自由はすごく大事だからフェミニストとしてこそ表現の自由を優先するべきだ、みたいな。
実際にマッキノンらが作った条例はどれも違憲判決が出てつぶれます。でもフェミニスト内部にはしこりが残ったままだし、彼女たちが主張したポイントは一応じゅうようなものだと思われています。
いまアメリカとかのAVとか見ると、女性は「おー、いえーす、いえーす、いえーす、おーカモーン、オーイエ〜〜〜ス」とかやっているわけですが、あれは昔はおそらく「おー、ノー」だったんですが「ノー」だって言ってんのにエッチなことをするのはやばいので、「イエス」っていうようになったらしいですね。ポルノ女優じゃなくて一般人がどういうふうに言ってるのかはしりません。あと必ず女性が上になったりもするわけです。そういうのもフェミニストの人々が運動した成果といえるのかどうかはまあよく知らんですが。まあとにかくそういうふうにすることによってポルノじゃなくてエロチカです、というわけでしょう。まあああいうのエクササイズやってみるみたいでどの程度エロいのかよくわからんですな。
マッキノンの本は難しくて読みにくいです。英語で呼んでもよくわかんない部分が多いいし、昔の翻訳もあまりよくないですが、APP研の中里見先生たちのやつは正確でグーです。反マッキノン陣営のストロッセン先生のもいっしょに読んどいたほうがよいです。
私もここらへんの勉強はじめたときにちょっと研究ノートみたいなのかいたことがあるんですが、これ読むよりは下の『ポルノグラフィと性差別』の解説とか読んだほうがいいんじゃないかな。でも一応貼っておきます。「ポルノグラフィとフェミニズム法学」 http://hdl.handle.net/11173/345
青木書店
売り上げランキング: 108,237
ポット出版
売り上げランキング: 221,485
Views: 95
コメント