哲学者・倫理学者といえばカント先生。しかしそのカント先生を専門的に勉強していた人が犯罪で逮捕されたというので話題になっているようです。まあ正直なところまったく同世代なのでいろいろ考えちゃいます。でもまあ別に倫理学勉強したから犯罪しなくなるってわけじゃないですからね。物理学勉強したってビルから飛んだら落ちるし、医学や生物学勉強したって100年ぐらい生きたら死んでしまう。私には因果関係とかよくわからんですし、限られた報道からは容疑者の人がどういうことを考えていたのかは想像もつかない。
しかしまあカント先生は本当に影響力のある先生で、道徳の一番基本的な形は「あなたは、あなた自身のうちにあるものにせよ、他の人のうちにあるものにせよ、その人間性を単なる手段として扱わず、常に同時に目的として扱いなさい」っていうものだっていうのは(もうちょっと別の訳の仕方もありますが)、倫理学者の言葉で一番有名な文句になってます。「定言命法の人間性の定式」とか呼ばれてる。おそらく一番有名なんじゃないですかね。これより有名なのはイエス様の「あなたがしてほしいように他の人にしなさい」とか孔子様の「汝の欲せざることを人に為すことなかれ」ぐらいになっちゃって預言者聖人はては神様の領域になってしまう。
しかしこの「単なる手段としてではなく〜」ってやつはけっこう解釈が難しくて、これがどういう意味かってことと、カント先生はなぜそうしなきゃならないって考えたのか、ってことをすっきり説明できれば哲学の修士論文としては十分すぎるくらいになってしまう。博士論文でもいけるだろう。実はわたしはうまく説明できません。
でもまあぱっと見たらわかることもある。とりあえず人を手段・道具として使ったらいかんのだな、と。性犯罪とかってのは(上の犯罪は誘拐や監禁でしょうから性犯罪なのかどうかよくわかりませんが)、他人を自分の性的な目的、性的な快楽のための単なる道具とすることだ。もう相手の気持ちとかどうでもいいから、あれをあれしてあれしてしまいたい、とそういうことでしょうからね。性犯罪だけじゃなく、多くの不道徳な行動ってのがけっきょくは他人をなんらかの利己的な目的のための道具とすることなのだ、というのはまあわかる気がします。
「常に同時に目的として」の方はちょっとわかりにくい。授業していても一番難しいのはここですね。私はまあ標準的な解釈として、「その人の自由、自律、自己決定を尊重するということなのだ」ぐらいでお茶を濁しています。実はそんなうまくいかないんですが。他人を道具として使わないってことは、自分の目的の手段として使わないということで、その人の自由な意思を尊重することだ、ぐらいに読むんですね。私らは社会のなかでいろいろ他人を手段として使わないと生きていけない。床屋さんにいったら床屋さんを自分の髪の毛を短くするという目的のための手段として使うことになる。でも床屋さんは自由意思で床屋さんになることを選び、そういうサービスを提供することで私から4000円もらいたいと思っていて、サービスを提供してくれる。床屋さんのそういう意思を尊重して髪切ってもらって4000円払うことによって、私は床屋さんを単なる手段としてではなく同時に目的として扱うことになるのです、ぐらい。
まあそんで、この「人間性の定式」っていうのは非常に影響力があって、それ以降のふつうの人びとの道徳的な思考に巨大な影響を与えてるんじゃないかと思いますね。「人を道具として扱うな!」ってのはまさにフランス革命から19世紀〜20世紀にかけての奴隷解放とか女性解放とかそういうのの原動力になっている信念です。カント先生のころはまだ身分とか奴隷とかあった時代ですからね。
セックスの哲学にもこの「道具として扱うな!」てのはすごい大きな影響を与えてます。たとえば、痴漢強姦はもちろん、売春とかってのが批判されるのは、お金で女性を性的快楽のための道具とするからだ、っていう考え方ですね。あるいは専業主婦とかってのも家事とセックスのための道具として妻を見ているのだ、とか。グラビアアイドルも女性をモノとして見ていて許せん、ミスコンも女を商品として扱ってる!現代的な感じではこれは「モノ化」「物象化」objectificationの問題と呼ばれていてすごくおもしろいネタです。
カント先生のセックス哲学がおもしろいのは、強姦とか誘拐監禁だけじゃなくて、実は結婚してない人びとがするセックスはぜんぶだめ、それにマスターベーションとかも許せん、って主張していることなんですが、今日はこれくらいで。続きます。
「モノ化」については昔1本論文書いて、最初の方でカント先生の文章紹介しているので、だめな論文ですがよかったら読んでみてください。ここらへんからセックスの哲学・倫理学やりたいと思ってたんですが、なかなかうまいこといかないんですよね。
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