カント先生とセックス (5) オナニーも禁止です

カント先生によれば、売買春やセフレがだめなだけではありません。オナニーもいかんです。いいですか、オナニーもいけません。

性的傾向性(性欲)の濫用が「情欲の罪」です。んで、売買春とか姦通とかは「自然にしたがった」罪で理性に反しているのですが、自涜(オナニー)は自然に反した罪です。

自然に反した情欲の罪には、自然本能や動物性に対立するような性的傾向性の使用が属する。自涜はこれの一つとして数えられる。これはまったく対象を欠いた性的能力の濫用である。すなわち、われわれの性的傾向性の対象はすっかりなくなっているが、それでもわれわれの性的能力の使用がまったくなくなっていずむしろ現存する場合のことである。これは明らかに人間性の目的に反しており、しかもその上動物性にも対立する。これによって人間は自分の人格を投げ捨てて、自分を動物以下に置く。……自然に反した情欲の罪はすべて人間性を動物性以下に低め、人間を人間性に値しないものにする。このとき人間は、人格であるに値しない。だから、それは、人間が自己自身に対する義務に関して行うことのできる最も卑しく最も低劣なことである。自殺も確かに人間が自分に関して冒す可能性のある最も身の毛のよだつことではあるが、あそれでも自然に反した情欲の罪ほどには卑しくも低劣でもない。こちらは人間の犯す可能性のある最も軽蔑すべきことである。まさにそれゆえ、自然に反した情欲の罪は口にできないものでもある。というのは、この罪を口にすることによってでさえ、吐き気が催されるからである。

えらい言われようですね。みなさんは動物以下です。人格であるに値しません。

カント先生のころは「自然の目的」とか生物の「合目的性」とかってのがもてはやされた時代で、まあ人間、広くは生物はみんな生きるとか繁殖するとかって「目的」にあった体の構造をしていると考えられてました。

自然において性欲というのは子どもをつくる「ため」にあるものだろうから、子どもができないような性的活動というのはすべて性欲をまちがった方向につかっているよ、ってことですね。同性愛や獣姦も子どもを生むという「自然の目的」に反しているから同罪。

この自然の目的とか合目的性とかを使って、カント先生はけっこう重要な議論をしてるんですよね。たとえば、先生に言わせれば、人間の生存の目的は、快楽や満足という意味での「幸福」ではない。なぜなら、快を味わったり満足したりすることは人間以下の動物でもできる。むしろ人間は理性があるからいろいろ考えちゃって快楽や満足を味わうことができなかったりするし、セックスとかも動物の方がうまくやってる。理性は幸福の邪魔をしているじゃないか。ってことは、人間が理性をもっているのは快や満足のためではないはずだ。だから人間が生きる目的は快や満足のためではないはずだ。そんな議論を『道徳の形而上学のための基礎づけ』の最初の方でやったりしてます。たしか西田幾多郎先生もパクってたような。

まあこういう生物に「目的」があるはずだ、みたいなのは19世紀なかばのダーウィン先生以降だんだん弱くなってるんですが、こういう「本来の目的」とか「自然」とかってのはいまだに人びとの思考のなかでは意義があるみたいですね。「人間は自然にしたがって生きるのが一番だ」みたいな。人間が「自然」に生きたら、まあ殺人とか強姦とかいろいろやるだろうし、女性は10人ぐらい子ども産んでぼろぼろになるだろうし、あんまりいいことじゃないと思うんですけどね。

人間の指はなにかものをつかむ「ため」にこういう構造になってるんでしょう。もとはサルと同じように木登りとかするためでしょうね。でもこれが指の本来の目的だ、とかっていわれたら、鼻をほじくったりするのが自然に反した使用法なのか。少なくともキーボードを叩くのは自然に反してますよねえ。困ります。数学とか論理学とかやるのでさえ、なんか人間の能力を自然に反した使用しているのではないか、みたいなことさえ言えなくもないかもしれない。

カント先生の議論でもうひとつ気になるのは、オナニーでは性的傾向性の対象は存在しない、みたいなやつなんですが、これどうなんですかね。まったく対象が存在しないで意識が自分だけを向いているオナニーとかありえるのかどうか。私はAVとかポルノとかBLとか見たり、あるいはクラスメートとか思いうかべたりして、なんか意識の対象が自分以外に向かってるのが普通じゃないかと思うのですが、どうでしょうか。ここらへんは現象学者とかに研究してもらいたい。そういう話を以前そういうのに詳しい偉い先生としたときには「いや、オートエロティシズム(自己性愛)というのはもっと複雑なものだ」みたいなことを言われました。ここらへんはおもしろい。

まあオナニーの他、同性愛と獣姦がこの種の「自然に反する」行為に含まれます。獣姦はともかく同性愛の方はそういうこと言われても困りますね。まあ西洋人がこういうカント先生的な偏見から人びとが脱出するまで150年かかります。っていうかまあいまでもあれですね。

オナニーに対する社会の態度まわりはいろいろおもしろい研究がありますね。この前読んでたのはこれ。

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コルバン先生はエロ本とか、教会の「告白の受けつけマニュアル」みたいなのとか狩猟してインテリ向けエロ本みたいなのを作ってる人。ぶ厚くて読んでも読んでも終りません。

国内でも明治〜大正〜昭和中期のオナニー禁止教育のことを書いてた本があったと思うんですがどれだったかな。赤川学先生だったか、他の先生だったか。

あと映画だと『キンゼイ』がおもしろかったです。キンゼー先生は初期の性科学者で、それまでやってなかった大規模な聞き取り調査とかして人びとの性行動を明らかにして『キンゼイ・レポート』出版して、人びとは実はオナニーや同性愛、不倫、その他ばんばんいろんなことをしているのだ、ってやって世界を変革した偉人です。どうも子どものころの教育のせいでオナニーに対する罪悪感に苦しんでたみたいで、そこらへんもこの映画で描かれてます。性の巨人。

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書いてはみたものの、「オナニー」じゃなくて「マスターベーション」を使うべきだったかな、とか。

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