キリスト教とセックス (3) ベンサム先生はイエス先生は同性愛もいけた、と推測している

イエスさん自身は、飲み食いしたりセックスしたりすることを非難したことはない、ってのはベンサム先生が言ってるようです。まあ実際飲んだり食ったり好きな人ですしね。売春とかしている人にも「やめろ」とか言った形跡もない。さらにベンサム先生によれば、イエスさんは同性愛もぜんぜん非難してない。それどころか、イエス先生自身同性愛に積極的だったのではないか、とベンサム先生は考えてます。

「マルコによる福音書」でのイエスさん逮捕のシーンはこんな感じ。

イエスがまだ話しておられるうちに、十二弟子のひとりのユダが進みよってきた。また祭司長、律法学者、長老たちから送られた群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。 14:44イエスを裏切る者は、あらかじめ彼らに合図をしておいた、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえて、まちがいなく引ひっぱって行け」。 14:45彼は来るとすぐ、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。 14:46人々はイエスに手をかけてつかまえた。 14:47すると、イエスのそばに立っていた者のひとりが、剣を抜いて大祭司の僕に切りかかり、その片耳を切り落した。 14:48イエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。 14:49わたしは毎日あなたがたと一緒に宮にいて教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。しかし聖書の言葉は成就されねばならない」。 14:50弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。

「耳切りおとす」ってのはすごいですね。武器とか用意しているし。イエスさんのまわりはおそらく反権力暴力集団でした。でも当局によって壊滅的打撃を受ける。このあと。

14:51ときに、ある若者が身に亜麻布をまとって、イエスのあとについて行ったが、人々が彼をつかまえようとしたので、 14:52その亜麻布を捨てて、裸で逃げて行った。

なんか滑稽なシーンで、モンティパイソンとか思い出しますけどね。でも悲劇的。この若者は他の偉い弟子がイエスを見捨てて逃げたのに最後までついていった一人。亜麻布ってのは当時は高級品で、この若者は男娼だったのではないかという解釈が昔からあるらしい。ベンサム先生によれば、人びと(訳によっては「若者たち」になってる)がその若者をとらえようとしたわけだけど、これつかまえてなにをするつもりだったのか。ベンサム先生がほのめかしているのは、男色レイプをしようとしたんではないか、とかってことらしい。

あとはまあヨハネによる福音書の最後の晩餐でも、弟子の一人がイエスの「胸によりかかっていた」とか。時代や文化が違うけど、まあそういうのってふつうあれですよね、というわけです。男同士ってふつうそんな身体的に親密にはならんですからね。

ここらへんの話はスコフィールド先生の『ベンサム』で読みました。おもしろいので読んでください。

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ベンサム先生自身のセックス観、同性愛観みたいなのはわりと注目されています。「同性愛について」とかいろいろ文書残してます。まだ十分に解明されてないけど、おそらく性の巨人。最近も哲学関係のブログでベンサムの私生活はどうだったか、みたいなのが研究されてるって話読んだけどURLわからなくなってしまった。

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コメント

  1. Anonymous より:

    面白いので、どんどん読み進んでおります。―― 聖ヨハネがイエスの「胸によりかかっていた」という点については、絵図がたくさん載っている『さあ横になって食べよう』という書物があって、まあタイトル自体がネタバレですが、実は至って自然な姿勢だったのだ、という解釈もあるようです。

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