- まあとにかく大学院進学。西谷先生は私の人生についてほんの数秒でさえ考えてなかっただろう。
- ワープロ買った日から日記をつけはじめているのだが、フロッピーとかなくしてしまった。
- 大学院に入って奨学金もらえることがわかってPCを買ったんかな。んで1989年の5月17日からの日記が残っている。ここらへんから記憶が少しはっきりしてくる。やっぱり日記は大事よね。
- 現在残っている日記の最古の記述は「やっとMifesの使い方が解りかけ、ワードスターも使えるようになったのだが、なんと、この辞書は小さいものだというではないか。100キロバイトも少ないなんて信じられない。どうりで頭がわるいと思ったぜ。これから辞書を鍛えた方がいいのか、はたまた一太郎を使うべきなのか。悩むところではある。」ははは。
- 研究計画とか出さなきゃならなくて苦しんでいるようだ。『不安の概念』読んでなんとかしよう、みたいなことを書いている。フロイトやサルトルの話も出てきているな。
- 枡形先生の授業は前年で終ったのかな?デンマーク語勉強会に参加させていただく。ほんとうに世話なったよなあ。メンバーは前年の購読に出ていた人々。
- 大学院進んだのは、学部生活ではテツガクとかそういうのがいったいなんなのかさっぱりわからなくて苦しんだからとしか言いようがない。まあその時点で離れてればよかったんだけどね。失敗している。苦手なものに自分から寄っていくのは馬鹿である。
- 日記読みなおしても延々苦しんでいる。ははは。
- Mになるとさすがに二次文献を見るってことをおぼえたようだ。Mac C. TaylorのJourney to Selfhoodとか読んでいる形跡がある。いや、これ学部生のときも見てるのかな。この人いまなにやってんだろうね。キェルケゴール → ヘーゲル → ポストモダーンみたいな進み方をした人。
- M1のときから林忠良先生の授業に出てるな。先生はヘーゲルが好きなのでもうけっこう苦しんだ。話を聞いてるとわかったような気がするんだけど、自分でパラフレーズしようとするとできない、みたいな。
- もうヘーゲルの論理学というのはものすごいものでねえ。「AはBである」みたいなのが「すべてのAはB」なのか「すべてのBはAなのか」みたいなのに悩まされる。
- まあ文閲で1日過す日々、だったような気がする。当時はタバコも吸えた。
- まあ学部生からこのころまで、雰囲気が宗教学っぽかった。研究室も森口先生の影響でそういう雰囲気があったんだよな。チェスタトン読んだりしている。
- 無駄な読書をくりかえす。ドイツ語やデンマーク語は読めないから、とにかく英語ぐらいは読むかなー、みたいな。James Collins先生のThe Mind of Kierkegaardとか。
- 読書会ではボンヘッファー読んだりパスカル読んだりカント読んだりしている。
- Josiah ThompsonのKiekegaard: A Collection of Critical Essayっての読んでやっと人間になりはじめる。外国語で分厚い研究書は読めないけど(日本語でも)、短い論文なら読めることに気付く。特にLous Mackeyの”The Loss of the World in Kierkegaard’s Ethics”とか読んで、キェルケゴールを批判するってのはありなんだな、みたいな。やっぱり英米系の伝統の上でちゃんと解釈してちゃんと批判するってのは大事ね、みたいなのに気づく。
- そうやっていろいろ英語二次文献読んでて一番衝撃受けたんはBrand Blanshardの”Kierkegaard on Faith”かな。これは破壊力のある論文だった。キェルケゴールはクソだ!みたいな。英語圏の哲学の伝統からキェルケゴールを読む、っていうのになんか可能性あるかもなあ、みたいな。
- でもまだはっきりした手掛かりはもってなかった。そもそも「倫理学」ってのがどういう学問かのイメージがこの時点でまだなかった。
- 文献でよくひかれているウィトゲンシュタインとか一応読んでる。わからん。
- M1の1月にLanguage, Truth and Logic買ってるなあ。ここらへんでちょっと目覚めた。エイヤー先生は偉大だ。
- 3月に『恐れとおののき』が最高傑作だな、みたいな印象を書いている。
- M2。衝撃の怖い先生降臨。ヘア読む。ここらへんは「功利主義とわたし」で書いたけどすごいショックだったねえ。でもやっと自分の感覚はそれほどおかしくない、って思うことをはじめる。
- 初夏の時点では先生も怖いし、私生活の方でもあれだったので就職するつもりだった。でもまあヘアとそのまわりの議論を見たおかげで倫理学とか道徳とか哲学ってものがなんであるのかやっとかいま見えてきた感じ。
- M2の5〜6月ごろの日記を読むと、「大学院進んだのは失敗だよな」みたいなことばかり書いてる。失敗でしたよ。ははは。まあこのあともずっと「反復」してんだけどね。
- あれ、M2で翻訳はじめているのか。数年後に枡形先生編監訳の『キェルケゴール:新しい解釈の試み』ってのになるやつ。まあここらで英米の研究者の研究を意識している。
- 修論ではまあとにかくBranshard先生の問題意識をもってヘア先生のアイディアをとりいれて『恐れとおののき』読むとどうなるのか、みたいなのを書こう、とか。
- まあそういうんでなんとか修論出す。だいたい原稿用紙100枚分以下、みたいな分量が標準だったが、70枚ちょっと分ぐらいしかなかったんちゃうかな。ははは。
- 就職するかどうかの最大の「あれか/これか」。
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