なんか文句みたいなのいろいろ書いてしまいましたが、『性的であるとはどのようなことか』の第2章と第3章はたいへんおもしろい議論をしていて、これは高く評価されるべきだと思います。勉強になりました。
第2章では、性的な広告(「性的」がどういう意味であれ)は、その場所の「雰囲気」を悪いものにする(可能性がある)、という議論がおこなわれます。第3章では、性的な広告は我々が日々かぶっている性的な「ペルソナ」(仮面)をひきはがしてしまう、という影響が論じられています。
雰囲気
どちらもおもしろい議論なんですが、「雰囲気」の方についていえば、たしかに壁にべたべたヌードポスター貼られたりポルノが映し出されてたりしたらいやなもんでしょうね。あるいはたとえば女性をモノ(セックスオブジェクト)のように扱ってるのとか、雰囲気悪くなるだけでなく、実際にそうした雰囲気のなかで生身の女性をモノのように扱う、ということが許容されてしまうような環境が形成されてしまうかもしれない。
たいへんおもしろく、説得的な論点ですね。でもSNSで話題になってる「性的な広告」ってそういうもんだったでしょうか。これも「仮に露骨な作品が公共機関に掲示されていたら〜」という議論になってるように思います。
また、我々の文化は、次第に男女の性的な魅力やいわゆる「エロティックキャピタル」をおおぴらに称揚し、また利用する方向に向ってきていると思うんです。道を歩いてもネット見ても、性的に露骨とはいえないけれども魅力的な男女だらけで、そういう雰囲気に私たちは刺激され、また同時に慣らされている。そこらへんどう考えるかですね。
アニメ・アニメ絵のものも広く利用されるようになっていて、そういうのが嫌いな人はいやかもしれないけど、ポジティブな面もあるだろうし、(もし「性的」な魅力がそれ自体許せないほど「悪い」というわけでなければ)ポジティブなのとネガティブなのと両方見た上で「悪い」とか「悪くない」とか判断したいですね。
ペルソナ/仮面はぎ
「ペルソナ」の方は、我々は自分の性的な欲望や嗜好などはおおっぴらにはしないようにしていて、そういう意味で仮面をかぶって生活しているわけですが、性的なマテリアルとかいきなり見せられると、「興味」や「嫌悪感」も含めて、不随意の反応(身体的反応とまではいかないまでも)してしまい、仮面を剥される感覚をもつことがあるのでよろしくない、ということなんだと思います。これもおもしろい。
ただこれについては、仮面はがされそうになるっていうのは性的な広告だけでなく、生身の人々の服装や行動によってもはがされそうになることがありますね。私のそこそこ長い教員生活でも、非常勤先では(非常勤先ですよ!どこかは書きません)、すごく薄着で横から胸とか見せてる人や、胸がらあきだったり超ミニスカだったり、さらにはそれでそこらへんにごろごろ転がってパンツ見えてる人とかいて、仮面剥されそうになることがある。でもまあそういうのは自由だから見て見ぬふりをする。(でも見ぬかれたらしいときが1回ある、ははは)’
となると、性的な(性的に魅力的な)広告とかが「悪い」というためには、ふつうの人物の性的魅力のディスプレイにはないが、広告表示にはあるであろう、広告独自の問題も説明しとく必要ありそうですね。ただしそれはそんなに難しくないだろう。
というわけで、第2章・第3章の議論はたいへんおもしろいので、みんなぜひ読んでほしいですね。
さて、このシリーズの冒頭で「苦しんだけど解決した」と書いたのは次のような発見があったからです。
私は「性的な広告をめぐる論争」っていうので、日赤の宇崎ちゃんと「赤いきつね」を典型例に考えてたんですわ。何度も書くように、それらは性的に魅力的かもしれないけど、難波さんの言う意味では「性的」であるようには思えない。そして、議論は、あたかも(フェミニストが批判している)ポルノグラフィを堂々と公共の場に掲示したらどうなるか、という話のように読めて苦しんでいたのです。
でもSNSで「そんなに露骨な広告が話題になったことあったのかなあ」という趣旨のことを書いたら、「オレンジページのサイトにエロマンガ(?)の宣伝が出て騒ぎになった」というケースがあったことを教えてもらいました。
難波さんが考えてたのはそういうやつだったのかな? 私も昔、宇崎ちゃんの件について某所に書いたとき(https://gendai.media/articles/-/68733)、こう書いたんですわ。
現在私たちがWebを見たり、スマートフォンのアプリを使用したりするときには、明らかに性的なコンテンツやゲームの広告が、時には頻繁に表示されることがある。そうしたしつこい性的な広告を不快に思う人は多いはずだし、私自身も不快である。
難波さんが、宇崎ちゃんや赤いきつねじゃなくて、そういう露骨なポルノの宣伝とかのことを考えているとすれば、「性的広告」をポルノと結びつけ論じたり、雰囲気やペルソナ剥奪の議論をしたりするのもよくわかる。そう思ったら、「具体例がなくてよくわからないなあ」と思っていた疑問の多くが解決したわけです。性的な問題の話は具体例出しにくいことが多いのですが、やっぱり具体例は大事ですね。
まあとにかく、後半の「えっち」の議論も含めておもしろい本なので、みんな読んでみてください。また議論しましょう。それではまた。





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