世界は変えることができる

んで、まあ問題を発見しただけではやはりだめだし、学生様には世界は変えられると信じて欲しい。そのためには私自身が信じないとだめだ。かげで文句いったり、個人を攻撃するだけは世界はよくならん。問題を発見するだけでなく、どうすれば解決するか考えて、ある程度は手も動かさないとならん。知恵をしぼって改善するのだ。そういう態度を教えられないようでは、大学でえらそうなこと言ってらない。ってなわけで面倒でも改善案を書きました。通るといいなあ。

字が汚なくてはずかしい。べつのところで「世界を変える」ってタイトルでこの粗末な紙がその手段か、っていうコメントがありましたが、まあそういうものです。はははは。歌でも歌った方が有効だったろうか。

歌詞の和訳はこっち



(後記)

  • さっそく誘導ベルトが設置されてました。えらい。うれしいなあ。(7/14)

悪いデザインは人を苦しめます

「Togetterで炎上しそうになってしまった……」のつづき)

んで、どういう問題があったか、ブログでは書いておきますかね。

ここにプロ(Yashiro Photo Officeさん)の写真があるので、それを参考にしてください。 http://846-photo.com/archives/portfolio/kyoto-wu-ac-library/ ここでの写真もこのページから使わせていただきます。

この図書館、こういう感じですごくおしゃれでかっこいいんですわ。私は建物としては気にいってる。5階分の吹き抜けになっていて、音や空調や床面積や動線の関係でそれがどうかって話はあるんだけど、今回はそれにはあんまり触れない。

本は壁面書架と、階によってはフロアのまんなかにある書架、そして閉架(自動化書庫)に収められている。

図書館の本を利用する場合、いまはやはりOPACで検索して十進分類にしたがって本をとりにいくって形になりますよね。この図書館は、そのもっとも重要な十進分類が明示されていないのです。

フロアの書架にはこういう形で連番が降られているんだけど、この32・33・34という番号は十進分類とはなにも関係がない。

これはけっこうなストレスになるのです。だって「372.2 A34はえーと」って行くと「34」って目に入るわけだから。まあ運営が管理するためには、棚に番号を振ることは必要なわけだろうけど、それは利用者には関係がない。利用者が知りたいのはその棚に何番台が入っているかで、上の「34」の棚だったら、片面に「372〜375」、もう片面に「375〜375.76」が入っているということを知れば十分。そして十進分類の中身の説明が必要かどうかは微妙。それこそ大学図書館なので、「374.94には学校給食関係がある」みたいなのはいらんかもしれん 。そもそもこの部分的で断片的な枝番説明の選択は、なにが基準なんだろうか?(もしかしたらデザイナーが十進分類をよく知らない可能性まである?)

壁面はもっとひどくて、これはもうほとんど手掛かりがない。上は「K」とか「S」というサインがはいってるけど、このSも上の「34」と同じただの連番で、四方の壁にA〜Zまで入ってるけど、そのA〜Zと十進分類がどういう関係になっているかを知る手掛かりはない。

上の2枚目の方の写真(シャレオツ!)だと中央に「100 哲学」という木製の箱みたいなのが置かれてるけど、手掛かりはこの10番ごとだか50番ごとだかの見えにくい箱みたいなものしかないわけですわ。実際には100番ごとだろうが50番ごとだろうが見えないから関係ない、っていうかこんなもの意識してませんし、何番ごとに置かれてるか1年通ってるけど知りません。これ、どういうことかわかりますか?つまり実際には、とにかくいちいち本の番号をてがかりにして、そこからずーっと棚を見ながら歩いていくわけです。

私はかなりよく図書館を利用するのですが、さすがに十進分類がどこにあるか頭にはいってるわけがない。1階と2階を一周ずつする、さらにフロアのまんなかの棚を見て、例の数字に幻惑される、みたいなの毎日おこってますがね。

書架は8段あるので、最上段は2メートルを越えているので、私の目では何番がはいっているかとかもちろんわかりません。(まあこれくらい高いと本をとろうとして脚立や台座に載るのも危険ですが、それはおいといて)

フロアごとに何番台が置かれているかのサインもない。こんなものがプロの仕事か。

そりゃこれを発注したのは大学で、それは委員会やらコンペやらやってるわけなので最終的には大学が悪く、それを支持している我々一般教職員にもおそらく責任がある。でもデザイナーとか建築家っていうのはプロなんだから、なにをどうすればどうなるかちゃんと考えて提案するもんじゃないのでしょうか。そういう話でした。

大学の優秀な学生様たちは、この使いづらさに気づいているので、こういうものを自作して(あんまり目立たないところにだけど)貼らせてもらってるみたい。(先週やっと見つけました)

私これ見つけたとき、正直ちょっと泣けてきましたよ。「私ら教員がしっかりしてないために君たちにこんなことさせちゃってごめんね」みたいな。

世界は変えることができる」へ続く。

日常雑記:Togetterで炎上しそうになってしまった……

去年9月に大学の新図書館が開館してわーいっていって使いはじめたのですが、なんか使いづらくて困ってたのです。建物自体はおしゃれなんだけど、本の配置なんかが機能的じゃない。「あれをこうしてください」とかいろいろ口頭でお願いしてたんですが、なかなか改善しない。

ずーっといらいらしたまま1年近く過ぎて、「なんでうまくいかないんだろう?どうしたらいのかな?」とか思ってたときに、サインをデザインしたデザイナーさんがその図書館のサインのデザインについてツイートしてたので、つい反応してしまいました。

どうもそのデザイナーさんは、大学だし、OPACなどで検索するのだからサインはそれほどわかりやすくする必要はない、知的な印象を重視したい、のような発想でサインを設計したらしいんですね。ずっと悩んでいらいらが溜っていたので、ついキツい言葉で反応してしまいました。ついでにトギャッタとかでセルフまとめ作ってみたりして。作ったあとに仮眠してたらいきなり3万ビュー、コメント100件とかになっててこれはまずい。ネットリンチを誘発してしまった。反省。

トギャッターの「注目まとめ」とかはてなブックマークの「ホットエントリ」とかに入ってしまうと、あっというまに人が集まってえらいことになってしまうわけですね。問題提起はしたいんだけど、ネットリンチみたいな形になるのは本意ではないので一時閉鎖。

おそろしい時代になりました。ある程度問題提起はしたくても、話題が大きくなりすぎると集団による個人攻撃になってしまう。注目をコントロールするっていうことも考えないとならんわけよねね。

↑この本は非常におもしろいので読んでください。

→ 「悪いデザインは人を苦しめます」に続く。

和訳はこっち。

バトラー様と事実/規範の峻別

前のエントリで『LGBTを読み解く』に言及したのに、このブログでは私がなにを問題にしているか書いてなかった。ずっと前に書いてそのままになってたやつをサルベージ。


森山至貴先生の『LGBTを読み解く』についてoptical frog先生が解説書いてくれていて、私もなんか書きたいんだけど、なんかさしさわりありそうなのでちょっとだけ。

もうバトラー様のフォロワーたちが、言語行為論なんかにはまじめな興味もってないのはわかっているので、オースティン先生とかデリダ先生とかはどうでもいい。パフォーマティブがなにか、とかってのもどうでもいいというか、まあ自分たちの勝手な意味で使ってください。それはもうかまわない。

今興味があるのは、その「ジェンダーのパフォーマティヴィティ」なるものに、いったいどういう価値があるのですか、ってことね。

「繰り返されることで通常の用法を外れたものが伝達されてしまうという言語のパフォーマティブな特徴は、ジェンダーにも当てはめられるとバトラーは考えました。」p.136

これは森山先生がそれまで述べていたこととは違う。その前で言っていたのは、「語や句は、その意味が異なる文脈に流用されてしまう、つまり安定した辞書的な意味が綻びることによってむしろ成立可能となっている」とか「言語の特徴は……辞書的な意味を越えてしまう」ことだとか、語や句が「想定ないし意図されている意味にとどまらないような意味を伝達してしまう」っていうことだけなはず。これと「繰り返されることで通常の用法を外れたものが伝達されてしまう」がどうつながっているのか私にはわからない。これじゃ学生様読めないでしょ。でもまあいいや。先。

「セックスは生物学的な性差、ジェンダーは社会的な性差と説明され、後者[ジェンダー]は可変的で改善の余地があるが、前者[セックス]は身体のつくりの違いなので変えようがない、と説明されてきました。しかしバトラーは、この「変えようのなさ」は、身体や性に関するわれわれの言語使用の最大公約数的な特徴なのであり、辞書的な意味を越えるという言語のパフォーマティブな特徴ゆえ、もしかしたらこの「変えようのなさ」もずれたり、ほころびたりするかもしれないと考えました。」([]内は江口の補)

「セックス」は「身体の特徴によって割り当てられた性別、男女の間の差異」。「ジェンダー」の方は森山先生の場合は「「男らしさ」「女らしさ」に関する規範の違い」ってことになってる(p.48)。

ここはちょっとトリックがあるように思う。「セックス」という言葉と、その言葉がさす対象としての生物学的な性差が混同されてないかしら?ふつう、「セックスは変えようがない」と言われているのは、身体(あるいは身体的な基盤をもつなにか)は変えようがないということですわね(この主張自体ぼんやりしていて、おそらく正しくない)。でも「セックス」という言葉そのものは、単なる言葉なので、その意味は変えることができる(かもしれない)。

身体の「変えようのなさ」が実際には反復の中で生まれる最大公約数的特徴にすぎないのなら、「けっきょく女性の身体で生まれたのならその身体に応じた女性としての特徴(女らしさ?)があるのは当然」という「変えようのなさ」に依存した乱暴な議論をそのまま受け入れる必要はなくなります。バトラーの議論は、不変の生物学的「性別」という発想への批判に、哲学的根拠を与える役目を果たしたのです。」

しかし、この文章では、「身体の変えようのなさ」になっている。でも「反復の中でうまれる最大公約数的特徴」は言葉、あるいはジェンダー(「〜らしさ」)の方よね。私は頭が悪いのか、こういうことされるとものすごく混乱する。

さらに、「女性の身体で生まれたのならその身体に応じた女性としての特徴(女らしさ?)があるのは当然」がなにを意味するのか。先に、「男性」や「女性」といったセックスは、身体に応じて割り当てられるって言っているのだから、生物学的女性がその身体に、生物学的女性としてのなんらかの生物学的特徴をもっているのは当然だろうと思う。

それは例えば女性生殖器官(卵巣や子宮)があるとか、性染色体がXXであるとか、あるいは男性生殖器がないとか染色体にSRY遺伝子がないとか、否定的な形かもしれないし、あんまり性器に注目すると性分化疾患とかのひとはどうなるのかとか問題はあるかもしれないけどね。でも「(生物学的)女性としての特徴」が身体的なものであれば、「(生物学的)女性の身体で生まれたのならその(生物学的)身体に応じた(生物学的)女性としての特徴がある」は当然だ。

当然でないのは「(生物学的)女性の身体で生まれたのなら、その身体に応じた社会的な規範にしたがうべきだ」という判断で、これだけだと、この主張は明確に「である/べし」の間にあるはずのギャップをのりこえてしまっている。だから論証が必要なのね。これを正しい推論・論証にするためには、

(a1) 人はもっている身体に応じた「らしさ」の規範を受け入れるべきだ
(a2) 女性は女性の身体をもっている
———-
(a3) 女性は女性の身体に応じた規範を受け入れるべきだ

の形にする必要がある。この形なら論証としては正しい。しかし(a1)を受け入れるべきかどうかはこの論証自体では論証されていない。(a1)を正当化する論証として、たとえば

(b1) 幸福になりたいなら、身体に応じた「らしさ」規範をうけいれるべきだ
(b2) Aさんは幸福になりたい
————
(b3) 幸福になりたいAさんは身体に応じた「らしさ」規範をうけいれるべきだ

のような論証をする必要があるけど、(b1)はものすごく怪しい前提で、私は受け入れないのでさらに(b1)の論証を求めることになると思う。

なぜ怪しいのかというと、仮に長い人類の経験から、男性や女性が「〜らしく」した方がそれ自体でいろいろ有利で幸福につながりやすいことがわかっているとしても、われわれはそれぞれいろんな個性があるので、「〜らしく」するのが幸福につながるのかどうかは自分でいろいろ考えたりやってみたりしないとわからないからだ。「〜らしく」するとむしろ不幸になるひともたくさんいるだろう。

面倒だから引用しないけどいつも出してるミル先生の『自由論』の第3章参照。「幸福」ではなく「社会の安定のためにそうするべきだ」のような前提をもってきてもなぜそうなのが十分疑える。われわれはくだらない言葉遊びではなく、ほんとうに重要なことを考えるべきだと思う。

つまり、私が思うには、バトラー様のへんちくりんな「哲学的根拠」なるものは少なくとも私には必要ないし、他の人も必要ないと思う。

結局、バトラー様フォロワーはなんらかの「自然主義的誤謬」に非常に弱い思考様式をしているのだと思う。それは倫理学とか論理学とか批判的思考(クリティカルシンキング)とか勉強してほしい。

Spotify楽しいですね

2、3ヶ月前から音楽配信サービスをAppleからSpotifyに乗りかえたんですが、Spotify楽しいですね。いまごろって話になっちゃいますが。すばらしい精度で知らない曲を紹介してくれる。Spotifyの公式のも、知らない他人のプレイリストもおもしろい。

自分でも作ってみたりして。

↑を読むために、参照されてる曲のプレイリスト作ってみました。

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↑で冨田ラボ先生が100曲紹介してたからそれも作ってみてる(まだ途中)

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私のオールタイムベストみたいなのは↓

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昔書いたブログはyoutube音源使ってるけど、かなり消えちゃってわけわかんからSpotifyに入れ替えたいな。

こういうプレイリスト作ったり、つまらないブログ書いたりするのは、なんかボトルにお手紙つめて海に流す、みたいな感じがあって好きですね。おそらく誰の目にも留まらないけどひょっとしたら誰かが拾って読むかもしれない。Spotifyやネットの海に溶けこんでいく感じがある。ボイジャー号にレコード積んで宇宙に流したりするのもそういうロマンよね。あ、パイオニア号につんだ金属板が先だよね。

盛永審一郎先生の『人受精胚と人間の尊厳』

そういや、ちょっと前に敬愛する盛永審一郎先生の『人受精胚と人間の尊厳』の評をわりあてられて、いろいろ文句つけたくなり、やっぱりパーソン論ちゃんとやらないとなあ、みたいなことを考えたりしたのでした。今年はそれの年になりそう。私途中で投げ出しちゃってだめよね。

先生は強硬なヒト胚保護派なので、そういう問題に興味ある人はぜひ読んでみてください。ただし専門家向け。

↓はそのときのやっつけのレジュメ。もっとまじめにやります。このブログで連載することになるかも。

先生とはそのあともネットで楽しく交換日記みたいなのさせてもらっていて(Dropbox Papersは楽しい)、某学会あたりで再戦することになりそう。

(PDF) 盛永審一郎『人受精胚と人間の尊厳』へのコメント

ゼミの書記係をしてもらってWordPressに載せる

ここと同じWordpressで学生用専用サイトを作って、そこでゼミの記録やゼミ生のブログを買いてもらうってのを試しています。

最近短期〜中期的な記憶がだめになってて、授業でなにしたか記録してないとだめなわけですが、それを学生様にやってもらおう、ぐらいの試み。

低学年は文章を書く練習をたくさんしたいわけですが、授業で読み上げて添削するのはとても時間がかかるので全員のは無理です。でもブログの形にしておけば他の学生様がどんなの書いてるのか楽しむこともできるし。学生様は他の学生様に読まれると思うといろいろおもしろいことを積極的に書いてくれます。

このサイトは1〜4回生ゼミ共通にしているので、1回生は上回生ではこんなことしているのだな、とかわかるし、上回生は下級生が見てると思うとすこしはがんばってくれる感じ。

個人名や個人情報が出てしまうのでさすがにネットにフルオープンにはできないので、学外からのアクセスにはプラグインを使って簡単なパスワードをかけています。

学生用のアカウントは手動で発行したのですが、授業内で説明してっさと自分で発行してもらってもいいことに気づきました。

本当は学外にも見える形でやってみたいところはあるけど、現状ではこんなものでしょうな。

あと、ゼミ内容の書記係は2〜3人に同時にやってもらうことで、お互いにいろんなメモの仕方があることもわかるし、モレも少なくなるし、セメスターで当たる回数も増えるのでよいことづくめ。

どうせいわゆる「就活」のグループディスカッションとかでは書記とかしなきゃならないときもあるわけですから、人に見てもらえるメモ・議事録を取る練習になるぞってなことをお説教しておくとやる気出してくれるかもしれません。

サーバー移転しました

ほとんどなにも変わりないけど、(仮想)サーバーマシンを移動しました。実際にはwordpressをエクスポート→インポートして、アドレスを振り替えたぐらい。

実は、現在使っているwordpressを動かすためのサーバーの他に、昔のyonosuke.netの不如意掲示板のリンクをリダイレクトするために、ディスク容量大きめのサーバーもう1台借りてたんだけど、そっちに全部移した、ぐらい。これで年間6000円ぐらいの節約になる。

まあ昔の掲示板の音源なんていらないだろうけど、15年も昔のリンクがまだ辿れる、みたいなのはかっこいいかと思って。ははは。

これでもうサーバーを直接いじらなきゃならんのはまた5年ぐらいなくなるのではないか。っていうかもうあぼーんしてるかもしれんしね。懐かしの2ちゃんねるもあぼーんしたみたいだし。

実はこのサーバーでは某学術協会のサイトも動いていて、それ切り離す必要もあるんよね。私とともにあぼーんしちゃったらしょうがないし。まあそういう片づけの時期。

yonosuke名義のエントリーをマージしました

http://yonosuke.net/yonosuke/ 以下においてたブログ記事もマージしますた。(授業用のとかは、以前は別サイトにしてたけど春にマージしたのでした。)

なんかこっちでも音楽について書くことが増えそうだし、知命をとうに過ぎて、もう名義つかいわける意味もない。人生マージ計画。あとは過去に蒔いた悪い種を自分で刈り取ったり、密かに張っていた伏線を回収したりするだけ(そんなものはないけど)。

でももうネットであちこちいじったり書いたりするのも疲れました。ツイッタも疲れた感じ。

サルトル先生が夢見たガラス張りの世界

ネットとかでいろいろ書き散らかしていると、自分の思考や感情が他の人に見られるっていうのはどういうことか、みたいなのはよく考えます。次はサルトル先生のインタビューの好きな箇所の勝手な訳。時々授業で使います。

「あなた自身ことについて尋ねられることはいやですか?」
「いや、そんなことはない。誰もが、自分のもっとも内面的な事柄についてもインタビュアーに話すことができなければならないと私は思う。人々のあいだの関係をだめにするものは、お互いが相手に対して何かを隠す、何かを秘密にする──それは、誰に対しても秘密にするというわけでなくても、少なくともそのとき話している相手に対して秘密にする──ということにあるように思われる。

私は、誰もが他人に対して秘密をもたず、外的な生活だけでなく、内的な生活も完全に公開し、人に与えることによって、二人の人間が互いに相手に対してまったく秘密をもたないというようなときが来ることを容易に想像することができる。

……不信、無知、恐怖から生まれるよそよそしさは、他人に対して打ち解けさせない、あるいは、充分に打ち解けさせない原因である。また、個人的に私は会う人々に対してすべての事柄について自分の意見を言ったりはしないが、できるだけ自分をガラス張りにしようとはする。なぜならば、われわれの内にあるこの暗い領域は、自身にとってと同じく他人にとっても暗いのだが、それを他人のために明るみ出そうとすることによってのみ自身にとっても明らかになってくるからだ。

……当然、すべてを話すことはできない。しかし、もっと後、つまり、私が死んだ後、あるいは多分あなたの死んだ後になるかもしれないが、人はもっと自分自身のことについて語るようになり、大きな変化がそのことによって生み出されると私は思う。さらに、こうした変化は本当の革命と結びついていると思う。真の社会的調和の実現のためには、ひとりの人間の存在は、その隣人にとって完全に可視的なものでなければならず、またその逆も言えなくてはならない。」

http://www.nybooks.com/articles/archives/1975/aug/07/sartre-at-seventy-an-interview/ から。

こうしたガラス張りの世界は、すでにツイッタとか普及した我々の世界でもあるよな、みたいな。この「ガラス張り」について知ったのは、グラヴァー先生の訳してる時。この本はおもしろいよ。いま読んでもおもしろいと思う。訳している当時はこの原文を手に入れることは難しかった。いまではGoogle様に頼めば一発。よい世界になった。

未来世界の倫理―遺伝子工学とブレイン・コントロール
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